お護りと私
「フランちゃん、最近元気なさそうだけど大丈夫?」
おばあさまの声に慌てて顔を上げる。
ベルトルド王子だけではなく、幼馴染二人ともなんとなく気まずくてここ数日は彼らを避けて、授業のぎりぎりに教室に入り、すぐに出ていくような生活をしていた。皮肉にも、そうすると研究はとてもはかどり、意見をいただきたくて、おばあさまの資料室を訪れていたのだ。
おばあさまの資料室は本に溢れ、机の上にもたくさんの本が積まれていた。おばあさまの座る長椅子の上には、複雑な魔法陣が描かれた紙が何枚も散らばっている。
私が来るまで、自作の魔法陣の確認作業をしていたというおばあさまは、私にかけて待つように話すと紙を整理してまとめ始めた。おばあさまの仕事が一段落するのを待つうちにぼうっとしてしまったらしい。
メガネを外したおばあさまが、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫です。お忙しいところをすみません」
謝りつつ、ごそごそと大きな包みを紐解いていく。
どこにでもつながる扉の研究が少し進展したのだ。色々と試して扉を開けてみたら、扉の先は少し明るいのがわかるだけで何も見えなかった。この不思議な空間が何なのかもわからない。
本来の担当の開発魔法学の先生は、これだからテンペスタ家はと頭を抱えて、さじを投げてしまった。これからが面白いところなのに。
なので教科違いにはなるけれど、おばあさまのところに来たのだ。おばあさまの担当は、魔法陣学。これまで魔法は一つずつしか発動できないとされていた中で、複雑な魔法陣を描くことによる複合魔法を見出したのがおばあさまだ。
「ちょっとこれを見ていただきたくて」
私が取り出したのは扉の試作品。
肩幅よりも少し広いくらいの正方形の木製の板を外枠にして、その中央に指がやっと入るくらいの小さなドアを付けている。
外枠に隙間がないほどびっしりと描かれているのは扉を作動させる魔法陣で、暴走したとき用に封印の魔法陣も組み合わせてある。
動力の効率化のために入り口を小さくしたのだが、安全性が確認できていない今は、この大きさくらいでちょうどよい。
そこに呪文を使って魔法を重ねがけることで、扉の先が不思議な空間へと繋がるのだ。扉の中に物を差し込むと、扉を通って抜け出て見えるはずの物の先が見えなくなる。そして抜き出すと何も変わらず出てくるのだ。
おばあさまは、手近にあったペンを扉に通して、戻してを繰り返しながら嬉しそうな声を上げた。
「あら、すごい! 異空間なんて本当にあるのね。無限収納ができそうじゃない」
「異空間?」
「ここではない別の世界の場所っていうのかしら。私はそれを異空間と呼んでいるの」
流石はおばあさま。そんな概念をご存知だなんて。それに気になることを言っていた。
「無限収納ってなんですか?」
「無限収納っていうのはね、ゲームとかでよくあるシステムで、いくらでもアイテムをしまえるのよ」
「素敵です、おばあさま!」
おばあさまは本当にすごい。異空間についてまで造詣が深いなんて素晴らしいわ。
「そうねえ、これは色々試してみたくなるわね。フランちゃんすごいわ。大発見じゃない」
初めて扉の先がどこか別の場所に繋がったときは、私も驚いて感動したのだ。この感動を分かちあえるのが嬉しい。
「はい! おばあさまのお話を聞いていつか作ってみたかったんです」
そう言うと、おばあさまの目が泳いだ。
「うっ、うん。私だって本当に作れるとは思っていなかったんだけど……。まあ、確かにゲームでもスペックが高かったしなあ」
おばあさまの話はやっぱりよくわからないところが多い。学院で真面目に勉強を続ければ、その意味もわかるようになるのだろうか。
「水洗トイレすらなかったくせにもうこの扉ができそうって、本当にこの世界どうなってるの」
何やらぶつぶつつぶやくおばあさまは、もう自分の世界に入ってしまったようだ。
試作品の扉はおばあさまの手だし、意見ももうしばらくかかりそうだ。手持ち無沙汰になって、ふと周りを見渡すと先ほどおばあさまが片付けていた魔法陣の描かれた紙と一緒に、緻密な魔法陣の描かれた護符が置かれているのが目に入った。
「おばあさま、これは?」
「お護りよ。もし運命の矯正力があったときに抗えるような」
「……運命の矯正力」
おばあさまの目は真剣で、珍しく表情も険しい。聞き慣れない言葉を繰り返すと、脳裏にベルトルド王子の姿がよぎった。
嫌われながら、好きな人と結婚するのが私の運命なのだろうか。
「おばあさまは運命を信じますか」
気になって尋ねると、おばあさまはおいでと自分の座る長椅子の隣を軽く叩いた。私が、座るとおばあさまは優しい声でぽつぽつと語りだした。
「そうねえ。信じるって言いたいかしら。私は運命を信じて、こんなに可愛くて優秀な孫娘と出会えたんですもの」
おばあさまは私の肩を抱き寄せて髪をなでてくれる。
「でもね、もし運命が望まないものだったとしたら、私は最後まで抗って必死に戦い続けるわ」
戦い続ける……。おばあさまに似合わない強い言葉に驚いてそちらを見やると、おばあさまは両手を私の肩に置いて真剣な目で私を見つめた。
「矯正力になんて絶対に負けない。だからね、フランちゃん。もし、運命に抗いたくなったら私を頼って。これでもおばあさま、すごいんだから」
なぜだか滲んでいた涙を払うと私は笑った。おばあさまがすごいことなんてみんな知っている。
「それでね、お護りを受け取ってほしいの。フランちゃんが自分で人生を切り開けるように」
優しいおばあさま。きっとずっと私を心配してくれていたのだ。
おばあさまが取り出したのは、榛色の貴石のついたペンダントだった。その色合いはベルトルド王子の瞳の色を思い起こさせる。
渡されたペンダントを光にかざすと輝き方まで似ているように思った。
「おばあさま……、これ……」
「こだわりの仕上がりなのよ。効果もばっちり!」
嬉々としてキャラグッズ、コラボなどと話すおばあさまに私はペンダントを差し出した。
「ごめんなさい。使えません」
相手の色のアクセサリーをもつことは、その相手との関係を周囲にアピールすることにつながる。
仲の良い婚約者同士ならまだしも、今の関係で勝手に王子の色のアクセサリーを身につけることはできない。
深くため息をついたおばあさまは引き出しを開けると、何かを取り出した。
「それなら、これだったら身につけてくれる?」
取り出されたのは先程のペンダントよりも無骨なデザインのペンダントで、嵌め込まれた貴石は深い蒼だ。
「おばあさま、これはもしかして……」
明らかな男物のデザインに、嫌な予感がして尋ねると、おばあさまは慌てて孫用よ、と答えた。確かに弟のエミリオの瞳は私と同じ深い蒼だ。
ベルトルド王子に渡すつもりではなかったことにほっとしつつも受け取った。
「時間があるときに、デザイン違いで作るわね」
忙しいおばあさまに時間を割いていただくのは申し訳ない。それに、疑っているわけではないけれど、万が一王子にお渡ししてこれ以上失礼を重ねるわけにはいかない。
「いえ、これで大丈夫です」
胸元で握りしめたペンダントがかちゃりと音を立てた。
「そう?」
おばあさまの気が変わらないうちに、私は話題を移すことにした。
「このアクセサリーの魔法陣はあの護符と同じものですか。それにしても、こんなに小さなアクセサリーに魔法陣の付与ができるなんておばあさまは流石です」
ちらりと自分の小さな扉をみやる。魔法陣だらけの外枠がついた扉は不格好で不完全だ。
「それはね……、気合いと根性よ!」
おばあさまがやる気になればなんだってできてしまいそうだ。つい笑ってしまった私に、おばあさまは楽しそうに笑い返した。
その後は、おばあさまの淹れてくれたお茶をいただきながら、扉の検証方法や今後の方針について話し合った。
とりあえずは扉の大きさを変えることなく、異空間がどういったものなのか確認することになった。次からは、様々なものを異空間に入れてみたり、扉を開ける時間を変えて異空間の安定性をみたりしていく。
「忘れないでずっと身につけていてね」
おばあさまのくれた深い蒼の貴石が胸元できらりと光る。男物のペンダントをつけているのはきっとあまり良くはないから、私はペンダントを胸元に入れた。
ひやりとした感触がしたあとは、おばあさまから護られているようにじんわりと心が暖かくなっていった。




