次の日の私
次の日の朝。緊張しながら教室に入ると、クラスがしんと静まった。
ダリオが席から軽く腰を浮かせて大きく手を振っているのが目に入り、ほっとした気持ちでそちらに足を向ける。
「おう! 昨日は大変だったな」
カラリとした声音でいつもの調子で笑うダリオの手前隣にはクレートが座っていて、水色の瞳をじっとこちらに向けていた。
「おはようございます。あの後は大丈夫でしたか?」
ダリオもクレートも心配してくれていたのだろう。挨拶を返して微笑んで見せる。
「助けてもらったし、大丈夫」
その答えにダリオがにんまり笑って、前の席で顔を背けたままの王子をつつき、むすっとした顔が向けられた。そして、ぶっきらぼうに「よう」と挨拶の声がかけられる。
それだけなのに、昨日の守るなんて言葉を思い出してしまい顔に熱が集まった。小さくおはようとは返したものの、なんだか気恥ずかしくて顔が直視できない。
顔に出て変に思われないかしら。内心焦っていると、クレートが「フランチェスカ」と声をかけてきた。
「ノート、よかったら貸しますよ」
午後の授業は丸々お休みしてしまったのだ。孤立している私にはこれ以上ない申し出に一気に現実に引き戻される。
「いや、俺が……」
何かを言いかけた王子が、言葉に詰まった。
「ベルトルドに先に渡しましょうか。フランチェスカはその後にベルトルドから借りてください」
お礼を言うと、クレートは優しく目を細めた。
「ふーん」
見るとダリオが王子に視線をやりながら意味ありげに口角をあげている。何だよ、とすごむ王子に別にと答えるダリオ。
クレートが何か言いたそうだったので気持ち耳を寄せると、「仲直りできたのですね」と囁かれた。
「近い!」
途端にクレートが王子に引き剥がされて、堪えきれない様子の笑い声がダリオの口から漏れた。
「あーあ、偉そうなこと言うくせに実力の伴わない方は楽しそうで良いな」
突然、後ろから嫌味な調子の言葉が響く。振り返ってそちらを見ると、話したこともない侯爵子息が腕を組み、友人二人とこちらに下卑た笑いを向けていた。
三人に視線を向けたベルトルド王子が小さく息を吐く。不穏な空気にそれぞれの様子をはらはらと見やる。
『実力がない』とは言うけれど、王子は魔力量で一番。私は魔力操作で一番なはずだ。それを彼らが知らないはずがない。とすれば、あの魔力の暴走のことを言っているのだろう。
昨日の失敗のせいで、ベルトルド王子の評価を下げてしまった。
私はたかが新興伯爵家の娘だ。けれど王子は違う。
王太子ではないとはいえ、国のために貴族をまとめる存在になるのは間違いないのだ。
そんな彼が爵位すら持たない貴族令息に馬鹿にされることなど良いわけがない。
嘲笑っているような三人に怒りが湧いて、ぐっと拳を握る。きつく眉根を寄せて彼らを見つめて、一歩足を踏み出そうとしたとき、
――私の手首を骨ばった手が優しく留めた。
「相手にするな」
その言葉に冷静になると、遠巻きにこちらを伺っている様子のクラスメイトたちが目に入ってくる。ダリオもクレートも険しい顔をして、睨むように彼らを見つめている。
確かに反論したところで彼らを面白がらせるだけ。悔しくても何も言わないのが賢い選択なのかもしれない。
……これがオトナになるってことかしら。
王子が冷静なことにほっとしつつ振り返ると、榛色の瞳や口元が心底彼らを見下したような表情を浮かべていることに気がついた。相手も気づいたらしく、笑いは消えて顔が引きつっている。
これ以上ないってほど、反りが合わなそうだわ……。
彼は嫡男ではなかったはずだけど、できるだけ関わらなくて済むようにお祈りしておこう。
「そっちの女も随分良い格好だったじゃないか」
紳士らしからぬ物言いに、かぁと頭に血が上る。
いつの間に立ち上がったのか、するりと王子が私の横をすり抜けた。そのまま侯爵子息の方へと歩み寄っていき、十分に距離を詰めると、耳元で何かを囁いたようだ。
即座に侯爵子息の表情が歯でも剥きそうなものに代わり、盛大な舌打ちと共にきびすを返した。あっけにとらたような友人二人も慌てたように彼の後を追っていく。
「まったく、まだ根に持ってんのかよ」
「実家の身分をかさにきて、ほかの生徒相手にやりたい放題やっていたのをベルトルドに注意されたのですよ」
ダリオの言葉に首を傾げた私にクレートが説明してくれる。そのせいか戻ってきた王子が顔をしかめた。
「余計なこと言うな。フランチェスカもほら、さっさと席につけ」
近くの椅子の背を軽く叩いて私に言うと、自分はその隣のさっきまで座っていた席にどかりと腰を下ろす。
貴族の中に敵を増やすことは王子の将来にとって良くないだろう。
昔からそうだ。この人はすぐに矢面に立とうとする。何度もかばってもらった。何度も守ってもらった。
私は、守られるだけではなくて、隣に並べる人になりたい。
「ベルトルド王子のそういうところが心配だわ」
思ったよりも言葉は冷たく響き、可愛げのない言い方になってしまったことに驚く。ベルトルド王子も怪訝そうにこちらを見ている。
うまく言い直せないうちに先生が教室に入ってきてしまい、私はつい、いつもの離れた席へと向かった。
始まった魔法植物学は、ベルトルド王子の得意科目だ。
幼い頃、家庭教師に薬物を盛られそうになった恐ろしい事件をきっかけに、ベルトルド王子は魔法植物や薬物に人一倍詳しくなった。
事件はおばあさまのおかげで未遂に終わったものの、それを自分の糧に変えられるベルトルド王子はとても強い人だ。
邪魔をしたくなくて、覗きに行ったことはないけれど、放課後は温室で過ごしていることも多いはずだ。
そのため、というわけではないけれど、私もこの科目は好きで身が入る。
魔法陣を描くためのインクに何を調合するかも、発動する魔法の効力に影響するのだ。知識はどんなに詰め込んでも、多過ぎるということはない。
よく使われる薬草の種類と効能について、語っていた先生が生徒たちに向き直ると、ダリオに視線を定めた。
「ダリオ。この霜降り草の効能は?」
「解熱と消炎。魔法効果は氷属性の付与です」
「正解だ。よくできたな」
剣術にばかり夢中なダリオだけど、意外な程に成績も良い。
理由を聞いたら、赤点なんか取ったら剣術に時間を割けなくなると、ダリオらしい答えが返ってきたのには笑ってしまった。
成績さえ良ければ、演習や怪我で長く休んでも困らないという理由もあるらしいのだけど、あまり無茶はしないでほしい。
「では、ベルトルド。こちらの霜降り草だが、注意点はあるか?」
にやりと笑って先生が尋ねる。これは、確実に一年で習う内容ではないだろう。
「この国では自生していないし、持ち込みも禁止されているので、見られませんが葉の裏に僅かに赤が入る妬心草と混同されると危険です。気候条件によっては、交雑種が見られることもあり、そちらについては研究中のはずです」
淀みなくすらすらと答える王子は、なんて格好良いんだろう。
先生は面白くなさそうに一言、正解だ、と答えた。大人げない態度だけれど、温室の管理責任者でもある先生はこれでベルトルド王子とは仲良しなのだ。
教室のどよめきなどまったく気にならないかのように、ベルトルド王子は教科書に視線を戻す。私は、さらに気を引き締めて、先生の話に耳を傾けた。
* * *
あの侯爵子息の一件もあり、人目のあるところでベルトルド王子に話しかけることも憚られて、そのまま放課後になってしまった。
せっかく仲直りができたはずなのに、全然うまくいかない。
王子が彼らに何を言ったのかも気になるけれど、聞いたところで教えてもらえないのはなんとなく予想がついていた。
今日はこのあと、おばあさまの資料室を訪ねて研究成果を報告し、今後の方針を決めることになっている。
報告内容を考えながら帰り支度をしていると、不意に声をかけられた。
「あっ、あのっ!」
揃えた教科書から顔をあげると、以前魔法陣学を教えた令嬢が顔を真っ赤にして立っていた。黄色味の強い瞳に眼鏡をかけて、明るい茶色の髪を綺麗にまとめた彼女は、こころなしか震えているようだった。
「ええ。その……、どうなされたのですか?」
あまりの勢いに面食らって尋ねると、彼女はその瞳を輝かせた。
「魔法実技、素晴らしかったです! 他の皆も感心していました。あんな酷いことを言っているのは、ほんの一部の方々だけです」
一息で言い切ると、彼女は荒く息を吐いた。目頭が熱くなる。わざわざこれを伝えに来てくれたのだろうか。なんとかお礼を伝えると、彼女はぺこりと頭を下げた。
「しっ、失礼します」
そのまま走り去るようにご友人のもとへ向かった背中を見送るうちに、温かいもので胸が満たされていくようだった。




