付記・フィリップの想い(2)
いつもは軟派な近衛騎士として勤めながら、陰では反対勢力を結集しつつあった。そんなとき、オーレンクス侯爵令嬢・シルヴィアと出会った。
彼女から時の巻き戻りの話を聞き、驚きつつも、信じることができた。
王家の秘宝が絡んでいるのなら、可能性はある。
それにしても、前世の僕はなんと情けないことか。レディ・シルヴィアが虐げられていたのも知らず、婚約破棄の場で初めて会ったのだと? そして、みすみす死なせてしまうとは。
彼女の記憶どおりなら、反乱を起こし、王族を処刑したのはまあ想定内だ。しかしその後、国が亡ぶのか……。
王族がいなくなるのはかまわないが、人びとが苦しむのは本意ではない。そして今世、レディ・シルヴィアを護るには、婚約者になるほかない。
幼女に「一目ぼれ」とは考えられなかったが、自分にとって大切な存在であることは勘で分かった。何しろ、彼女といると、ほっとするのだ。
だからプロポーズし、父親であるアルフレッド先輩や祖父のオーレンクス侯爵に嫌がられようが、妻とすることを請うた。
そんなとき、亡くなったハロルド王の血統に疑いが生じた。即位の儀式をすべて終えていないことが分かったのだ。
宰相代理のカレンデュア伯爵の提言で、亡きハロルド王を王家の宝物庫へ入れる儀式をすることになった。このとき、王家の血を引く人びとも同様に証明を行うようにと、カレンデュア伯爵は主張した。
そんな発想は、僕にはできなかったな。まさか、王家の血を引くといわれる人たちに、騙りがいるなんて。
僕はそのときの見届け人の中に、フリッツ・ロイとダンカンを入れるように細工した。ロイは法律家として、ダンカンは記者として手下と共に。
彼らが自分の目で王家を見て、どう感じるか。それによって、今後の方針――王家を残した国にするのか、それとも残さずに民衆が選挙によって選んだ者が国政を担うのか――を決めようと思った。彼らが後者を選んだ場合、父とその周辺を説得するつもりだった。
しかし王家の宝物庫での出来事は、僕らの予想をはるかに超えた。初代王妃の魔法によって、ハロルドの父王暗殺、エドガル以下は王家の血を引いていない者と裁定され、僕の父が王となることが決まったのだ。
初代王妃の魔法を間近に見て、ロイとダンカンも王家はこの国に必要だと考えるようになった。彼らは仲間を説得し、王家打倒ではなく、議会制による国作りに方向転換した。それはまた、父の考えにも合っていたので、代表者の話し合いが何度もなされ、流血もなく、良い方に事態は進むようだ。
この間、父の口添えもあり、僕はレディ・シルヴィアの婚約者候補になることができた。
彼女とのつながりが出来たことは嬉しかったが、為すべきことは山積みだ。オーレンクス領へ向かう彼女が乗った馬車を見送ったあと、気を引き締めた。
その後は通常業務に加えて騎士団内の規律を再検討し、訓練に明け暮れ、同時に接収した貴族領へ送る文官と武官の人選をして慌ただしく過ごした。そんなとき、教皇猊下からの便りが届いた。
王である父と王太子の兄、そして僕がそろったときに教皇の言葉を伝えたいと、王都の教会にいる大司教から都合の良い日時の問い合わせがあったので、スケジュールを調整し、僕らは謁見室で聖職者たちを待った。
やってきた白い髭のグレゴール大司教は、戴冠式のときのような祭服ではなく、黒のキャソックにケープという姿。サリバン司祭を伴っていた。
「陛下、急なことで申し訳ない」
大司教はハンカチで額の汗をぬぐっている。
「いえ、聖なる御方の御用でしたら、いつでも歓迎いたします」
もはや足をひきずっていない父は、立ち上がってにこやかに大司教へ隣の椅子を勧めた。
僕と兄は、父の後ろに立っていた。
「人払いをお願いしたい」
大司教の言葉にうなずいた父が騎士と侍従たちに出ていくよう告げる。
「教皇さまに霊夢が示されました」
父と兄と僕、そして大司教とサリバン司祭の五人だけになったとたん、グレゴールさまが話し始める。
「これは上層部のみの秘事でして、ゼノヴァン王国に関係することですから、お知らせするため、決して口外なさいませぬよう」
前置きをして、大司教はサリバン司祭に「はじめなさい」と指示した。
「では、失礼して」
と、サリバン司祭は手にしていた布包みを解き、中から円盤状の物を取り出し、両手で抱えた。
「これは、オーレンクス領の職人が作った道具です」
オーレンクスと聞いて、興味を引かれた。
サリバン司祭がそれを操作すると、目の前に立派な祭服姿のゲオルグ教皇が現れた。
「映像と音声を記憶する『ほろぐらむ』というものらしいです」
司祭の説明を聞いて、本人ではないと分かっていても、父と兄と僕、大司祭はその場で跪いた。
『先夜、この世界を統べるルーキン神とレダ神が我が夢枕に立ちたもうた。これから語るのは、枢機卿たちを招集して内容を精査し、霊夢として認められた教会の秘事である。だが、ゼノヴァン王国の王家には伝えてほしいとのことで、伝え宣べるものである』
教皇猊下が話し出す。
シルヴィアと同じオーレンクスの血を持つ御方だが、柔和な老人といった感じで、彼女との共通点は少しも見出せない。
『神像では成人した男女で表せられるが、そのときの神々は十歳前後の子どもの姿をしていた』
この世界では、小さな神々もいて森や湖に住んでいるけれど、大きな事象はルーキンとレダという姉弟の二柱の神が司っていると考えられていた。
ルーキンとレダは協力してこの世界を見守っているのだが、便宜上、東の大陸はルーキン神、西の大陸はレダ神の管轄となっていた。正邪の教えに異なることはなく、ただ神の性格として、ルーキン神は雄々しいことを好み、邪なることをことさら憎んだ。レダ神は慈愛の神として認識されている。
『何故そのようなお姿で、と申し上げると、この世界を三度巻き戻したことによって、神力を消耗したためであるとのお言葉であった』
猊下の話では、東の大陸のハルバ皇帝バーラム四世は野心家で、世界をハルバ帝国の下で統一しようと目論んでいた。それは成功し、西の大陸の国々を侵攻して傘下に収め、民を奴隷とした。西の大陸の国々が消滅すると、彼らの神・レダも消えてしまった。
姉がいなくなったことを嘆いたルーキン神は、時を巻き戻し、蘇ったレダ神と相談して、ヒトの営みに介入することにした。膨大な神力を使うので、これは本来、してはならない禁じ手なのだ。
初めての巻き戻りのあと、ルーキン神はバーラム四世を産まれてすぐ市井に捨てさせた。しかし、バーラム四世は成り上がり、皇帝となってしまった。一方レダ神は、西の大陸の国々の崩壊のきっかけを作るゼノヴァン王国のハロルド王について、暴君にならないよう、その婚約者をマクガーネル公爵令嬢マリアから、レイズナー侯爵令嬢アンナマリアに替えた。崩壊の前、マリア・マクガーネルが婚約者で王妃となるのだが、狡猾なエンマ・サザランドを愛するハロルドによって暗殺されたため、おとなしいマリアから、実行力のあるアンナマリアに替えたのだ。しかし、アンナマリアは婚約破棄され、エンマが王妃となり、圧制を敷いたハロルド、そのあとを継いでハルバ帝国に通じたエドガルによってゼノヴァン王国は滅び、世界は崩壊してしまった。
二度目の巻き戻しも失敗したあと、二柱の神はハルバ皇帝家とゼノヴァン王家の先祖から替えることにした。ルーキン神はハルバ帝国を作らせなかったが、心優しいレダ神はそれをせず、子孫の変化を願って、ゼノヴァン王家の初代王妃に異世界からの転生者を置いたのだ。しかし、バーラム四世は一代で帝国を作り上げ、ゼノヴァン王国も初代王妃の残した異世界の知恵を使うことなく滅んだ。
次を最後にして諦めることにした二柱の神は大きな介入をやめ、転生者レイラへ自分たちの力を分け与えることだけにした。その結果、前世の記憶を持って巻き戻ったレイラの子孫・シルヴィアが動き、王家の秘密を暴くことになって、ハルバ帝国に通じていたエドガルの即位はなくなり、ハルバ帝国も衰弱して、世界は滅びることなく時間を刻むようになった。
『力を尽くしたゼノヴァンの人びとに祝福を、と二柱の神は宣べて姿を消された。これが私の見たすべてである』
教皇猊下はそう締めくくって、ホログラムは終わった。
「卑賎の身には、もったいないお言葉でございます」
父が王として答えた。
大司教は感激のあまり涙を流している。
僕が兄を見ると、冷静だった。多分、オーレンクスのシルヴィアから身体を治してもらったり、いろいろ見聞きしたりしているからだろう。
僕も神々の事情を知ったところで、何の感慨もなかった。シルヴィアの語った前世の話から、腐った国を前の世でも、そして今の世でも、僕は壊そうとしていたくらいだから。
大切なのは、今。これからのことだ。
やがて父が立ち上がると、僕たちもそれに倣った。
「大司教さま、人の身ではありえない体験をさせていただきました」
シルヴィアのことを知っていて、さして驚いていないはずの父が、白々しく大司教に言っている。
「サリバン司祭」
と、これもまた、感激もせずにホログラムの道具をしまっている司祭に僕は声をかけた。
「大司教さまにお口添えを願います。ハルバの者がどうやら教会内に入り込み、司祭やシスターに化けて異なる教えを広めているようなのです」
「なんと、そのようなことが!」
大司教が驚いている。
ハルバの連中は、ゼノヴァンの聖職者を殺してなり替わり、こそこそと活動していることを僕は把握している。幽閉していたライオスを盗み出し、孤児院にいたエミリアを連れ出したのは、ハルバの連中だろう。あの二人を使って、何をするつもりか知らないが。
それにハルバは、ルーキン神の教えというより、バーラム四世を神に等しいものとして個人崇拝するように教義を改変しているんだ。教皇猊下はそれも危惧しておられると聞く。
「教えの違いを論破することは、我々俗人にはできません。教会内のことも、騎士団が介入するには難しいところがあります。ですので、ご助力を願えませんか」
「当然、力を貸しましょう。むしろ、神の教えに背く者たちは我らの敵」
大司教が何度もうなずいた。
「大司教さまのご許可が得られましたので」
サリバン司祭が、にこりとした。
これ以後、僕は聖騎士団の協力も得ることになる。
騎士団の秩序の再編をほぼ成し遂げたあと、僕は親友のクライブ・ロイズに騎士団のことはまかせ、新たに王領に加えられた反逆者たちの領地の為政者として立て直しに向かった。
現地にはすでに有能な文官を代官として、武官の護衛をつけて派遣してある。僕の仕事は各地を回り、民の声を聞いて集約し、元領主たちの横暴を正し、中央との意思疎通をして人びとの生活を再建することだった。
父は国王として、王の独裁ではない政治制度に変えるよう動き出していた。兄はその補佐をし、フリッツ・ロイたち手ごわい民主派と対峙している。
ロイたちは王家を残すことには同意したけれど、その権限をどうするかはまたそれぞれの考えがあって、まとまらないのだ。僕が支援し、ロイたちがまとめてきた反体制派の人びとも、暮らし向きが良くなるにつれ、それぞれ意見の違いが際立つようになった。
多分、シルヴィアを通じてレイラ様が教えてくださった『ミンシュシュギ』というのが、これなんだろう。
ゼノヴァン王国は識字率が高いので、『センキョ』の制度も理解されると思う。
中央でこんなことがなされている間、僕は地方を回り、王都との往復を繰り返していた。シルヴィアには、使いを遣って毎日のように手紙を送っている。
騎士団を離れて地方回りを始めた頃、オーレンクス公爵となったアルフレッド先輩のところに男の子が生まれた。父は「爵位の継承者が生まれたので、義娘として一緒に暮らせる」と喜んだ。
まだ、正式な婚約者になっていないんだけど。
忙しいスケジュールを縫って、お祝いに駆けつけたら、祖父どのとアルフレッド先輩がシルヴィアに近寄らせてくれない。
久しぶりに会ったシルヴィアは背が伸びて、花がほころぶ時期に入り、美しさと愛らしさがとどまることを知らないありさまだというのに!
あふれる想いを押しとどめ、紳士的に振る舞った僕に、シルヴィアは小さな箱型の機械を渡してくれた。『かめら』というものだ。一度、レイラ様から渡されたものとは違い、すぐに『シャシン』が出てくるものではなく、『ゲンゾウ』という作業がいるのだという。
シルヴィアはオーレンクスの職人が作った『かめら』とその説明書をくれ、手紙と一緒に『シャシン』も送ってほしいと、僕に告げた。
当然、そうするとも!
しかし、自分を撮ることはできないので、その役は「兄」で従者のケビンにお願いした。
「かっこよく撮ってくれよ」
カメラの前でポーズをとる僕に、ケビンが微笑む。
「若さまに、やっと春がきましたねえ。遅い春ですが」
ケビンは僕が大公の息子だと分かったときから「若さま」と呼ぶ。けれども、一番近しい間柄の者だ。
「どういうことだ?」
「大勢の女性と付き合ってこられましたが、本気になったのは、初めてでしょう?」
まあ、そうだ。自分の一目ぼれと認めても、十六も歳が離れているのは内心、衝撃的だった。しかし、これが恋というものなのだろう。
伯父のハロルドの息子だと思われていたエドガルは僕と同い年なのだが、早熟で、成人前に二歳年上のマーガレット・ダウロッドを妊娠させ、ライオスを産ませている。前世でライオスと婚約していたシルヴィアは、この事実から考えると、僕の娘と言って変わりない年ごろなのだ。
ハロルドは父のウイリアム王を毒殺して王位に就き、息子と信じていたエドガルにまた暗殺され、前の世でエドガルの治世は十年ほどだった。その間の前世、僕はいかにこの国を壊すか考えていたのに、時の巻き戻りにより、今は再建に力を尽くしている。皮肉なことだ。
「若さまの憂いを払う方が現れて、良かったということです」
物思いにふけっていると、ケビンがシャッターを押した。
「待て。今のは変な顔になった。送るな」
ケビンが笑っている。
父と兄が毒によって身体を壊し、自分の命も脅かされているときには、こんな穏やかな日々が来るとは思ってもみなかった。
僕は執務机の引き出しに入れておいたシルヴィアの写真を取り出した。
幼い少女が、しだいに成長して淑女となっていく様子がよくわかる。
すべては、君が始まりだ。
「きっかけを作ってくださったレイラ様に、感謝だな」
「え? なんとおっしゃいましたか?」
僕のつぶやきを、ケビンが拾った。
「彼女の写真をポートレートとする。額縁を注文しよう」
「かしこまりました。商会長を呼びましょう」
ケビンが部屋を出ていく。
「君が成長するのを待つ九年なんて、短いよ。ただ、僕を選んでくれるだけでいい」
今でも美しいが、やがて人が目を見張るほどの美姫になるであろう彼女の隣を、いかに死守するか。それが僕の一番のミッションだ。
「多少、年が離れていようが、誰にも負けるつもりはないけどね」
そして手に入れたら、心ゆくまで愛でるのだ。
君はそのとき、どんな顔をするだろうか。
終
読んでくださり、ありがとうございました。
2024年5月31日、第4回アイリス異世界ファンタジー大賞。賞を取ることはかないませんでしたが、一次選考通過はしました。皆様のお陰です。ありがとうございました。




