幼馴染と私
ベルトルド王子は私のことが嫌い……。
盗み聞いた言葉が頭から離れず、私は打ちのめされていた。
昔から、もっと歴史ある家から第二王子の婚約者を迎えるべきだという話は出ていた。そのたびにベルトルド王子が怒ってくれて、話が流れてきたけれど、自分が婚約者として相応しくないことは理解している。
婚約者ぶった行動をとらないで、あくまで幼馴染として接するようにしてきたのもそのためで、できるだけ驕らないよう気をつけて過ごしてきたつもりだ。
生まれだけは努力でどうにもできない。
子供の頃、辛くて泣いてしまうと、ベルトルド王子が「フランは泣き虫だから俺が守ってやる」なんて慰めてくれた。実際に、原因となった相手に反撃をして、大目玉をくらったこともある。
ベルトルド王子がいたから私は笑顔でいられた。いたずらっぽく、にっかり笑う笑顔が大好きだった。
私のせいで、ベルトルド王子が怒られてしまうのは申し訳なくて次第に王城から脚が遠のいたけれど、王子を好きな気持ちは今でも変わらない。
物心つく頃には王子のことが好きだった。将来、結婚する人だと言われて本当に嬉しかった。これまで一度も、政略結婚を嫌だと思ったことなんてなかった。
そう、なかったのに……。
好かれていようが嫌われていようが私が婚約者であることは変わらない。きっと王子の気持ちがどうであれ、将来、私たちは結婚することになる。
政略結婚とはそういうものだ。
でも、今は、好きな人に嫌われているのに結婚が決まっていることが辛い。こんなふうに思うなんて考えてもみなかった。
* * *
魔法学の授業で早めに席について予習をしていたら、どさりと教科書が机に置かれ、隣に誰かが座った。他もかなり空いているのにと訝しんで見ると、そこには宰相子息のクレートがいた。
「最近、どうしました?」
平坦な口調でクレートが私に声をかけた。顔を覗き込んだことで癖のない黒髪がさらりと揺れる。少しだけ長めの髪が中性的な容姿のクレートによく似合っている。
「いつも通りよ」
虚勢を張って笑って見せれば、クレートは渋い顔をした。メガネ越しに見える水色の双眸は私を責めているようだ。
「かなり遅くまで研究に打ち込んでいるそうではないですか。いつか身体を壊しますよ」
王子の気持ちを盗み聞きしてしまってから私は、授業や課題に加えて、追加で課外研究に打ち込んでいた。子供の頃に聞いたおばあさまのお話に出てきた、どこにでもつながる扉を作ることが今の目標だ。
「あら、それはクレートもじゃない」
クレートのやっていることは、魔法の研究ではなく歴史の研究だけれどもやっていることは大して変わらない。
「私はいいんです。これでも意外と鍛えていますし。ほら、くまができていますよ」
クレートが鍛えていることを意外とは思わなかった。おとなしそうに見えてかなりの負けず嫌いなのだ。子供の頃の騎士ごっこでは、剣術の得意なダリオにだって勝てるまで何度も食いついていたし。
くまを指摘されてしまうなんて淑女として恥ずかしい。確かにここ数日寝付きが悪くて、夜中もよく目が覚めていた。勉強が進んでちょうどよいなんて思っていて、気づかなかった。
目立つかしら。思わず目元に手をやると、ため息を吐かれた。
「今はまだ目立ちませんよ。今日は早めに休んだほうがいいです」
「色々調べていくと面白くて、つい。心配してくれてありがとう」
王子の気持ちが私にないのならせめて魔法師団長の娘として、能力で役に立ちたい。その思いで始めたことだったが、勉強や研究が面白いのも本当だ。
子供の頃から、おばあさまの夢のある話を子守唄に、家の魔法書を絵本がわりにして私たち姉弟は育った。家では危ないからと制限されていたような魔法もここでは学び放題、研究し放題だ。
「本当に何もありませんか」
「ええ、大丈夫よ」
綺麗に巻いた髪を揺らして強気に笑ってみせる。一人で最後まで髪を巻くのも少しずつ慣れてきた。
「早く仲直りしてくださいね」
ぎゅむとクレートが私の眉根を押した。つくっていた表情がほぐれて、つい眉毛が下がる。
「そっちのほうがらしいですよ」
クレートはふっと笑うと席を立って、離れた席まで歩いて行った。
私、そんなひどい顔をしていたかしら。
だめね。小さくぱんと両頬を叩く。こんなではベルトルド王子の婚約者失格だわ。せめて必要とされるようにならなくちゃ。
* * *
次の授業はダンスだった。男女のペアで受ける授業だけど、ペアの決定はくじ引きだ。あまりにダンスの技量に差がある年は補えるような配役を教師が決めるけれど、それだと不平不満が出るし、社交に必須のダンスは誰とでも踊れなくてはいけない。
昔、自由に選べたときは婚約者としか踊らなかったり、婚約者以外と踊ると痴話喧嘩になったりして、自分たちでは選べなくなったのだとか。
確かに私もベルトルド王子が、他の相手と踊りたいと私以外を選ぶところを見るのは辛いだろう。いつか、そんな日が来てしまうのかしら。感傷的になっていると、名前を呼ばれた。
「フランチェスカ! ほら、早く。もう曲始まるぞ」
今日の相手はダリオなのか。騎士団長の子息のダリオはこざっぱりとした茶色の髪に緑色の目をしている。彫りの深い顔立ちは黙っていると彫刻めいて見えるけれど、普段は人好きのする笑顔で親しみやすい印象を与える人だ。
差し出されたダリオの大きな手を取ると、ベルトルド王子の硬く骨ばった手を思い出してしまい、私はかぶりを振った。
体格差はあるけれど、ダリオとのダンスは安定していてとても踊りやすい。軽々と踊らされて、まるで羽根が生えたみたいだ。剣の稽古で鍛えられた体はダンスでも活かされるらしい。
練習曲が三曲目に差し掛かったあたりでダリオが口を開いた。
「なあ、許してやらないと、ベルトルドが拗ねてるぞ」
あんまりな言い方に笑ってしまう。
「ホントだって! 今日は俺、絶対絡まれるから嫌なんだよ。とっとと許してやってくれって」
おどけたように眉毛を下げて、懇願するようなダリオは、おばあさまの言葉を借りると、愛されキャラというものだと思う。
「喧嘩なんてしていないわ」
盗み聞きしてしまったあと、どう振る舞えばよいかわからなくなってしまっただけなのだ。
「はあ? じゃあ、ベルトルドが悪いのか? そうなら俺がとっちめてやるから」
ダリオとベルトルド王子は従兄弟同士で、身分差を感じさせない。
「ほら、言ってみろって」
少し迷って口を開いた。ダリオにだったら、うちあけてみるのもいいかもしれない。
「私、ベルトルド王子に嫌われているから……」
そう言うと、ダリオは口をぽかんと開けた。そんな顔をすると端正な顔が台無しだ。
「なあ、それ本気で言ってる?」
こくんと頷くとダリオは天を仰いだ。
「あいつも報われねえな……」
首を傾げる私をよそに、任せておけとダリオが笑った。
* * *
ひさしぶりに幼馴染たちと話したことで少しだけ元気も出てきた。今日はクレートの言うとおり、早めに寮に帰ってゆっくり休もう。ダリオの様子だと、もしかしたら言葉のはずみで言ってしまったとか、なにか理由があるのかもしれない。
授業もすべて終わり、今日は課外研究を取りやめて寮への道を歩いていた。こんな早い時間に寮に帰るのはひさしぶりだ。
ふと、これまで気づかなかった小道を見つけて、少しだけと進んでいった。小道の両脇には小ぶりの花がいっぱいに咲いた木々が並んでいる。
花に気を取られてかなり進んでから、聞き覚えのある声に気がついた。
「いい加減素直にならないと嫌われますよ」
小道の先は東屋に通じていて、幼馴染三人が腰掛けて話しているようだ。ベルトルド王子がこちらに背を向けて座り、二人が、それに向き合っている。メガネに手をかけながら話すクレートの言葉にダリオが続けた。
「そうだぞ。俺にあたるよりも、フランチェスカに言ってこい。好きだーって。ほら、簡単だろ?」
二人は私のことを心配してくれていたから、わざわざ話をしてくれているのかもしれない。こんなところ見てはいけない。
「そんなこと言うか!」
ベルトルド王子が怒鳴った声に、肩をすくませた。
私って本当にタイミングが悪い。
どうしていちいち聞きたくもないことを盗み聞いてしまうんだろう。
見つかったら気まずすぎるわ。せっかくの楽しい気持ちもしぼみ、私はとぼとぼと寮への道を歩いた。