(29)
祖父は、「自分が行っても何もできないだろう」とシルヴィアをフィリップに託してくれた。
フィリップは屋敷の護衛騎士を六人連れ、馬車でシルヴィアと共に隣の王宮へ行った。先に連絡がいっていたのか、暗くなっているのにもかかわらず、宮殿の車寄せに明かりが灯り、廊下も玉座の間も明るかった。
見張りのための騎士を四人残し、手順通りに通路を開けて、フィリップはシルヴィアを抱き上げ、二人の騎士を連れて階段を下り、宝物庫の前に立った。
護衛をそこに立たせて二人で結界を抜け、フィリップはシルヴィアを縦抱きにしたまま、扉を開けて中へ入った。そして、そこで下に降ろしてくれた。
『いらっしゃい、シルヴィア』
レイラ様が微笑んで迎えてくれた。けれども、フィリップには見えないようだ。
「誰と話しているんだ?」
と、きょろきょろしている。
『触ってごらんなさいな』
レイラ様に言われて、フィリップと手をつないだ。
「これは!」
彼にも部屋の様子が変わったのが分かったようだ。
「レイラ様よ」
シルヴィアが言うと、フィリップは慌てて片膝を突いた。そのとき、シルヴィアの手を離してしまった。
「いない? どういうことだ?」
「私に触ってないと、見えないし、お話もできないみたい」
と、シルヴィアはフィリップを立たせて、また手をつないだ。
『私の子孫のフィリップね』
「はい、初めてお目にかかります」
と、左手をシルヴィアとつないだまま、右手を胸に当て、フィリップが一礼する。
『前にも一度、会っているわ。そのときは、あなたには何も見えなかったでしょうけれど』
レイラ様が、くすくす笑っている。
『さて、今日はどんな用事で来たの?』
訊かれてシルヴィアは、サザランド領で暴動が起きていて、それを収めるにはどうすればいいか、尋ねた。
『サザランドの先祖は、勇猛で領地とそこに暮らす人の面倒を良く見ていたけれどねえ。子孫は、だめね。でも暴動を鎮めるのは容易ではないわ。人の集団のエネルギーはすごいもの。不平・不満・怒りなどが溜まって爆発したのね。それとも、扇動する者がいたか』
「あっ……」
フィリップが何か思いついたようだ。
「ハルバが教会を乗っ取って、自分たちの信じる教えを広めています」
『私には現場のことは分からないから、原因については現世のあなたたちがしなさい』
言われてフィリップがうなずいた。
「レイラ様、国王陛下が銃を使おうとしているの」
シルヴィアは急いで訊いた。こうしている間にも、誰かが傷ついている。
「銃? 剣と弓矢から、もうそんなところまでいっているの? で、それって『らいふる』型? 『ケンジュウ』?」
「……わからないの。見たことがないから。でも、オーレンクスで作られているってことよ?」
『マイケルの子孫は、優秀なようね』
「それで私、レイラ様の記憶にあった『ホウスイシャ』とか、『センコウダン』なら、少なくともいいかと思ったのだけれど、ここに道具はあるかしら?」
『ないわ。さすがのマイケルも作れなかった。けれど、私が話した道具の草案や設計図があるから、持っていきなさい。オーレンクスの職人なら、何かヒントを得るかもしれない』
と、レイラ様は部屋の隅にあったトランクを指さした。
「フィル様、あれを持って行っていいそうです」
「わかった」
フィリップはシルヴィアから手を離し、それを持って部屋の外へ出て行った。
『ね、彼とはどんな関係? 信愛のオーラを感じるわ』
わくわく顔で、レイラ様が訊いてくる。
「そのお、婚約者候補……です」
『あらあら、すてきねえ。外の様子に興味が湧いたわ』
と、レイラ様が朗らかに笑う。
『見てみたいわねえ。シルヴィア、それをはめて』
気づいたら、銀色の細い指輪が左手の中指にはまっていた。
『あなたの成長に合わせて、それも大きくなるから大丈夫。その指輪を身に着けていれば、ここにいても、私はあなたと共に見聞きできるの。でも、他の人には内緒よ』
と、そこでフィリップが戻って来た。シルヴィアは、再び彼と手をつなぐ。
『放水……はできないけれど、どしゃぶりの雨を降らすことができるわ。これを』
レイラ様が言うと、虹色の小さなボールが空中に浮かんだ。
『王宮の一番高い塔の部屋に置いて、シルヴィアが雨を降らせたい方角に向かい、降るよう念じなさい。大雨が降れば、そのときぐらいは暴れるのをやめるでしょうよ』
「ありがとうございます」
シルヴィアが礼を言う。すると、虹色のボールが両手の中に落ちてきた。
それを抱えたシルヴィアをフィリップが抱き上げ、レイラ様にお礼を言ってから、部屋をあとにした。
彼は護衛騎士に何か命じたあと、階段を上って玉座の間に出た。そこでシルヴィアを一度降ろしたのちに、扉を閉めた。そして再び彼女を抱き上げ、廊下を過ぎ、王宮の中央塔へ向かう。塔の入り口の前で、手燭を持って待っていた侍従を先頭に長い階段を上って、やがて最上階の小さな部屋へたどりついた。
中は真っ暗だ。
侍従は扉を開けたとたん、疲労から坐り込み、身体を鍛えているはずのフィリップも、息を切らせている。
しかし彼はシルヴィアを降ろすと、夜目が利くようで、奥へ歩いて行き、ある方角の窓を開けた。
そこには、暗い夜空が広がっていた。星明りで目をこらせば、なんとか動ける。
シルヴィアは部屋の中央まで行って虹色のボールを抱え、サザランド領に雨が降るように念じた。
すると、開け放たれた窓のはるか遠くで、雷が鳴り、稲光が地上に落ちる。
「レイラ様の魔道具……使える君は本当に『魔女の血』を持つ者なんだな」
フィリップがつぶやいた。
彼らのあとから小さなテーブルを持って階段を上って来て、息を切らせている騎士が、それを中央に置いた。
続いて手燭を持って上ってきた騎士が、紫色のクッションをテーブルの上に置く。
シルヴィアは、そこに虹色のボールを載せた。
彼方では、盛んに稲光が地上に向かって走っている。
「どうしよう。止め方を聞くのを忘れたわ」
「しばらく、このままでいいと思うよ?」
フィリップは言い、かがんでシルヴィアの頬にキスをした。
ぽん、と赤くなったシルヴィアに、そのあとの記憶はない。




