王子のローブと私
失敗しちゃったなあ。
熱に浮かされたように寮の部屋に帰って、シャワーを浴びるとだんだん冷静になってきた。鏡台に向かって、髪を乾かしている今は、先程の魔法実技での失態で頭がいっぱいだ。
午後の授業はお休みすることになり、急いで準備をする必要もない。そのことがもの思いに拍車をかける。
最大限の魔力を扱うのは本当に大変だった。そんなタイミングでぶつかられたら、制御を失うのも当然だ。私はなんてことをしてしまったのだろう。
魔力を扱うことが楽しくて……、いや、ベルトルド王子と一緒に何かができることに浮かれて、つい夢中になりすぎてしまった。
私自身は魔法師団長の娘とはいっても、良くも悪くも『成り上がり』の『ぽっとで』だ。何を言われても、自業自得だけれど、王子は違う。将来的に貴族をまとめる立場として、優秀であると皆に認められる必要がある。
それなのに……。私がぶつかったことに気付かなければ、王子が勝手に失敗したように見えたかもしれない。
さあっと血の気が引いていく。これは絶対に謝るべきだ。それに……。
ちらりと外套掛けを見やると、仲良く並んだ赤いローブが二つ。片方は、成り行きで持ち帰ることになった王子のものだ。
王子がローブを受け取ることなく帰ってしまったため、先生に返しておいてと頼まれたのだ。
謝らないといけないのはもちろんだけど、お礼すら伝えられていない。このローブを返すときには、絶対にお詫びとお礼を伝えなくては。
だけど、どうやって返そうか……。
あれだけ派手に失敗したのだし、教室で謝ったら確実に注目されてしまう。
かといって、男子寮を訪ねたところで、きっとたいして変わらないだろう。女子寮に男性が訪ねてきた噂は、次の日の食堂であっという間に広まっていたもの。
それならば、あとはどこかに呼び出すくらいしか思いつかない。だけど、嫌がられてしまわないだろうか。
不機嫌に眉根を寄せるベルトルド王子の顔が浮かぶ。最近のベルトルド王子はそんな表情ばっかりだ。
ふいに赤くなった顔を思い出して、慌ててかぶりを振った。あれは、先生があんなことを言うから……っ!
その拍子に、流れるように腰まで落ちた銀髪がさらさらと揺れ、ふわりとお気に入りの香油が香った。最近は、人前では髪を巻くようにしていたから、日中から髪を巻かないでいるなんてひさしぶりだ。
髪を巻かないと少し幼く見えるかしら。垂れた眉毛と相まって、今の私は一段と情けなく見える。
ベルトルド王子のお兄様のアルヴァロ王太子の婚約者は豪奢な巻毛の公爵令嬢だ。自信にあふれて堂々とした彼女に憧れて、髪を巻きだしてみたけれど、中身は結局『泣き虫フラン』のまま変われていない。
困り顔の後ろに王子のローブが目に入り、なんとなく外套掛けに歩み寄ると、袖口をちょこんと摘んだ。そうしていると、まるで手を繋いでいるみたいで少し口の端がゆるむ。
また守ってもらってしまった。
いつだってそうだ。私は、王子の足を引っ張ってしまう。
自分が情けないのに、子供の頃みたいに、王子が助けてくれたことが嬉しい。包み込まれたローブにどれだけ安心したのか、きっと王子にはわからない。
ちょっとだけ着てみたい。
じっとローブを見つめていると、とんでもないことが頭をよぎり、慌ててそれを打ち消した。
そんなこといけない。おかしい。だけど、こんな機会もうないだろう。
ほんのちょっと……。ほんの少しだけなら良いかしら。
「フランチェスカ、あなたにお客様ですよ」
予想外のタイミングで寮監の声がして、びくりと身体が跳ねた。上擦る声で返事をすると、来訪者の名前が告げられた。
* * *
手早く制服に着替え、きれいに畳んだローブを抱えて外に出ると、玄関先のアプローチで王子が待っていた。
「ごめん!」
開口一番に発せられた言葉に、思わず目を瞬かせる。
「授業は……」
「抜けさせてもらった」
放課後はにぎやかなこの場所も今はしんとして人気がない。
木々のざわめきだけが私達を見守っている。風に吹かれた葉を通して差す光がゆらゆらと動きながら、金色の髪の色合いを変えていく。
「俺の制御が崩れたせいだ。あんな……、迷惑をかけて悪かった」
申し訳なさそうに切り出す王子に、私は慌てて口を開いた。
「違うわっ! 制御が崩れたのは私がベルトルド王子にぶつかったせいだし、操作していたのも私だもの」
「でも……」
納得できなそうに口淀む王子の眼差しは険しさが取れて、随分柔らかい。こんな表情を見るのは久しぶりだ。
「本当にごめんなさい。ベルトルド王子の立場をおとすよう……」
「そんなことどうでもいい」
話の途中で、ベルトルド王子が怒ったように割り入ってきた。
「そんなものよりフランチェスカの方がたいせ……、大変だっただろ」
また表情が険しくなってしまった。でも、態度がかわってしまっても、優しいところはやっぱり変わらない。
嬉しくなって口元が緩めば、王子が怪訝そうに眉を寄せた。
「助けてくれてありがとう」
言いたかったお礼を伝えると、思いがけなかったようで、榛色が二度三度瞬く。
「いや、むしろ俺が助けられただけだろ」
「そんなことないわ」
自嘲的な言葉に慌てて口を挟めば、王子はあるだろとつぶやいて、むっとしたように顔を逸らした。私はまた余計なことをして、王子を怒らせてしまったのかしら。
気まずい沈黙。昔みたいに、仲良くなんてもう無理なのかもしれない。
それでも、気持ちを飲み込んで後から後悔するなんてイヤだ。胸元のネックレスに服の上から片手で触れて、最大限の勇気をもらう。
「……私は、助けてもらえて嬉しかった。本当は笑いたくてもうまく笑えなくて」
王子と目線が交わって、私は微笑んだ。
「だから、間違いなく私はベルトルド王子に助けてもらったの」
王子は驚いたようにこちらを見て、それからふはと噴き出された。
「ふっ、ふは、ふははは……。フランチェスカは格好良いな。本当にフランチェスカには敵わない」
格好良い? 今の私とは程遠い賛辞に思わずその顔を凝視する。
「しかも、俺を庇うし。守れるなら自分守れよ。びっくりしたんだからな、こっちは」
笑いすぎたせいか、王子は目元を拭う。きらきらとした榛色はいつ見てもすごく綺麗だ。
「とっさに身体が動いたんだから仕方がないの」
むくれてそう答えると、その瞳が見開かれて、はああと深くため息をつかれた。
「……流石に格好良すぎるだろ」
褒められているかんじがまったくしない。怒って睨むと、王子の目線が私を捉え、形のよい唇が弧を描いた。
「ありがとな」
その眼差しが想像以上に優しくて、拍子抜けしてしまう。張り詰めていた気持ちが緩んで、泣いてしまいそうだ。
「次は俺が守る」
小声ながら、決意を感じる強い声。その表情は険しいけれど、心なしか顔が赤いのは自惚れてもよいのだろうか。
その時、風がざっと吹き、私のまっすぐなままの髪をさらった。スカートがはためく前に、慌てて王子のローブごと抑える。
風がやんで、慌てて髪を整えていると、すっと王子が歩み寄って私の髪を一束取った。そのままついと髪をなぞった手を驚いて見やると、遠くで終業の鐘が鳴った。もう少ししたら皆が帰ってきてしまう。
慌てたように王子が手を離すものだから、わたわたと持っていたローブを手渡す。ばくばくと心臓の音がうるさくて、まともに王子の顔が見られない。
「じゃっ、じゃあな。……また明日」
「まっ、また明日」
ほっとしたような残念なような気持ちで息を吐くと、王子の背中を見送った。その間も胸の早鐘は少しも収まらず、私はぎゅっとペンダントごと胸を抑えた。