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 目が覚めたとき、知らない部屋にいたので、ここはどこだろうとぼんやりしていたら、祖父の声がした。

「やっと目を開けたね」

 椅子から立ち上ったリチャードがシルヴィアの顔を覗き込む。

「具合はどうかな」

「どのくらい寝ていたの?」

「この年頃の子どもにはお昼寝が必要ですよ。お館さま、それでなくとも大人の都合で連れ回しているんですから。お嬢さまの着替えをしますので、出て行ってくださいませんか」

「何ともないのなら、いいんだ」

 と、祖父は書物を手に出て行った。

 どうやら、シルヴィアは自分に割り当てられた寝室で眠っていたようだ。そして祖父は、その枕元で祖母・イレーネの日記を読みながら、シルヴィアの目覚めを待っていたと思われる。

「おじいさまに心配かけちゃった?」

「心配できるのも、孫がいてこそです」

 エッダが答え、ベッドから起き上がったシルヴィアを助けて床に下ろした。

「私は二十三年前の事件で、夫と子どもを亡くしました。再婚する気も起きなかったので、王都のお屋敷勤めを願い出て、ずっとオーレリア様の許にいました。僭越なことながら、オーレリア様を娘のように思ってお仕えしてきました。このたび、領地でひとり奮闘してきたお館さまが正式な親子の名乗りを上げることができたのが、我が事のように嬉しいんでございますよ」

 その目じりには、涙が光っている。

「ありがとう、エッダ」

 時戻りによって、リタのように罪を犯してしまう者もいれば、エッダのように喜んでくれる者もいる。影響が自分のことだけでないのを、シルヴィアは改めて感じた。

 起きたとき、お昼をだいぶ過ぎていたので、シルヴィアは着替えると居間へ行き、祖父にお茶にするようお願いした。

「お昼を食べ損ねてしまったようだけれど、今からだと夕食が入らないと思うの。おじいさま、アフタヌーンティを少し早めて、軽食をいただくのはだめかしら。お話ししたいこともあるし」

「いいだろう」

 祖父のリチャードは快く聞き届けてくれた。

 ゼノヴァン王国の食を始めとする暮らしの風習は、レイラ様の前の世界の『イギリス』という国をお手本としているとのことだった。

『こっちの人の容姿や風俗が和風より洋風に近かったんで、小説で読んで知っている部分を取り入れたの。この世界って、ムギはあっても、コメはないのよねー。ミソもショウユもないし。ときどきオニギリが恋しくなったもんよ』

 と、レイラ様は宝物庫でぼやいていた。

 記憶は受け取ったけれど、レイラ様もミソ・ショウユの作り方を知らなかったので、シルヴィアも分からない。けれど、興味が湧いたので、いつか造ることに挑戦してみよう、と思った。

 祖父のいる客用の居間には、ピンクの薔薇の花が花瓶に生けてある。

「これは団長さまから?」

「さっき、シルヴィアが屋敷に着くと同時に侍女が花束を持ってきたよ。捨てるわけにもいくまい」

 リチャードは、孫にちょっかいを出すフィリップが苦々しいようだった。

 そして、祖父が従僕のネイサンを呼んで頼むと、少し早いけれど、お茶の用意をしてくれた。その際、大公殿下はまだ王宮にいるけれど、晩餐は一緒に摂りたいこと、また、ハーバード・カレンデュア伯爵も同席することを告げられた。

 祖父とティータイムを楽しんでいるとき、シルヴィアは初代王妃の宝物庫であった出来事を語った。そして馬車で眠ったとき見た夢のことも。

「なるほど。では、ヴィアは誰にその力を使いたい?」

「二人は決まっているの」

 祖父は深くうなずいた。

「残りの一回分は、いざというときのため、とっておいたほうがいいね」

 それはシルヴィアも、同感だった。

 おしゃべりしている間に日も暮れた。晩餐の用意のため、シルヴィアはエッダに正装に着替えさせられ、同じく身なりを整えた祖父と共に従僕のネイサンの先導で客用の食堂へ行った。そこはシャンデリアが輝き、昼のように明るい。

 食堂では、カレンデュア伯爵の他に、フィリップ・マクガーネルも黒いスーツ姿でそこにいた。

 祖父たちが挨拶を交わしていると、大公が食堂に入って来て、皆が席に坐る。

 食前のお祈りが終わると、前菜が運ばれてきた。

 肉料理がメインのこの晩餐のとき、誰も午前中に宝物庫であったことに触れないし、その後に王宮で話し合われたことも話題に出なかった。

 大人たちは今年の秋撒き麦の収穫量のこと、農閑期に行われる競馬のことなどをなごやかに話し、ハロルド王が亡くなったことで引き起こされた混乱などはまるでないかのようだ。

 やがてデザートとなり、大人たちがお酒を使ったケーキに対して、シルヴィアだけは、ウエハースで耳を作ったウサギのアイスが出された。

 ……シェフの気づかいは嬉しいし、アイスクリームもおいしいけれど、あっちのケーキもおいしそう。

 身体が大人になったら、絶対に食べてやる、と恨めしげに大人たちの手元を見て、シルヴィアはデザートを食べ終えた。

 壁際で給仕のために立っていた使用人たちが食器類を下げて、一人残らず出て行く。

 食堂で五人だけとなったとき、大公がシルヴィに微笑みかけた。

「さて、レディ・シルヴィア。私のことは、『エセルおじさん』と呼んでいいからね」

「殿下、幼い子を甘やかすのはおやめください。成人しても、そのような呼び方をしたら、不敬になります」

 祖父のリチャードが苦い顔で代わりに答えた。

「なんの。我らは親戚ではないか」

「何代前に分かれたと思われますか。我らオーレンクスは臣下であります」

「今はな。これから、どうなるかは誰にもわからぬ」

 ちらりと大公は息子のフィリップを見た。

「親としては、息子の想いを後押ししたい。それでなくとも、これは婚約者に振られておるからの」

「父上!」

「うちの孫と歳がいくつ離れていますか。他に釣り合った妙齢のご令嬢がおられることでしょう。私は孫娘の意志を尊重したいのです」

 と、大人たちが話している間、するりと椅子を降りたシルヴィアは、とことこと歩いて大公の傍まで行った。そして、不自由な左足の膝に手を当てた。

 そのとき初めて大公はシルヴィアに気づき、下に目をやる。

「おじさま、ここ、いたい?」

 シルヴィアが見上げると、当惑した大公が「ああ」と短く答えた。

 やり方は、レイラ様から送られた記憶で理解していた。

 ……身体の中の黒いの。よどみを散らして追い出すイメージで。

 目を閉じると、大公の身体の中に流れている光が滞り、特に左足に黒いものがまとわりついていた。

 ……散れ!

 シルヴィアは強く念じた。

 大公の身体から黒いものが霧散し、光の流れがうまく循環しているのが分かる。

 シルヴィアは目を開けた。

「今のは……なんだ?」

「しばらくは、前みたいなふりをしていて。ゆっくり治ったように見せかけるの」

 と、シルヴィアは片目をつむってささやき、そこから離れて自分の席へ戻った。

「みんなが知りたいのは、あそこで何があったか、でしょう?」

「そうなんだ、いや、そうです。レディ・シルヴィア。なぜ、あなたのときだけ、宝物庫が光ったのか」

 カレンデュア伯爵が興奮して言う。

「私はレイラ様に会ったんです」

 シルヴィアは宝物庫で初代王妃レイラに会ったことと、彼女が話してくれたこと、見せてくれたことを語った。ただ、魔法の力のことだけは言わずに。

「素晴らしい! まさに『魔女の血』。シルヴィア様は王妃になるべき方だ!」

 興奮したカレンデュア伯爵が、いきなり立ち上がって叫んだ。

「いやです!」

 即座にシルヴィアが大声で否定する。

 前世を思い出し、王子の婚約者になって王妃教育を受けるのも、破棄されるかもしれないとびくびくするのも嫌だった。もう王族とはこれ以上、関わりたくない。

「え……どうして?」

 びっくり顔のカレンデュア伯爵が尋ねる。

 ……そういえば、この人、私の伯父さまだったわね。

 切れ者、ということだが、初代王妃の熱狂的ファンの変人のようだ。

「いやなものは、いや!」

 子どもらしく言って、シルヴィアは椅子を降り、食堂を出て行こうとする。

「ネイサン!」

 扉を開いて、従僕を呼んだ。

「どこへ行くつもりかな」

 後ろからマクガーネル団長が近づいて来て、訊いた。

「ジュリアス様のところへお見舞いに行こうと思うの」

「では、僕が連れて行くよ」

 と答えたフィリップは、大公を振り返った。

「父上、いいですね?」

「ああ」と答えた大公だが、まだ呆然として左膝をさすっている。

「では我々は、談話室へ行きましょうか。大公殿下と伯爵には、気つけのブランデーが必要なようだ」

 リチャードが立ち上がった。どうやら祖父は、シルヴィアのフォローに回ってくれるつもりのようだった。

 意図を察したシルヴィアは、うなずいた。そして、フィリップにエスコートされ、廊下を歩き始めた。








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