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ライオス

 父上は王太子、母上はその妃、王であるおじいさまが亡くなった今、父上が即位すれば、一人っ子のぼくは八歳で王太子となる。それなのに、王家の宝物庫の前で、とんでもないことが分かった。

 父上が王家の血を引いていないとは!

『我が子孫ではない者は、入る資格がない』

 父上が王家の宝物庫へ入ろうとしても出来ず、炎の文字が魔法でそう浮かび上がったのだ。

 王家の血が入っているはずのダウロット公爵家出身の母上も入れず、ぼくも見えない壁にはばまれて、前に進めなかった。

 どういうことだ? 

 おじいさまの弟の大公とその二人の息子、マクガーネル公爵とレイズナー侯爵のじじいたちは入れた。そのうえ、オーレンクス侯爵の連れていた幼女が入ったときには、光まであふれたのに。

 うそだ、うそだ、うそだ!

 王家の血筋じゃないなんて。ぼくが王子じゃないなんて。

 ぼくの頭は混乱した。足元が崩れていくようだ。

 こんなこと、現実じゃない。

 そのとき、誰かが言った。

「エンマ王妃が不貞してできたのが、エドガル王太子だったんだ」

 父上が、おばあさまの不義の子?

「マーガレット王太子妃の生家・ダウロット公爵家にも、もう王家の血は流れていない。この場にいないジラフォード侯爵家も、おそらく。だから、逃げたんだろう」

 見届け人としてその場にいた平民の記者たちが、ひそひそ話していた。

 そして、おじいさまは自分の父親を殺して王位に就いていたことが暴露された。

 これらのことは、新聞の記事になって国民に知らされるという。

 このあと、父上と母上とぼくは、衛兵たちによって東塔の貴族牢へ連行され、別々の部屋へ入れられた。

 貴族牢は平民たちが入る城の地下牢よりましだと言われているけれど、自由を封じられ、粗末なベッドと寝具、そして小さなテーブルとイスしかない狭い部屋に、苦痛しか感じられない。食事も水と丸パン二つに野菜スープだけなんて、ありえない!

「こんなもの、食べれるか!」

 兵士がトレイに載せた食事をテーブルに置いたとき、ぼくははたき落とした。

「『こんなもの』も、食べることができない子どもがいるんですよ。贅沢三昧のあなたたちには分からないでしょうが」

 持ってきた兵は静かに答え、ぼくの落とした物の後始末をすると、出て行った。

 持ってくるたびに叩き落としていたが、一日でぼくは陥落した。空腹に耐えられなかったからだ。

 食べて寝て、上のほうにある明り取りの窓からの日差しで一日の始まりと終わりを知り、何もしないまま何日も過ぎた。

 幽閉された最初のうちは、「出せ!」「父上、母上!」「おまえたち、みんな、殺してやる!」と騒いでいたけれど、そのうちそんな元気もなくなって、ぼんやりと過ごすようになった。

 何日経ったか、分からない。

 ドアの上のほうにある小さな覗き窓の向こうで、いつも食事を持ってきてくれる兵士が声をかけてきた。

「検事のフリッツ・ロイどのが、お話があるとのことで、お通しします」

 その言葉が終わると、ドアが開いて、黒服に黒いマント姿の若い男が入ってきた。黒い髪に青い瞳をしていて、表情が動かない。いけすかない男だ。

一緒に入ってきた兵士がドアのそばに立っている。

 ぼくはイスに腰かけたままだ。

 彼は一礼した。

「法にかかわる者として、裁判の結果をお伝えしにきました」

 子ども相手にも、うやうやしい態度だ。そこは少し許せそうだった。

 ロイは立ったまま、ぼくに冷え冷えとした視線を向けた。

「簒奪者・エドガルとマーガレットの子、ライオス。王族を詐称した罪は親にあり、君は両親に従っただけであるから、罪には問わない。しかし、愚か者たちに利用される可能性があるので、生涯、幽閉することと、決まりました」

「ばかな! 罪もないのに、幽閉だと! 父上は王だ。母上は王妃だ。そのただ一人の子であるぼくは、世継ぎの王子だ! 決まり切ったことだぞ。きさまたちこそ、簒奪者だ!」

 ぼくは腹を立ててロイを睨んで、叫んだ。

「理解できないのでしょうね。昨日まで、王子として人にかしずかれ、何不自由なく暮らしていたのですから」

 ロイは哀れんだ目で、わたしを見つめた。

「証拠が出ました。古い書きつけですが、エンマ元王妃が恋人に宛てた手紙です。それには、『ハロルドには子種がないようなので、あなたの子を産みます』とありました。自分の一族が殺されるのを恐れた侍女が、脅迫のネタとして持っていたのです。証人もいます。ハロルドとエンマに当時、仕えていた侍女たちです」

「うそだ、うそばかりだ! みんなでぼくたちを陥れようとしているんだ!」

 ぼくはイスから降りて、ロイに突進していった。けれども、前に出た兵士に押さえつけられ、後ろ手に拘束された。

「私の父は、エンマの父・サザランド伯爵の領地で商会を営んでいましたが、陥れられ、全財産を取り上げられ、妻まで奪われ、伯爵の慰み者にされ、妻を殺して、自分も自殺しました。その後、私は父の友人たちに匿われ、法を学ぶことによって、復讐しようと機会を狙っていました。私は貴族と王族が大嫌いです。しかし、現在のエセルバード王は王権の独裁ではなく、縮小を望んでいる。私は反乱や殺戮ではなく、特権階級との共存の道を探していこうと、少し考え方を変えたところです」

「何を言っているんだ! 王は唯一の支配者。貴族はその家臣。平民の虫けらなんぞ、どうなろうが知ったことか! 父上なら、そうおっしゃるぞ」

「まったくね」

 ロイはそれまでの物静かな様子と打って変わり、狂暴な笑みを見せた。

「その言葉、そっくりそのまま返そう。幼いとはいえ、おまえは我が敵。人びとを虐げる特権階級は、根こそぎなくなるべきだ。我々が利用できるやつらは生きることを許すが。こぞう、幽閉でよかったな」

 そう言い捨てると、ロイはきびすを返して出て行った。

「もう王子じゃないんだ。言葉には、気を付けろ」

 ぼくを拘束していた兵士も、どんとわたしを突き放すと出ていき、ドアに鍵がかかった。

「あいつ、くるっている……」

 ロイの狂気に触れ、ぼくは身体の震えがしばらく止まらなかった。

 その後は変わりのない日々が続いた。

 日にちを数えてなんていなかったけれど、季節は冬に向かっているのが分かる。寒くなってきたからだ。

「おい、毛布と冬用の着替えだ」

 いつも食事を持ってくる兵士ではなく、初めて見る顔の男が丸めた毛布を肩に担いで入ってきた。

 それを床に下ろし、毛布を広げれば、中からぼくくらいの男の子が出てき、眠っている。

「しっ」

 男は声を上げそうになったぼくを制した。

 子どもをベッドへ横たえて毛布をかぶせ、持ってきた麻袋へぼくが入るよう、しぐさで示す。

 この男が信用できなかったぼくは頭を振って、あとじさった。

 ちっ、と舌打ちした男はぼくのみぞおちをこぶしで殴った。

 痛みと共に、意識が闇に落ちた。

 気がつくと、ゆらゆら身体が揺れている。

「このバカ。言うこときかねえんで、気絶させるしか、なかったんだぜ」

「牢番は殺したのか?」

「アシがつくような真似はしない。殺したら、すぐにバレるだろ? 食事係の下働きを買収して、食事に下剤を混ぜたんで、監視の連中がご不浄へ行っている隙に、替え玉ととっかえてきたのさ」

「時間稼ぎには、なるな」

「おや。お目覚めのようだ」

 気づかれたので、今目覚めたようなふりをした。

「おまえたちは……だれだ」

「助けにきた者ですよ。殿下」

 芝居がかったしぐさで、二人の男たちは頭を下げた。そして、ハルバ皇帝の使いだと言った。

「正統な王として、いずれハルバ帝国の軍勢と共にゼノヴァン王国へ戻っていただきます」

「正統な……そうか。やはり、あいつらの言ったことは嘘なんだな!」

「そうですよ」

 ここは海の上で、船ですでに帝国へ向かっているのだと。

「よくやった。ほめてやるぞ」

 男たちはにやにやしながら、頭を下げた。

 それからは、王子が食すには粗末すぎる食事に注意をし、貧相な船室に注文をつけたりしたのだが、男たちは言うことをきいてくれない。

「まったくねえ。プライドだけのガキには、付き合ってらんねえよ。もう一人のメスガキのほうが、まだおとなしい」

「あっちは貴族といえども、妾の子だからな。王子サマとは違うぜ」

「なあ、使えねえんなら、ほかしてもいいよな」

「そう聞いている」

 男たちはまなざしを交わしあい、うなずきあった。

 そして、ぼくの襟首をつかむと船室から引きずり出し、甲板に出ると、他の船員たちが見ている前で、海へ向かって放り投げた。

「手駒にもならねえ王子サマは、いらねえよ。いざとなったら、ニセモノを立てりゃいいんだからな。魚のエサになりな。最後に役に立ったな、王子サマよ!」

 ぎゃははっ、と男たちが哄笑した。

 ざばん、とぼくの身体は海の中へ落ちた。海水が周囲から押し寄せ、ぼくはもがいた。

 くるしい、くるしい! 息ができない!

 薄れていく意識。そこで、幻を見た。

 僕は十八歳になっていた。

『ライオスさまぁ。実は私、家でおねえさまにいじめられているんですの』

 九歳のとき、父上の命令で婚約したオーレンクス侯爵家の継承者・シルヴィア。その腹違いの妹・エミリアが身体を寄せてささやいたのは、僕が十歳となり、月に一度、王都にある侯爵邸へ訪れるようになって三か月経ったころのことだ。

 シルヴィアは婚約が調ってから王宮へ父親のパトリック・オーレンクスと共にやってきた。

 艶のない老婆のような銀髪と水晶のように冷たい紫の瞳をした少女。やせこけ、貧相な印象を受けた。

 僕はひと目見て、この女が大嫌いになった。それ以後、会わないでいると、父上が「月に一度は会え」と命じて、僕はそれに逆らえず、侯爵邸へ通うようになった。だが、シルヴィアは始めから「体調が悪い」とか、理由をつけて出てこない。代わりに僕の相手をしてくれたのが、妹のエミリアだった。

 ストロベリーブロンドで夢見るような青い瞳をした、シルヴィアと同い年の愛らしい少女に、僕はたちまち夢中になった。

『ドレスや宝石、お人形。みんな取られてしまうんですぅ』

 しくしくと泣くエミリアがかわいそうになり、慰め、同時にシルヴィアを憎んだ。

『エミリアが婚約者だったら、よかったのに』

 そのつぶやきをエミリアが聞き、答えた。

『おとうさまに相談しましょう』

 僕は侯爵に会い、婚約者を交換したいと申し出た。

『わたくしも、同意見です。ですが、陛下がどうおっしゃるか。オーレンクス侯爵の後継者と王子の婚約を望まれたのですから』

 難色を示され、僕は王宮へ戻ると、両親へ訴えた。エミリアを愛してしまったので、婚約者を姉から妹へ代えてほしい、と。

『たった一人の我が子の願いを、叶えてあげましょうよ』

 母上が口添えしてくれた。

『よかろう。後日、パトリック・オーレンクスを呼ぼう』

 父上は、にやりとした。

 のちに密約として、オーレンクス侯爵の継承者をシルヴィアからエミリアにすること、僕らが結婚したら、侯爵夫妻は莫大な年金を支給され、オーレンクスの領地は僕・ライオスとエミリアの子が継ぐこと、子どもが成人するまでは王領とすること、を取り決めた。

 侯爵の話では、オーレンクスの継承者の証である首飾りをシルヴィアから奪わなくてはならないが、その所在が分からない、ということだった。

 首飾りについては、侯爵にまかせ、僕はエミリアとの愛を育み、やがてシルヴィアとの婚約破棄は、僕の十八歳の誕生パーティで行い、多くの貴族たちにも知らしめることとなった。

『シルヴィア・オーレンクス、貴様との婚約をこの場において破棄する!』

 宣言したら、泣いてすがるかと思いきや、表情も変えない。相変わらず、可愛げのない女だ。

 シルヴィアは王宮の大広間から連れ出され、処刑するはずだったが、手違いで、暴れたときに殺されてしまった。

 まあ、そんなことはささいなことだ。

 その場で、父王は僕とオーレンクスの継承者となったエミリアの婚約を発表した。

 すべては順調に進み、僕はいずれ王に、エミリアは王妃になる、と思っていた。

 シルヴィアの遺体は城の北にある刑場にさらされ、一方で僕たちは宴会を開き、ダンスや賭け事に興じ、豪華な料理や酒を飲み食いした。

 資金が足りなければ、民や王家に反抗的な貴族に重税をかけて、搾り取ればいいだけだ。

 そんな楽しい暮らしを続けられたのも、五日間だけだった。

 シルヴィアが死んですぐ、オーレンクス領で反乱が起きた。ほぼ同時に各地でも貴族が反乱を起こし、王家に従ったのは、母上の実家のダウロッド公爵家、そこと仲の良いジラフォード侯爵家、おばあさまの実家のサザランド伯爵家と僕たち王家に従って、甘い汁を吸っていた貴族たちだった。

 反乱軍が王都へ進軍してくる。そんな中、騎士団からも裏切者が出た。近衛騎士団長のフィリップ・マクガーネル。

 王族のくせに、なぜ、僕たちに歯向かうんだ?

 父王は、財務大臣のルイ・ハートフォードを横領の罪で処刑したが、誰も納得しなかった。

 反乱軍がやってくると、護衛兵は逃げ、僕たちは捕まって、平民と同じ城の地下牢へ入れられた。

 簡単な裁判のあと、国家反逆罪・殺人・強姦・横領・人身売買・違法薬物の売買などの罪で、みなが有罪となった。

『王こそが、国家。それが反逆罪など、ありえない!』

 父が被告席で叫んだが、検事のフリッツ・ロイが冷ややかに答えた。

『国と民を売る者は、王ではない』

 ロイはその視線だけでも、人を殺せそうだ。

 やがて、僕たちは順番に北の広場で処刑されることになった。

 首切り役人による処刑だ。

 本当なら、シルヴィアがここに立って受けるはずだったのに。

 罵声を浴びせる人びとはみな、やせて目だけがギラギラしていた。

『みんな、飢えているんでさ』

 僕を縛った縄の端を持っている牢役人が言った。

『あんたらが毎日、どんちゃん騒ぎしているとき、一日で何人飢えて死んだだろう。ま、気にしちゃいないだろうがね』

 確かに。今この瞬間でも、こいつらのことなんか、気にしていない。

 牢にいるときは、僕もひもじい思いをした。同じじゃないか?

 世継ぎの王子として生まれ、贅沢をして何が悪い?

 僕は、そういう立場だった。エドガル父上とマーガレット母上、亡くなった祖父君・ハロルド王、祖母の王太后・エンマ、みんなそうしてきたじゃないか。

 最上の物を身に着け、飲み喰らい、人びとを従わせる。これが王族じゃないのか?

 今の状態がおかしいのだ。

『おい、縄をとけ。王太子の命令だぞ!』

 僕が命じても、牢役人は、せせら笑っただけだった。

 そうしているうちにも、次々と下位の貴族から処刑されていき、オーレンクスの人びととなった。

 侯爵と夫人は泣き喚いた果てに処刑された。

『私が何をしたって言うのよ! 王子の婚約者になっただけじゃない! こんなことになると分かっていたら、シルヴィアをはめたりしなかったわ!』

 エミリアが喚いた。

 はめた? どういうことだ?

『王妃になりたかっただけよ! それで姉の婚約者を誘惑したの。これが死刑になる罪? 王太子じゃなかったら、誘惑なんてしなかったわよ!』

『僕を愛していたんじゃないのか、エミリア!』

 叫ぶと、声が届いたようだ。

『あんたが王太子じゃなかったら、近寄りもしなかったわ。誰か助けて!』

 嘘か。すべて嘘だったのか……。

 暴れるエミリアは押さえつけられ、首切り役人が斧を振り下ろした。

 祖母・エンマが処刑され、母・マーガレットもそれに続き、ぼくの番が来た。

 エミリアの愛が嘘だったことに、呆然としたまま、僕は処刑された。

 首が胴から離れても、耳はまだ聞こえていた。

『ハルバの兵が来た! 船団を組んで、ハルバ帝国が攻めてきたぞ! この国はもう終わりだ!』

 誰かが叫んでいた。

 父が喜びの声を上げたが、首切り役人は冷徹に仕事をして処刑し、そののち人びとと共に逃げ出した。

 ――バカだな。

 冷静にその幻を見て、思う。

 バカな王子だ。王と王妃も。

 王子は剣や学問を学ばず、威張り腐っていた。王は家臣を怒鳴りつけ、気にいらなければ牢に入れ、ときに罪をでっち上げて殺した。王妃も身近に仕える侍女を気まぐれで打ち、嘲った。二人とも美食をし、王は美女をはべらし、侍女を凌辱した。王妃も気に入った男をベッドへ引っ張り込んだ。

 色欲・食欲。自分の欲、ばっかりじゃないか。人を踏みつけ、殺し、犯して笑って。クズが。死んで当然か。

 思えば、父と母は、ぼくを本当の意味で、愛してくれていたのだろうか。世継ぎの王子だから? 自分たちに従順だったから?

 エミリアは王子としてのぼくだけだった。両親も、多分……。

 ぼくをさらったハルバ帝国の男たちが言うように、替えが利く存在にすぎない。

 絶望の闇に飲み込まれ、意識が薄れたとき、誰かにひっぱられ、抱きこまれた。

 身体が浮上する。

 瞼裏まなうらに、光を感じた。

「子どもが溺れていたんだ!」

 男のだみ声が聞こえた。

「早く舟の上に上げな」

 潮にさらされた女の声が答えた。

 それが、ぼくの――俺の真の人生の始まりだった。そして、血のつながりはなくとも、愛してくれる両親との出会いだ。

 以後、俺は過去を捨て、海の民として生きることになる。俺を道具として扱った、ハルバ帝国への憎しみを抱きながら。







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