(10)
翌日の午前、シルヴィアはメイドのリタと護衛騎士をお供に、馬車で王宮の門の前にある第三騎士団の本部に来ていた。
馬車が赤レンガ造りの門を入り、正面玄関の前に横付けされると、そこには以前会ったことのある女性騎士が出迎えていた。
馬車のドアが開いて、足台が置かれると、先にリタが降り、護衛騎士の手を借りて、シルヴィアはぴょんと、そこへ飛び降りた。
「ミッシェル・ハートレイと申します。レディ・シルヴィア」
女性騎士が自己紹介し、頭を下げた。
「お話は団長の執務室でお伺いいたします」
と、ハートレイにエスコートされ、シルヴィアは建物の中へ入った。護衛騎士とリタは別の騎士に控室へ案内されている。
騎士だけでなく、労働者や商人、弁護士と思われるダークスーツの人などが大勢いて騒がしいホールを抜けて階段を二階へ上がって行く。その奥に、団長の執務室があった。
「団長、お連れしました」
ハートレイがノックすると、いきなりドアが開き、カレンデュア団長自らが出迎える。
「約束の時間通りだね。レディ?」
と、優しい笑みを浮かべた。
「貴重なお時間を取っていただき、ありがとうございます」
シルヴィアは、生真面目な顔でカーテシーをした。ここで特別な関係だと、誰にも覚られてはならない。
……なのに、お父さまったら。
すでに、デレデレである。
「さすが、侯爵家のご令嬢だね。あたしにはそんな綺麗なお辞儀はできないよ」
団長の変化に気づいていないのか、いつもの口調に戻ったハートレイが感心する。
「そんなところで固まっていないで、中へお入りなさい」
奥から女性の声がした。
「王都で有名な菓子店から、いろいろ買って来たのよ。お茶を淹れるから、待っていて。もう、うちの団長ったら、朝からそわそわしていて、どんなお嬢さんが来るかと思えば、こんなかわいい子だったのね」
ほほ、と笑ったのは、未亡人のしるしの黒いドレスを着た小太りの上品な初老の女性だった。
「秘書のボルトン夫人だ。歴代団長の秘書を務め、うちの騎士団の生き字引と言われている。――怒ると怖いぞ」
最後の言葉は声を潜めていたが、聞こえていたようだ。
「アルフレッド坊やのことは、騎士学校にいたときから知っていますからね」
ボルトン夫人と団長のやりとりに、ハートレイが声を出さず腹をかかえて笑っている。
家庭的な雰囲気ね、と思いながら、シルヴィアはうながされるまま、ソファに座った。
前のテーブルには、果物を使ったプチケーキ、タルト、マカロン、クッキー、そしてチョコレート菓子が大皿にいっぱい盛ってあった。
……きれい。どれもキラキラしていて、宝石みたい。
シルヴィアの目がお菓子に釘付けになる。
「まずは、召しあがれ」
と、カレンデュア団長が自分の机に戻り、椅子に座った。
シルヴィアの横には、ハートレイが座る。
「お茶をどうぞ」
ボルトン夫人が紅茶を淹れ、ティカップを前に置いた。そして隣の部屋へ去って行った。
良い香りが立ち上る。お菓子が食べたいシルヴィアは、マナーを守ることと食欲の間で葛藤していた。
「昨日はよく眠れた?」
そんなとき、ハートレイが気さくに話しかけてきた。
「ええ」
「何してたの?」
「散歩をして、絵本を読んでいたの。お姫様のお話」
シルヴィアが題名を言うと、ハートレイが答える。
「うん、あの絵本はおもしろいね。あたしも子どもの頃、好きだったよ」
と、このような当たり障りのない話から核心に近づいていき、返事をしているうちに、ベネットとの間にどんなことがあったか、シルヴィアはすっかり話していた。
ハートレイの手には、いつの間にか手帳があって、メモがなされている。
「うん、ありがとね。お嬢ちゃんの話はわかったよ。このチョコチップクッキー、おいしいんだ」
と、トングで取り皿に取ってくれ、自分も一枚つまんで彼女は立ち上がった。
「団長、済みました」
「ご苦労。小さなレディはお菓子を堪能したいだろうから、しばらく二人だけにしてくれ」
「ええー、だんちょ。こんなちっさい子、相手にできます?」
「大丈夫。もう仲良しになったよな」
言われて、シルヴィアはうなずいた。
「私、騎士さまに憧れているの。団長さまから、いろいろとお話を聞きたいです」
「それじゃ、あたしはこれで。何かあったら、隣の部屋にいるボルトン夫人を呼ぶんだよ」
そう言ってから、ハートレイは執務室を出て行った。
香ばしい匂いのクッキーを食べようとしたシルヴィアだが、六歳児の口は思っていたより小さいので、十六歳の時のようには量が食べられない。
……こんなにおいしいのに、残念だわ。
「ここで話していても、大丈夫ですか? 誰にも聞かれない?」
クッキーをちまちま食べながら、シルヴィアが訊いた。
「ああ、聞かれる心配はない。ボルトン夫人は心得ているし、普通に話していて、ドアの向こうまで聞こえることはない」
答えながら、カレンデュア団長はこちらへやって来て、ハートレイが座っていた場所に腰を下ろした。
「女の子は、かわいいなあ。オーレリアも子どもの頃はこんなだったのかな」
「そう思われるのでしたら、もう一人子どもをつくったら?」
シルヴィアが言うと、団長はぼんと赤くなった。
……お父さま、純情ね。
「なっ、今の子どもはどこまでませているんだ!」
「六歳ではなく、十六歳の私として申し上げております」
シルヴィアがクッキーを食べ終える。そしてお茶を飲んでから、カップをソーサーごとテーブルに置いた。
「で、十六歳のシルヴィアは、私にどのような話がしたいんだい?」
アルフレッドも顔を引き締めて尋ねた。
「前世、お母さまは病死だと思っていましたが、毒殺だったのかもしれません」
と、シルヴィアは昨日の出来事を話した。
「先日は時間がなくて詳しく説明できませんでしたが、家政婦のマーシャル夫人の病気も毒ではなかったかと。前世でパトリックは家政婦を辞めさせて、自分の息のかかった新しい家政婦を送り込み、昔からいた使用人を全員、解雇して総入れ替えし、メイドのレイチェルを使って毒で弱らせ、母を病死に見せかけた、と思われます」
「その可能性は大いにあるな」
アルフレッドがうなずいた。
「では、十六歳のシルヴィアに話すが、家政婦付きの行方不明だったメイドのシェリー・ブランドンが水死体で見つかった。事故か他殺かは分からないが、昨日、侯爵家から送られてきたレイチェルという男が関与をほのめかせている。あいつ、サム・フィッシャーという役者くずれの詐欺師だ。まさか殺人まで犯すようになるとは」
シルヴィアがうなずく。
「お父さまがいてくれて心強いです。先ほどは仮定の話で、確証があるわけではありません。もしかしたら、お母さまは本当に病気だったのかもしれません。だったら、あそこで不幸な人生を送っているよりも、お父さまの許にいるほうが良いと私は思うのです。そこでお父さま。侯爵になるつもりはありますか?」
「そんなの、いらねえよ。爵位なんて、どうでもいいんだ。何にもなくても、オーレリアを愛している。小さい家でいいから、親子三人で暮らしたいよ」
と、アルフレッドは下町言葉でいい、シルヴィアの両脇に手を差し入れ、持ち上げて自分の膝の上に乗せた。
「私も同じです」
ぽすん、とシルヴィアは背を父の胸にもたせかけた。
温かい。前世で望んだことは、これだったのだと思う。
「でも、まずはお母さまを逃がさなくては。お父さまが侯爵になるのを望まないのなら、一緒に暮らすためには、お母さまを社会的に死んだことにして……」
「おいおい、冗談じゃないぞ。俺の娘は、なんてことを考えるんだ?」
「お父さま?」
シルヴィアは顔だけ後ろを向け、アルフレッドを見た。
「あの家に、ひとり残るつもりか? オーレリアが死ぬと、あのバカが愛人と結婚して乗り込んでくるんだろう? 君はいじめられたあげく、殺されるんだ。そんなこと許せるはずがない」
「私は継承者だから、とりあえずは殺さないでしょう。殺すのは王の意志が固まってからで、エドガル王は」
「待った。エドガル殿下は王太子だ。今の国王は、ハロルド陛下だよ」
「えっ?」
……国王の交代はいつだったかしら。
「ハロルド陛下はお元気だ。王妃はサザランド伯爵家のエンマ様。先代オーレンクス侯爵ヘンリー殿の妹で、お二人は熱烈な恋愛結婚だった。先代侯爵とハートフォード伯爵はハロルド陛下の信頼が厚く、重用されていた」
「……陛下は今年亡くなるわ。たぶん、暗殺」
シルヴィアの言葉に、アルフレッドが息を呑んだ。
「宰相のヘンリーを毒殺したのは、おそらくエドガル。国王も。そして自分が王になると、ハートフォードに罪を着せて殺すの」
「シルヴィア、それも前世のことかい?」
「そう」
と、シルヴィアは、自分が殺され、事切れるときに見た幻影の話をした。
『浪費、国庫からの横領、国民を他国に売る、人民を奴隷とする』
家宰のアダムスと近衛騎士団長のマクガーネルが叫んでいた言葉を。
「君の死がきっかけで、内乱が起きるのか」
アルフレッドが茫然とする。
「でも、マクガーネルはまだ、騎士団長じゃないよ。そうか……あいつ、まだ二十二なんだが、十年後には団長になってるのか」
しみじみとアルフレッドが言ったとき、
「呼んだ?」
背後から声がして、ドアの所を見れば、そこに白い軍服姿のフィリップ・マクガーネルが立っていた。




