(14)
「貴様は、何だ!」
パトリックがさらにわめく。
「私を知らずに、オーレンクス侯爵を名乗るとは、騙りである証拠。ヘンリー・サザランドの不義の子、パトリックよ。早く立ち去るがよい」
汚物を見る目で、パトリックを一瞥したその人は、シルヴィアの前に進み、右手を胸に当て、うやうやしく頭を下げた。
「お久しぶりです。レディ・シルヴィア」
……何だか、前世よりずっと威厳があるわ。
前世では新年の挨拶に王都のこの屋敷へ来たときでも、言葉を交わすことなく終わっていた。
「初めまして――おじいさま」
リチャード・アダムスは、驚きで目を見開いた。
「そいつらを連れて先に行ってくれ!」
アルフレッドが部下に命じ、こちらへやって来る。
「アダムス卿、お久しぶりです」
と、一礼する。
執事のバートラムは、自然な仕草でアダムスのコートを受け取っていた。
「カレンデュアか。元気そうで何より」
「お父さま、お母さまが毒を飲まされたの。聞いたかしら?」
「何だって! まだ報告を受けていないぞ」
シルヴィアから聞いて、アルフレッドが慌てる。
「行き違いになったのでしょう」
と、デイビット・ヴァイエンドルフが言った。
「大丈夫だから。あとでお見舞いに来てね」
「行きなさい、カレンデュア」
二人に言われ、アルフレッドは礼をしてから玄関へ向かい、去って行った。
「お話があるの。お母さまの部屋へ来て。バートラムとヴァイエンドルフも一緒に聞いてちょうだい」
シルヴィアは三人に、母の前で時戻りの話をしようと決めた。彼らは信頼できるに違いないから。
ノックをして母の寝室に入ると、メイド長のエッダと専属メイドのメアリの他に、絹糸のような金髪で灰色の瞳をした女性が黒いドレスの上に白のエプロンをして、オーレリアの世話を焼いていた。
その女性はシルヴィアたちを見て、スカートをつまんで辞儀をする。
「お嬢さま、妻のリリアです」
後ろから、デイビット・ヴァイエンドルフが言った。
「初めまして、シルヴィアお嬢さま。そして、おじさま。お久しぶりです」
「リリアも元気そうだね」
と、答えたリチャード・アダムスは、シルヴィアへ言う。
「リリアは私の姪で、デイビットとはいとこ同士だ。アダムス家とヴァイエンドルフ家は、この三代で幾重にも婚姻を結んでいるのですよ」
「そうなの……」
前世では領地に一度も行ったことがなかったし、母が亡くなったとたん、庭の小屋に押し込められたので、領地での家臣団の知識がシルヴィアにはまったくなかった。
……領地って、どんなところかしら。
とても興味が湧く。
「お母さま、ご気分はどう?」
「だいぶ良くなってきたわ。ジェイコブ先生のお陰ね」
さっきより、顔色も良くなっている。
「少しお時間をいただいていいかしら。大事なお話があるの」
「ええ」
と、母がうなずく。
「起こしてちょうだい」
催促すると、すばやくリリアが動き、半身を起こして背中へクッションを置いた。
そして、三人は出て行く。
シルヴィアは母の枕元にあった椅子によじ登るようにして座り、その向かいへアダムスが壁際にあった椅子を持って来て座った。
バートラムとヴァイエンドルフはその後ろに立っている。
「この話は、お母さまとカレンデュア団長、そしてマクガーネル副団長に話してあることです」
と、時の巻き戻りと前世の出来事を語った。
シルヴィアの話が終わると、バートラムとヴァイエンドルフはこわばった顔のまま、ひと言も発しなかった。
「……ハロルドとエドガル親子、ヘンリーとパトリックのやり口は、あやつららしいと言うほかない。だが、庭師見習いのトムが役に立ったことが、せめてもの慰めだ。彼は、私が潜入させた間者なのだ。ただ連絡係として入った彼の出来ることは限られていた。そして前世の私も、あなたが王都の屋敷に捕えられていて、その上、王太子の婚約者になったとあれば、身動きが取れなかったのだろう」
「……『ハロルドに死を。ハルバを許すな』……」
バートラムがつぶやいている。
「くそっ。じいさまと先代侯爵夫妻ばかりでなく、正統な継承者のお嬢さままで! あいつらは、うちをどこまで食い物にするんだ。許さん!」
ヴァイエンドルフが叫ぶ。
「シルヴィア、イレーネの日記を読んだのなら、昔、何があったか知っているね?」
「はい」
アダムスの問いかけに、シルヴィアは深くうなずいた。
イレーネの日記によれば、ウィリアム国王は愛する妹の意向と北の守りの侯爵家との関係を強化するため、妹のアレクサンドラをサミュエル・オーレンクス侯爵に降嫁させた。そのとき国王は港と鉱山を持参金として与え、有能な臣下だったベネディクト・アダムスとジョージ・ヴァイエンドルフに子爵位を授けてそれらの管理をまかせ、『アレクサンドラの血筋の楯と剣となれ』という言葉と共に送り出した。
これによって、オーレンクス家は、国境となる北の山脈、その下に広がる森林地帯と耕地に加え、東に港、西に鉱山を持つことになった。そして、オーレンクス侯爵家は準王族に見做されることになった。
これに不満を持った貴族は少なくなかったが、ウィリアム国王の前でそれを表すことはなかった。また、建国の伝説では、オーレンクスの先祖の功績は群を抜いていたので、非難する者もなかった。
ただ一人、第一王子のハロルドを除いては。彼は王領が減るのが不満だった。
領地で両親に愛され、領民に慕われて育ったイレーネは、家宰のベネディクト・アダムスの跡継ぎリチャードに恋をし、両親に強引に迫って婚約していた。そして国王夫妻に初めて会う社交界デビューの夜会で、ハロルドに乱暴されそうになるが、抵抗しているうちに騒ぎに気づいた騎士たちによって、未遂に終わる。しかし、ハロルドの口止めで、犯人は遊び仲間のサザランド伯爵家次男・ヘンリーということになった。
虚偽の報告を受けた国王は、「醜聞を広げるよりも」と、ヘンリーを婿にするようサミュエルに勧めるが、断固拒否される。
イレーネは堅く警護されながら先に領地へ帰り、国王との話し合いが長引いたオーレンクス侯爵夫妻は、ヴァイエンドルフ騎士団長の他、数名の護衛のみで帰る途中、川沿いの道から馬車が落ち、全員が亡くなった。
というのは表向きで、外国人と近衛騎士の交じった武装集団に襲われ、死亡したのだった。これは、ただ一人生き延びて帰った御者の証言である。
同じ日、ウィリアム国王が急死する。
作為を感じたイレーネは、周囲の勧めもあって、領地の屋敷内にある礼拝所で、リチャードと結婚したのだった。
そのすぐあと、まだ即位前だというのに、国王命令ということでヘンリーが第二騎士団の第十六隊とハルバ兵を連れて乗り込んでき、領地を支配下に置くと共に、強引に街の教会でイレーネと結婚式を挙げ、新しい侯爵として税を二倍に上げて、好き放題し出した。
これは祖母・イレーネが十五歳のとき、二十一年前の出来事だった。
「……シルヴィアがケネス夫人とレイチェルを追い出してくれたので、ヘンリーが死んだ今、パトリックは手を出せず、もう私たちに人質はいなくなった。物事を正しい位置に戻そうではないか」
リチャード・アダムスが宣言する。
「ああ、では……」
表情を崩したことのないバートラムが、泣き笑いの顔をする。
「教会にオーレンクス侯爵が誰であるか、告示を出してもらう。私とイレーネの結婚を認めたのは、現在の教皇猊下だ。オーレリアとアルフレッドのときの司祭は、教皇さまの教学の師で、当時は引退されて故郷の教会に引き籠っておられた方だから、すぐにでも許可はおりよう」
……リチャードおじいさま、それを知っていて、お母さまたちを行かせたんじゃ――。
この人だったら、やりかねない、とシルヴィアは思った。
侯爵になるのを嫌がっていた父・アルフレッドも、たちまち説得されてしまうだろう。
「では、やっと……お父さまとお呼びできるのね」
ベッドの上で涙を流しながら、オーレリアが言った。
「苦労をかけた」
椅子から立ち上ったリチャードが、オーレリアに近づき、抱きしめた。
「身体を早く治しなさい。動ける体力がついたら、領地へ戻ろう」
オーレリアへ言ったリチャードは身体を離し、こちらへ向いて言う。
「屋敷の使用人すべて、領地へ戻れるよう準備しておきなさい。ただし、王家には悟られぬように」
「はっ。おまかせを」
ヴァイエンドルフが元気に返事をする。
「うけたまわりました」
と、頭を下げたバートラムへ、リチャードが告げた。
「ドリーの両親から、許可を得た。おまえも故郷へ帰ったら、結婚式を挙げなさい」
「は……はい」
シルヴィアは、執事のバートラムが頬を染めてうろたえるのを初めて見た。
・今世の家族関係・シルヴィア(六歳)
曾祖父・サミュエル(故人)
曾祖母・アレクサンドラ(ウイリアム王の妹・故人)
祖母・イレーネ(故人)
祖父・リチャード(アダムス家出身、家宰・本来のオーレンクス侯爵)
母・オーレリア
父・アルフレッド(カレンデュア伯爵家出身・母方はヴァイエンドルフ家)
・王家の関係者
ウイリアム王(故人) 妹・アレクサンドラ王女(オーレンクス侯爵夫人・故人)
ハロルド王(ウイリアム王長子)
エンマ王妃(サザランド伯爵家出身)
エセルバード(ウイリアム王次子・ガウス大公)
マリア・マクガーネル(ガウス大公妃・故人・フィリップの母)




