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護符  作者: 橋尾 京果
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001)チェレプ【ファラオの呪い】

[登場人物]

チェレプ:盗掘人

パディ:盗掘人

トトメス一世:古代エジプト第18王朝のファラオ

封印は一撃で破壊した。


ファラオの印章は粉々に砕け散り、二人の足元にぱらぱらと降り注いだ。


チェレプはノミを手に、松明を掲げた相方のパディと顔を見合せ、ほとんど同時に唾を飲み込んだ。

喉を通っていったのは、オリーブの実なのではないかと思えるほどの大きな音がした。


細面のチェレプは、自分と対照的に丸顔のパディへ笑顔を作って見せた。

萎縮し始めているパディの気持ちを安心させるためと、少しだけ持ち上がっている自分の恐怖心を、期待感で誤魔化そうという強引な試みでもあった。


「ほ、本当にやるのか?チェレプ」

パディが自分の顔を覗き込んで情けない声を出すのを聞きながら、チェレプは手にしたノミを意気揚々と握り直した。


「当たり前だろ」

チェレプはそう言って、細く吊り上った眼を更に細めた。


「だって、この中にはファラオのミイラが埋葬されてるんだぜ」

パディは不安げな表情を隠そうともせず、ずんぐりと太った身体をぶるっと震わせた。


「今更、何ビビってるんだ」

チェレプはそんな相棒にせせら笑って見せた。

欠片ほどの畏れ入る気持ちも、自分に湧き起こっていないというアピールだった。


「さあ、トトメス1世とご対面だ」

チェレプは少しの躊躇いも見せず、封印の解かれた厨子の扉にノミを突き立て、軽く引いた。

両開きの扉は微かに掠れた音を立てたが、簡単に開いていった。


左右の戸を分かとうとする力に、最後の抵抗を見せるだろうと予想していたチェレプは、少し拍子抜けした。


開け放たれた厨子の戸口からは、重い空気が乾いた匂いを伴いながら漂い出てきた。


金箔で覆われた扉の内側が、松明の光を厨子の奥へと反射し、丸みを帯びた石棺の形をぼんやりと浮かび上がらせている。


少しずつ目が慣れて、石棺の形をはっきり捉えたチェレプは、ひっと顔を引き吊らせた。

石の蓋が右へと少しずれていて、棺の中の真っ黒な空間がこちらを覗いていたからだった。


真っ黒な闇の中から、人ではない何かに凝視されているような感覚を覚えて、チェレプは背筋が寒くなった。


「何で、蓋が開いてるんだよ」

チェレプの肩越しに厨子の中を覗いたパディの声が震えている。


松明の炎が、パディの動揺を感じ取っているかのように小刻みに揺れた。

相方は手を伸ばすのが精一杯な様子で、立っている場所からそれ以上近寄ってこようとしない。


「知るかっ」

一瞬怯えた自分の気持ちは棚にあげて、チェレプはパディに鋭い視線を投げて八つ当たりした。

「ちくしょう。ミイラまで、盗掘済みかよ」


「一つ封印を解いただけで、石棺が出てくるなんて変だよ。王の棺と言ったら、何重もの厨子で守られてるって、墓造り職人から聞いたことがある。とっくの昔に、他の厨子は壊されてたんだ。ファラオのミイラも盗掘されてるんだよ」


パディが訳知り顔で言うのを聞いて、チェレプは更に苛立ちを募らせた。

「くそぉ」

厨子の扉を壊しかねない勢いで毒付いた。


「もう、帰ろぜ。あっちの部屋にあったお宝だけで、いいじゃないか」

パディがなだめるように懇願した。

「あんな少しで満足できるか」

チェレプは刺々しく言い、凄みを利かした視線で辺りを見回した。


「女王の父親だっていうのに。何だよ、このみすぼらしい墓は」

チェレプは壁に彫刻された女神の壁画に目を向けた。

メルセゲル女神が四方の壁を埋め尽くすほどに描かれている。

「同じ女神ばかり描かれてるし。手抜きもいいところだ」


メルセゲル女神は王家の谷と呼ばれる、この王墓一帯の守り手と言われている。

メルセゲル女神は女性の頭部を持った蛇だったり、蛇の頭部を持った女性の姿をしたりしていて、壁には、そのどちらもが混在していた。


「知ってるか?パディ。女王がわざわざ、アビドスから呼び寄せた楽団に舞いをさせて。幼い踊り子へ、ものすごい褒美を与えたって話」

「知ってるよ。しばらくその噂で、市場も町ももちきりだったから」


「そんな見ず知らずの子供に、贅沢をさせるくらいなら。自分の父親の墓を、もっと豪華にしておけばいいのに」

チェレプの顔が憎しみを含んだ歪んだ表情を作った。

「仕方無いよ。ここはもう、随分前に盗掘され尽くしてたんだ。きっと」


「ファラオの護符が、最後の望みだったって言うのに」

ファラオのミイラには、冥界や来世での幸運を祈って、ミイラを巻いている包帯の間に数々の護符が納められている。

ファラオの御利益にあやかりたい者達が、護符に高値を付けるのだ。


ちきしょっと、チェレプは床を蹴った後で動きを止めた。


「だが、ちょっと待てよ」

チェレプは足元に散らばったファラオの印章を眺めた。


「さっき、俺がこの厨子の封印を解いたばかりじゃないか」

「だから?」

想像力の働かない相方を蔑みの目で見やり、チェレプは少し笑みを浮かべた。


「ミイラは手付かずってことだ」

「そんなの分からないじゃないか」

「おあつらえ向きに蓋が空いてる。棺の中を覗けば分かるだろ」

「覗くのか?」

パディはあの真っ黒な空間を覗くのは、絶対に無理とでも言うように膝を震わせた。


「いい加減、腹を決めろよ」

チェレプはイライラして怒鳴りつけた。

パディを見ていると、パディの弱腰が自分にも伝染してしまいそうだった。


「でも、でもよぉ。もう、帰ろうぜ。俺。ここへ来た時から、嫌な感じがしてたんだ。墓の入口で、黒猫が俺達を睨んでたじゃないか。あれはきっと。ファラオの使者なんだ」

それにと言って、パディは周囲を見回した。


「この壁画も、やっぱり変だよ。さっきから、俺。女神に睨まれてるような気がして」

言い終わらない内に、きゃっと甲高い悲鳴を上げたパディの手から松明が落ちた。

「何だよ」

チェレプも身構えている。


「今。へ、蛇の鎌首が一斉に、俺のほうを見た。確かに見た。ほら!」

パディは叫んだ。

「女神の目が。俺達を見てる!」

唇を振るわせているパディの只事で無い表情を見て、チェレプも不安になって壁へ目を向けた。


壁画には何の変化も無かった。

「ったく。お前の気のせいだ。びっくりさせやがって」


チェレプに小馬鹿にされて、パディは震える手で松明を拾い上げ、怖々といった感じで辺りをかざした。

片手では松明を支えきれず、両手で何とか掲げているという感じだ。


「よっぽど、この女神が好きなファラオだったんだろうな」

「こんな気味の悪い所から、早く出たほうがいい」

パディは腰を屈めて、まだ四方を気にしている。


ふと、パディの手元が気になり、チェレプは目を止めた。

松明を持つ両手から紐が垂れ下がっている。


「おい、パディ。何だよ、その紐は。何を隠してる」

チェレプは高圧的にパディを睨んだ。

良い物を見つけたパディが、自分に内緒で宝を隠し持っていると思ったのだ。


「な、何も隠しちゃいないよ」

「嘘を付くな」

怒鳴られたパディは肩をすくめて、少しばかり恥ずかしそうに手を開いた。


手の中には小さな神像があった。

口から舌を突き出し、両腕を広げておどけた仕草をしている小人の神だ。

魔除けの力を持つと云われているベス神の像だった。


「ベス神の護符だよ。メリって言う、近所の子供に借りてきたんだ」

「けっ。臆病者が」

吐き捨てるように言うチェレプに対して、パディは罰当たりなとでも言いたげに瞳を見開いた。


「メリの母親が作った護符には力があるって。俺の町じゃ有名な話なんだよ」

「へぇ、そうか。ならっ」

言うなり、チェレプはパディから護符を取り上げた。

「うわ。何するんだ、チェレプ。返せよ!」


「ごちゃごちゃ言うな。お前がここから逃げないように、これを預かっておくんだ」

チェレプは護符に通っている紐を首に掛けると、言い終わらない内に、さっさと厨子の中へと足を踏み入れた。

勢いを付けないと、躊躇う気持ちが湧き上がってしまいそうだった。


「おい、暗くてよく見えないぞ。ちゃんと明かりをくれ」

チェレプは厨子へ入るなり叫んだ。

パディが身動きする気配がして、少しだけ厨子の奥が見通せるようになった。


蓋は厨子の奥のほうで、猫が入れそうなくらいに空いているが、埋葬されている者の足先になる手前側では、指がやっと入りそうな隙間しか無かった。

石棺の中を覗くには、厨子の奥へ入るしか方法か無さそうだ。


チェレプは厨子の左側面と石棺との隙間へと身体を進めた。

身体を横にしてやっと通れる幅しかない隙間だった。

棺の冷たい石の感触がすぐ目の前にある。

チェレプは奥へと急いだ。


厨子の外では、パディが心細い気持ちを隠そうともしないでこちらの様子を窺っている。

「パディ、お前も来いよ。何のために松明を持ってるんだ。棺の中を照らしてくれよ」


「わ、分かったよ。チェレプ」

しぶしぶといった感じで、パディが足を踏み出すのが見えた。

だが、厨子の手前で固まってしまい、顔色を失くして、パディは立ち尽くしてしまった。


小心者で小太りな男を、改めて忌々しく思ったが、さっきよりは少しだけ明るくなった。

これでやっと、棺の中を確認できそうだ。


と、その時。

ふいに光が無くなった。

チェレプは真っ黒な闇に放り込まれた。


「おい。なぜ火を消すんだ」

チェレプはパディを怒鳴りつけた。

返事は無かった。


「おい、パディ。どうしたんだ、返事くらいしろよ」

返事どころか、パディの気配さえ感じ取れなくなっていた。


「パディ? おい、パディ」

反響して返ってきた声は、自分が思うより動揺しているように聞こえた。


石棺に触れていた手を静かに引っ込める。

ファラオの墓を暴いた者には、亡き王の呪いがかけられるという、信じてもいなかった言い伝えが脳裏をよぎった。


さっきまでの強気を打ち砕く恐ろしさが、急速にチェレプを支配した。

荒くなった自分の呼吸が音になって辺りに木霊していた。

チェレプは無理矢理、頭を振った。


違う、違う。怖くなんかない。

急に暗くなったから驚いただけだ。

何がファラオの呪いだ。

俺は信じないぞ。

呪いが怖くて盗掘ができるか。


「パディ、どこにいるんだ。冗談はやめて、早く明かりを戻すんだ」

チェレプは声を張り上げた。

恐怖心をパディに対する怒りへとすり替えようとしていた。


「護符を取り上げたから怒ったのか? それだったら。今、返してやるから」

くそ。

パディの奴、何で何も言わないんだ。


産毛でさえも石棺には触れさせまいと、身体を厨子へと押しつけ、チェレプは厨子の戸口へと向かった。

しかし、すぐに足を止めた。


今、奥で音がしなかったか。


厨子の外ではない、内部で上がった音だった。

チェレプは耳を澄ました。

無音だった。

思い直して足を動かした。


全部パディの仕業だ。

俺を怖がらせようって考えなんだ。

大方、近くに潜んでいて、俺が恐怖に顔を引き吊らせて出て来るのを楽しみにしているんだ。

あいつを喜ばせることなんて、誰がするか。

今に見てろよ。

ここから出たら、あいつを酷い目に合わせてやる。


頭の中に強い怒りの言葉を羅列していないと挫けてしまいそうだった。


戸口までこんなに遠かったか。

やけに遠く感じるぞ。

いやいや、思ってる以上に俺は、奥のほうまで入っ・・・。


突然身体がビクっと反応し、同時に思考が止まった。


先ほど聞いたのと同じ音がしたのだ。

何かが床を這うような音だ。

余程神経を尖らせていないと気が付かないような小さな音だった。


やっぱり聞こえるじゃないか。


硬直した身体の中で、心臓だけが爆発しそうな勢いで動いていた。

胸が上下する度にチェレプの鼻息が激しく吐き出された。


暗闇の重圧だけでも、神経をすり減らすのには充分な材料なのに、得体の知れない音までが加わった今では、自分を誤魔化す許容を遥かに越えていた。


瞳を忙しく動かしてみても、周囲には黒い色しか存在しなかった。

確かに聞こえた音も、注目した途端、黒に溶け込んだように沈黙してしまった。


このままじっとしていても仕方がない。


チェレプは強ばった身体に力を送って足を動かした。

蟻が歩く速度より遅い歩みに思えた。


音が、今度ははっきりと聞こえた。

床を擦る音だ。


チェレプは恐る恐る振り返った。

濃厚な闇の気配が、確かにそこに渦巻いているのが見えてしまった。


動けないという心の叫びよりも強い、逃げろという本能が、チェレプの足を動かした。


音は歩みを進めると響き、チェレプが止まると音も止まった。

次の一歩を踏み出した時は、さっきよりも音が近くなっているのに気付く。

もう、足を止めるほうが勇気のいることだった。


ここには俺しかいない。

これは俺の足音なんだ。


思い込もうとしても、自分の足音と、遅れて響く音との区別は付いてしまう。


早くここから出ることだけを考えていたチェレプの首筋に、何かが触れた。


チェレプは悲鳴を上げた。

理性の吹っ飛んだ短い声だった。


い、い、今。

何か触らなかったか。


額の汗を拭う腕は震え、膝は腕以上に揺れていた。

しかし、厨子と石棺との狭い隙間ではしゃがむことも許されなかった。


頭の中は真っ白になっていたが、チェレプの生存本能は、背中を厨子に押しつけ身体を少しずつずらす方法で、チェレプをこの場所から逃れさせようとしていた。


音の本体が、手を伸ばせば触れる距離にいるだろうことも哀しいくらいに分かっていたが、意識の外へ追いやっていた。


チェレプの指が戸枠らしき物を捕らえた。


助かった。


チェレプは長い洞穴から抜け出るような、晴れ晴れとした思いで出口へ急いだ。


扉は閉まっていた。

押しても揺すっても、びくともしない。


何か仕掛けがあるのかもしれないと、細工を探すチェレプの手が次第に大きく震えだした。


重い空気がすぐ後ろにあったからだ。

もう、音は止んでいた。


全身の毛穴からどっと汗が吹き出した。

身体が背中のほうから順に硬くなっていった。


ずしりと、重い何かにチェレプは両肩を押さえ付けられた。

恐怖で叫ぶことも忘れていた。


顔が勝手に右肩のほうへ向いた。

自分の肩を押さえ付けている者の存在を目視させられるためだ。

自分の意志ではない、抵抗できない力だった。


視界の端に干からびた人間の指先があった。

真っ暗なのになぜかはっきりと見えた。


これ以上振り返っては駄目だと心は訴えているのに、チェレプの首は後ろへ曲げられていった。


暗闇の中にチェレプの絶叫が轟いた。

やがてその声は、黒に塗り込められるようにして消えた。




墓の入口から少し離れた所に身を潜める人影を、満月の明かりが照らし出していた。


そこはナイル川の西、太陽が沈み行く山に囲まれた場所。

この先も何代にも渡って、ファラオの墓が築かれていく王家の谷の片隅だ。


人影は身を小さくして、ずっとうずくまっていたようだが、盗掘人の絶叫が収まり、しばらく経った後にやっと立ち上がった。


人影は若い女のようだった。

辺りを彷徨う野犬やハイエナも彼女の存在に一瞬目を向けるだけで、その後は気にする素振りも見せない。


女は長い間その場に留まった後、迷い無い足取りで船着き場のほうへ歩いて行った。

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