第三話 妖退治
「昼過ぎなのに結構屋台が残ってますねー」
「そりゃそうだろ。外から来た奴らは、都で少し遊んで帰るだろうからな。狙い目の客だ」
「なるほど」
中央の大路の端を、人混みを避けながら夏梅と急ぐ。
妖に人が襲われたというのだ。被害が広がらない内に、現地へ向かう必要があった。
「それで、妖が出たのは六条の路地で間違いないんだな」
「はい、お散歩……じゃなくて警邏中のウチに被害者さんがちょうど声をかけてきて。かなり大きいと」
「なら、まぎれもなく検非違使の仕事だろ。なんで俺が」
「祭りの後だから、みんな休んでるんですよ。それに庁舎のある三条までは遠いし、ウチ一人じゃ無理かもだし……」
「まったく良いように使ってくれるな……」
夏梅は小柄な割に足がめっぽう速い。
通行人を器用にかわしてぐんぐんと進むので、おのずと俺が後を必死でついていく形になる。
都には時折、"妖"が出没する。
歪な異形の姿で奇妙に鳴きながら人を気ままに襲う、大小様々な化物どもだ。
当然、そんな化物が沸けば退治するのが普通だ。
退治は俺達六波羅の仕事ではなく、内裏直属の検非違使の仕事である。
だが、なぜ妖が沸くのかまでは、よく分かっていないらしい。
怨みが積もって生まれるだとか、実はあの世の生き物だとか、色々噂されている。
昨日の大駕籠祭りで出会ったあいつも、やっぱり妖だったんだよな。
「そういえば冬さん。昨日喧嘩の仲裁の後で六波羅の人達盛り上がってましたね」
「…………」
「水あめがどうとか、どんぶりがどうとか」
「……仕事中だぞ。人にぶつかるから、前向けって」
俺はなんとなく、あざみの葉っぱを入れた懐の巾着袋を触った。
「あっ、いたいた天…!冬さん、ほらあれです」
「あれか。確かに、かなり大きいな……犬?いや、蜘蛛か?」
「襲われたのは六条に住む普通の町人です。肉買って帰宅してたら、ズバッて」
人払いを済ませた後、夏梅と二人で民家の影に隠れ、路地の奥を窺う。
少し離れた場所に、異形の化物が佇んでいた。
『チュパッ――エヘ――チュパッ――』
黒と緑のまだら模様。人の脚ほどに太い八本の脚。先に生える、歪に曲がった爪。
小さな袋の中に長い首を突っ込み、小さく声をあげつつ何やら舐めとっている。
麻袋の尻には、人の血と思しき赤色が少なからず付いていた。
「……食われたんじゃないよな?」
「今は医局です。とっさに肉を捨てて逃げたみたいで、まあ軽傷でしたよ」
小声で話しながら俺達を得物を構えた。
俺は太刀。夏梅は大きめの梓弓だ。
落ちていた石を一つ拾い、目配せし合う。
夏梅が矢もつがえずに弓を引き、唇を静かに動かし始めた。
「やるぞ」
うなずく夏梅。俺は飛び出し、妖に向けて石を投げた。
曲がった背中に直撃し、八本の脚がその場で跳ねあがる。
袋から現れた、血まみれの犬面。
『エヘッ――』
「妖、覚悟しろ!」
太刀を構えて一気に距離を詰める。
妖が身を起こし、先にしかけてきた。
尖った四本の爪が異様に伸び、俺に殺到する。
太刀で二本を凌ぎ、しかし反応が遅れた。残る二本が胸元に迫る。
「ぐっ……!」
咄嗟に腰帯から鞘も抜き、爪を弾いた。
さらに追撃を太刀で受けとめ、後ずさる。間合いが遠い。
『ヘヘ、エヘヘヘ――』
後ろの四本脚で妖が器用に立ち上がった。
俺よりも頭一つ分は、背が高い。
犬面の口が裂け、凄惨な笑みをつくる。
牙から滴る涎が、赤くにじんでいる。
数拍の睨み合い。
『エヘヘ――!!』
妖が身じろいだ瞬間、俺は鞘を投げつけた。
犬面が気を取られ、反射的に前脚四本が鞘を狙う。
好機。俺はその一本を斬り飛ばした。
『キヒィェ――――!!!』
裏返った絶叫が路地に響く。無茶苦茶に暴れ狂う爪。
太刀で受け、受けきれなければ咄嗟に拳で払って、何とかやり過ごす。
「夏梅撃てっ!」
「っっ!!」
何度目かの爪をかわして横に跳んだと同時に、後ろから弦打ちの高音。
見えない矢が放たれ、妖の胸を確かに貫いた。
『ヘ、ヘ……?ヘ?』
犬面の口から、大量の黒い血が溢れ出した。
紙が焼けるように、傷口から巨体が溶けていく。
『ヘッ、エ、ヘ……へ……!!』
「冬さんっ、早く!」
慌てる夏梅。震える妖を後目に、全力で走り去る。
次の瞬間、ばしゅんと甲高い音が背中に響き、妖が破裂した。
土煙が巻き上がり、爆風と共に路地を駆け抜けた。
梓弓による弦打ち。検非違使の持つ退魔の力、霊力の矢だ。
「げほ、げほっ……あ、相変わらず大げさな死に方しやがって……!」
「お疲れ様です冬さん!さっすが六波羅南組の切り込み隊長!」
「六波羅がどこに切り込むってんだよ、いたた……」
差し出された夏梅の手を取り、立ち上がる。
太刀を鞘に納めて振り返れば、小さな袋が落ちているだけ。
異形の犬面は跡形もない。
妖は討たれると全身が弾け飛び、あとには何も残さないのだ。
後始末が楽なのは、ありがたいことだった。
「しかし、やけに大きな妖だったな」
「ですね。たまにこういうのいますけど、やっぱり一人じゃ手に余るんですよね」
人の背丈を超えるほどの手強い妖は、あまりいない。
普段退治するのは、大半が野良犬に毛が生えた程度のすばしっこいだけの奴らだった。
「医局で被害者さんに報告しますけど、冬さんも行きます?」
「ああ、一応な。この袋も返さないと……っしょ。その後は検非違使庁舎だな」
俺は妖が貪っていた肉の袋を拾い上げ、中身を改める。
妖は肉の汁まで舐め尽くしていたのか、袋の内側は案外綺麗になっていた。
しかし、あの犬面の舌が這いずり回った袋だ。
「……この袋、いりますかね?」
「……いらんだろうな」
「あはは、ですよねー」
爆音を聞きつけた近所の住人が、ぽつぽつ家から出てきた。
六条の表にいた人々も、何だ何だと集まってくる。
「皆さん!六波羅と検非違使でーす!妖退治完了しました!これより帰還しまーす!」
「やめろ、こっ恥ずかしい」
「あいたっ……あはは……」
感心したように小さくどよめく声。まばらな拍手の音。
妖の出没と退治は、都の日常の一部だ。珍しい見世物でもない。
適当に野次馬どもをかわし、俺と夏梅は六条を後にしたのだった。
「冬さん、今日は助かりました!」
「ん、怪我してないか」
「はい!いつもありがとうございます!ほんとほんと」
「そう思ってんなら、たまには飯でもおごれ」
「ええー!?」
「たまにはいいだろ。いつも俺ばっかじゃねぇか」
「ウチが銭無いの知ってるでしょ?」
「そうだな。なんでだろうな。金欠の理由を聞きたいくらいなんだが」
「い、いやぁ、ウチにも人に言えない秘密があって……あ、むしろ冬さんがウチにおごってくれたらなー……なーんて」
「なーんて、じゃねえよ。どうせいつもの買い食いだろ。お前はほんと……はぁ……」
調子の良いチビ助のおねだりに、大きなため息が漏れる。
昨日の祭りの夜も、妖相手にこんなことがあったな。
もっとも、夏梅の場合は毎回こうなんだが。
どいつもこいつも人におごらせようとしやがる。
俺がそんなに金持ちに見えるのだろうか。独り身の下っ端武士だぞ。
『またおごって、ね?』
消える間際のあざみの言葉を、俺は思い出す。
今日の八本脚の犬面蜘蛛。昨日の狐の少女。両方妖だ。
妖は、異形の存在。人間とは違うもの、のはずだ。
だが。
(あざみ……あざみ、か……)
どこにでもあるような名前。首をかしげて微笑む姿。金色の髪と狐の耳。
昨日からずっと、頭の中から消えなかった。
もしかしたら、いつかまたあいつと――
「……冬さん?」
「へっ?」
「どうかしました?」
「いや、何でもない。あー……仕方ねぇ、おごってやるよ夏梅」
「えっ、ほんとに!?」
「検非違使庁舎に報告した後でな」
「嘘じゃなくて!?猫神さまに誓えます!?」
「……やっぱ気が変わった」
「そんなこと言わずに~!!」
「うるせっ、ちょっ、離れろって!」
夏梅が大路のど真ん中で飛びついてくる。
引きずり下ろす間もなく、華奢な身体がひしっと背中へしがみついた。
周囲からの奇異の視線が痛い。六波羅の藍染と検非違使の白藍は、往来では目立つ着物なのだ。
「おごってくださいよー!お願いですー!」
「お前が無礼なこと言うからだろ!」
「今すぐ謝ります!だからまず屋台行きましょう!結構まだ残ってますよ!」
「いいから離れろこら!報告の後だっての!」
「鶏肉!焼き菓子!鶏肉!鶏肉!あと水あめ!」
「水あめは昨日たらふく食った!」
「ええっ、祭り中は検非違使も六波羅もお仕事だったのに!?真面目な冬さんがそんな!?」
「あ、しまっ……」
「しかも水あめなんて可愛い物を……ま、まさか女ですか!女ですか!?」
「っ!?ち、ちち、違うわアホ!」
「ウチというものがありながらー!!」
「気色悪いこと言うな!やめろ離れろ恥ずかしいだろがー!」
結局、俺は夏梅を連れて片っ端から屋台を回る羽目になったのだった。
検非違使を手伝っての妖退治なんて、別にしたいわけではない。
俺は治安維持が仕事の六波羅の武士で、妖のことなんて専門外だから。
ただ、夏梅の明るさと押しの強さのせいで何となく毎度手伝っているだけだ。
まあ、妖の出現も人間同士の喧嘩も、同じく厄介ごとといえば厄介ごとである。
仕事の延長と思えば、そこまで面倒な気はしない、のかもしれない。
「相手はどこの誰ですか!?美人さんですか!?名前は!?歳は!?どこ住みなんです!?」
この背中にまとわりつくチビ助がうるさくなければ、だけどな。
次回、「第四話 非番の日」