(7)
シルヴィアは祖母の日記を母へ返した。母はそれから執務をするというので、シルヴィアは自分の部屋へ戻ることにした。――と、母には言ったけれど、そのつもりはない。
「図書室から本を持って来るの」
常に後ろをついてくるリタを図書室に置き去りにして、こっそりそこを抜け出した。
リタがシルヴィアのお付きになったのは、三年前、シルヴィアが三歳、彼女が十二歳の秋だ。リタは見習いのメイドで、翌年に乳母のマリアが役目を終えて領地の家族の許へ帰ると、正式にシルヴィアの専属となった。
「考えてみれば、十三歳の専属メイドは若すぎるわね」
幼い令嬢の世話係となる専属メイドは普通、経験豊かな者がなるはずだ。リタの年齢なら、その補助として入り、成人した十五歳で専属となるのが常識的だろう。
母とメイド長のエッダが同じことを祖父に言ったが、「歳が近いほうが気持ちが分かりやすいだろう」と反論され、決まったのだ――ということを今、思い出した。
何かが引っかかる。
「イザベラに辞めさせられた使用人たちは、みんな古くからいて、身元がしっかりしていると思っていたけれど、本当のところはどうだったのかしら」
あとで母に頼んで、執事のバートラムに今いる使用人たちのここにいる年数と紹介者のリストを作ってもらおう、とシルヴィアは考えた。
そして、人目につかないよう、裏階段を降りて地下の厨房へ行く。
「あの女、俺ら全員を解雇するって、みんなの前でぶちあげたけど、奥さまは知っていなさるんだろうか」
昼食の仕込みが済んでひと休みしているのか、コックたちが話していた。
シルヴィアは、少し開いたドアから中を見ながら、聞き耳を立てた。
「たぶん、ご存知ないだろう。しかし、あの女の言うことが侯爵の意志ならば、奥さまは従わざるを得ないだろうな」
「まあ、俺たちは領地のお城へ帰るだけだけどさ。奥さまとお嬢さまは……」
そこまで聞いて、シルヴィアは厨房から離れた。
……あいつ、もう使用人を総入れ替えするつもりね。ということは、お母さまを。
考えたくなかったが、最悪を阻止せねばならない。
シルヴィアは次に一階のテラスから外に出て、井戸の近くの灌木の茂みの陰に潜んだ。
「まったく、やんなっちまうわ。あのレイチェルって女。ナニサマよ!」
「ねえ、クビになったら、どうする?」
「里に帰って結婚しようかな。アダムスさまは、いい人紹介してくれるかしら」
「あたしたちは行儀見習いって名目の下働きだからねえ」
「王都のお屋敷で働いていたっていうと、けっこうなハクよね」
炊事や掃除を担当する下級メイドたちがおしゃべりしていた。
シルヴィアは音を立てないようにして、庭の小屋へ向かった。
「よう、トムじいさん。神経痛の具合はどうだい?」
庭師が背中の曲がった老人に訊く。
その人を見て、シルヴィアの胸がどくんと跳ねた。
「おかげさまで……執事さんからいただいた薬が効いてきたようで」
「そりゃあ、良かった。バートラムさんが行き倒れていたあんたを連れてきて、奥さまからここで働けるよう許可をもらったときは驚いたよ。普段は身元の知れない人間を絶対に屋敷内へ入れないのにさ。情け深いところがあるんだと感心したさ。でも俺たちが解雇されたら、おまえさん、どうするんだね」
「そうさな、前の生活に戻るだけさあ。この年でこんな動かない体じゃ、どこも雇ってくれないからな」
「そうかい。俺はこれを機に引退しようと思うんだ。故郷の家族も帰ってこいと言ってるしな」
ああ、トムじいさん。
シルヴィアは懐かしさで胸がいっぱいになった。あの老人が暮らしていた小屋に追い立てられてから、彼から火のつけ方、煮炊きの仕方など、基本的な生きる術を教わったのだ。
庭師が仕事をやりに行ってしまうと、そのとき鳩が降りてきた。
クックル、と鳩は老人の腕に止まる。
すると老人の腰が伸び、足環から手紙を抜いて一読したその瞳には鋭い光があった。
老人は鳩を持ったまま、小屋の中へ入っていく。
……あれは、どういうこと?
六歳の自分が見ていた記憶がいかに曖昧なものであったか、シルヴィアは思い知った。十六歳の目で、今度は真実を捜さねばならない。