(32)
若い侍従の案内で王宮の正面玄関に行くと、そこの車寄せにはオーレンクスの紋章がついた馬車があり、大剣を背負ったユーリ・ヴァイエンドルフと護衛たちが待っていた。
馬車の側には、バートラムと白い薔薇の花束を抱えたエッダも控えている。
「アレクサンドラ様がお好きだった花だ。よく覚えていたね」
祖父が声をかけると、バートラムとエッダが頭を下げた。
シルヴィアを抱いたリチャードが馬車に乗り込み、バートラムとエッダがそれに続いて中へ入った。護衛騎士によってドアが閉められると、馬車が動き出す。
馬車の周囲をオーレンクスの騎士たちが騎馬で警固し、移動していく。
「さて、ヴィア。あの若造……殿下と一緒にいたときのことと、あの奇妙な機械について、話してもらおうか?」
と、祖父がシルヴィアを膝の上に乗せ、横座りさせた。
「そのう……」
シルヴィアは、王宮の塔での出来事とレイラ様が祖父のリチャードの姿を手元に置くため、『ぽらろいどかめら』という道具を宝物庫から出したことを話した。フィリップに抱いた自分の気持ちは語らなかったけれど。
向かいの座席に座っているバートラムとエッダが驚きの表情になる。だが、よく訓練された上級使用人らしく、声を出さなかった。
「なるほど。とりあえずは、紳士だったわけだ。で、レイラ様は今でもここにおいでになるのかな?」
「いいえ、おじいさまの『しゃしん』を撮ってから、お姿を見ていないわ」
「初代王妃も、世の女性と同じだったわけか。……やっかいだな」
……そういえば、おじいさまは女嫌いだとエッダが言っていたわ。
「イレーネおばあさまは、違っていたの?」
祖父から馴れ初めを訊き出そうとしたとき、馬車の外からユーリ・ヴァイエンドルフの声がした。
「お館さま、近衛騎士団の団長どのがお見送りしたいと、伴走されております」
「フィリップ殿下か……」
つぶやいた祖父が、ユーリ・ヴァイエンドルフに答える。
「かたじけない、と伝えてくれ」
「かしこまりました」
オーレンクスの騎士団長が離れて行く気配がした。
窓から見える建物の影から察すると、シルヴィアたちの乗った馬車は、王都の南門へ向かっているようだ。
「領地には、どうやって行くの?」
シルヴィアは祖父の膝の上に乗ったまま、訊いた。
南の門では、北にあるオーレンクス領とは正反対だ。
「通常は王都の東の大門から出て、街道を北に向かう。王都には、東西南北の四つの門があって、北は公開処刑があるときだけ、開けられるが、いつもは閉ざされているので、三つの門から人と物が出入りしている。だが、逃亡する貴族や商人を捕まえるため、今は東と西を閉めて、南門だけを開けて検問をしているのだよ」
「逃げる人がいるの?」
「そう。ハロルドとエドガルの身近にいて、利益をむさぼっていた連中がね」
祖父はそう言って、馬車の窓から外を見た。
そこには大勢の人が並んでおり、馬車も幾つか停まっている。そしてみんな、わいわいと騒いでいた。よく見れば、黒い軍服の第二騎士団の騎士たちに、文句を言っている。
シルヴィアたちの乗った馬車も停止した。
ドアがノックされる。
「お館さま、フィリップ殿下がお話があると」
ユーリ・ヴァイエンドルフの声がした。
「開けなさい」
祖父が言うと、ドアが開く。
シルヴィアは、祖父の膝から降りて隣に座った。
「侯爵、呼び止めてすみません」
開けられたドアの向こうに、白い軍服姿のフィリップが立っていた。
「第二騎士団の王都警護の責任者は同期の者です。侯爵の身元保証は王家がいたしますので、先に通してもらえるよう、話してきます」
と言ってから、彼はシルヴィアのほうを向いた。
「手紙を書くよ、レディ。返事をもらえるとうれしいな」
きらきらした笑顔をいきなり向けられて面食らったシルヴィアは、「必ず書きます」と答えるのがやっとだった。
「マクガーネル第一騎士団長、何をしているんだ?」
そこへ、濃紺の軍服の人が馬から降りてやってきた。
「お父さま!」
シルヴィアが身を乗り出すと、フィリップを押しのけたアルフレッドがシルヴィアの身体を受け止め、抱き上げる。
「ヴィア、領地に帰るんだって? 身体に気をつけるんだよ」
父のアルフレッドが、抱っこしたシルヴィアの背をぽんぽんと軽く叩く。
「アルフレッド、こんな場所で何だが、報せておきたいことがある」
と、祖父のリチャードが馬車の奥から告げた。
「よんどころない事情で、シルヴィアがフィリップ殿下の婚約者候補の一人になった。あくまで、候補だが」
とげとげの言葉。
……もう、おじいさまったら。
不本意なのがよく分かる。
「ほーう」
アルフレッドはシルヴィアを馬車の中に戻してから、鋭い眼つきをしてフィリップに言った。
「フィリップ、あとで一発、殴らせろ」
「仕方ありません。この騒ぎが終わったら、一緒に飲みましょう」
溜め息をついて、「では、侯爵。失礼をいたします」とフィリップは一礼してから馬に乗り、門のほうへ去って行った。
「お父さま。お母さまが領地に帰ったのは知ってる?」
「ああ、卿が報せてくれたので、見送ることができた。今回もそうなんだよ」
と、シルヴィアに答えたアルフレッドがリチャードに頭を下げる。
「お気づかい、ありがたく存じます」
「いや、アルフレッド。礼などいらない。領地での儀式を終え、私が正式に爵位を継いだら、すぐに君に渡すつもりなので、なるべく早く身辺整理をしてオーレンクス領へ来るように」
「ご期待に沿えるようにいたします」
アルフレッドが引きつった笑顔で答えた。
……混乱しているこの時期に、王様が優秀なお父さまを手放すかしら?
シルヴィアが思ったとき、フィリップが戻って来た。
「話がつきました。侯爵、どうぞ、お進みください」
黒服の第二騎士団員たちが先導しようと、道を整理しだした。
「おい! こっちは朝から待っているんだ。ずるいぞ!」
茶色い軍服の騎士が騎馬で近寄ってき、怒鳴る。
「こちらは、身元が保証されています。あなた方は?」
フィリップが答えると、騎士が怒鳴り返す。
「我が主も、やんごとなき御方だ! 先に通せ!」
「威勢がいいな、ドノヴァン」
と、そのときオーレンクスの騎士団長が馬を降り、進み出た。
「ダウロット公爵家に忠義を尽くすのは、同じ騎士として感心する」
「げ、ユーリ・ヴァイエンドルフ」
わめいていた騎士がつぶやき、「人違いだ」と馬首をめぐらせて背を向ける。
「だが、主が罪人として追われているのは、残念だったな」
と、ユーリ・ヴァイエンドルフは騎士が護っていた馬車へ駆け寄り、背から取り上げた大剣を一閃。すると、馬車が一刀両断され、真ん中でぱっくりと割れた。
中にいた男女が呆然としているが、怪我はないようだ。
馬が棒立ちになり、周りから悲鳴が上がる。
馬車の周囲からは、わっと人が逃げた。
「すげえ。あれが『護国の剣』か」
アルフレッドが少年のように目をきらきらさせている。
「おい、アル!」
振り返ったユーリ・ヴァイエンドルフに睨まれたアルフレッドが顔を引き締めた。
「伯父貴。ご協力、感謝」
ユーリに言ったアルフレッドが、馬車の中にいた男女に告げる。
「ダウロット公爵、そちらは夫人ですか? 国家反逆罪、人身売買、違法薬物の取引など、まだ罪状は増えそうだが、逮捕します」
アルフレッドが右手で合図すると、第三騎士団の騎士たちが馬車を散り囲んだ。
「無礼者! わしは王家の血が流れているのだぞ。その上、王太子妃の父だ。汚い手で触るでない!」
壊れた馬車から中年の男が叫ぶ。
「失礼ながら。『裁定の間』で、マーガレット元妃には王家の血が流れていないと判定されました。ダウロット家はもはや王の親族とは名乗れないのですよ」
アルフレッドが淡々と告げると、公爵の動きが止まった。
「ばかな!」
と、妻のほうを振り返る。
「わたくしは不義などいたしておりませんわ。先代じゃありませんの!」
夫人が叫んで顔を赤くした。
「そんなはずがあるか!」
騎士たちに拘束されながら、夫妻は喧嘩をしている。
彼らに従ってきた騎士や従者たちは、第三騎士団の指示におとなしく従い、騎士団の護送用の黒い箱馬車が到着して公爵夫妻がそれに押し込まれると、彼らも一緒について行く。
「お館さま、我らも出立いたします」
オーレンクスの騎士がそう言って、馬車の扉を閉めた。
シルヴィアたちの乗る馬車が並んでいる人や馬車の横を通って南門へゆく。
門の手前で警固をしている第二騎士団の騎士に止められた。
ノックされ、リチャードが許可すると、扉が開く。
「オーレンクス侯爵閣下、失礼いたします。私は第二騎士団の副団長兼第一隊の隊長、クライブ・ロイズと申します。どうぞ、お通りください」
黒い騎士服で茶色の髪の男性が敬礼した。
「ご苦労」
リチャードが答えると扉が閉まり、再び馬車が動き出す。
窓の向こうに、ロイズ隊長の隣にいるフィリップが手を振っているのが見えた。
シルヴィアも窓近くに寄り、手を振り返した。
南の大門を出ると、フィリップの姿はすぐに見えなくなった。
「ヴィアは王都の外に出るのは初めてだね」
窓から目を離し、座り直すと祖父のリチャードが話しかけてきた。
「はい。王都どころか、エセルおじさま――陛下のお屋敷に行ったのが、初めての外出でした」
前世でも、屋敷と王宮の往復だけで、街に行ったことすらなかった。
……肝心なことは何にも知らされず、本当に籠の鳥だったんだわ。
改めて、前世と今までの生活の異常さを実感した。
「ヴィアはもう、エドガルからもパトリックからも自由になった。何でもしたいことをすればいいんだよ」
したいこと――何かしら。
シルヴィアは頭をかしげた。今まではともかく生き残ること、母を死なせないことだけを考えていた。
「……おいしいお菓子を食べて、のんびりすること?」
「それもいいね」
祖父が微笑む。
「他にもやりたいことが出来たら言いなさい」
「はい!」
これから自分の意志で何もかもできると思うと、わくわくした。




