ガシャン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
え? いま、なんか音しなかった?
やだ、こわーい。こーちゃん、お願いだからちょっと見てきてよ。苦手なんだよ、こういうのさ。
お化け屋敷も苦手だけど、びっくり箱的な不意打ちはもっと嫌だ。心臓飛び上がりそうになる。てこてこ歩いているところに、物陰から「わっ」と出てこられたりなんかしたら、絶対に寿命が縮んでいるよ。
うー、お願いだよ〜。
何にもなかった?
ほんと? ほんとに大丈夫? 足元、天井、四方の壁、八方の隅に右見て左見て、股の下もかっきり見た?
お約束でしょ、この一点だけなぜか見逃しているってやつ。それのせいで、えらい目に遭うこともままあるわけだ……。
あ、そうだ。さっきの音はさ、こーちゃんにも聞こえた?
――全然、気にしていないから、なんとも?
うわー、いやなパターンだよ、それも。自分だけ聞こえる音とか、これはこれでやばいって。何かに狙われている感、満載でさ。
僕の父さんから聞いた話なんだけど、耳に入れてみない?
父さんがまだ子供だった時分。おばあちゃんと二人で家にいた日のことさ。
自室で寝そべりながら雑誌のページをめくっていくと、不意に「がちゃん」と何かが割れる音が響いたんだ。
器を落として割ったときの音に似ている。これが自分のやったことなら、コラと怒られる前に、ごめんなさいとパブロフの犬のごとき反応で、謝ってしまうところだ。
しかし、音は遠くから聞こえた。当時、お父さんたちが住んでいた家は平屋だったが、屋内でしたにしては、ちょっと響きが小さいような気がする。
念のため、台所にいるおばあちゃんのところへ行ってみた。そこに割れた皿などを片付けている、おばあちゃんの姿はない。代わりにメガネを掛けながら、新聞を読んでいる格好があった。
ただ奇妙なのが、先ほどの音をおばあちゃんは聞いていないということだったんだ。
確かに、気持ち曇った音ではあったけれど、おばあちゃんは父さんよりも耳がよく、これまでも周りの皆が気づかない音を、よく拾っていた。
それが今回に限り、父さんには聞こえておばあちゃんには聞こえていないという。
聞き逃しに首を傾げつつも、父さんはその日いっぱいを、自分の聴覚に集中しつつ過ごしたらしい。このときは、何も起こらずに済んだのだけど。
翌日の学校。
昇降口で一緒になったクラスメートのひとりが、上履きに履き替える際にのぞかせた靴下。その足の甲の部分へ、かすかに赤みがにじんでいるんだ。
そのことを尋ねると、昨日の昼頃にけがをしたのだとか。けれども、そのケガの仕方がどうにも妙だったのだとか。
深さに対し、痛みを感じるのがあまりに遅かったんだ。
かの時間帯は、父さんが雑誌を読んでいたころあい。そして、例の何かが割れる音が響いたとき。
友達はその時間、犬の散歩に出かけていたらしい。一時間ほど近所を歩いて、いざ帰ろうとしたときに、やたら靴の中で水音がすることに気づく。
怪しみながらも、その場で脱ぐことはせず、いったんは自宅の玄関まで戻ったらしいんだ。
すると、黒い靴下には生地よりなお黒く、真新しいシミが浮かんでいたんだ。
ほぼ足の裏全域を納め、履いていた靴の底さえもはっきりと湿らせている。水たまりなどに足を入れた覚えもないのにと、靴下を脱いでみて驚いた。
足の甲の中心に、針の先ほどの大きさの穴がのぞいている。それだけでなく、ひっくり返した足の裏、土踏まずの中心部にも同じようなものができていたんだ。
にじんでくる血は、拭った先から次々と出てきて、容易に止まる気配がなかった。しかし、拭ってからまた血が湧いてくるまでの、わずかな間で見るキズの穴はかなり深いものだったとか。
――もしかしたら、何か長くてとがったものを踏んづけたのかもしれない。
そうクラスメートは話すも、もし踏んだとして、そのときには痛みをまったく感じなかった。
靴下を脱いで、キズを視認してはじめて、顔をしかめたくなる痛みが走るようになったのだとか。
この一件だけなら、妙なケガだけで済んだろう。
けれど、その日から連日で、似たようなケガを負う人が現れていった。父さんが、あのガシャンという音を聞いた、時間帯にね。
学校だと昼休みの最中だ。外遊びから校舎内へ戻ってくる、昇降口のところで気づく生徒が多数だった。
足の裏から甲へと貫通する、小さなキズ。本人がそれを認識するまで痛みを発することはなく、かさぶたができて血が止まるまでにそれなりの時間を有する。
他のクラスメートにも、いくらか被害が出てき始めていた。その誰もが、何かを踏んづけた覚えなく、キズをこさえていたことも共通している。
いまだ被害に遭っていない子たちは、いつ自分が同じようなことが起こるかと、気が気でなかったらしい。なにせ犯人らしい犯人の気配は、何もしないのだから。
父さん自身も同じで、この奇怪な現象に対し、どうにか歯止めをかけられないかと、秘密を探ろうとしていたんだ。
そんなとき、社会科で地図帳を使う授業があり、ぴんと閃いた。
すでにクラスの3分の1が、かの傷を負った経験がある。彼らに住所を聞き、地域の地図を広げて、家々にピンを立てていったんだ。
すると、彼らの住まう家はいびつな形ながらも、結ぶと円になることに父さんは気づいたのだそうだ。他にも住所を聞き出せる、被害にあった子たちの家も結んでみると、その浮かび上がりはよりはっきりしたものになる。
更にもう一日。新しく被害に遭った子たちの家々を確かめて、よりはっきりしたことがあったんだ。
円は日に日に縮まっている。
完全にはっきりしたわけじゃないが、この円の中心点は、およそ父さんの家にあたっていた。
くだんの音の件といい、自分が何かに目をつけられながらも、特定されきってはいないと、父さんは察する。円の縮み具合からして、もう数日で父さんのもとに、円周は収束するだろう。
無数の人を襲うキズは、ひとつ限り。だが、それらが集まった自分の家ともなれば、ひとつで済む保障など、どこにもない……。
先手を打つべく、父さんは最初に話を聞いた子を連れ立って、その日の散歩コースを案内してもらう。
真っ先に被害を受けたのは、この子だ。円がもっとも広いときに標的にされたのなら、ことのはじめは、この子のそばにあるんじゃないかと思ったそうなのさ。
一時間の散歩コースを丹念に回ったから、三時間はかかっただろう。放課後から直接だから、もう陽が暮れる頃合いだった。
そうして通りかかったのは、田んぼをわきに見るアスファルトの道。車が入れないくらいに、細い道筋。
クラスメートと並んで歩いていたお父さんは、不意につま先で何かを蹴飛ばす感触を覚えたんだ。同時に、あの「ガシャン」という音もだ。
クラスメートの顔を見ても、どうした? と表情に浮かんでいる。この音を耳にしていないんだ。
水がなく、土がむき出しの田んぼを父さんが見やると、いくらか破片を飛ばす石の塊が転がっているのに気づいたんだ。
石でできた首、といえばいいか。
お地蔵さんからそのまま持ってきたように、塊には目鼻や口と耳の形が刻まれていたんだ。
それが乾いた赤黒い血に濡れながら、顔のあちらこちらに微細なひびを走らせている。ところどころに石が砕け落ちた跡もあったのだとか。
手に取ったとたん、お父さんは一瞬、めまいを覚えてその場に膝をついてしまったらしい。
頭痛も襲い掛かってくる。脳の内側から頭蓋を破り出ようとするような、強い強い拍動だ。けれども、閉じたくなるまなこを見開くと、自分の手にする首に変化がある。
走っていたいくつものひびが、真新しい赤い血で埋まっていく。砕けた痕もしかりで、見ている前でどんどんとかさぶたが生まれ、箇所を塞いでいく。
ものの数秒で、それらの血はすっかり固まって、首のあらゆるキズは塞がっていたんだ。
父さんも頭痛から解放されるも、自力で立てるようになったのはしばらく経ってからのこと。クラスメートに肩を借りて、ようやく家へ帰り付いたんだとか。
それ以来、あの妙なケガをする人はいなくなったらしい。
あの血でけがを癒したかのような石の首も、誰かが持ち去ったのか、あの場には残っていなかったんだってさ。