第八話 うわの空
「ただいま……」
自宅の門をくぐり、屋敷に向かって一人で声を出す。
独り住まいだ。当然、おかえりと言ってくれる者は誰もいない。
あざみと別れた後、六条の飯屋に寄って帰ってきた。
外はもう暗く、非番ということもあって、もはや何もやる気になれない。
あとは、汗を流して寝るだけだ。
「は、あぁぁ~……」
自分でもよく分からないため息が口から溢れる。
疲れているのか、落ち込んでいるのか。どちらにせよ、身体が重い。
俺は屋敷に上がると何をするでもなく、縁側に腰かけて真っ暗な中庭を眺めた。
「…………」
物心つく前から、ずっと見慣れている風景。
今は亡き父上と、二人で眺めていた中庭である。
やはり、一人で眺めるには広すぎる大きさだと思った。
石造りの立派な灯篭へ最後に火を灯したのは、いつのことだったか。
「あざみ、か……」
今日半日を過ごした相手の名が、自然とこぼれた。
妖とはいえ、今日ほど女性と長く過ごしたことはなかった。
多く話したことはなかった。そもそも、接する機会さえほとんどなく生きてきたのだ。
そう考えると、自分がこれほどまでに疲れた理由も分かるような気がする。
「てか……いきなり贈り物、なんてよ……あー」
自分の頭をはたいて、縁側にぐでっと横たわる。
会って二度目の女性に、まだ互いをよく知りもしていない間柄なのに、贈り物なんて。
軽薄にもほどがある。
しかも、銭袋が空っぽになるほどの大枚をはたいて、なのだ。
俺はそんな軟派な男だったのか。
こういうことには堅く生きているつもりだったが、自分の節操のなさが情けない。
「しかも、あいつは妖だぞ……?いつも夏梅のバカに退治させられてる連中と、同じ…だ……」
思わず口をついて出てしまった言葉。
同じ、か。本当に、同じなのだろうか。
朝方に神社で串刺しにした猫面の大鶏と、悪戯っぽく笑うあの少女が同じなら、俺だって鶏と同じようなものではないのか。
そもそも、妖とは何なのか。急に都のそこら中に湧き出る、気色悪い化物のことではないのか。
よく分からない。俺は今まで検非違使の知り合いにこき使われて、何となく退治していただけなのだ。
「けど……かわい、かったな……」
目を瞑ると、夕焼けに照らされた別れ際のあの笑顔が、今でも鮮明に思い出せてしまう。
あざみは、化物とは違う気がした。いつも退治しているような歪な化け物じゃなくて、もっと俺達に近いような。
だけど、もし化け物と同じだったら?あざみには、隠れた本性みたいなものがあったりするのでは。
例えば、人に銭を吐き出させるのが目的の妖だったみたいな。
そうだ。だから俺の銭袋が空っぽになったんだ。なんて恐ろしい妖なんだ、あざみは。
「……ってなわけないか」
俺は何も知らない。自分の頭の悪さが悲しくなって、目を閉じた。
中庭で盛んに鳴く虫の音が耳をくすぐってくる。
今日は涼しい夜だ。このまま縁側で、寝てしまおうか――
「冬さーん、まだ起きてる?」
「ぉっ!?おお、おうよっ!」
門前から聞こえてくる声に飛び起きる。
よく聞き慣れたこの澄んだ音は、六波羅南組の小柄な同僚のものだ。
「あ、よかった。冬さん、こんばんは」
「あ、あぁ、こんばんは。なんだよ勝五、もう遅い時間だぞ」
「うん、非番なのにごめんね?」
「あー、いいよ。それで、どうしたんだ?」
同僚の勝五と、屋敷の門前で話をする。
勝五はなんと、わざわざ持ち運び用の小さな灯篭を携えてきていた。
屋敷はここから大した距離ではないのに。羽振りのいい家柄なだけはある。
「権さん……権座隊長が、明日は一刻早めに来いってさ」
「ん?何かあるのか?」
「お公家さまの護衛。五条の飯綱天神に詣でるんだって。急にお声がかかったんだ」
「公家かよ。なんだって五条に?」
「遊女の廓で遊ぶんでしょ。同じ五条西通りだし」
「また権座さんが荒れるな」
六波羅が公家に良いように使われるのはいつものことである。
権座さんの機嫌が少し悪くなるだけだ。
俺としては、一刻早出する程度はどうということもない。
「用はそれだけ。あっ、あとこれ。良かったら食べて?うちの料理番が作りすぎちゃった」
「おっ、菓子か。悪いなこんなに。あんがとよ」
「うん……あ、夏梅さんにも分けたげなよ?」
「あぁ?……いや、ありがたく俺一人で食う」
「あはは、そう……うん。じゃあおやすみ、冬さん」
「おう、おやすみ」
去っていく同僚の背を見送り、俺は短く息を吐いた。
非番の長い一日が、ようやく終わったという気がしたからだ。
明日からまた、六波羅の武士として仕事の日々だ。
「おやすみ、か……」
ついさっきも、誰かさんとしたやりとりだ。
すっからかんになった銭袋を、俺はまだ手に持っていた。
中身を確かめると、青々とした木の葉がしっかりと入っている。
朝出かける時は、割とぎっしりと銭が入っていたのに、今や葉っぱ一枚だけとは。
けど、あざみの葉っぱだ。きちんと別の巾着袋に移しておかないと、銭臭くなってしまう。
「ふわぁ……また次も、おごらされるのかね。ははは……」
独りごちながら、不思議と悪い気はしなかった。
俺は勝五に貰った菓子を一つ口に放り込み、屋敷の中へと入っていった。
「あー終わった終わった。つまんねぇ仕事だったぜ。なあ冬、こいつらさっさと詰め所に送って、今日はそのままあがろうぜ。六条にいい飯屋があんだよ」
「……おう」
市場をあざみと歩いてから、数日が経った。
「しかしまあ、都の外から来る連中は、どうしてこう短気なんだ?市場で揉めたからって商人斬るか?普通」
「……おう」
朝晩確かめているが、あざみの木の葉はやはりずっと青々として萎びない。
あいつはただの葉っぱと言ったが、本当にそうなんだろうか。
「まあ、とりあえずは一件落着で……っておい。冬てめぇ、聞いてるか?」
「……おう」
この数日はどうということもない数日だった。
公家の護衛をしたり、五条から九条まで見回ったり、夏梅の妖退治に付き合ったりと、六波羅の武士としていつも通りの数日間。
「冬?おいこら、冬さんってば」
「……おう」
そうだ、時折妖退治を手伝っていることは、あざみには言わなかった。
人に害をなす化け物とあざみが同じだとは思えないが、それでもあいつは俺の妖退治を嫌がるだろうか。
あざみにとっては、自分と同じ仲間を殺されているようなものではないか。
もし知られたら、あざみは俺に何と言うだろうか。怒るだろうか、悲しむだろうか。
それとも――
「……おらっ!」
「いてっ!な、なんだよ両次?」
横から頭を拳骨でぶたれ、意識を取り戻す。
同僚の両次が、眉を釣り上げて俺を睨み上げていた。
眼つきの鋭さのおかげか、俺より背が低いのになかなか迫力がある。
六波羅の藍染を着ていなければ、悪人と勘違いされそうな雰囲気だ。
「なんだよ、じゃねぇよ。仕事中だぞ?」
「そうだったな、すまん……それで、えー……」
「だからよ、この捕まえた下手人連中。さっさと詰め所へ連れて行こうぜって話だ」
「え……」
俺は今更ながら、自分の手が握っている縄と、その先に縛りくくられている数人のみすぼらしい男たちに気付く。
そうだ。市場で商人を斬りつけたこいつらを探し当て、大通りでの軽い乱闘の果てに捕まえたところだった。
「おお……ええと、何とかなったな。さすがだ両次」
「いや、何言ってんだお前ホント。こいつらしばいたの、主にお前だろうが」
「おおーーーい!冬四郎ー!両次ー!捕まえたのかーー!?」
遠くから聞こえた呼び声に顔を向けると、騒ぎを聞きつけた六波羅の仲間たちが何人か集まってくる。
両次が軽くいきさつと成果を話し、何名かに下手人たちの連行の手伝いを依頼した。
「ぜぇ、ぜぇ……ふ、二人ともお疲れさま……け、ケガ……してない?はぁ、はぁ……」
駆けつけてきた仲間のうち、勝五だけが既に一戦終えてきたかのような有様で息を整えている。
育ちも性格も頭もいいが、体力に少し難のある奴である。
「勝五、いつものように後始末の文書仕事は頼んだからな」
「う、うん。いいよ?」
「あー……勝五、両次を甘やかすなって。たまには自分で書かせんと、こいつ字を忘れるぞ」
「ほーん。じゃあ、冬が書けや?お前も書けないだろ、今回は」
「うぐ……」
両次が肩をすくめ、俺の顔を呆れ顔で眺めてくる。
「非番明けからこの数日、ずーっとボケボケしやがって。仕事の最中も全然集中してねぇ。真面目な冬らしくねぇぞ」
「……う」
「確かにね。今日も朝からどこかうわの空だったし。冬さん、何かあったの?」
捕らえた下手人たちを連れ、詰め所のある五条の方へと大路を進みながら、歳の近い六波羅の同僚たちと話をする。
「どうせ女だろ?そういや、大駕籠祭りの日に水あめ買ってたとこから怪しかったよなぁ、冬!」
「な、なにが」
「そうなんだ。相手は誰?」
「誰でもねぇよ勝五」
「ウソつけ。さっきだって何度もため息ばっかついてよ。お前は隠し事に向いてねえんだよ」
両次の意地悪な目と勝五の純粋な目が、俺の顔を探るように見つめてくる。
「あーもう!いいだろ、俺のことは……それより、仕事だ仕事!」
俺は鬱陶しい質問攻めをかわそうと、話を打ち切った。
他の六波羅の仲間たちも、二人に詰められる俺の様子を見て笑っている。
いいぞいいぞそのまま追い詰めろ、と心ない野次まで飛んでくる始末だ。
あざみと初めて会って水あめを買わされてからこっち、少し気を抜くとすぐこんな調子だ。
「おい待てや冬!いい加減教えろ!!どこの誰だ!美人か!金持ちか!まさか六条東のお凛さんじゃないだろうなお前!」
「ちょっと、両さん大声で言うことじゃないよ……」
六波羅南組として俺たちのやることは毎日変わらない。
都を見回り、罪人や喧嘩人を追捕し、文書をこしらえ、俺に至っては検非違使のチビ助にこき使われて妖を追う。
毎日変わらない仕事だから、皆こんなバカなことで大げさに盛り上がりたいのだろう。
都が平和な証拠だ。
「夏梅のヤツ呼ぶか?冬の口割るにはあいつに騒がせるのが一番だ」
「えっ、でも今日は検非違使の別当さまが庁舎に来るから忙しいって言ってたよ」
まあ、六波羅の面々が全員真面目くさってる事態になるよりは、マシかもしれない。
そう思えば、こういう面倒な追及も俺がかわせばいいだけだ。
そう、こんなことで仲間たちが仕事に精を出せるならそれはそれで。
「なら仕方ねぇ……こうなったら力づくだ!」
「や、やめろ馬鹿!!仕事中だぞ!しかも大通りでっ……は、離せー!!」
「下手人さん達、気にせず歩いてくださいね。たまによくあることなので、はい」
いや、やっぱり同僚の玩具になるのはいやだ。
あざみのことは、絶対に秘密にしてやる。一言もしゃべらねぇ。
俺は強くそう思った。
次回、「第九話 いつもの二人」