昔のおばあさまと今の私
おばあさまの資料室は、相変わらず本に溢れていた。今日は、魔法陣の紙が散乱していないかわりに、あちこちに設計図らしい紙がピン留されている。そして所々に試作品の機械を作っていたような痕跡がある。
布がかけられた大きな装置を気にしながらも、私はどこへでも繋がる扉の進捗について話し始めた。
あれから扉の研究は、空間の安定性がある程度確認できたくらいであまり進展していない。もうすぐ試験を控えていることもあり、続きは夏季休暇に進めるつもりだ。
いつの間にか話は、研究からこの前の魔法実技の授業に移っていた。一通り話し終わると、おばあさまはほうと深く息を吐く。
「先生もひどいことをするわ。ベルくんもフランちゃんも災難だったわね」
「先生?」
違和感を覚えて、決まり悪気なおばあさまを問い詰める。すると、おばあさまの時代以前から同じようなことが行われていたのだと教えてくれた。
何でも魔法実技の恒例で、一番強い魔力を持つ人と一番魔力操作に長けた人にあえて失敗させて、それを皆に見せることで注意を促すのだとか。
要はいかに能力が高くとも必ず失敗はするのだから、驕るなというみせしめだ。
能力の高い当人には直接的な失敗として、他の人には反面教師として学ばせるらしい。
しかも魔力が高いのは、たいてい王族や高位貴族だ。
そんな相手でも学院は特別扱いはしないと、態度で示す意味もあるという。
衝撃を受けて黙り込むと、立ち上がったおばあさまが、お茶の用意をし始めた。かちゃかちゃという音をどこか遠くで拾いながら、ぐるぐると処理しきれない思いが渦巻いていく。
「……酷い」
ぽつりと口をついた言葉は無意識だったけれど、おばあさまの心配そうな顔と目が合う。
私たちは身分をかさに着るようなことなどしていないし、問題行動を起こしていた生徒には、まったく効果もみられていない。これではやり玉にあげられるだけ損ではないか。
香りのよいお茶を差し出してくれるおばあさまにお礼を言って受け取ると、カップに口をつける。ふわりと湯気が広がって、ほっと心も緩んでいく。
「おばあさまのときはどうだったのですか?」
思い立った質問はおばあさまにとって気乗りがしないものだったらしい。おばあさまは持っていたティーカップを置くと、少し困ったような顔をした。
「どうしても聞きたい?」
こくんとうなずくと、一つ息を吐いておばあさまは語りだした。
「おばあさまたちの時は、魔力放出がベルくんのおじいさま、魔力操作が私だったの」
先代の国王陛下だ。子供の頃、王城でよくお会いして、可愛がってもらった。今もお元気で、裏側から国を支えてくれている立派な方だ。
「お互い中々制御を崩さなくて、先生もどんどん無理を言うようになってね……。最後は不死鳥と龍の戦いの形を作ったところで私の魔力が尽きちゃったの」
おばあさまのときはなかなかに壮絶だったらしい。そしてそれができるおばあさまがすごい。
「それで……、それでどうなったのですか?」
「ベルくんのおじいさまもすぐには魔力を減らせなくてね。ベルくんのおじいさまがびしょ濡れになったのよ」
「おばあさまは?」
そう尋ねると、うぐと言葉に詰まったおばあさまの瞳が揺れる。
「……隠し持っていた魔法陣を作動させて自分の周りだけ守ったの」
観念したように口を開くおばあさま。
「えっ? でも禁止行為では……?」
一年次の魔法実技では、私物の魔法道具の持ち込みは禁止されていたはずだ。私も魔法実技の間だけはお護りを外している。おばあさまの頃は違かったのだろうか。
「絡まれることが多かったから自衛用だったのだけど、おかげで入学早々反省文よ。おまけに自分だけ守っただろってベルくんのおじいさまに絡まれて……」
おばあさまは子爵令嬢だったから身分差は相当なものになる。きっと恐ろしかったことだろう。
「王子のくせに器が小さいわね、って応えたら喧嘩になったのよ。色々あって気がついたら友達になっていたわ」
……おばあさま。流石にそれは不敬です。一体どうして、どんな色々があればそんな出会いからご友人になれるというのだ。
王城での振る舞いを誰も気にしていないのを疑問に思っていたけれど、まさか学生時代からそんな武勇伝があるなんて。
テンペスタの血が恐ろしいってこのことじゃないわよね? 流石に同列に語られるのは納得がいかない。
そしてその友人作りの能力を私も少しくらいは受け継ぎたかった。その孫のはずの私はなんでずっと遠巻きにされているんだろう。
しばらく考えてみても、やはり理由は思い浮かばない。話題を変えようとしたのか、おばあさまが、そういえば、と切り出した。
「フランちゃん、アリーチェさんってどんな娘?」
「アリーチェ・ヴィオーラ男爵令嬢ですか? 親しくはしていないので詳しくはわからないですが……」
本当は、親しくしている方などいないけれど、そんなことを言ったらおばあさまは心配してしまうだろう。私は強く生きるのだ。
「良いのよ。良いのっ。ほら、魔法陣学は週に一回しかないから少し気になっただけ」
「えっと、元々は市井で暮らしていた方らしくて、不慣れな生活に苦労されていそうでしたけれど、最近はお友達もできて楽しそうにしていますよ」
ただ、彼女のお友達は子息ばかりで、令嬢たちからはあまりよく思われていなさそうだ。幼馴染たち以外とはうまく付き合えていない私としては多少の親近感も湧くだけに、彼女が悪しざまに言われているとつい耳が拾ってしまうのだ。
だけど、そんな陰口みたいな話をわざわざおばあさまにする必要もない。
「ダンスの時間は彼女だけ先生に日替わりで相手を決められていますが、それ以外の授業は皆と同じように頑張っているみたいです。あと……、礼儀作法の授業は大変そうです」
一人不慣れな彼女のために、最初は先生がつきっきりで教えていたダンスだけれど、最近は王子や幼馴染たちと組まされるようになっていた。
王子とペアが当たったことがないだけに内心ではつい羨ましいと思ってしまう。
「そうなのね……。フランちゃんは直接話したことある?」
心配そうなおばあさまを訝しみながら、いえ、と答えるとあからさまにほっとされた。
「ううん、ちょっと不安になっただけなの」
「不安?」
「悪い夢をみてね、時々本当になるみたいで不安になるのよ。歳を取るとだめね」
哀しそうな青灰色の瞳が揺れる。心配になり、かさりとした手を握ると、その手を優しくもう片方の手で撫でてくれた。
「お護りは手放さないでね」
まっすぐみつめられて、反射的にうなずいた。おばあさまを苦しめる夢がどんなものなのか、気にはなったけれど尋ねるのもはばかられて、何を言えばよいのかわからない。
「ごめんなさいね。この話はこれでおしまい!」
迷っているうちに、にっこりといつもの笑みを浮かべたおばあさまが軽く手を叩いた。
「フランちゃんは夏季休暇は、家に帰らないの? エミリオも寂しがっているんじゃない?」
「エミリオは機械いじりに忙しいのではないでしょうか? あの子が寂しがっているとは思えないのですが……」
「そうね……。そういう子ね」
帰ったところで両親は仕事で忙しいだろうし、エミリオだって楽しく過ごしているだろう。あの子も魔法オタクではあるが、どちらかというと機械と組み合わせた魔道具への関心が強い。
「学院は三年しかないのですもの」
「あら、高等部に進学すればもう三年あるわよ」
高等部に進学するには、難しい試験に通るか高いお金を払う必要がある。そのため、王都で要職に就きたい子息たちが大多数で、令嬢は一握りだ。
高等部は成人済みなため、寮生活は必須ではないし、制服もなく、各々の采配で行動することになる。生徒たちは平等という前提は変わらないけれど、身分の影響は中等部よりも強いらしい。
今のように好きなことばかりしているわけにはいかないだろう。
「高等部に進学したとしても、自分の好きなことばかりはしていられません」
これでも王子の婚約者だ。少しずつやらなくてはいけないことも増えるはずだ。
「そっか……。そうよね……」
試験が終わったら、夏季休暇は研究三昧だ。わくわくする気持ちを胸に、おばあさまに別れを告げると、気持ちを試験勉強に切り替えた。