(11)
「フィル、どうしてここに?」
「いやあ、ノックしても返事がなかったからさ。先輩んとこに女性が来てるって団員たちの噂を聞いたから見にやってきたんだけど、小さな女の子だったんだねえ」
十年前のマクガーネル団長は、やはり若い。そして軽かった。
「くそう。おまえがいたか。ドアに鍵をかけておくべきだったな」
額に右手を当てたアルフレッドは膝からシルヴィアを下ろすと立ち上がり、マクガーネルを中へ入れて、鍵を締めた。そして次に隣室へ続くドアのところまで行き、そこを開ける。
「ボルトンさん、フィルが来たので、お茶を淹れてくれませんか?」
「あらあら、またさぼり?」
ボルトン夫人がすぐにお盆の上にティカップを載せてやって来た。
「違いますよ。副団長の辞令が出たので、報告に来たんです」
シルヴィアの左隣に坐ったマクガーネルがくつろいだ様子で答える。
「まあ、おめでとうございます」
「王弟の次男って、一種のステータスなんでしょうね。こちらが望んだわけじゃありませんが、貴族間の派閥のバランスをとるための結果ですよ」
ボルトン夫人に答えたマクガーネルは、前に置かれたティカップを持ち上げ、ひと口飲んだ。
「あ、おいしい。やっぱりボルトンさんの淹れたお茶は格別だね」
と、きらきらしい笑顔を向ける。
「お世辞を言ったって、何も出ませんよ。ごゆっくり」
それでも嬉しそうに、ボルトン夫人は隣室へ戻って行った。
……この人、女たらしだわ。
前世でのフィリップ・マクガーネル団長については、先王の弟の大公の次男で、婚約者を病気で亡くしてから、誰とも婚約せず、独身を通していた、としか知らない。
「おやあ?」
お茶を飲みかけでカップをテーブルに置いたマクガーネルは、シルヴィアをまじまじと見た。
「なんか、運命を感じるな。小さなレディ、お名前は? 大きくなったら、僕のお嫁さんにならない?」
「こいつはいきなり何を言うんだ」
と、アルフレッドがやってきてシルヴィアを抱き上げ、マクガーネルに背中を向かせた形で膝に横座りさせた。
「フィルには、婚約者がいるだろう」
「あ、彼女? 見事に恋人と逃げおおせたよ。伯爵家では、病死ってことで済ますみたいだけどね。僕もそれに便乗して、婚約者を亡くした可哀想な男として、独身生活を楽しむんだ」
……なんてやつなのーっ。
前世での、あの紳士的な男性が十年前ではこんなに軽かったなんて、幻滅だった。
「ねえ、先輩。どこの子? 騎士学校では狂戦士とまで呼ばれた先輩が、こんなにかわいがっているなんて、まさか、隠し子?」
「……娘だ」
「またまた、冗談ばっかり。どんな女に誘われても、なびかなかった先輩が?」
彼は、けらけら笑い出した。
「狂戦士って?」
「ああ、まあ……」
アルフレッドは触れられたくないようだ。
「座学も実技もダントツの一位。トーナメントでは敵となる相手に容赦なし。てっきり第一騎士団に入るものだと思っていたら、オーレンクス侯爵家の騎士団に入るんだものな。みんな、びっくりだよ」
「どうして?」
シルヴィアが頭をもたせかけて訊くと、アルフレッドはぼそぼそと答えた。
「ヴァイエンドルフの伯父に呼ばれて王都の屋敷に行ったとき、オーレリアをかいま見て、ひと目ぼれしたんだ」
……それは聞きたい。
と、シルヴィアが思ったとき、背後に視線を感じて仰向けになると、後ろでマクガーネル副団長がにこにこしている。
……この人、本当にお父さまのことが好きなのね。
シルヴィアは、もそもそと父の膝の上で、向きを変えた。
「初めてお目に掛かります。シルヴィア・エル・オーレンクスと申します」
カーテシーは出来ないけれど、その場で頭を下げた。
「侯爵家のお嬢さま?」
シルヴィアとアルフレッドを交互に見たマクガーネルはソファから降り、片膝を突いた。
「レディ・シルヴィア。フィリップ・エルランド・マクガーネル・ゼノヴァンと申します。以後、お見知りおきを」
と、シルヴィアの右手を掴もうとして、その手をアルフレッドにはたかれた。
「まだ、早い」
「やだなあ。挨拶ですよ」
笑いながら、彼はまたソファに座った。
軽くて、信用できなさそうだったけど……この人は、あのマクガーネル団長なのだわ。
そう思ったシルヴィアは、アルフレッドに言った。
「お父さま、私、この方に恩があるの。あのことを話そうと思います」
「しかし、シルヴィア」
「信用できない?」
と、父を見上げる。
「そんなことはない。軽そうに見えて、芯のしっかりした男だ」
「では、よく聞いてね。マクガーネル団長、私、あなたにはとても親切にしていただいたの」
シルヴィアは、前世のことと時の巻き戻りの話をした。
「冤罪、殺害、そして内乱……か」
聞き終えたあと、険しい表情のマクガーネルがつぶやく。
「魔女の血」
と言って、彼はシルヴィアをじっと見る。
「初代王妃は、君と同じ銀の髪と紫の瞳をし、その威厳で命ずるだけで人を従わせたそうだ。そして、王家に伝わる魔道具は、同じ容姿の娘が使えるのだと言い伝えられている。けれども今まで、誰一人使うことはできなかった。もしかしたら、君は初代王妃の血が濃く出ている先祖返りなのかも。いつか、王宮の宝物庫へ連れていってあげるよ。魔道具が埃をかぶって転がっているから」
「今まで、誰も使えなかった? そういえば、あの首飾り、アレクサンドラ様もイレーネおばあさま、そしてお母さまも使っていないわ」
「シルヴィアの願いと命の危機に際して、力が発揮できたのかもしれない」
アルフレッドがシルヴィアの疑問に答えた。
「伯父は……やはり何かをしていたんだな。祖父は出来の悪い第一王子を廃して、第二王子、僕の父を王位に就けようとし、その前に亡くなった。父も兄も毒を盛られ、二人とも命は助かったものの、父は左足に麻痺が残り、兄は身体が弱くなり、月の半分はベッドから出られない状態だ。僕は父と兄が毒を飲まされたとき、たまたま領地にいて助かった。シルヴィア、僕も君の企てに協力させてくれ」
これまでの軽い態度は微塵もなく、真剣な表情だった。
「私の未来を変えることへのご助力の申し出、感謝いたします。けれども、たいへん危険なことになると思われます。私がこのことをお話ししたのは、唯一、親切にしていただいたあなたに、お礼を言いたかったというかなり私的な感情からです」
シルヴィアは、フィリップ・マクガーネルを真っ直ぐ見た。
……ああ、あのときと同じ、青空みたいな瞳。
胸に熱いものが込み上げてきたが、それを無視してシルヴィアは続けた。
「イレーネおばあさまの日記によれば、曾祖母のアレクサンドラ姫と夫の侯爵の死は、馬車の事故とされていますが、武装集団の襲撃によるもの。襲ったのは、戦闘に慣れた外国人と近衛騎士だと、生き残った御者は証言しています。このとき、手練れのうちの騎士団長も亡くなっています。侯爵家の闇は深く、ご協力ならば、このことを黙っていてくださるだけでよいのです」
「あの、ヴァイエンドルフの大伯父が……やられた?」
呆然としたアルフレッドがすぐに勢い込んで訊く。
「ヴィア、他に隠していることはないな?」
シルヴィアは、父の膝からするりと降りた。
「確証がないので、まだお話しできませんけれど、いずれは」
そのときドアの向こうから、ハートレイの声がした。
「団長、お嬢ちゃんのお付きの人が、『帰る時間です』って。ここ、開けてくださいよ!」
「お父さま、これはお母さまに使われようとした毒です。調べてください」
と、シルヴィアはスカートのポケットからハンカチに包んだ物を出して、テーブルの上に置いた。
「加えて、サザランド伯爵とその家族、使用人など、調べてくださいませんか。そして、ハートフィールド伯爵に関しても。敵は王家の力を利用しています。決して気取られぬよう、お気をつけて」
「ああ……」
シルヴィアが立て続けに言う事柄に、アルフレッドは茫然としながらドアまで一緒に行き、その鍵を開けた。
シルヴィアが美しいカーテシーをする。
はっと我に返ったアルフレッドは、叫んだ。
「お菓子を持っていきなさい。ボルトンさんに箱に詰めてもらうから!」




