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人の視線を避けるように俺と先輩はプリクラの幕の中に入る。
差し出された先輩の人差し指からは赤い、玉のように膨らんだ血液。
俺はそれを丁寧に舐めとりつつ、先輩の表情を伺う。
先輩は血の出ていない方の右手を口に手を寄せて、上気した顔で必死に声を押し殺しているような……そんな表情に見える。
その表情が、それを見て得も言われぬ高揚感を感じた俺は、その指先の傷口から少しでも多くの血液を得ようとするように、いつもより丹念に、まるで吸い付くかのように指を舐める。
「ちょっ……ひ、緋叉弥くん……!?」
そんな俺に先輩はあまり余裕がなさそうに俺の名前を呼ぶ。
そして口からシュポンと指が抜けると、先輩はまるで腰が砕けたかのように、その機械の壁にもたれかかりつつへたり込んでしまった。
まるで長距離走でも走った後のような息遣いとその上気した顔で、先輩は俺を見上げる。
「先輩……」
返事はない。
おそらくそんな余裕もないのだろう。
先輩は朧げな視線を俺の……おそらく青色に戻っているであろう瞳を見つめる……。
そんな先輩の口からは変わらず吐息が漏れていた。
ダメだ。
このままじゃ……。
頭の中で理性が叫ぶも俺の心には届かなかった。
気がつくと俺は先輩に近付き膝をつくと……その小さく開いた唇を俺の唇で塞いでしまったのだった。
……やばい。
唇をつけたのはほんの一瞬。
だけど、先輩の事が愛しくて愛しくて止められなかった。
唇を離した直後の先輩は驚いたような表情。
そしてすぐに俯いてしまった。
ああ、衝動的に動いてしまった数秒前の俺を殴りつけてやりたい。
……怒ってるよな、先輩。
もしかすると傷付けてしまったかもしれない。
「あ……先輩……す、すいません」
「……緋叉弥くん」
「え……?」
「なんで謝るの?」
いきなり名前を呼ばれてうろたえる俺に、先輩は俯いたまま尋ねてくる。
それはとても静かな、怒っているのか悲しんでいるのかわからない、何の感情も感じさせないような声音だった。
「す、すいません……」
「だから謝らないでっ!」
先輩が顔を上げて俺の顔を見る。
その表情は瞳を潤ませつつも怒りに満ちた、そんな表情だった。
「おーい、心優ー。みんな来たよー?まだ時間掛かりそう?」
機械の外から夕樹さんの呼ぶ声。
先輩は少し慌てた様子幕の外側を見る。
「あ、赭ちゃん……。うん、すぐ行く。ちょっと待ってて」
先輩は立ち上がると、同じく立ち上がった俺を真っ直ぐに見る。
そんな先輩の視線に射抜かれた俺は、どうしたら良いのかわからない。
「……じゃ」
時間にしたら数秒程だろうか?
沈黙を破るかのように先輩は小さく別れを告げると、機械から出て行ったのだった。
「お待たせ」
「おっ!心優、顔、真っ赤じゃん。まさか密室でエロい事でもしてたとか?」
「んー……ちょっとだけ」
「マジでか」
「噓に決まってんじゃーん……」
幕の向こう側、少しずつ先輩の声が遠ざかっていくのがわかる。
「はぁぁぁぁ……」
そして深いため息と同時に力の抜けた俺は先ほどの先輩と同じようにへたり込んでしまった。
……先輩を怒らせてしまった。
頭の中が罪悪感に支配され、考えが纏まらない。
そんな俺は数十秒ほど思考停止し、そして気分は晴れないまま、機械から出る。
辺りを見てみると、先輩の姿はなく、代わりに……ではないが、良く見知った顔がそこにあった。
「やっと出てきた。先に出てきた小さな子が、彼女?」
「って、なんでモニカがここにいるんだよ?」
何故かそこにはモニカの姿が……。
もしかして家からつけて来てたとかか?
「私より小さいじゃん……。緋叉弥ってもしかして……ロリコン?」
「ちげえよ、学校の先輩だよ。背は小さいけどお前よりは良いもん持ってるよ!」
「え?」
「なんでもない」
って言うか、モニカがいるって事は……。
あ、いた。
本人は隠れているつもりなのか、風景に紛れているつもりなのか、普段は家でもしない格闘ゲームの台に座ってプレイしている撫子の後ろ姿。
あれで兄貴の目を誤魔化せると思っている事が何とも彼女らしい。
ま、いいや。
取り敢えずこの2人は無視して帰るか。
今は取り敢えず家で寝たい気分だ。
「じゃあな、モニカ。そこの撫子にもあんまり遅くなるなよって言っといてくれよ」
俺はそう言い残して、ゲーセンを後にしたのだった。