(17)
その日、午前中はイリアスと図書室で過ごし、祖父はまだ帰って来ないので、昼食は母の部屋で摂った。
母のオーレリアは、ベッドに半身起きられるようになっていた。まだ病人食だが、少しずつ回復しているのが目に見えて、シルヴィアは嬉しかった。
夕食の時間までに祖父が戻って来たので、食事を共にしているとき、シルヴィアは二つのお願いをした。
「護身術を習いたいの」
これは、領地に帰ってから女性騎士から教えてもらうことを許された。
もう一つの願い。
「おばあさまとお母さまをモデルにした恋物語を本にしたいの」
「どうして、そんなことを考えたんだい?」
祖父のリチャードが笑いながら訊いた。
「広報は、大事だと思うの」
と、シルヴィアは隠し持っていた数枚の紙を祖父に渡した。
その物語はこうだ。
ある国のお姫さまは隣国の王子さまの許に嫁いだのだけど、新婚のときに悪い魔法使いにさらわれてしまった。王子さまは魔法で石にされ、お姫さまは女の子を産んで亡くなった。女の子はひとりぼっちになってしまったけれど、母親のお姫さまが仙女に生まれ変わり、その成長を見守っていた。王国の跡継ぎは、お姫さましかいなかったので、王子さまの代わりに夫となった悪い魔法使いは王さまになって、人びとを苦しめた。そんなとき、悪い魔法使いを倒すために騎士がその国へやってきた。お姫さまの産んだ女の子は塔に隠されていたけれど、その姿を垣間見て恋に落ちた騎士は、仙女の助けを借りて悪い魔法使いを倒し、父親の王子さまの魔法を解いて、王座に据え、二人は結婚して幸せに暮らした。
――というもので、祖母と母の名を変え、童話風にしたストーリーはイリアスと二人で考え、イリアスが文章にした。
祖父は、祖母・イレーネが仙女になったというところが気に入ったようだ。
これを小説にしてくれる作家を探し、本にしてくれると約束した。
シルヴィアは祖父の答えを聞いて、その夜も満足して眠ることができた。
翌日から、午前中はイリアスの剣の練習を見学し、午後は図書室で二人とも好きな本を読むということをした。ときに、庭を散歩する。
三日目からは、体力をつけるため、母も付き添いのリリアと一緒にシルヴィアたちの散歩に付き合うようになった。
その間、教会で告示が為されたようだ。
久しぶりに母が食堂に来て、夕食が始まるというときに、祖父が言った。
「今日、告示があり、私とイレーネ、アルフレッドとオーレリアが正式な夫婦であることが周知された。オーレンクス領においては、まず私が侯爵となり、次にアルフレッドという手順を踏むつもりだ。侯爵と名乗るのは、実は国王の認可など必要がない。その家の私事だからね。王には、報告だけで良い。もっとも、今は国王が亡くなり、空位だが。必要なのは、領地での継承の儀式だ。二人とも、それに参加するのだよ」
「わかりました。ジュイコブ先生によれば、あと二、三日療養すれば、馬車の旅に耐えられるそうです」
と、母が言う。
「領地まで馬車で五日はかかる。十分、休養しなさい。また身体を壊してしまっては、元も子もない」
祖父が母を労わる。
……いいな、こういうの。
前世のシルヴィアは誰からも労わりの言葉などかけてもらったことがないので、祖父と母のやり取りを聞いているだけで、心が温かくなる。
「それから別宅のことだが、パトリックが逮捕されてすぐ調べてみたら、あやつの名義に書き換えられていた。それならば、ということで、第三騎士団の騎士たち立ち会いの下で、建物、調度類、宝石、衣装など、すべてを差し押さえ、パトリックとイザベラを詐欺で告訴した。もともと彼らは我々と関係ない者たちだ。ヘンリーの死後の生活費、またサインを偽造して買った物などは、彼らが支払わなくてはならない、と商人たちに通達を出した。一切の物が競売にかけられ、借財の返還に当てられ、返せなかった分は、パトリックは殺人教唆の刑罰の鞭打ちに加え、鉱山での労役で、イザベラは自ら娼館に行くことを選んで、返済することになった。娘のエミリアは孤児院へ行く。イザベラの実家の男爵家は引き取りを拒否したからだ。これで、ヘンリー・サザランドの血筋は、我が家に害を為すことはないだろう」
……良かった。これでお母さまが毒殺される可能性はなくなり、私もイザベラとエミリアに会うことはないのね。
祖父の言葉を聞いて、シルヴィアは、ほっとした。
教会で告示が為された日に、屋敷にあったヘンリーの肖像画は取り外され、庭で落ち葉と共に焼かれた。
捜査の過程で、パトリックはヘンリーと兄嫁の間に出来た子だと分かった。ヘンリー・サザランドは実の息子を自分が実現できなかったオーレンクス侯爵の正統な座に就けたかったようだ。
当主をはじめ、人身売買や違法薬物の取引などの犯罪に手を染めていたサザランド家の者たちは、現在、取り調べ中で、伯爵家はいずれなくなるだろうと思われる。サザランドに関係していた貴族や商人もみな逮捕され、新聞で知った王都の人びとの間では連日その話でもちきりだ。
この屋敷でも、上級の使用人はいつもと変わらなかったが、下級のメイドたちは井戸端で、興奮した様子で噂話をしている。
初代王妃は、建国当初すでに司法制度と教育制度に取り組んでいた。
平民たちには、教会に付属した学校で読み書きと計算と地理と歴史を十二歳から三年間、学ぶように義務付けた。貴族や裕福な商人の子どもは家庭教師でも良かったが、十五歳のとき、共通の試験を受けさせ、習熟度を見る。一定の基準に満たない者は職に就かせ、貴族と平民でも成績の良い者は、十五歳からまた三年間、王立の学校で学ばせ、希望すれば、文官になるコースと法律家になるコースに分かれてさらに三年間学んで公の職に就く。騎士になりたければ、十二歳から王領各地にある騎士の幼年学校に入り、十五歳で共通試験を受け、まだ騎士の道に進みたい者が王都にある騎士学校へ進学し、十八歳から各騎士団に配属願いを出して、試験や面接を経て、配属が決まる。
第三騎士団の本部の横には、裁判所と獄舎がある。しかし、重大な罪を犯した者は、貴族なら王宮の東塔の貴族牢へ、さらに平民で死刑相当の者は地下牢へ収監される。
前世のシルヴィアが入れられたのは、平民の地下牢で、エミリアに殺されなくても、冤罪で死刑となるはずだった。
法は慣習法で、殺人・窃盗・詐欺が刑法で裁かれる。民事もあるが、調停で和解にもっていくのが主だ。刑罰は、鞭打ち・労役・死刑。
この国は、これまで犯罪が少なくて、死刑はめったに為されない。けれども、執行されるとしたら、王宮の北の広場での公開処刑だった。
王宮の北広場が、今回は多く使用されるのではないか、というのが新聞社の予想だった。この事件のため、ハロルド国王の葬儀と新国王の即位の日取りがまだ決まっていないらしい。
……お父さま、ものすごく忙しそうね。お母さまの近況を知らせるついでに、何か差し入れをしようかしら。
そんなことをシルヴィアが思っていたときの午後、アルフレッドが屋敷を訪れた。




