(20)
「政略結婚だって、分かっていたけど、両親の仲は良くなくて、母さまが恋人を作って家を出て行き、二人は半年前に離婚したんだ。父さまは仕事が忙しくて、僕はミス・マイラと使用人たちに育てられたようなものだ。でも、アルフレッドおじさんは、僕をいつも気にかけてくれて……独身だと思っていたおじさんに娘がいると分かって、おじさんは最近、会うたびにその子の話をするんだ。それで、侯爵家に預けられるということでここに来て、君に会ったとたん、意地悪を言いたくなったんだ。焼きもちを焼いていたのは、僕のほうだ」
初対面は最悪だったけれど、エリックは真面目で素直な子だった。
「子どもね」
けれどもシルヴィアのほうは素直になれなくて、つんとして言った。
「君は、僕より年下だけれどね」
エリックも負けていない。
そんな二人を見て、イリアスは苦笑している。
エリックとイリアスはすぐに仲良くなり、剣の練習を一緒にするようになった。
それが終わると、シルヴィアは二人を連れて、屋敷を探検する。
前宰相の悪事の証拠を捜索するために、ヘンリーとパトリックの寝室・居間・書斎に第三騎士団の騎士たちが入り、さまざまな物を持って行った。
祖父のリチャードは残った物を処分し、いずれ二人の痕跡が残らないほど、屋敷を改装するつもりのようだ。
使わない部屋から、埃よけの布が使用人たちの手によって家具に掛けられていく。
体調が回復したマーシャル夫人とドリー、そして庭師と見習いのトムじいさんを始めとする年寄りの使用人から、次々と馬車で領地へ帰って行く。この王都の屋敷に残るのは、入れ替わってやって来るヴァイエンドルフの者、六人が管理と警備に当たる予定だった。
そして、母オーレリアの身体が馬車の旅に耐えられるとジェイコブ医師から告げられた同じ日の午後、王宮から召喚状を持った使者が訪れた。
「次の王が決まっていないのに、召喚状だと?」
執事のバートラムが取り次ぐと、祖父は不機嫌な声で応じた。
居間で一緒にチェスをして遊んでいたときだったので、邪魔された、ということもある。このとき、母は自室で休んでいた。
「使者の方というのが、その……王族で……お嬢さまにお会いしたいと、おっしゃっています」
「私が会おう。どこにいる?」
「お通しせず、まだ玄関ホールに」
バートラムの先導で、祖父が階下へ降りて行く。
シルヴィアも、そのあとを追った。
中央階段のところへ着き、下を見れば、そこには近衛の白い軍服を着たフィリップ・マクガーネルが立っていた。
「お待たせいたしました。殿下自ら召喚状を持っておいでになるとは、どのような御用件ですか?」
傍まで行き、一礼した祖父が問う。
「初めまして、侯爵。レディ・シルヴィアとは第三騎士団の本部で一度、お会いしています。父君と一緒のときに」
フィリップは右手を胸に当て、丁寧に礼をした。
「貴族院の協力の下、父の大公が国王代理となりました」
貴族院とは、貴族籍のある者十五人からなる国王の諮問機関で、二つの公爵家と三つの侯爵家は常任、あとの十人を五年ごとに貴族の中から選挙で選ぶ。
ハロルド王が即位してからは、貴族たちの投票で選ばれるべき十人は、王のお気に入りばかりとなり、投票も操作され、名ばかりの存在になっていた。ちなみに、行政官の長である宰相だったヘンリーは、貴族院の人数から除外されていた。
「実態のない貴族院を動かしたのか?」
「汚職や横領の罪で皆、逮捕されましてね。顔ぶれが一新しました」
マクガーネルが、ふっと笑う。
「裏で何が起こったか知らないが、その大公殿下からの呼び出しとは、いかなることかな?」
「中をお改めください。呼び出しは閣下ではなく、レディ・シルヴィアに対してです」
「なに……」
祖父はバートラムの差し出したペーパーナイフで受け取った召喚状の封を切った。
王家の紋章が封蝋で押された封筒から書状を取り出したリチャードが、後ろにいたシルヴィアを振り返る。
「大公殿下は、初代王妃の宝物庫に、王家の血を引いた者をすべて放り込むつもりだ。シルヴィアには危ないから、行かないほうがいいな」
……宝物庫。あの時戻りの首飾りがあったところ!
「いきたい!」
シルヴィアは、ぴょん、と飛び上がって、祖父の手元を見ようとした。
「副団長さまが、前に連れて行ってくれるって言ったの。中を見てみたい!」
そのとき、はっと自分の不作法に気づき、シルヴィアはスカートを持って、挨拶をした。
「ご挨拶が遅れました。マクガーネル副団長さま」
フィリップ・マクガーネルは、そんなシルヴィアを見て、にこにこしている。
「レディ・シルヴィア。私は今、第一騎士団の団長です」
「え? でも、前に会ったときは……」
「近衛の団長が公金横領と採用試験の不正に関わっていたことが分かり、逮捕されました。それで、昇格したのです」
「それは大騒ぎだな」
祖父が他人事として興味なさそうに言う。
「第二騎士団の団長も公金横領で捕まりました。あそこも副団長のサイフォードが団長になり、私と同期のロイズは副団長と第一隊の隊長を兼任しています。新聞でハロルド王の正統性が疑われたことを知った王都の市民が動揺し、治安が悪くなっています。後ろ暗い所のある貴族たちが隣国へ逃亡しようとして、国境を護る第二騎士団は、それを阻止するためにてんてこ舞いですよ」
「ご苦労なことだ。この騒ぎで、王都にはいられないな。前々から、娘と孫を連れて領地に帰る予定だった。この召喚状にある四日後には、我々は王都にいない。明後日、出発する予定なのでね。大公殿下には、そうお伝え願いたい」
祖父の返事は、にべもない。
「あのね、おじいさま」
と、シルヴィアは、そっと祖父の上着の裾を引いた。
「私、どうしても行ってみたいの。ひとり残っては、だめ?」
上目使いをして、言ってみた。
うっ、と祖父は言葉につまり、マクガーネル団長は口元に右手をあて、何かつぶやいている。
「そんなにかわいい仕種で、おねだりしても、危険だから、だめだ。予定では警備の者も召使もそのとき一緒に帰るから、一人残るなんて出来ないよ」
「ああ、でしたら、私の家でお嬢さまをお預かりいたしましょう」
「なに……」
祖父のリチャードが、ぎっとマクガーネルを睨む。
「我々、オーレンクスの者は、王家と王の騎士団を一切、信用しない」
「もちろん、事情は分かっています。二十三年前の事件をしっかり調査して、王家から謝罪と賠償をいたします」
祖父から敵意を向けられても、マクガーネルは平然としていた。
「ハロルドから、父と兄も毒を飲まされ、後遺症が残っています。侯爵夫人に使われた毒薬も、父たちに使われたものと同じく、ハルバの物と分かりました。この宝物庫の前で、父は王家の膿を出すつもりです。どうか、侯爵、協力してください」
「……だからといって、幼いこの子をそんな場に出すわけには」
「必ず、護ります。前世のようなことは起こさせません」
「そうか……君はシルヴィアから、時戻りの話を聞いていたのだな」
祖父があきらめたように言った。
「シルヴィアが信用しているのなら、私も君を信じよう。だが、その場には、私もついていく」
「はい、そのほうがいいかと思います。侯爵もどうか、見届けてください」
マクガーネル団長が答え、嬉しそうにシルヴィアのほうを見た。
ちょっと、どきり、とした。
すぐに大人の二人は今後の話をし出したので、シルヴィアはそこを離れた。
……前世も今も、あの瞳は夏の青空のようね。
見つめられて、それが嬉しいような恥ずかしいような、くすぐったいような、そんな気持ちをシルヴィアは持て余した。




