クラスメイトと私
一晩ぐっすりと眠ると、頭はだいぶすっきりしていた。
おばあさまのおかげでかなり気分が楽になった。もし、王子に嫌われたまま結婚するのが私の運命だったとしても、それをまるごと受け入れる必要なんてない。
いつものように制服に着替えて、髪を巻くと鏡の中を覗き込む。
鏡に映った私は、ここ最近で一番晴れやかな表情をしていた。
おばあさまからいただいたペンダントは制服の中に付けている。どうせ服の中にしまうのだったら、最初の王子の瞳のようなネックレスが欲しかったかもしれない。
ちらりと浮かぶ未練がましい考えに慌てて首を振った。だって、万が一誰かに見られてしまったらなんて言えばいいの? うっかりベルトルド王子に伝わったらきっと軽蔑されてしまう。
* * *
教室に入ると、幼馴染三人はすでに来ていて、固まって席について話し込んでいた。外からは見えないペンダントに服の上から触れて勇気をもらう。嫌われているからって距離を取るだけじゃ何も変わらない。
「おはよう」
声をかけると王子はびくりとその背をはねさせ、ダリオとクレートがこちらに目を向けた。
「おう! おはよう」
「おはようございます。きちんと休んでいますか?」
二人の正反対の印象の挨拶がおかしい。ダリオは公爵子息だけれども、実力主義の騎士団で揉まれてかなりフランクだ。
一方のクレートのお家は文官の家系だから特に丁寧な態度なのだけど、貴族としてはこちらの方が普通なのかもしれない。
「もうすっかり元気」
笑ってみせると、クレートもほっとしたように笑った。
「よっ、よう……」
ベルトルド王子も挨拶を返してくれて嬉しい。もう少し勇気を出して話しかけてみよう。
「ねえ、何の話をしていたの?」
まだ王子の顔を見るのは気まずいので、二人の方を見ると、ふいと目をそらされた。
えっ? どういうこと?
不安に思って、王子の顔を伺うとこちらも顔ごとそらされた。何? 何なの?
「あー、男同士の話ってやつだ」
ダリオが気まずそうに言う。
「どうしても聞きたかったらベルトルドに聞いてみてください」
クレートの一言に、ベルトルド王子がぐるんとクレートの方を向いた。なぜかぱくぱくと口が小刻みに動いている。
「えっと、教えてくれる?」
クレートがそう言うのなら尋ねても悪い話ではないのだろう。そう思って尋ねると、王子は少し詰まって視線を彷徨わせたあと、顔をしかめながら口を開いた。
「言えるか!」
その顔は耳まで真っ赤で、怒らせてしまったみたいだ。男同士の話と言われたのにでしゃばってしまったもの。
「ごめんなさい」
二人の責めるような視線に、王子はさらに眉を寄せる。
また怒らせてしまった。ただ仲良くしたいだけなのに全然うまくいかない。
礼をとると、三人から離れた席までそそくさと歩く。最近はお互いが視界に入らないように、横並びの列の中で一番遠い席に座るのが習慣になっていた。
あーあ。むしろ私が男の子だったら、仲間に入れたのかな。
昨日までの私だったらきっともっとがっかりしてしまったと思うけど、おばあさまのお護りのおかげかそこまで辛いとは思わなかった。
昔もこんなことがあったな。確か、あのときはお城の宝物庫に忍び込んでいたずらをする計画を立てているときで、私は仲間に入れてもらえなかった。
さすがに学院生にもなっていたずらの計画でもないと思うから、一体何を話していたんだろう。
「あの! テンペスタ様!」
考え込んでいるとクラスメイトから声をかけられた。家名を呼んでなんですかと答えると、「覚えてくださっていたのですか」と返された。
数日で、クラスメイトの顔と名前は一致している。もちろんですと笑うと、おずおずと教科書を差し出された。
「もしよければこちらを教えていただけませんか」
「魔法陣学? これならばおばあさまに直接聞いたほうがよろしいのではないでしょうか。気さくな方なのできっとわかりやすく教えてくれると思います」
「いっ、いえ! 実は憧れの方なのでなかなかに恐れ多くて。それに出来ない生徒だと思われてしまったら恥ずかしいわ」
おばあさまは人気者ね。好きな相手に少しでもよく思われたい気持ちはよくわかる。教科書を受け取ると彼女はほっとしたように息をついた。
手にした教科書は重要なところにきっちりと下線が引かれ、隙間には書き込みが目立つ。この教科書を見たら、きっとおばあさまは好感を持つと思うのだけど。
質問の箇所をできるだけ丁寧に例をまじえながらお話すると、彼女は嬉しそうにお礼を言った。
「お役に立てて何よりですわ。他にもわからないところはありますか」
嬉しくて笑うと、一瞬呆けた様子をみせたあと笑い返してくれてさらに嬉しくなる。このままお友達になれないかしら。
すると、口を開こうとした彼女の顔色がみるみる変わっていく。
「あの、いかがなさいましたか」
「いえ、何でもありません」
どうしたのかしら。気になって視線の先を覗くと、ダリオが王子の頭を叩いてじゃれているところだった。クレートも何やら話しかけていてこちらからはわいわいと楽しそうに見える。いいな。仲が良くて。
そのまま彼女は教科書を抱え、お辞儀をすると、足早に離れていってしまった。
入学直後からこんなことが続き、最近はよりひどくなっているように思う。
ときどきクラスメイトから話しかけられて、喜んでお話をしていると、話し終えていなくても相手が顔色を変えて去っていってしまうのだ。
もしかして私、怖がられているのかしら。
王子の婚約者で、幼馴染たちと仲が良さそうだから、権力でどうにかされると思っている? それとも、何人かの先生にテンペスタ家の血が恐ろしい、って言われたのはもしかして何か別の意味があるのかしら。
いや、まさかね。
幼馴染たちからは仲間はずれだし、他に仲の良い相手もできない。おかあさまやおばあさまみたいに悪口を言われるわけではなくてほっとしたけれど、遠巻きにされているのも悲しい。
今日もきっと、研究は絶好調だ。研究だけがお友達って、私このままだとまずいんじゃない?
始まったのは魔法教養学。
魔法の歴史やその成り立ち、今は使われていない初期の魔法についての科目で、クレートはこの科目がとても好きだ。なんでも、魔法の歴史と精霊との関わり、それぞれの家系の資質などの関連性を考えていくのが奥深いらしい。
私は、実践的な内容のほうが好きだから、この授業は少し退屈だ。
ちらりとベルトルド王子を盗み見る。最初は消極的な理由で選んだ席だったけれど、この席にだって良いところはあるのだ。
真剣な表情で前をみつめるその横顔は、今日も格好良い。
すっと通った鼻筋に、綺麗な顎から耳へのライン。凛々しい眼差しは黒板に向けられている。
ああ、好きだなあ。
今だけはあの黒板になりたい。なんで、私はすぐベルトルド王子を怒らせてしまうんだろう。
優しくしてほしいなんて贅沢は言わないから普通に話がしたい。
昔みたいに仲良くはもう戻れないのかな。
「フランチェスカ。フランチェスカ・テンペスタ!」
しまった。先生だ。学院では、身分の上下に縛られないように、教師は生徒を家名ではなく名前で呼ぶ風習があるのだ。
「すみません」
「研究もよいが、授業には集中するように。問二の答えは」
慌てて開いた教科書から問二を探す。いやだ、次のページじゃない。
「建国王と精霊王の契約です」
「よろしい」
なんとか答えられてほっとした。王子を見つめていたことはばれていないだろうか。ちらりと周りを伺うと、ベルトルド王子がこちらを見ていた。
ばちりと目があって顔が熱くなる。格好悪いところを見られてしまった。次からはもっと授業に集中しよう。
頬のほてりを手のひらで冷ましながら前を向くと、遅れてしまった板書に真剣に取り組んだ。