その10
ナタリーが帰ってきたのはずいぶんと日も高くなったころだった。
自分も客であるかのように何食わぬ顔で店に入ってきた。
多少の危なっかしさを伴いながらも、てきぱきと仕事をしているクリスを見つけると
「おお、やっとるな。少年」
「お帰りなさい。ナタリーさん」
挨拶を返しながらも、クリスは仕事の手を止めない。
「うん。感心感心」
頷くナタリーに向かって、怒声が飛んできた。
「何が「感心感心」だい。バカやってないでお前もさっさと働くんだよ。でなきゃくびだよ」
それは困るなあ、などとぼやきながら、ナタリーは店の奥に引っ込む。
制服で現れると、遅まきながら仕事に取り掛かる。
客足も減り一段落したので、ナタリーとクリス(とシルフィ)は店の奥で小休止をとっている。
なぜかもじもじとして、ナタリーの様子を窺っているクリス。
何か尋ねたい様子でいるが、ナタリーは知らんふりをする。
「おそろいだね。制服」
ナタリーが言ったのはそのこと。
クリスは困ったように笑う。
「僕はいやだって言ったんですけど、みんなが着ろ着ろって」
「いいじゃない、似合ってるんだから。かわいいよ」
クリスは苦笑するしかない。
クリスはナタリーとおそろいの制服を着ている。
つまりは女物だ。
スカートなのだ。
さすがにスカートの下には自前のズボンをはいているが、やはり抵抗はあった。
その制服姿が、従業員のお姉さま方には大変好評で(ズボンをはいたときには溜息をつかれたが)、お客さんたちにも受けが良かった。
もちろんクリスの心中は複雑だった。
「うん。かわいいかわいい」
ナタリーにそう言われても困ってしまうのだ。
素直に喜べないし、だからといって怒るほどでもない。
苦笑するしかなかった。
もちろんナタリーは、クリスの気持ちは承知の上で少年をからかっているのであるが。
だがそれが少年の反抗心を刺激してしまったのだろうか。
思いもかけないことを尋ねられ、今度はナタリーが困ってしまう事になった。
「ナタリーさん、昨夜はレッドさんと一緒にいたんですか?」
「ええっ!?」
なんて事を聞くんだ! と真っ先に思った。
この少年、見かけによらず耳年増なのか?
「ど、どうしてそんなこと聞くの?」
「マリエおばさんがそうだって言ってたから……」
「いや、そういう事じゃなくてね……」
ナタリーが何を慌てているのか、クリスには分からない。
「レッドさんに会いたいんですけど、どうすれば会えますか?」
「ええええ!? レッドに会う!?」
「あ、は、はい」
ナタリーが何故そんなに驚くのか、クリスには分からない。
「ど、どうして?」
「もう一度きちんとお礼が言いたくて」
「あ、な、何だ。そう、そうなの」
クリスはきょとんとする。
邪推されていたとは思いもしない。
ナタリーは密かに自分の行為を恥じながら
「君の様子を見にそのうち向こうから来ると思うよ。なんだったら私がレッドに伝えといてあげる。でも今日は無理みたい。大切な用事があるって言ってたから」
「そうなんですか」
「うん。そうなの」
ナタリーは笑顔で答えた。
なんだかわざとらしい笑顔。
クリスの肩に座ったまま、にたにたと笑っているシルフィは無視した。
***
デューン・シス・オーランは『大神官補』である。
文字通り、『大神官』の補佐がその勤めだ。
大神官とは、この国の意思決定機関のひとつ『大神殿』の長だ。
その大神官を支える大神官補という役職。
一見、重要なポストのように思えるが、そうではなかった。
デューンのために作られたポストなのである。
名ばかりの、有名無実な役職だ。
おそらくこの先『大神官補』という役につくものはデューン以外いないだろうし、歴史に名を残すこともないだろう。
しかしデューンの肩書きがどうであれ、レッドとハルカにとっては彼は雇用主だ。
しかも金払いの良い雇用主。
それで十分だった。
「それで、どうだった。噂の真偽のほどは?」
身を乗り出すデューンにハルカは冷たく答えた。
「残念ながらただの噂。教団支部なんてどこにもなかったわ」
「そうか」
デューンは肩を落とし、溜息をつく。
デューンのあからさまな落胆振りに、ハルカは
「そんなに残念?」
「いや、そうでもないんだけどね」
「どっちなのよ」
頭を抱えてしまう。
「でも、火のないところに煙は立たないって言うだろ。教団支部なんて噂が立ったぐらいだから、火元ぐらいはあったんじゃない?」
「それはお前の言う通りだ」
答えたのはレッド。
「教団信者の数はかなりのものだな。信者の数に比例して信心の深さも大したものだ。彼らをまとめる者が現れれば、確かに支部と呼べるほどのものが出来るだろうな。もっとも真似事をしている連中ならすでにいたが」
「へえ、それは興味深いね」
「話すほどでもない。お山の大将を気取りたいだけの金持ちのどら息子、てところだ」
「ふーん」
さらに追求するかと思いきやそうはせず
「でも不思議だね。フラングールといえばとても豊かな国だ。国民の生活レベルも高いと聞いてる。何かにすがる必要なんてないと思うんだけどな」
「だからこそ、かもしれん。豊かだからこそ精神的にも満たされたいのだろう。人の欲望には果てがない、といったところか」
「難儀なもんだね」
「そうだな」
軽く嘆息するデューンに重々しく頷くレッド。
ハルカは男二人の会話には加わらず、お茶を飲んでいる。
「このお茶、おいしいわね。おかわりある?」
話がひと段落ついたと見ると、カップを両手に包みながら、デューンにたずねる。
「あるよ」
デューンは机に置いてあった呼び鈴を振った。
チリンチリン。
待つほどもなく部屋の扉が開いた。
「失礼します」
カートにお茶道具一式を乗せて、使用人が一人入ってきた。
年のころは12,3歳。
まだ仕事に慣れていないのか、所作はどことなくぎこちなく、表情も硬い。
が懸命であることは分かる。だからその頼りなさが、好意的に映る。
お茶のおかわりを入れてくれた事にハルカはメイドに礼を言い、それから呆れた様にデューンを見る。
「また新しい子を入れたのね」
「うん、そうだよ。
ああ、そうだ。ちょうどいい機会だし、紹介するよ。
この子はケイ。二人とも、仲良くしてやって欲しい。
ケイ。こちらの二人はレッド・テッドとハルカ・エア」
使用人は頭を下げる。
「はじめまして、ケイです。よろしくお願いします。
お二人のお噂は聞いております」
「ああ」
「はじめまして。よろしく」
レッドとハルカも軽く会釈を返した。
それからハルカは不躾に、ケイを上から下まで眺める。
「ずいぶんと若い子ね。そういう趣味だったの?」
趣味云々が何を意味しているのかわからないので、それは聞き流す。
「イレナ様の紹介でね」
断るに断れなかった、とは口にしない。
それをすれば傷つくものが約一名、ここにいるからだ。
だがレッドはそんな気遣いをしない。
「また面倒なことを引き受けたな。大神官殿の不興を買うだけだろうに」
「まあね。でも慣れてるから」
デューンは笑って答えた。
この国には二大勢力がある。
王族と官族だ。
(中略)
大神官、とはもちろんデューンの異母兄――ルマ・ヤダイ・オーランのことである。
そしてデューンが先に口にした「イレナ様」というのは、イレナ・ビナースのこと。
現女王の側近中の側近とみなされている女性だった。
つまりは王族だ。
王族と官族は対立している。
それは表立ってのことではないが、互いに反目しあっているのは周知の事実だった。
そういう関係であるから、仮にも官族であるデューンが王族と接触を持つ、子供とはいえ王族の関係者を雇い入れる、ということによい感情を持つ官族は皆無だった。
しかし面と向かってデューンを非難できるのは、大神官だけだ。
「じゃあ、この子も王族なの」
イレナ・ビナースの紹介ならば彼女の遠縁の者であると考えたのだ。
デューンの答えははなはだ頼りないものだった。
「そうじゃないかな」
「おいおい」
レッドは呆れる。
「いい加減だな。身元くらいは確認しろ」
「あなたが言えた義理じゃないんじゃないの、レッド」
「それもそうか」
ハルカの言葉に、レッドは自嘲した。
身元を保証するものが何もない、という点ではレッドも一緒だったからだ。
もっともイレナの紹介なのだったら、この使用人の身元はしっかりとしたものだろうが。
単にデューンがそういったことを気にしない、大雑把な性格ということなのだが。
「でも本当にあなたは面倒事が好きよね、デューン。厄介事の種をそばに置いておくんだから」
「そうかな」
「そうよ。仮にもあなたは官族、それも『大神官補』なんだから」
デューンは困惑気味に
「でもケイはいい子だよ」
「それはこの際関係ないの」
乱暴な物言いだが、ハルカの言うとおりだった。
王族と官族が互いを敵視しあうのは、王族が王族であり官族が官族であるからだ。
そこに、個人、というものの入る隙間はない。
デューンとて、もちろんそれは分かっている。
しかし彼は強情に言い張る。
「でもケイはいい子だよ」
「ええ。そうでしょうとも」
ハルカにデューンを非難するつもりはない。
ただ呆れているだけだ。
二人のやり取りに、肩身の狭い思いをしているだろうケイに、デューンは優しく声をかけた。
「ケイ。ハルカの言うことなんか気にする必要はないからね。ずっとここにいてくれていいんだよ」
「デューンさま……」
デューンの優しい言葉に、ケイは頬を染める。
メイドのそんな様子に、ハルカはまた意地悪を言い出す。
「嫌味を言われるだけじゃすまないかもよ、デューン」
怪訝な顔でハルカを見返すデューン。
「よくない噂も立ちそうじゃない」
「噂?」
「そう。
『大神官補はあろうことか己の立場を利用して年端も行かない使用人の少女に夜毎奉仕をさせている』
――とかね」
ハルカはにやりと笑う。
言葉の意味が分からないとでも言いたげに、彼女を見返すデューン。
ハルカが何を言ったのか理解したとき、デューンは吹きだしていた。
「ぷっ。あはははは。ハルカ、君、勘違いしてるよ」
いきなり笑われて気分のいいはずもない。
ハルカはデューンを睨み付ける。
「何が?」
「ケイは男の子だよ」
「え?」
今度はハルカの番だった。
デューンが言った言葉の意味が理解できずにきょとんとする。そして――
「えええええええええええっ!!」
叫んでいた。
「でかい声だな」
レッドが呟く。
デューンはハルカをニコニコと見ている。
ハルカはケイをまじまじと見つめ、恐る恐る――
「本当?」
恥ずかしそうに頬を染めながら、ケイは答える。
「はい。本当です」
しかしハルカの間違いは決して特別ではない。
「よく間違われるんです」
「でしょうね」
男の子だと聞かされた今でも、ハルカにはケイが女の子にしか見えない。
きれいな顔立ちをしているから――というだけではなく、彼女、いや彼の持つ雰囲気そのものが『女の子』なのだ。
どこにも男の子を感じさせるものがない。
そう、どこにも。
ケイが身につけているのは、メイド服で、メイド服はふつうは女性しか着ないのである。
これでは間違う。
間違うなというのが無理な注文だ。
いや、そもそも――
「ちょっと、デューン。ケイ君は男の子なんでしょ。なのにメイド服着せてどうすんのよ。かわいそうじゃない」
「いや、だって似合うから」
デューンはしれっと答える。
悪びれた様子はまるでない。
ケイは赤くなってうつむく。
そんなケイを見つめながらハルカは
「うん、まあ確かに」
「……ハルカ様まで」
消え入りそうなケイの声にハルカはあわてて
「ああ、ごめんごめん。ごめんねえケイ君。君があんまりかわいいもんだから――じゃなくてえ」
思わず本音を口走ってしまいハルカは慌てる。
「ふふ」
聞こえた笑い声に、ハルカはレッドを睨みつけた。
「何をニヤニヤしてるのよ」
「お前の悪い癖が出たな、と思ってな」
「悪い癖ぇ?」
「クリスが不憫だな、とも思ったのさ。早速浮気をされてはな」
「これとそれとは違うわ。それにかわいい男の子に声をかけるのは、女としての嗜みよ」
「そうだな。まあ、俺がとやかく言うことでもないな。よろしくやってくれ」
「言われなくてもやります」
二人のやり取りにケイはぽかんとする。
ハルカはそんなケイに笑顔を向ける。どことなく、獲物を前にした猫のような笑顔だった。
デューンは二人のやり取りには慣れているが、聞きなれない名前が出てきたので、レッドに尋ねた。
「クリスって?」
「クリス・バード。帰りの道中で出会った少年だ」
「ああ、だからか。早速ハルカに目をつけられたわけだね」
「ちょっとやめてよ、人聞きの悪い」
「まあ、そうだな。気の毒なことだ。
で、そのクリスだが、なんでも村のしきたりで一人旅をしているという話だった。正確には一人ではなかったがな。彼にも連れがいてな。シルフィ・シルフィーナという妖精だった」
「妖精!?」
さすがにデューンは声を上げた。
ケイも目を丸くしている。
「ああ、妖精だ」
「妖精って言うと、あの、何百年も前に絶滅した、ていうあの?」
「ああ、その妖精だ」
途端にデューンの瞳が輝きだす。
恋に恋する少女のように、きらきらと輝きだす。
「妖精……。未知なる世界の象徴……。じゃあまだ世界は人の手に渡ったわけじゃないんだ……。世界はまだ未知に溢れているんだ……」
うっとりと呟いていたかと思うと、突然デューンはレッドに詰め寄る。
「まさか、レッド、君、妖精と話したの?」
「ああ、話した。中々面白いやつだった」
「うわああああああ!」
聞くなりデューンは天を仰いで叫んだ。
「いいないいないいなあ」
子供のように騒ぎ出す。
そんなデューンに微笑みながらハルカは
「そんなに羨ましいのなら「おかみさんの店」に行くといいわ。妖精に会えるから」
「え? どうして?」
大きな声を今度はハルカに向けるデューン。
「シルフィは今、そこでお世話になってるのよ。正確にはクリス君が、だけど」
「妖精に会えるの?」
「ええ、そう」
「よし行こう」
デューンの決断は早かった。
「今行こうすぐ行こう」
そこにおずおずとケイの声。
「デューン様。今日はこれからご予定が……」
「ああ、そうか」
途端にデューンは肩を落とす。
「学校に行かなきゃならないんだ……」
子供たちに、この国の歴史、神学、そして「教団」について教えるのがデューンの仕事なのだった。
「ロゴス神学校特別講師」というのがデューンの二つ目の肩書きだ。
「学校ね」
意地の悪い声でハルカが呟く。
デューンの学校での仕事振りを想像しているのかもしれない。
もっとも聞いた話では、生徒たちにはそこそこ人気があるそうだ。
「ところでラスの様子はどうだ? 相変わらず優秀か?」
「ラス?」
レッドの問いに、最初は何のことやら分からない様子でいたが
「ああ、ラス・メイ」
思い当たったようで、デューンは大きく頷いた。
「そういえば知り合いだったね。君たち。
うん。もちろんだよ。彼女はいつでも優秀さ。僕の代わりくらいいつでも務められるくらいにね。
いっそ、そうしてもらおうかな。そうしよう。そして僕は妖精に会いに行こう。うん。それがいい」
その考えがとても気に入ったのか、デューンはニコニコとしだした。
その笑顔がケイにはとても不安だ。
「デューン様……」
デューンは笑顔のまま、ケイの杞憂を笑う。
「冗談だよ。冗談。言ってみただけさ」
デューンはそう言うが、半ば本気であることはレッドとハルカには分かっていた。
ケイも不安を拭えないのだろう。
落ち着かない様子で、主の笑顔を見つめている。