(6)
「オーレリア、それはいったい……」
「嘘ではないわ。パトリックとの夫婦生活はなかったの。いえ、初夜のときはお酒に睡眠薬を入れて眠らせて、あとはベッドを共にしていないわ。シルヴィアは、あなたの子なのよ」
「お母さま?」
いきなり出生の秘密をばらされて、シルヴィアは呆然となった。けれども、次第に喜びが湧き上がってくる。
……私は、あのクズと親子じゃない。血がつながっていなかった!
「アルフレッドは私の護衛騎士の一人でした。彼が私の担当になったときから、私は好意を抱いていたのだけれど、お父さまがパトリックとの結婚を強引に決めてしまって。あの人には既にイザベラという愛人がいたというのに。思いつめた私は彼に想いを打ち明け、一緒に逃げてくれるように頼んだわ。彼も同意してくれ、私たちの様子から察したアダムスが手を貸してくれて、屋敷を出たの。国境近くの小さな教会で、村人のご夫婦を証人に頼んで、結婚したのよ。七日後に、山越えで隣国へ行こうとしたときにヴァイエンドルフに捕まってしまって引き離され、私はパトリックと結婚式を挙げさせられたの……。その後、何年かしてアルフレッドが生きていることを知ったわ。第三騎士団にいると。まさか、今では団長になっているとは思いもよらなかったけれど」
シルヴィアに話した母は、涙に濡れた顔を団長のほうへ向けた。
「オーレリア、私はそれでいいと思っていた。あなたは侯爵家の継承者だから、この家から離れることはできない。けれども、たった七日間だけでもあなたを自分のものにしたことで満足だった。たとえ殺されようとも。しかし、団長は私を密かに逃がし、第三騎士団の当時の団長に身柄を託したんだ。私はそこで数年、諜報活動に従事し、平の騎士からやり直した。せめて、あなたの姿をもう一度見たいという想いだけで」
「アル……アルフレッド」
母が立ち上がって団長と抱き合い、何度もキスをしている。
……うわあ、情熱的。お母さまに、こんな一面があったなんて。
あてられて、目のやり場に困ったシルヴィアは視線をあらぬ方向へさまよわせている。
「アル……あなた。大事な話があるの。聞いて」
と、身体を離した母が、時の巻き戻りのことを手短に語った。
「シルヴィアの言う通りなら、私は一年以内に死にます。そして残ったこの子はパトリックとイザベラに苛め抜かれて、最後は殺されるのです。どうか、そんなことにならないよう、助けてください。お願い……」
「オーレリア……」
団長は驚いたようだが、答えた。
「普通なら信じられない話だが、侯爵家に王家から拝領した首飾りがあることは聞いている。……シルヴィア」
と、今度はシルヴィアのほうを向いた。
「さっきはお母さまを庇って、偉かったね。君は私の誇りだ」
カレンデュア団長が片膝を突き、両腕を広げた。
「……お父さま!」
シルヴィアはその胸に飛び込んだ。
厚い胸板と力強い腕、軍服から伝わる体温と男性用のコロンの香り。
……私、前世でも、こんなふうに男の人に抱きしめられたことなんて、なかったわ。
カレンデュア団長が実の父親だと、心の底からそう思え、嬉しかった。
団長は、シルヴィアを抱きながら立ち上がった。
「君がお腹にいるとき、生まれたとき、そしてここまで育ってきた姿を、みんな見逃してしまったなあ」
しみじみと言い、その目には光るものがある。
そのとき、ドアがノックされた。
「団長、よろしいですか?」
さっき出て行った女性騎士の声がした。
「ああ、入れ」
答えて、団長はシルヴィアを下ろした。
母はハンカチで涙を拭いている。
ドアが開いたとたん、女性騎士が目を見張る。
「失礼します。――って、なに女の子を泣かせてるんですか。お嬢ちゃんに事情を聴くのはあとにしてくださいってば。それより、マーシャル夫人という前の家政婦さんのお付きメイドの女の子がいなくなったそうなんです。ちょっと、来てください」
「わかった」
と、答えたアルフレッドはたちまち騎士団の団長の顔になった。
「では、侯爵夫人。これで」
短く挨拶して、カレンデュア団長は部屋を出て行った。
「あなたにアルを会わせてあげられて、良かったわ」
オーレリアは言い、シルヴィアをソファに座らせ、自分も横に腰を下ろしてから、シルヴィアの涙に濡れた顔をハンカチで拭いた。
「アルの実家は伯爵家で、彼は次男なの。騎士学校に入って実家のお兄さまを手助けし、警護責任者のあとを継ぐつもりだったのだけど、彼の母方の縁者だったうちの騎士団長・ヴァイエンドルフが引き抜いたのよ。とても優秀だったから、短期間でも第三騎士団のトップになれたのね」
母は、誇らしげに言った。
「シルヴィア、私に何かあったら、必ず彼を頼るのよ」
「ええ。でもお母さま、さっきのお話で、アルフレッドお父さまと結婚してから、あのクズ……いえ、侯爵と結婚っていうことは、結婚証明書はどっちの名になっているの?」
この国とその周辺は、レダという女神を信仰していた。出生や結婚、死亡の証明は住んでいる地区の教会の名簿に載せられ、神父が証明書を書くことになっている。
「あら。もちろん、アルよ」
母は、けろりとした顔で答えた。
「は?」
「やり方は、イレーネお母さまに教えていただいたわ」
うふふ、と母が笑う。
「お母さまは、私が十歳のときに亡くなられたのだけど、日記があって……」
と、母は立ち上がってマホガニーの机の所まで行き、一番下の引き出しを取り出して、その下にあった隠し戸を開け、中から古びたノートを出してきて、シルヴィアに差し出した。
「六歳のあなたには理解できないでしょうけれど、十六歳のあなたなら、分かるわ」
「お母さま、それで私の出生証明書の父親の欄には……」
「当然、アルの名よ。あなたが生まれたとき、そこにいなかったパトリックは、知りもしないし、関心もないから、見てもいないでしょうね。あなたの洗礼名すら知らないし。私の父もそうだったわ。母が私を産んだとき、いなかったのだから、洗礼名を知らないの。結婚のときは、証明書に洗礼名を書くものでしょう? 私、パトリックとのときは、違う洗礼名を書いたのよ」
母が、にっこりする。
「結婚証明書と出生証明書は、アダムスに預けてあるの。彼なら、パトリックがもし『見たい』と言ったら、偽造した物を差し出すでしょう」
……うわあ、したたか。
『耐える女』という母のイメージが、ひっくり返った。
「じゃあ、あいつは侯爵じゃない?」
母が再び横に座った。
「ええ、そう」
「だったら……」
「物事は、そんなに簡単ではないの。母親になったら、子どもを守るためには、何だってするものよ」
と、母は祖母・イレーネの日記帳をシルヴィアの膝の上で広げた。
シルヴィアが読み進んでいくと、驚愕の事実ばかりが分かってくる。
アレクサンドラとその夫、つまり曾祖母夫妻の事故の真相、祖父・ヘンリーがサザランド伯爵家から婿入りした理由と甥のパトリックとの本当の関係――。
……イレーネおばあさま、肖像画では儚げな方だったけれど、強い!
顔を上げたシルヴィアは、母に言った。
「お母さま、家宰のアダムスに、すぐ王都の屋敷へ来るよう使いを出して」
「私も、それがいいと思うわ」
母が微笑んだ。