番外編・西の大陸の二人(シルヴィア)
今日は王立学校の入学式、オーレンクス公爵家の長女の私、シルヴィアは学校へ向かう馬車に、ダークグレーのスーツを着た祖父のリチャードと乗っていた。
(おじいさま、五十歳を超えているはずなのに、相変わらず麗しいわ)
祖父は当主を引退し、公の場にはめったに出ないが、国王主催のパーティに呼ばれたときには出席する。そのとき、既婚・未婚問わず女性たちの熱い視線を浴びている。けれども、祖父にとって唯一の女性は、亡き祖母イレーネなのだった。そして、その忘れ形見のオーレリア、孫娘の私、シルヴィアを溺愛していることは、みなが知っていることだった。
共通試験の結果、王立学校への入学が許され、「入学式の付き添いをする」と、祖父が断固として言ったとき、父のアルフレッドが苦い顔をしながらもうなずかざるを得なかったのは、その想いの深さと理由をよく知っているからだった。王国の混乱の中で妻を失い、父娘と名乗れず半生を送らざるを得なかったリチャードにとって、孫娘の成長を見守ることが、家族として暮らすことが叶わなかった娘との日々を追体験しているのだと、理解していたからだ。
入学式の付き添いは、二人と決まっていた。これは両親を想定していたからだろう。王立学校で学ぶのは名誉なことであったから、「多くの親族が来られても困るため」と学校の通達にもあった。
では、もう一人は?
申し入れがあったとき、父は怒りのため蟀谷に青筋を立てていたが、王の依頼とのことで、婚約者のフィリップの臨席をしぶしぶ認めた。第二王子のフィリップとは、一年後に結婚する予定だ。そして今日の晩餐は、祖父と両親と弟のサミュエル、そしてエセルバード国王とジュリアス王太子、砂漠の国ハールーンから嫁いできたシルヴィアのはとこ・アリーシャ王太子妃、王孫のアルバード王子といった身近な人たちと王城で摂る予定だった。
(フィル様は、制服姿を「かわいい」って言ってくださるかしら)
時の巻き戻り前だったら、恥辱と悲嘆の内に死を迎えていた。その同じ年頃になって、こんな幸福でいいのだろうかと、シルヴィアは夢を見ているようだった。
「ヴィア、ここには同世代とはいえ、さまざまな身分、考え方の者が集まってきている。『学生でいる間は平等』という建前の下、勘違いする生徒も出てくるだろう。トラブルに巻き込まれたら、誰かに相談しなさい。抱え込んでは、いけないよ」
馬車が王立学校の門を入り、高位貴族専用の車寄せに停まって、シルヴィアが降りるとき、先に外に出、その手を取った祖父が言う。
「おじいさまったら、心配性ね。護身術も習ったし、口論でも負けるつもりはないわ」
馬車を降りたシルヴィアは、祖父に微笑みかけた。
「ヴィア!」
そのとき、シルバーグレーのスーツ姿のフィリップが屋内から出て来た。
「制服姿も素敵だね」
と、シルヴィアの右手を取って、甲にキスをする。
今日もきれいに澄んだ青空の瞳――。
ぽっ、と頬が赤くなるのが分かる。
(手にキスされただけで、どきどきするなら、結婚したら心臓が止まりそう)
そんなことを思っていたとき、祖父のリチャードが二人の間に、するりと割り込む。
「結婚するまで、それ以上の接触は許さん。そう言ったはずだな?」
「ええ、存じております。閣下」
身体を起こしたフィリップがにこやかに答えている。
「殿下、あなたほどの方なら、どのような女性も選び放題だったでしょうに。うちの孫娘に執着する必要はないのですよ。今からでも、遅くはない。良い方をご紹介いたしましょうか?」
「せっかくのお言葉ですが、レディ・シルヴィアを愛しているのです。何物にも代えがたく。この気持ちは、亡き奥方を一途に想われている閣下にも分かっていただけると思うのですが」
丁寧な言葉ながら、バチバチと火花が散っているのが分かる。けれども、これはいつものことなので、シルヴィアは気にも留めず、二人を促した。
「お式に遅れてはいけませんわ。それに後から来る方の邪魔になってしまいます」
「そうだな。しかし、ヴィアより高貴な令嬢などいないのだから、遠慮など……」
と言いかけて、祖父が気づいたようだ。
「いたな。ヴィアのはとこのサーレムも留学生として来ていたか」
サーレム王子は、祖父の姉君がハールーン王国に嫁いで出来た三人の子どものうちの長男、現在の国王の三番目の息子で、ゼノヴァン王国王太子妃・アリーシャの弟なのだった。
「ああ、あの生意気な。ヴィアを私から奪い取ると宣言した王子ですか」
「え?」
(聞いてない。サーレムは小さいときから領地によく遊びに来ていたけど、そんなこと、ひと言も……)
入学式の行われる講堂へ職員の案内で向かいながら、シルヴィアは思った。
そのとき、廊下を走って来る足音と女の子の声がした。
「やだっ、遅刻しちゃう! って、王子さまは?」
前で立ち止まった少女は、けげんな顔をした。
「初めてのイベントじゃないの?」
「君、方向が違うよ。講堂はあっちだ」
職員が近づき、女生徒に説明している。
「あれは……近頃、グリチロン男爵に引き取られたエミリアという生徒では?」
「全生徒の顔とプロフィールを知っているのかね?」
「ええ、ヴィアの安全のためですよ」
祖父とフィリップの会話を聞きながら、シルヴィアが因縁の名をつぶやいた。
「エミリア……」
『なあに? どこかのストーリーと混線してるの? 面白いことになりそうねっ』
そのとき、小さなレイラ様が姿を現し、笑っている。
「こんせん?」
シルヴィアが顔を上げた。
『いーの、いーの。シルヴィアちゃんはもう、悪役令嬢にならなくていいんだから』
うふふ、と笑ったレイラ様が姿を消す。
「ヴィーア!」
後方から少年の声がした。振り返ると。オリーブ色の肌の男子生徒が護衛騎士を従えてやってくる。
「殿下、大叔父さま、ご無沙汰しております。ヴィーア、同じクラスになれると、いいね」
その場の三人に話しかけながら、屈託がない。
「礼節をわきまえるのだよ、サーレム」
「ヴィアは、あなたの再従兄弟かもしれないが、私の婚約者でもある。それを忘れないように」
「はい。分かっています」
そう答えながらも、サーレムの笑顔が黒い。
『もてるわねー、シルヴィアちゃん。さすが、私の子孫!』
レイラ様が面白がる声だけが聞こえた。
(人の気も知らないで……)
シルヴィアは密かに溜め息をついたが、少なくとも賑やかな学生生活が送れそうではある。トラブルの予感もするが。
(一年で単位を取りまくって、早く卒業するから!)
そう決意を新たにするシルヴィアだった。




