(15)
ヴァイエンドルフとバートラムが部屋を出て行くのと入れ違いに、リリアとメイドたちが入って来た。
「お母さまをよろしく」
そう言ったシルヴィアを、リチャードがいきなり抱き上げる。
「オーレリアの書斎へ行こうか」
シルヴィアを立て抱きにしたリチャードは、そこを出て廊下で待っていたバートラムに書斎の鍵を開けるよう命じた。
先に立って歩き出したバートラムは、上着の下から取り出した鍵束の中の一つを使ってオーレリアの書斎のドアを開け、一礼した。
「アルフレッドに遅くなってもいいから、今日中に来るよう、伝言を。そして、このドアの前に護衛騎士を立たせておいてくれ。よそ者がいなくなったとはいえ、何があるかわからないからな」
「承知いたしました。お館さま」
書斎の中へ入ったリチャードはシルヴィアを降ろし、ドアを閉めた。
「さて、十六歳のシルヴィアと話したいのだが?」
「わかったわ、おじいさま。でも、その前に」
と、シルヴィアはマホガニーの机へ向かい、以前、母がしたように隠れた引き出しから、祖母の日記を取り出し、リチャードの許へ持って行った。
「これは、おじいさまが持っているべきだわ」
「イレーネの物だね」
受け取ったリチャードは、右手で優しく表紙を撫でた。
二人はソファに並んで座った。
「おじいさまについての記述は、すごい惚気よ。とても愛していたのね。でも、お母さまが生まれたあと、半年で王都のこの屋敷へ来て、一年に一度、新年の挨拶のときしか、会えなかったなんて」
「イレーネは人質だったからね。オーレリアは次代の継承者として、領民に顔見せする必要があったので、ときおり領地に戻してくれたが、監視付きだった。その代わり、王都の屋敷は執事と家政婦をはじめ、領地出身の信頼できる者で固めたが」
「おばあさまが亡くなったのは……」
「病死とのことだったが、今の状況から考えると、長い時間をかけた毒殺だったかもしれない。……ヘンリーをこの手で殺せなかったのは、残念だ」
リチャードが悔しそうに言い、頭を垂れた。
「しかし、オーレリアは必ず助ける」
彼は顔を上げて、シルヴィアのほうを向いた。
「いずれオーレンクスを継ぐ者として、イレーネが知らない、書き残さなかったことを、君に伝えておこう」
と、前置きをして、リチャードは語り出した。
「サミュエル様とアレクサンドラ様を襲ったやつらは、剣に毒を塗っていた。護衛騎士たちは次々と倒され、後続の馬車に乗っていた従者は抵抗する間もなく殺されて、侍女たちは、辱しめを受けるよりはと、敵の剣の前に身をさらし、自害した。毒の矢と剣によって息絶えた主人夫妻の遺骸を辱められないため、デイビットの祖父、ジョージは自らも満身創痍で虫の息だったにもかかわらず、両脇に夫妻を抱え、川に飛び込み、最期を遂げた。運よく生き延びた――と言われている御者はすべてを見届けて、礼金を投げ捨て、領地へ逃げ延びて我々に語った。そいつは、裏切り者だった。けれど、侯爵夫妻が殺される場面を見て、自分も口封じされると覚ったんだろう。後悔していると言っていた。死ぬのなら、このことを話して故郷で死にたいと。それが、今の庭師見習いのトムだ」
「え?」
「やつをあのとき殺さなくて良かったよ。前世では、シルヴィアを生き延びさせてくれたのだから」
……人って、分からないわ。
シルヴィアは茫然とした。
「騎士団長の妻オリガどのは、夫を失ったと知っても気丈だった。この騒動はすべて、領地を狙い、イレーネ様を辱めようとしたハロルド王子の仕業と察し、これから何があるか分からないからと、司祭さまを城に呼んで、私とイレーネの婚儀を執り行った。その翌日だった。王命ということで、ヘンリー・サザランドが第二騎士団とハルバの兵を率いてオーレンクス領へやって来たのは。城の門前で、応対に出た私の父の首を刎ね、ハルバの兵は見たことのない飛び道具で我が領の騎士たちを殺していった。我々は降伏するしかなかった。サミュエル様の母君・アンナ様は女子供を密かに森へ逃がし、ヴァイエンドルフの女たちが残って敵をもてなすことになった」
「私に……大おばあさまがいるの?」
「そう。サミュエル様の弟君、妹君。そして、その子や孫たち。侯爵家は継承者以外、平民になる。侯爵家には、変わり者が多くてね。研究や実験が大好きなんだ。そのおかげで、ハルバの奇妙な武器――火砲というそうなんだが――がすぐに作れて、反撃に出ることができた。領民たちは、敵が一人の所を狙って、騎士団のやつらを殺して行った。ヴァイエンドルフの女たちも寝所に誘い込んで、ハルバの兵を殺し、捕まった領民たちが奴隷として連行される寸前でハルバ兵を皆殺しにした。遺体は証拠を消すために海へ流した。このとき、よほど恐ろしかったのだろう。第十六隊の副官は気が狂ってしまったので、領地の外へ追い放ったが。そして、イレーネと無理やり街の教会で結婚したヘンリーは、初夜のとき、ヴァイエンドルフの女たちが捕え、その手で去勢された。しかし、ヘンリーがいなくなっても、次が送られてくるだけだ。へンリーもハロルドの不興を買いたくなかった。そこで、我々は共存することにした。表面上、ハロルドの言う税も出し、ヘンリーを侯爵とする。だが、実態は違うことを」
「それでおじいさまは、家宰として領地経営に専念していたのね。本当の侯爵なのに」
「イレーネとオーレリアに何かあったらと、気が気ではなかった。そのため、間諜を何人も放った。しかしオーレンクス領は最初の一年、ひどいものだった。重税を払うため、あらゆる物を供出し、野草を食べるまでの飢餓に陥った。そのため、『ハロルドに死を。ハルバを許すな』が領民の合言葉になった」
「さっき、バートラムがつぶやいた言葉ね」
「彼は、弟妹を亡くしているからな。二十三年前のこととはいえ、みな忘れてはいない。あのとき、山を越えた隣国のハールーンからの食糧援助がなかったら、我々は壊滅的だった。かの国には、私の姉が王の三番めの妻となっていてね。姉の要請で王が動いてくれたのだ」
「砂漠の国ハールーンと、このゼノヴァン王国には交流がなかったはずよ?」
「私の父があの国で採れる硝石を密かに輸入していた。畑の肥料にするためにね。姉は父の秘書役でかの国に行き、王に見初められたのだ」
「硝石……といえば、帳簿にごまかしがあるわ」
シルヴィアの言葉で、リチャードは棚の書類を見た。
「あれを見て分かったのか。賢い子だ」
と、微笑む。
「硝石は肥料になる一方、火薬の原料でもある。我々は武器を作って、ハルバの周辺国へ売った。ハルバは武器の性能が高度なため、軍事国家として周辺の国を侵略していたが、これで対抗できるはずだ。そして、内部にもばらまいているから、内乱の兆しがある。これで、こちらに目を向けることはないだろう」
……うわあ、おじいさまが王になったほうがいいんじゃないかしら。
ハロルドは知らないけれど、エドガル王は欲深で派手好き。美食ばかりして遊び呆けていたわ。国がもっていたのは、一部の優秀な官僚が頑張っていたからよ。王妃のマーガレットも遊び好きで、王と王妃は二人してパーティ三昧。ぶくぶくと太っていたっけ。息子のライオスは理想の王子さまって外見をしていたけれど、中身はからっぽ。自分のことしか考えない王家の人たち。これでは、いつ内乱が起こってもおかしくはなかったわね。
「あっ……」
そのとき、シルヴィアは思い出した。
「どうしたのかね?」
「前世で……ヘンリーの愛人のスペンサー夫人は、私が社交界に出た頃、エドガル王の愛人もしていたわ」
「なるほど、エドガルが邪魔なヘンリーを――金遣いの荒い王族を押さえて、あれは意外と堅実な経営をしていたからな。自由になる資金が欲しくて、エドガルが愛人を使って殺したか」
……なにそれ。王様のすること?
シルヴィアは心底、呆れた。そして今世では、ライオスの婚約者にならなくて、本当に良かったと思った。
こうして話しているとき、ノックの音がする。
「第三騎士団の団長さまがおいでになりました」
従僕のリカルドだった。
リチャードがドアを開けて廊下へ出る。
シルヴィアもそのあとに続いたのだが、父はメイドの案内で真っ直ぐ母の寝室へ入っていった。
「ここで待っていなさい」
祖父に言われ、ドアを開けたまま、シルヴィアは佇んでいた。
父は母と会って、様子を確かめたようだ。名残惜しげに、祖父に連れられて、こちらへやって来る。
二人して書斎の中へ入ると、背後で祖父のリチャードがドアを閉めた。
「シルヴィア、だっこしていいかな」
父のアルフレッドが疲れた顔で言う。
「いいわ」
シルヴィアが手を差し伸ばすと、ぎゅっと抱きしめて、ソフアに座った。
「……私は一度しか、していない」
祖父のリチャードがぽそりと言う。
……おじいさま、すねてるの? かわいい!
「だめですよ。俺はしばらくシルヴィアに会えないんですから。……癒されるなあ」
「お疲れね?」
シルヴィアは、父の頭をなでなでした。
こうしていると、父のアルフレッドは甘えん坊の大型犬みたいだ。
ぶんぶん振っている尻尾の幻覚まで見えてきた。
「ああ、早く一緒に住みたい……」
「そうなると、君はいずれ侯爵だぞ? 覚悟はあるのかね?」
リチャードが訊くと、アルフレッドはシルヴィアを離して、膝の上に座らせた。
「本音としては、そんな身分になりたくないですが、オーレリアとシルヴィアと共にいられるのなら、仕方ありません」
「爵位より妻と娘か」
答えながら、リチャードがふふと笑う。
「君に、オーレリアをまかせて良かった」
「身に余るお言葉」
アルフレッドの目が鋭くなった。
「オーレリアとシルヴィアは、オーレリアの体調が良くなりしだい、領地へ連れ帰る。その前に、この屋敷で起こったことの報告を聞きたい」
リチャードも祖父から『お館さま』の顔になる。
「はい、申し上げます」
と、アルフレッドが向かいの椅子に座ったリチャードへ語る。
「パトリックの秘書・ベネットは、パトリックが自分のための保釈金を出さない事を知って、べらべらしゃべり出しました。ヘンリーが亡くなって秘書として出入りするようになってから、パトリックの言いつけで侯爵夫人のサインを偽造して、パトリックと自分の銀行口座に振り込ませていたことを。ベネットは詐欺と文書偽造で裁判にかけられるでしょう」
「だまし取られた分の返還と賠償を請求しよう。そして、これまではヘンリーとの密約があった手前、彼らの生活費を支払っていたが、それも止めるよう手続きをする」
「当然ですね」
うなずいたアルフレッドが続ける。
「ケネス夫人付きのメイド・レイチェルは、サム・フィッシャーという元役者の詐欺師でした。サムは男の格好のとき、マーシャル夫人付きのメイド・シェリーを誘惑し、家政婦の食事に栄養剤だと言って毒を混ぜさせました。身体を壊したマーシャル夫人を見て驚いたシェリーと言い争っているうちに、サムは首を絞め、気絶したのを死んだと思い、シェリーを川に投げ込んで、溺死させました。また、侯爵夫人付きのメイド・ドリーを脅して、夫人に毒を飲ませました。具合の悪くなった夫人をパトリックの息がかかった医師に見せ、弱らせて、ゆっくり殺していく計画だったそうです。サムは殺人、ケネス夫人は殺人教唆で訴追されます。そしてケネス夫人の証言で、パトリック・サザランドも、殺人教唆で裁判にかけられるでしょう。二人とも、すでに逮捕済みです」
「うむ、シルヴィアの前世ではそれらがうまくいって、結果的にオーレリアとシルヴィアの死があった。しかし今回は未然に防げて、本当に良かった」
「まったくです」
「だから、アルフレッド。君も正式にオーレリアの夫であると、教会の告知をするので、覚悟するように」
「え? ええっ」
それまで真面目な顔で報告していたアルフレッドがうろたえる。
「夫って……それは、いいんですけど、国中の教会の扉に、その報せがでかでかと張り出されるんですよね。うわあ……」
「ほとんどの人間が興味のないことだ。気にするな」
「いやあ、そのうちの一部の人間が面倒くさくて……」
「ねえ、お父さま。リタはどうなったの?」
シルヴィアが父の腕に手をやると、アルフレッドは彼女のほうへ顔を向けた。
「リタは……サザランド伯爵の子どもではなかったよ。伯爵は屋敷にいる若いメイド全員に手をつけていて、そう思ったのだろうが、ヘンリーはリタの思い込みを利用して言い含め、悪事の片棒を担がせようとしたのだろう。リタの父親は庭師だったが、昔に解雇され、行方がしれない。母親は……ハルバ帝国へ売られていた」
「そんな!」
「リタの件で、サザランド伯爵家へ捜索に入ったんだが、ひどいもんだった。ヘンリーは宰相でありながら、サザランド伯爵を通じて、ハルバと密貿易をしていたんだ。毒もそこから入手したらしい。ハロルド国王の黙認のもとで。これから金と物の流れを調べなくてはならないのだが、とても大変なことになりそうだ」
「それで、リタは?」
悪意を隠していたメイドだけど、やはり気になる。
「彼女も騙された被害者だし、まだ成人していないからね。すぐに騎士団の牢から出て来れるはずだ。その後は母に――シルヴィアのおばあさまのシスター・アルシアにまかせるつもりだよ。母は、傷ついた人を見過ごせない人だから」
「そう……」
巻き戻りがなかったら、リタは罪を犯さなかったかもしれない。そう思うと、複雑な気分だった。
……でも、騙された被害者だからといって人を殺そうとしたのは、やはり許せない。お母さまが無事で良かったわ。
そう思っていたとき、突然、王都中の鐘楼の鐘が鳴り出した。
「国王が崩御した?」
父のアルフレッドがシルヴィアをまじまじと見る。
王が暗殺されると言ったことを思い出したのだろう。
「ハロルド・エルネスト・ゼノヴァン……この手で、殺したかった……」
耳を聾す鐘の音を聞きながら、祖父が悔しそうにつぶやいた。
「いいえ、おじいさまの手をあんなやつの血で汚すことはないわ」
シルヴィアが言うと、二人はこちらを振り向いた。
「だって、どうやって死んでも、行くところは決まっているんですもの。地獄にね」
と、彼女はかわいく笑った。




