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その13

「時間が来たら迎えに行くから」

ラスに耳打ちされ、クリスは、ひゃんっと声を上げそうになった。

ラスの囁き声が耳たぶをなでで、こそばゆかったのだ。

ラスが不思議そうにクリスを見ている――。


そのときの様子を思い出すと、クリスの頬は自然とゆるむ。

自分より四つも年上の女の子をかわいいと思ってしまう。

いつラスが迎えに来るともわからないので眠らないようにしているが、あのときのラスを思い出すだけで顔は火照り、胸は高鳴り、眠気を堪える必要もなく、寝付けるものではなかった。

そのはずだったが、時間が経てばやはり眠くなる。

しかし眠るわけにはいかない。

クリスは羊を数えることにした。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹。羊が四匹、羊が五匹、羊が六匹、羊が七匹、羊が八匹、羊が(中略)百五十三匹――。

百五十四匹目の羊が柵を超えようとしたとき、控えめにドアをノックする音があった。

半分眠りかけていたクリスだったが、その音ではっと目を覚ます。

あわててベッドから抜け出す。

その勢いのままドアまで駆け寄ってノブをまわす。

「ラス」

目の前に立っている少女の名を呼ぶ。笑みがこぼれる。

ラスはいつもの静かな表情のまま、クリスが、確かに彼女の知る少年であることを確認するように、彼の上にしばし視線を置いたあと、

「いいの?」

「うん」

クリスは頷く。いまさら迷うはずはない。

クリスは部屋を出る。

二人は静かに階段を下り、静かに食堂を横切り、静かに玄関の扉を開け、そっと外に出る。

月は西の空。

星星の小さな瞬きは数え切れない。

二人は空を見上げることもなく、足音を立てないように、メイ家から足早に遠ざかる。

ラスは無言で歩を進める。

クリスは黙って後についていく。

しばらく経って、メイ家がどこにも見えなくなってからラスは立ち止まる。

振り向き、クリスをじっと見つめる。

「今ならまだ間に合うかもしれない」

「え?」

「少しでも迷いがあるのなら、帰って」

「あるわけないよ」

クリスは即答した。

「ラスト一緒にいられるんだから、そんなのあるわけないじゃないか」

クリスは顔を赤くしながらも続けた。

「そう」

ラスは小さく頷く。

「じゃあ、いいのね」

「うん」

クリスはしっかりと頷いた。

「シルフィも」

「いいわよ」

「え?」

ラスの言葉とそれに答えた声に、クリスは驚き振り返る。

頭上五cmのあたりを、ふわふわと見覚えのある姿が浮かんでいた。

「シルフィ……」

クリスは呆然と呟く。

「いつの間に……」

「遅いわよ」

クリスが部屋を出るときからその頭上にいたというのに、やっと気付いたクリスに、シルフィは呆れ声を返す。一転、その口調は鋭さを増し、

「私をおいてどこに行こうっていうの、クリス。しかもラスと二人でなんてさ。私がそれを許すとでも思ってるの。そんなわけないでしょ」

「ごめん、シルフィ。でも……」

クリスはラスの様子を窺う。ラスは、クリスのようには驚いていなかった。当然だ。彼女は最初から気付いていたのだから。シルフィも一緒に来るのだとしか考えなかったから。

「何?」

「うん、その、大丈夫なのかなって……」

「私を連れて行っても平気なのかってクリスは聞いてるの」

シルフィの通訳を聞いて、ラスは静かに頷いた。

「平気よ、問題ないわ。でも町を出るまでは静かにしていて」

「うん、わかってる」

「はいはい」


   ***


前方に見える門をくぐれば町を出ることが出来る。

ラスに気の急いた様子はない。歩を早めることもしない。静かに門に向かう。

クリスと、今は彼の肩に腰かけているシルフィも、急ぐこともなく後をついていく。と、ラスが立ち止まる。

「隠れて」

言ったかと思うと、近くの物陰に身を隠す。クリス(とシルフィ)も慌ててあとに続く。

建物の影に一塊になった三人。クリスとシルフィが見守る中、ラスがぽつりともらした。

「おかしいわ。人がいるなんて」

「へ?」

クリストシルフィの声が重なる。

「なぜかしら」

不思議そうに呟くラスに、二人は困惑するしかない。

「一体何のことよ」

問いながら、シルフィはラスの視線を追い、彼女が見ているだろうものを見る。

門の傍らにある小さな小屋、それは警備員のための詰め所だろうが、なるほど確かに人がいる。しかしそれを見て取ることが出来るのはシルフィが妖精だからだ。人の視力では、あの、点にしか見えないものを、人と見てとることは出来ないのではないだろうか。最も、驚くほど目のいい人間というのはいるもので、そんなに驚くほどのことではないのかもしれない。

「ラスって目がいいのね」

シルフィは感心する。クリスも何とか二人の見ているものを見ようと眉間にしわを寄せ目を細めているが、見えてはいないようだった。

「で、それがどうしたの?」

「困るの」

「へ?」

クリスとシルフィの声がまた重なる。

「だってあの前を通らないと門を出ることは出来ないのに、あんなところに人がいたら見つかってしまうわ」

「まあ、それはそうよね」

「困ったわ」

ラスは静かに呟く。言葉とは裏腹に、それほど困惑しているようには見えない。

どうやらラスはこの町を出たいらしい。それも、誰にも知られることなく。だから真夜中を過ぎたこんな時間を選んだのだろうし、だからまっすぐに門を目指して歩いてきたのだろう。しかし門番がいることに驚いている。守衛の仕事は、日中の人々の往来の監視ばかりではない。不審者の出入りを防止する務めもあるのだ。だからもちろん二十四時間三交代勤務である。たとえ真夜中でも守衛がいるのは当然だった。

ラスの驚きと困惑はちょっとずれているわけだ。しかしだからこそラスの意図が知れる。

真夜中を過ぎた時間には、さすがに門の出入りを見張る守衛もいなくなるはずで、だから誰にも見咎められず町を出ることが出来る。ラスはそう考えていたのだろう。いや、考えていた、といっていいのだろうか。そうではなく、何も考えていなかった、としたほうが正解かもしれない。

「はああああ」

シルフィが呆れて溜息をつく。行動は大胆なくせに計画性のかけらもない。

ラスを見ると「どうしようかしら」と呟いて、彼女なりに困惑はしているようだった。

クリスの様子は?と見ると一体何が起きているのかまるでわかっていないのだろう、ぽかんとしている。

「はああああ」

シルフィはまた長い溜息をついた。人間たちはどうにも頼りにならない。

「はあああ、仕方ないわね。私が何とかしてあげるわよ」

「どうするの?」

ラスがシルフィを見る。

「まず礼を言いなさい」

「ありがとう」

「心がこもってない」

ラスを叱り付けるが、ラスは不思議そうにシルフィを見返すだけだ。シルフィはまた溜息をつく。はあああ。

すぐに気を取り直すと、先のラスの質問に答える。

「つまり私が妖精である証を見せてあげようってこと」

「意味がわからないわ」

「僕も」

「ああああ、もう、うるさい。私に任せておけばいいの!」

強く言い切ると、その勢いのまま宙に浮く。クリスとラスが見守る中、二人の頭上で静止すると、普段のシルフィからは想像できないほど神妙な面持ちになる。目をつむる。祈るように胸に手を当て人間たちには意味を成さない言葉をつむぎ始める。

不思議な声だった。

森の中にいる――目をつむれば、そう錯覚してしまいそうな声。

その声が肌に触れると、まるでそよ風に撫でられているかのような――。

その風には緑の匂いがあって、胸いっぱいに吸い込むと、柔らかい日差しを浴びているような心地よさが全身をめぐる。

潮騒が引くように、妖精の声がやんだ。

クリスとラスは、はっと目を開けた。

いつの間にか二人はうっとりと目をつむっていたのだ。まだ夢の中にいるかのような二人が見守る中、ゆっくりとシルフィが降りてくる。クリスの肩に腰を下ろすと思わずもらす。

「はあ、疲れた」

一息つきたい様子のシルフィに、ラスは尋ねた。

「今のが『妖精の証』?」

「そういうこと。ちょっと『ちから』を使ったの。すごいもんでしょ」

「ちから……? 僕たちに何かしたの?」

「もちろんそうよ。わかりやすく言えば、魔法をかけたってところかな。私たちは今、誰の目にも見えなくなっているのよ。気配も消してある。でも声は立てないように気をつけてね。念のために」

そう簡単には信じらないようで、クリスは疑わしそうに

「ホントかな?」

「疑うとこの魔法、解けるから」

即座に返すシルフィに、クリスは押し黙った。

「声を立てなければいいのね」

クリスとは違い、ラスはシルフィの言葉を全面的に信じているのか、その声にはただ事実を確認する、という意味合い以外は含まれていないようだった。

「ええ、そうよ。出来るだけ静かに移動するのがコツね」

「わかった」

ラスは頷くと、物陰から身をさらす。

「じゃあ行きましょう」

何のためらいもなく門に向かっていく。シルフィは満足そうに笑う。「ほら、クリスも」少年をせかす。クリスも慌ててラスの後を追う。

門は目の前。

二人はゆっくりと歩を進める。当然、隠れるものなどないので、詰め所内の守衛からは丸見えだ。しかし彼らに変化はない。慌てて外に出てくる様子はない。シルフィの言った通りだった。

(本当だ、見えてないみたい。すごいよシルフィ)

(当然よ)

(しっ!)

ひそひそ言葉を交わしながら、三人は詰め所の前を通り過ぎる。門をくぐり向けて、ついに町の外に出た。

門からかなり離れたところでようやく緊張を解く。

「やったね。ラス」

「……ええ」

ラスは頷いたが、無邪気に喜ぶクリスに比べると、どこか割り切れない様子でいる。

それも仕方のないことだろう。ラスが町を出なければならない理由はわからないが、人知れずに町を出る、ということは、誰にも別れを告げずに、彼らの前から姿を消す、ということなのだ。そしてこの町にはもう戻ってこない。彼らとはもう二度と会わない、ということなのだ。ラスにとっての家族――マリエともナタリーとも、もう二度と会えない、ということなのだ。

ラスの気持ちをそんなふうに思いやったのはシルフィで、クリスは元気のないラスを不思議そうに見つめているだけだった。 シルフィは溜息をついてから、ラスに声をかけた。

「それでこれからどうするの。行く当てとかあるわけ?」

「ないけど」

「あのね……」

ラスの即答にシルフィは呆れる。

「無計画ってわけ……。 クリスと同じね……」

「えへへ。――ごめん」

なぜか照れるクリス。

シルフィは溜息をついた。

まったく、人間たちは頼りにならない。

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