表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/19

その7

外観は普通の民家と変わらなかった。

玄関脇に立て看板があり、そこに『おかみさんの店』と黒々と書かれていなければ、決してここがその場所だとはわからないだろう。

四人?は馬車から降り、レッドが料金を払うと、「またのご利用を!」御者の威勢のいい声を残して馬車は去っていく。

四人?は『おかみさんの店』の玄関をくぐった。

中に入ると印象はずいぶん違っていた。

十組ほどの椅子とテーブルがある。

そのほとんどがもう客で埋まっていた。

彼ら彼女らが口々から漏らす声で、店内は喧騒で溢れていた。

右手奥には暖簾で仕切られたスペースがあるようで、そこから女給が出たり入ったり忙しくしている。

それになにやらよい香りが漂ってくる。

厨房のようだった。

今しがたそこから出てきた女給に、ハルカが大きく声をかけた。

「ナタリー!」

声に振り向いた女給は一瞬驚いた表情を見せ、それから満面に笑みを浮かべる。

しかし仕事中だということを思い出してか『待ってて』唇をそう動かして料理を運んでいく。

その口元には笑みが残っている。

別な女給に案内され四人?がテーブルにつくと、一人の男がよろよろと近づいてきた。

夕方前だというのに、もうかなり酔っているようだった。

男は倒れ付すようにテーブルに手をつくと、赤い顔をクリスに向ける。

「ようよう、僕ちゃん」

酒臭い息にクリスは鼻を覆う。

「いい年して人形遊びかい。あまり感心しないねえ。

しかしよく出来てるねえ。生きてるみたいだ」

そう言って男はクリスの肩に止まっている小さな女の子に顔を近づける。

しかしどうしたことか、シルフィはまるで微動だにしない。

本当の人形のようにじっとしている。

クリスがそのことを不思議に思っていると

「わ!」

耳元で大きな声がして

「ひゃああああ!」

情けない悲鳴を上げて男が身を仰け反らして倒れこんだ。

まじまじと覗き込んでくる男に、突然顔を向けたシルフィが大声を上げたのである。

それに男は肝をつぶしてひっくり返ったわけだ。

なるほど、だからシルフィは大人しかったわけだ。

男を驚かすタイミングを計っていたわけだ。

納得がいってクリスはため息をついた。

当のシルフィはクリスの肩から離れると、ふわふわ浮きながら手足を叩いて喜んでいる。

「あははははは。「ひゃああああ!」だって。おっかしいい」

レッドもハルカもつられて笑っている。

クリスはため息。

店内にあるすべての視線は、宙に浮いているシルフィに釘付けだ。

「ハルカッ、それ!」

その中で大きな声をあげたのは、ハルかに「ナタリー」と呼ばれた女給だった。

ナタリーは「それ」を指差している。

「それ」とは無論シルフィのことだ。

「それ」呼ばわりされて、指を指されて、当然のことながらむっとしている。

罵声を浴びせようとして

「ただいま」

しかし聞こえた声はシルフィのものではなかった。

シルフィは拍子抜けした声のしたほうを見やった。

それは他の皆も同じで、皆玄関に顔を向けている。

そこには年のころ17,8の少女が鞄を持って立っていた。

透き通るような肌の白さと瞳の青さが目を引いた。

みなの視線を受けても彼女にはまるでひるんだ様子はなく、平静とあまり変わりない。

それでも『何?』と問いたげな表情ではある。

「お帰り、ラス」

そんな少女に声をかけたのはあの女給――ナタリーだった。

「ただいま。姉さん」

ラスはナタリーに言葉を返し、それから

「どうしたの?」

姉にともなく問う。

そう聞かれてもうまく答えられないナタリーは苦笑を浮かべる。

客たちもそうだ。

その中で苦笑を浮かべていないのは、レッド、ハルカ、クリス、シルフィだけ。

ラスの視線がふいと動いてその四人を見つけた。

得心がいったように

「ふうん」

と呟き

「珍しいお客様ね」

そういって笑った。

それはとても小さな笑みだったが、見るものの心に焼きつくような、そんな笑みだった。

しかし微笑みを残したあとには、もう四人?から興味をなくしたように、またもとの表情にもどり(はっきりいえば無表情)、店の奥へと向かう。

ナタリーのそばを通ったとき「姉さん、仕事」一言注意し(ナタリーは「あ、はい」と答えた)、厨房の奥に向かって「母さん。私もすぐに手伝うから」と声をかけ(厨房からは「一息ついてからでいいよ」と声が返ってくる)、さらに店の奥にある階段を上っていった。

いつの間にか店にはざわめきが戻っている。

シルフィに驚いてひっくり返っていた男も、いつの間にか元いた席に戻り酒を飲んでいた。

もう誰もシルフィに奇異の目を向けているものはいない。

皆さん、かなりの順応性の高さを持っているようだった。

自分に集まっていた注目がきれいになくなってしまって、シルフィは不機嫌極まりない。

原因はあの少女。

ラスと呼ばれた少女。

彼女がシルフィを見てもまったく驚かなかったから、きっと皆もそんなに驚くほどのことでもないと悟ってしまったのだろう。

「まったくもう……。なんなのよ、あの娘は」

それが面白くなくて、シルフィはぶつぶつもらす。

あの少女が消えた店の奥を思わず睨んでしまう。

クリスもまたシルフィと同じ場所に目を向けていた。

しかしシルフィと違いその表情はどこかゆるんでいる。

夢の中にいるような顔だった。

ぼうっとしたまま、レッド、ハルカ、どちらともになく、クリスは尋ねていた。

「あの子、誰なんですか?」

「ラス・メイ。ここの娘だ」

「ラス・メイ……」

クリスは今始めて聞いたその名を呟いてみる。

何かが胸の奥にすとんと落ちた気がした。

ラス・メイ……。ラス・メイ……。ラス・メイ……。

いつまでも呟いていたい響きが、その名にはあった。

「どうしたの、クリス君」

「いえ、なんでもないです――」

クリスは上の空。

そんなクリスにハルカは微笑む。

「もしかして恋しちゃった?」

クリスは耳まで真っ赤になる。

「ホントなの?!」

叫んでシルフィは激しく詰め寄る。

「僕にも分からないよ。こんな気持ち、初めてなんだから」

「なるほど、初恋か」

ハルカの言葉にクリスはまた真っ赤になる。

それを見てシルフィもまた叫ぶ。

「この浮気もの! 私というものがありながら!」

小さな足でクリスの顔を蹴る。

痛い、痛いよ。抗議しているとクリスの頭上から声がふってきた。

「ラスに恋したって? 少年。苦労するよ。あの子、そういうところは鈍いから」

見上げると一人の女給が立っていた。

「はじめまして。少年、妖精さん。久しぶり。レッド、ハルカ」

「ああ」

「久しぶり。ナタリー」

三人は知り合いらしい。

そういえば店に入ってすぐにハルカがこの女給に声をかけていたのだった。

「でもホント久しぶりよねえ。一月ぶりくらいじゃない?」

「もうそんなになる?」

「なるわよお。

仕事大変なんだねえ」

「うん、まあ、そうね」

「でも一言くらいは言っておいて欲しかったなあ。「行ってきます」とかね。全然店に来ないから、ああまたかあ、と思ったけどねえ」

「ああ、うん、ごめん。段取り悪くてさ」

「それにしたって薄情じゃない」

「まあ、何というか、いつものことだから」

「やっぱり薄情ねえ。そんなんじゃあ友達なくすよお」

「でもナタリーは友達でいてくれるんだよね」

「まあ、そうだけど。でも人の厚意に甘えてばかりでもいけないと思うのよねえ」

「ごめん」

「レッドにも言えることよ。「俺は関係ない」みたいな顔してるけど」

「え? レッドからも何も聞いてなかったの?」

「うん」

「どうしようもない男ね。相変わらず。一言くらいあってしかるべきでしょうに。恋人なんだから」

「そうよねえ。それでも待ってる私っていい女よねえ? 感謝してよ、レッド。こんないい女、他にいないわよお」

「そうだな」

レッドが声を返すとは思っていなかったのだろう。

ナタリーは口をぽかんと開けて言葉をなくし、うつむいた。

うつむいたナタリーの頬はほんのり赤い。

ゆるむ頬で思わず笑みが漏れる。

「ふふ」

「はいはい、ご馳走様」

げんなりした様子でハルカが呟く。

すぐにいつもの調子を取り戻すと

「クリス君。彼女はナタリー・メイ。ラスのお姉さんよ」

「は、はじめまして」

「ナタリー。この子はクリス・バード君。ラスに恋しちゃった少年」

「ハルカさんっ」

真っ赤になるクリスに、ハルカは意地悪く聞く。

「えー、違うのお?」

「だから、それは……。だって、こんな気持ち初めてだから……」

「なるほど。初恋か」

クリスはまた真っ赤になる。

「ナタリーさんまで……」

「でも、そうなんだよ、少年。その証拠に――」

言葉を切ると、ナタリーはクリスの肩越しを見やった。

「あ、ラス。ちょっとこっちに来て」

途端にクリスの顔は、火の出そうなほどに真っ赤になる。

「嘘だよ」

そんなクリスにナタリーの声。

固まっていた少年は思わず聞き返す。

「え?」

「嘘。ラスはいないよ。今頃は自分の部屋でゆっくりしてるんじゃないかなあ」

「え?」

「でも分かったでしょう、自分の気持ち。そういう気持ちを「好き」って言うのよ」







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ