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その14

「君の家には今、妖精がいるそうじゃないか。ぜひ一度会わせてもらいたいんだけど」

そう聞くつもりで、授業が終わったあと、ラス・メイに声をかけたのにあんなことがあったためにすっかりそのことを忘れていた。

それもこれもあのイグニスのせいだ。

デューンはそう思っていた。

何故、よりによって昨日だったんだ。いや、そもそも学校に来なければならない用件だったのか? まるで待ち伏せでもするように。嫌がらせか?

もちろんこんな考え方は八つ当たり的なものでしかないことはわかっているが、イグニスに対する個人的な感情もあって、どうしても彼を責めたくなるのだ。

非生産的な思考はここで終わりにする。今日、忘れずにしっかりとラスに尋ねればいいだけにことなのだから。

職場に向かうに当たり、デューンが第一に考えたことがそれだった。仕事への熱意ある態度とはとてもいえない。だから罰が当たったのだ、と思うほどデューンは信心深くはないが、彼がこれから前日よりも嫌な思いをすることは確かだった。


「デューン先生」

事務員が駆けてくるのを見たとき、デューンはなんともいえない居心地の悪さを覚えた。嫌な予感がする。今すぐここから離れたい。回れ右しようかどうしようか迷っているうちに、事務員はデューンの目の前にやってきてしまった。

「おはよう、リン。どうかした?」

デューンが事務員に向けた笑顔は、彼の内心を隠すに十分なものだった。リンはデューンの笑顔にドギマギしながら、あわてて挨拶を返したあと、歯切れ悪く続ける。

「あ、おはようございます、デューン先生。……それでですね、あの、大神官様がお見えになっているんですが……。校長室でお待ちになられています」

デューンの笑顔が消えることはなかったが、リンは知っている。デューンが大神官――つまり、腹違いの兄に苦手意識を持っていることを。

「わかった。ありがとう」

笑顔のままデューンは頷いた。確かにそれはリンが考えたようにデューンの内心を隠すための笑顔である。だがデューンが義兄に抱いている感情は苦手、などという甘いものではなかった。嫌いなのである。大嫌いなのだ。ルマ・ヤダイ・オーランという存在そのものが。

確かに最初は苦手意識、という程度のものだったかもしれない。だが今や「出来るならこの先一生顔を合わしたくない」という悪感情にまで急降下していた。理由はもちろんあるだろう。それは二人の肩書きだ。

大神官と大神官補。

腹違いとはいえ、実の兄弟という関係が、彼らの関係を悪いほうに押しやったといえる。みなの手前、デューンはどうしても兄に本音を告げることが出来なくて、代わりに、本心を隠した笑顔を向けるしかなかった。その無理が重なりに重なって、どうしようもない悪感情を、兄に抱くしかないようになってしまった。

子供に言い訳のようにも聞こえる。

そのことをデューンは自覚している。

自覚していてさえ、結局はどうにもならないのだ。

自分の本音を殺してまで、誤解を解こうとは思わない。兄との関係を修復しようとは思わなかった。

結局は、そういうことなのだ。

デューンは、今、目の前にいる、ルマ・ヤダイ・オーランという男が嫌いだった。

それは大神官とて同じだった。

ルマもまた、この、腹違いの弟を嫌っていた。

デューンが自分を嫌っていることは感じられたし、そんな相手を好きになれるはずもない。もっとも初対面の時から「へらへらとした若造だ」とよい印象は受けなかったのだが、それが覆ることはなかったということだ。

「一体どうしたんです。大神官自らお越しになるなんて、それほど大切な用件があるのですか? 私に」

笑顔のままで、デューンは十歳年上の、腹違いの兄に尋ねた。

弟の笑顔は、ルマには薄ら笑いにしか見えない。蔑むような視線を向けて、とげとげしい声を返す。

「見当もつかんのか」

「ええ、思い当たりませんね」

「ふん」

デューンの返事に、彼を馬鹿にしたように鼻を鳴らしたのは、ノード・イグニスだった。

大神官――ルマ・ヤダイ・オーランだけでなく、イグニスもこの場に居合わせていたのだ。さらに言うなら、トラーニ・トラン-―昨日紹介された教団の使者も、この部屋でデューンを待っていたのだ。だから本当は、彼らが何のためにここにいるかは見当はついていた。昨日の話しの続きでもしたいのだろう。当事者のラス・メイを呼ばないのは、彼女に聞かせるまでもない話なのか、聞かせたくない話なのか。そう思いこんでいたから、その言葉を聞いたとき、デューンは少しばかり驚いた。表情に出るほどではなかったが。

「ラス・メイのことだよ」

イグニスが言った。

「あの娘が姿を消したのだ。今のところ、町のどこを探しても見つからん。町を出た可能性が高い」

「それは……」

としかデューンは言葉を返さなかった。

はっきり答えないデューンにイグニスは大きく舌打ちした。蔑む態度をもう隠そうとはしない。

「心当たりはないのか」

ルマの声はやはりとげとげしい。その態度は高圧的。デューンは気にしなかった。柔和な態度をとられても、気持ち悪いだけだ。

「ええ、ありません。残念ながら」

そう答えてから、思わず口を滑らしてしまう。

「しかし、よほど嫌だったんでしょうね」

教団に行くのが。という言葉は口にせずにおいた。さすがにまずいと思ったのだ。が、手遅れだったらしい。

「口を慎まんか!」

ルマの一喝が飛ぶ。明らかな失言だったと自覚しているので、デューンは素直に頭を下げた。

「申し訳ありません。失言をお許しください、トラン殿」

「いやいや」

トラーニ・トランはそれほど気にした様子もなく手を振る。気にしているのはこの国の人間のようで、ルマとイグニスは、デューンを睨み付けていた。

「事情はわかったな、デューン」

ルマはさっさと要件を済ませることにしたらしい。頷いたデューンに、やはりとげとげしい声で命じる。

「では、デューン。ラス・メイを捜索、発見、捉え、傷つけることなく無事に私のもとに連れて来い」

すぐに答えないデューンに、イグニスが蔑みの声で言って聞かせる。

「すべては大神官補殿、あなたの責任なのですよ。あなたがラス・メイの自主性などを尊重して、彼女に時間を与えたばかりにこうなってしまったのですからね。当然その責任は負うべきでしょう」

むちゃくちゃな理屈だな、とデューンは思った。彼はただラス・メイに考える時間を与えるべきだと提案しただけである。この国の代表として教団に赴き、そこで勉学に励む、そしていづれはこの国と教団の橋渡し役として大きな責務を負うことになる、そんな重大事をその場で即答させようとするほうがおかしい。だからと言ってイグニスに責任があるとはもちろん思っていない。姿を消したのは他ならないラス・メイ自身だから、その行動にはラス自身が責任を負うべきなのだ。

もちろん責任の擦り合いなど無意味なことはしない。デューンに責任があるというのならそういうことにしておけばいい。

「わかりました。ではすぐに準備します」

デューンは反論することなく素直に頷いた。ルマとイグニスがさっさとこの茶番じみた時間を終わらせようとしたように、デューンもまたそうだったからだ。退室するために二人に背を向ける。そこへルマの声が聞こえた。

「あの二人を使うのか」

デューンは振り向き、頷く。

「ええ」

「ふん、どこの馬の骨ともわからん連中をお前はよく平気で――」

デューンはルマに最後まで言わせなかった。彼はルマをまっすぐに見つめながら言った。

「お言葉ですが、大神官殿。私はこの二人より信頼できる人間を知りません」

ルマはデューンを睨み付ける。デューンも視線をそらさない。しばらくの後、ルマは忌々しげに鼻を鳴らした。

「ふん、もういい。行け」

「はい」

デューンは頭を下げて今度こそ部屋を出る。

「ふう」

扉を閉め、ルマたちの視線が届かぬようになると、知らず知らずデューンは溜息をついていた。疲れるよ。胸中で呟く。ふと顔を上げると心配げな顔でリンが立っていた。

「リン、どうかした? まさか様子を窺ってたの? いけないな」

「違いますよ」

リンは赤くなってデューンの言葉を否定してから

「先生のことがちょっと心配で。なんだか大神官様、すごく怒られている様子でしたから」

「まあ、確かに」

デューンは苦笑する。

「ちょっとしたお小言は頂戴したけどね」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫だよ。それより、リン。ちょっと急用が出来てしまってね。今日の授業は出られなくなったんだ。いや、今日から、かな」

「え?」

「大神官様のご命令でね。何より優先しなければならないんだ」

「どういうことですか?」

「まあ、詳しくはイグニス殿に聞いてくれないかな」

「え?」

リンの声も表情も、彼女のイグニスに対する印象を素直に表していたので、デューンは思わず笑ってしまった。

「はは。イグニス殿も嫌われたものだな」

「いや、これは、その」

目の前でおたおたと慌てて手を振るリンに、デューンはまた笑ってしまった。


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