第十一話 またまた会った日
ある日の六波羅南組。
「ふぃー、机仕事は肩と腰と心にくるわい。ところで冬さんよぉ」
「何ですか権座さん」
「結局、祭りのお相手は誰なんだ?」
山と積まれた書状を捌く手が止まる。
俺が顔を上げると、髭もじゃの警邏隊長が歯を剥き出しにしてにやにやとこちらを眺めていた。
「……そういえば、この前の商人を斬った連中ですけど」
「話逸らすんじゃねぇやい。お前さんが大駕籠祭りで一人水あめなんて買うタマかよ」
「いつまで引っ張るんですか、それ……」
詰め所の書状整理の当番が回ってきて、ようやくうるさい同僚達の追及から一息つけると思っていたのに、これである。
人の事情を、皆躍起になって探りすぎだ。
「結局、どこの誰だ?お前さんのことだから、遊女にお熱ってわけじゃあないよな?」
「……遊女ではありません、とだけ。祭りの水あめは……そう、夏梅に食いかけを押し付けられたんです」
「ウソつけ。儂ぁよ、独り身のお前さんの将来が心配で心配でだな……お父上にもよしなに頼まれとるしな……ぐひひ」
「にやつきながら言わないでください」
六波羅南組の警邏隊長こと権座さんは、朝からずっとこの調子だ。
あまりにしつこいので、長話覚悟で可愛いと自慢のお子さんの話題を振ってやろうかと思っていた矢先。
ガララ。
詰め所の奥手の引き戸が、高い音を響かせた。
俺達は素早く無駄話をやめ、姿勢を正す。
よだれがこぼれた書状があるのを俺が目配せで伝えると、権座さんはそそくさと机の下に隠した。
入ってきたのは、奉行衆の一人だった。俺達とは格が違う偉い手である。
奉行さまは脇に何やら黒塗りの文箱を携えていた。
「東国からの文書だ。いつもの定期報告である。よく改めておくように」
「ははっ」
「警邏の者の間でも回し読んでおけよ」
「しかと」
奉行の懐から無造作に取り出された書状を、権座さんが恭しく両手で受け取る。
俺より一回り縦にも横にも大柄な巨漢が正座してかしこまっているのは、いつ見ても見慣れたものではない。
「それと、もう一つ」
「はっ」
奉行さまが抱えていた文箱からもう一通、書状を取り出した。
今度は、見るからに丁重に扱っている。
権座さんは受け取り一瞥した途端、うぐっと低い声で唸った。
「検非違使の別当さまから南組の警邏についての感状だ」
「なっ…誠にございますか!?」
「それも直筆のな。日頃の仕事ぶりが検非違使庁を通して伝わったらしいぞ」
「な、な、なんと……!」
「これからも職務に励むように。六波羅南組の面目がかかっておる」
「は、ははーっ!!」
俺達の隊長が書状を掲げたまま平身低頭し、裏返った声で返答する。
俺も続いて板敷の上に平伏した。
そうしている内に、奉行さまはまた引き戸の向こう側へと去っていった。
厳格な上司が姿を消してからもしばらくの間、俺達は頭を下げていた。
これは六波羅の習いだ。奉行衆と警邏隊とでは、大きな地位の差があるのだ。
「……よし冬、お前はこっちを読め」
「いいんですか?これ東国からの……大将軍様からの書状ですよ」
「形式はな。実際は単なる情報共有だろ。んなもんより、"花公卿"様からの感状の方が大事に決まってんだろうが!」
「そ、そうですか……」
「お前がチビ助を日々手伝ってるおかげもあるぜ。よくやった!ふんふん……うーむ、だがなんて上品な紙と墨の匂いだこりゃ……」
権座さんはうっとりと目を閉じ、検非違使の別当さまの書状の匂いを一心不乱に嗅いでいる。
気持ち悪いことこの上ないが、別当さまといえば検非違使の長で、"花公卿"の異名で知られる若き貴公子だ。
都で知らぬ者はない才人の直筆ともあれば、俺達のような下っ端武士には宝のようなものである。
俺は感極まって嗚咽する権座さんに構わず、東国からの書状に目を通した。
権座さんは軽々しく扱っているが、東国の大将軍――六波羅の武士の棟梁から送られてきた正式な文書である。
「……ん」
墨の濃い文字が、書状を埋め尽くすようにびっしりと書いてある。
どうにも長いので適当に飛ばしつつ読み進めていく。
東国からの書状はおおよそ、最初と最後を読めば要旨を手早く理解できるようになっているのだ。
「東国で、氏族の争いか……」
東国で大きな氏族間の合戦があったらしい。
大将軍の下での権力争いは、東国武士にとっての日常だ。
時には武力衝突にまで発展することも、珍しくはない。
当然、負けた側は勢力が衰え、仕えていた武士や領地の民は土地を追われることもある。
「物騒だな……」
他人事ではいられない。今後は、この一件で流れ者が、都にも増えるかもしれないのだ。
奉行さまが回し読んでおけと命じられたのは、そのためだろう。
「権座さん、東国で争い事が……」
「おう、貸してみ。ほれ、お前も天下の"花公卿"様の感状に酔いしれろい」
東国の文書を権座さんに渡し、代わりに検非違使の別当さまからの感情を受け取る。
確かに、一目見て分かるほどに美しい筆遣いだ。
同僚の勝五も中々の達筆だが、書に詳しくない俺が見てもそれより優れている、気がする。
文中には、五条以南における妖退治への協力を感謝する旨もあった。
どうやら五条大橋の向こう、四条以北でも近頃妖の出没が多くなっているらしい。
こちらに回せる人材の少なさを詫びてくれてさえいて、とても恐れ多い。
まあ、六波羅南組の評判が上がっているなら、夏梅の奴に日々付き合わされている甲斐もあるか。
しかし、"花公卿"さま、か。都を騒がせる時の人に、一度は直にお目にかかりたいものだ。
「へー……東国で権力争いだぁ?」
「あ、ええ。都にも影響ありそうですかね」
「分からん。だが……んー……こいつら東国でも東の端の方だろ?都まで影響あるかねぇ」
「皆に周知しろとの仰せでしたが、今すぐ全員集めますか?」
「いや、書状の通りならそこまで心配はいらんだろ。ま、警邏から帰ってきた奴に順番に読ませとけ」
「はい」
権座さんが無精髭を手のひらで触りながら、東国の文書をじーっと眺めている。
考え事をするときの癖だ。
俺は別当さまの感状を机に置き、南組の警邏隊長からの指示を待った。
「冬よ、お前さんはどう思うよ」
「狼藉を働く流れ者が、多くなる可能性はあるかと」
「なら、予備役や文書専の連中を、何人か警邏に回してもらうか。まあ、用心に越したことはないわな」
「了解です」
南組管轄である五条以南の、警邏体制の強化。こういう時の権座さんの判断は素早い。
なんだかんだで、頼りになる人だ。
俺は大きく息を吐きながら、詰め所の天井を睨みつけた。
東国は、都から山をいくつも超えた、遥か遠い場所だ。
だが、人の足で行き来できない距離ではない。権座さんの言う通り、用心に越したことはないのだ。
「おっ、冬よぉ、これよく読むと面白いことが書いてあんぜ」
「はい?」
「合戦にデケぇ狼が乱入。双方にちょっかい出したけどなんか即逃げたとよ」
「何ですそれ」
「さぁ?妖か何かじゃねぇか?」
権座さんから手渡された東国の書状をもう一度読もうとした、その時である。
「冬のアニキー!ちょっと手伝いが欲しいンスけどー!」
聞き慣れた声に、俺は書状から顔を上げた。
仲の良い同僚である兵六が、ちょっと困ったように笑いながら、詰め所の入り口から手招きしていた。
「んだよ、兵。警邏でなんかあったのか?」
「隊長、五条の天神様の前で大喧嘩寸前なんスよー。険悪な公家の連中が鉢合わせしたみたいで」
「また遊女関係かぁ?すけべ公家がよぉ」
「そうなんスよ隊長~。勝五とオレだけじゃめんどくてめんどくて」
「呼び笛使えよ兵六。六条らへんに誰かいたろうに」
「そしたらあの場を抜け出せないじゃないッスかー!公家お抱えの武士連中、怖いンスよ?」
「ざけんな馬鹿野郎。弱虫め。冬、何人か集めてビシっとキメてこい。あと、それ終わったらあがっていいぜ。感状の褒美だ」
「ありがとうございます」
「えー!?いいッスねぇー冬のアニキ……てか感状?まさかの大将軍さまからッスか?」
「喧嘩の始末が先だ。行くぞ兵六。ったく、お前は事あるごとに……」
俺は小さく吐き捨てながら立ち上がった。
南組最年少の兵六はとにかく行動が早い上に体力もあるが、その分気がとても小さく、しかもめんどくさがりだ。
一人置いてこられた同じく最年少の勝五に、同情せざるをえなかった。
五条西通りのど真ん中にある都最大の神社、飯綱天神の真っ赤な大鳥居。
その前に集まっていた野次馬が、つまらなそうに散り始める。
公家の喧嘩が大事にならずに終わったからだ。
伴を連れて別々の方向へ去っていく豪奢な牛車二台を後目に、俺は同僚達と話をしていた。
結局随分と時間がかかり、もう日が若干傾いていた。
「はぁー……応援助かったよ、冬さん」
「ホントホント!一時はどうなることかとッス!」
「まったく、勝五はともかく兵六お前、仲裁の途中で逃げんなよな……」
双方の言い分を聞けば、一人の高級遊女を巡ってやり合う寸前だったらしい。
五条西通りは遊女の廓が密集しているから、こういう喧嘩は貴賤を問わずよくある事だ。
それにしても白昼堂々、公家も暇なことだ。恥ずかしくないのか。
「すいません。結局、先輩方にまで来てもらって。俺達だけじゃどうにも」
集まってもらっていた六波羅の先輩たちが特に気にした様子もなく、後は任せたと去っていく。
皆、俺より口も腕も立つ人たちばかりである。
位の高い公家お抱えの武士の中には一筋縄でいかない者も多く、俺や勝五達のような若造では手に余る相手もいるのだ。
結局、年配者が前に出ないとどうにもならないことも、しばしばある。
「冬さん、今日はもうあがるんでしょ?後は任せて。僕、飯綱天神の神主さまにも話してくるよ」
「ああ、後は頼んだ勝五」
「じゃあオレもお先にッス!」
「いや、兵六は残れよ」
「えー!?何でッスか冬のアニキー!」
「当たり前だろ。勝五にばっか押し付けないで、お前も行ってこい」
「じゃあアニキも一緒に行くッスよ?でへへ、それで終わったら皆で六条のお凛さんの飯屋にでも……いでっ」
「はよいけ」
めんどくさがる兵六を軽くしばいた後、俺達はその場を解散した。
何のことはない、いつもの六波羅南組の仕事であった。
「……ん?」
飯綱天神の大鳥居をくぐっていく二人の同僚を見送り、いったん詰め所に帰ろうとして、俺は足を止めた。
「…………」
喧嘩が終わり、また人が絶え間なく流れ始めた五条西通り。
道を踏みしめる無数の足音に混じって、客引きの遊女の猫撫で声がひっきりなしに聞こえる、うるさい場所。
そんな雑音が、耳から急速に遠のいていく。
「あ……」
「あら、六波羅の良い男!さっきはかっこよかったわよぉ?ねぇ、ちょっと遊んでいきなよ」
節操のない客引きが俺に近寄って、声をかけてくる。
その、すぐ後ろだった。
見覚えのある浅紫色の着物と、頭に巻かれた手ぬぐい。
客引きの手招きを真似て、手をひらひらと振っている。
楽しげな視線は、俺だけを見つめていた。
俺も、そいつだけを、見つめていた。
「あら、六波羅の良い男。お久しぶり」
狐のあざみが、真っ赤な舌先をちろりと出して笑った。
次回、「第十二話 大橋の上で」




