その19
ラスとクリスとシルフィの三人は、今はもう街道を進んではいない。ラスに言われるまでもなく、行く先々で、指をさされ、ひそひそと声を交わされるのを見れば、クリスたちもさすがに目立ちすぎると思うようになったし、それに行き先がとりあえずはクリスの故郷と決まったからには、街道を往くよりも、森を進んでいったほうが早かったからだ。無論森の中の移動になれていないものには逆に倍の時間がかかることになっただろうが、幸いクリスは森に慣れている。それに『森と風の妖精』シルフィ・シルフィーナが一緒にいるのだ。めったなことが起こるはずがなかった。
シルフィは本来の居場所に戻り、いつにもまして生き生きとしていた。ラスも森のなかを一日中歩き夜を明かす、という初めての経験のためだろう。珍しく興奮しているように見えた。クリスは、ラスの新たな一面が見られたことがたまらなくうれしい様子で、森の中にはいってからこっち(いや、ラスと町を出てからずっとなのだが)いつもニコニコしていた。
ちょっとした非日常――少なくともあの町にいては体験することのなかった日常――が、ラスを饒舌にしていた(と、いってもやはりラスはラスに違いなく、シルフィのように舌に油が塗られたようによく喋る、ということはなかったが)。
クリスの故郷って、どんなところ。
いいところだよ。とてもいいところ。あるのは自然ばかりで町の生活に慣れたラスには不便かもしれないけど、でもやっぱりいいところだよ。
それにとっても食べ物がおいしいのよ。野菜も果物も採れたてでとっても新鮮。ラスもきっと気に入るわよ。
そうね。
短く答え、ラスは微笑む。その微笑はクリスを幸せにさせる。
どこか遠慮がちな微笑――自身の内側からこぼれでる、喜びとか嬉しさとか楽しさとか、どうにも抑えられない感情が漏れ出ているようなラスの笑顔。
もっと見たい。クリスは思う。ラスの笑顔をもっともっとたくさん。これからも一緒にいられるのなら、その願いはかなうだろう。
クリスも笑顔になっている。シルフィだけ面白くなさそうに唇を尖らせている。今まで独り占めしていたのにこれからはそうも行かなくなった。クリスはラスに夢中だ。
***
おそらくもう街道を進んではいまい。森の中だろう。――デューンたちのその推測は当たったわけだ。しかし肝心のラス・メイの姿をまだ見つけてはいない。
「本当に大丈夫なの?」
だがハルカが不安を口にするのも無理はなかった。かみの目を持たない彼らには、自分たちの選択が間違ってはいない、ということがわからないのだから。
「これでもしラスたちが、街道を進んでました――なんてことになってたら、私たちただのバカの集まりってことになるわよ」
前を歩くレッドに向けた言葉は厳しい。ハルカの隣でケイも同意するように頷き、不安に揺らぐ視線をレッドの背に向ける。対して男性陣は(いや、ケイも男子なのだが)、不安とはまったく無縁の様子だった。
「それはないだろう。目撃情報が途絶えたということは、ラスたちを見かけたものがいなくなったということだ。つまり、ラスたちが街道を進んではいないということだ。さすがに目立ちすぎると気付いたんだろう。妖精と一緒にいればな、それは目立つだろう」
「そうとは限らないでしょう。シルフィさえ姿を隠していれば目立たないってことでもあるじゃない?」
「姿を隠す? あの妖精がか?」
逆に問われ、しばらく考えた後、ハルカは答えた。
「しないか、やっぱり」
「あの、でも……」
ケイはシルフィのことを三人の大人たちから事前に聞いていたわけではないので、今ひとつ会話の意味を理解できないながらも、問いかけていた。
「ラス様たちがそんなに目立ったのなら、どうして私たちは見つけられなかったんでしょう。あんなにたくさん、ラス様たちを見た、という人がいたのに」
ハルカは、その答えはレッドが知っていると言わんばかりに、レッドに視線を向けた。デューンにも答えようはないので、彼もレッドを見る。レッドは答えた。
「おそらくシルフィの仕業だろう。妖精の力、というわけだな。無論これは俺の考えで本当のところはわからないがな。しかしそうでもなければ説明はつかんだろう」
「妖精の力、か……。早く会いたいな」
夢見るようにデューンが呟く。
「ラスを見つけたら嫌でも会えるわよ、一緒なんだし」
「そうだね。早くラス・メイを見つけないと」
デューンの言葉に、レッド、ハルカ、ケイは三者三様に頷く。しかしそこに使命感といったものはまるでない。なるようになる、と悠長に構えている様子だった。
だからラス・メイの後姿さえ捉えることも出来ず、森の中で夜を明かすことになっても、誰一人、不平も不安も口にしなかった。むしろ訪れたこの状況を出来るだけ楽しんでしまおうとしているようでさえあった。
デューンは集めた枯れ枝で火をおこしている。ケイはちゃかりと用意していた、水に戻して食べる穀物と干し果物を水を張った鍋にあけて(この鍋はケイが屋敷から持ってきたものだ。大荷物を背負っていると思ったら、調理道具一式を用意していたのだ。ちなみに水は、近くに流れている小川から汲んできた)、食事の準備をしている。レッドとハルカはまだ明るいうちに仕留めておいた鳥をさばいている。さばいた肉を木の枝を削った串に刺している。
小一時間すると、食事の時間になった。
今夜のメニューはおかゆ(水で戻した穀物を程よく炊いたもの)、干し果物の焚き物(こちらも調理方法は同じ)、鳥の串焼き、である。ケイは火にかけてある鍋の中から椀におかゆをよそい各々に配る。干し果物の焚き物は各人で自由にとって食べれるように大皿に盛ってある。鳥の串焼きは火の回りに串ごと勢いよくぐさりと刺してある。最後のケイが自分の分のおかゆをよそったのを確かめるとデューンが音頭を取る。
「それじゃあ頂こうか」
皆いっせいに手を合わせた。
「いただきます」
そしてめいめいに食事に取り掛かる。
おかゆを一口食べてハルカは嬉しそうに頷く。
「うん、おいしい。このほどよい塩加減がちょうどいいわね」
「ありがとうございます」
ケイが頭を下げる。もちろん調味料も食器たちと一緒に鞄に詰めていた。
「この干し果物もうまく炊けている。柔らかすぎず硬すぎず絶妙だ」
レッドに褒められまた頭を下げるケイにデューンは笑顔を向ける。
「本当にケイに来てもらって良かったよ。森の中でもこんなおいしいものが食べられるんだからね。それにこの串焼きもおいしい。肉汁が甘い。こんなにおいしいとは思わなかったな。実は少し心配だったんだ」
「失礼ね」
膨れて見せるハルカ。レッドは笑う。
「ははは。まあ、そうだろうな」
「でも本当においしいです」
鳥の脂で口元を光らせているケイに、レッドもハルカも微笑んでしまう。
「いいわね。こういうの」
ハルカがぽつりと漏らす。
「ああ。目的を忘れてしまいそうになるな」
「それは困るよ。僕は今度こそ妖精に会わなきゃならないんだから」
「あの……ラス・メイ様を見つけることが先決なのでは」
「そうだけどね。僕にとっては妖精に会う事のほうが重要度が高いんだよ。でも、ま、ラスに会えば妖精に会えるわけだから問題ないけどね」
「その通りだが、もう少し建前というものも気にしたほうがいいと思うぞ」
「努力はしてみるよ」
「そんな気無いくせに」
デューンは肩をすくめてみせた。レッドは小さな苦笑を交えながら言った。
「やれやれだな」
そんなやり取りがおかしくてケイはくすりと笑ってしまった。