(18)
「申し訳ありません、アダムス卿。急な頼みごとで」
父が来たとメイドのアリサから聞いたシルヴィアは、イリアスをお供に玄関ホールへ向かった。すると、そこには、黒いスーツを着た黒髪の男の子と栗色の髪をひっつめた喪服の若い女性を連れた父のアルフレッドが、祖父のリチャードに向かって話していた。
足音から、シルヴィアがやってきたのを知った祖父と父が会話の途中でこちらを見る。
「ああ、シルヴィア」
アルフレッドが心から嬉しそうな顔をした。
「お父さま、何事ですの?」
近くまで行って、足を止めたシルヴィアが男の子を見る。
青い瞳をしていて、痩せた子だった。どことなく父に似ている。
「紹介しよう。君の従兄弟だよ。エリック・カレンデュア。私の兄の息子で九歳になる。兄のところが少し危険なことになりそうなので、世話係のミス・マイラと共に、侯爵に預かってもらうことになった。仲良くしてあげてくれ。エリック、これが娘のシルヴィアだ」
アルフレッドが双方を紹介する。
「九歳なら、イリアスと同い年ね。話が合いそう」
と、シルヴィアがイリアスを振り返る。
「ふん、そんな召使と同じにしないでくれ。おまえは小さな女の子にしっぽを振ってりゃいいのさ」
エリックが憎々しげに顔を歪めた。
「エリック、何てことを言うんだ。いつものおまえらしくないぞ。いくら、両親が離婚して傷ついているからといって……」
アルフレッドが小言を言っている途中、シルヴィアが一歩前に踏み出し、ぱしん、とエリックの頬を打った。
「なにするんだ!」
「イリアスは、わたくしに仕える者。彼への侮辱は、私への侮辱です。謝りなさい」
「いたい……」
頬を押さえて、エリックが泣き出し、アルフレッドに抱きつく。
「ヴィア、エリックは不作法だったかもしれないが、君も殴ることないじゃないか。レディとして、あるまじきことだ。謝りなさい」
アルフレッドがエリックを抱きしめ、ミス・マイラが駆け寄り、慰めている。
ところがエリックは、こちらを見て勝ち誇ったように、にやりとした。
アルフレッドとエリック、そしてミス・マイラの姿が、前世のパトリックとエミリア、イザベラの姿と重なる。
……ああ、だめ。今度も、私は愛されない。
深い絶望と疎外感に囚われたシルヴィアは、後じさった。
「カレンデュア団長、私は謝りません。けれども、おじいさまが許可なさったのですから、お客さまとして、受け入れましょう。用件がそれだけでしたら、お帰りください」
傍らにいた祖父が目を瞠っている。
「シルヴィア? 急にどうしたんだ?」
アルフレッドがシルヴィアの変化に当惑する。
そのとき、背後にいたイリアスが走り出し、エリックをいきなり殴った。
エリックが吹っ飛び、床に尻餅をついて大声で泣き出した。
「お嬢さまをその薄汚い根性で傷つけようとするなら、許さない!」
「イリアス!」
シルヴィアは、イリアスの前に飛び出した。
「おじいさま、イリアスのやったことは、私を思ってのこと。罰なら、私が受けます」
「なるほど……」
リチャードがひとり納得している。
「いったい、どうなっているんだ?」
アルフレッドはわけが分からず、子どもたちを交互に見ている。
「シルヴィアは今、君を切り捨てたんだよ。アルフレッド」
「なあんだ、父親を取られたから、焼きもちを焼いただけか!」
泣いていたエリックが笑い出す。
イリアスが拳を握ったら、笑うのをやめたが。
「なんとでも言いなさい」
冷ややかにエリックを一瞥したシルヴィアが言う。
「カレンデュア団長。あなたは、お母さまのことだけを考えていればいいのです。私には、あなたはいりません」
と、くるりと背を向け、階段に向かって歩き出す。
「シルヴィア!」
いきなりアルフレッドの手が伸びて来て、シルヴィアはその胸に抱き込まれた。
「ごめん、ヴィア。何が気に障ったか分からないけど、傷つけたなら、謝る」
「はなして!」
「放さない。君が俺を切り捨てようが、俺は君を離さない」
「だいきらい!」
「うん、それでも、愛してる。君が分かってくれるまで言い続けるよ。俺の娘、シルヴィア。愛してる」
「……助けて欲しかったのに、どうして来てくれなかったの」
前世でのみじめで苦しい日々が次々と思い出されて、胸が痛いほどだ。
「身体じゅうが、心が痛かったの。ひもじかったの。苦しくて、悔しくて仕方がなかったの。叫んでも、誰も来てくれなかった」
「うん、ごめん」
「お腹が空いて、死にたくても、それも出来なかった。誰も助けてくれなくて、ひとりで死んだの……」
涙が滝のように両目から流れている。
「ごめん、ヴィア。助けてあげられなくて。ひとりで死なせてしまって。でも今度は、そんなことさせない。愛しているよ」
シルヴィアはもう、答えることもできなくて、ただ泣き続けた。すると涙と共に、前世の痛みと苦しみも和らいでいくようだった。
「まあ、いったいこれは、どうしたの?」
中央階段の上から、母の声がした。
振り返って見ると、リリアに手を取られ、オーレリアが階段を降りてくるところだった。
「アル、ヴィアを泣かせたのね」
めっ、と睨んでから、母は床に座り込んでいる男の子に目を向けた。
「まあ、かわいい。アルにそっくりね。お名前は?」
「アルフレッドの甥のエリックだ。しばらく預かることになった」
祖父が言う。
エリックはミス・マイラにハンカチで顔を拭いてもらい、立ち上がって頭を下げた。
「みんな、どうしたの?」
「子どもの喧嘩に、大人が手を出しては駄目だろう?」
オーレリアの問いかけに、祖父のリチャードが答えた。
「ま、喧嘩したの。もう終わった? それなら、仲直りして」
「……ごめんなさい」
意外にも、エリックが真っ先に謝った。
「侮辱して、からかって……ごめんなさい」
「こっちも、短気を出して、殴ってごめんなさい」
イリアスもエリックに謝った。
しかし、シルヴィアは、ふいっと横を向いた。
「大泣きして、照れているんだ」
アルフレッドが言い、抱いているシルヴィアをオーレリアに渡した。
「これで収まったかな」
祖父のリチャードがオーレリアから、シルヴィアを受け取りながら言う。
「では、私はこれで」
母とハグをしたアルフレッドは祖父に挨拶をして去っていた。
シルヴィアは祖父に抱かれたまま、むくれていた。
……なんて醜態。十六歳なのに、身体のほうに精神も引っ張られているのかしら。
恥ずかしかったけれど、なぜか清々しい気持ちになったのだった。




