王子様と私
おばあさまに連れてこられたのは庭園の外れだった。低木の陰に石畳の広場があって、その中心には白い女神の像を設えた噴水が見えた。女神様の手にあるのは鐘だろうか。
「おばあさま、すごく素敵です! 学院にこんなところがあるなんて」
「恋の女神様の像なのよ。運命の人と巡り会えるんですって」
つかつかと噴水に近付いたおばあさまが、女神様の像を見上げた。つられて私も噴水に歩み寄った。
「フランちゃんそういうの好き? お祈りしておけばご利益があるかもよ」
困って言葉に詰まると、おばあさまは笑った。
「私は大好きなのよ。ねえ、ちょっと手伝ってくれない?」
私が答える前に、おばあさまは肩にかけていたかばんをごそごそと漁り、中から見たこともない不思議な道具を取り出した。手の平くらいの大きさのおそらく金属でできた四角い箱で真ん中のあたりに丸いガラスのようなものがはめ込まれている。
「おばあさま、それはなんですか」
「悪いものではないから気にしないでね。よし、そこに立って手を組んでお祈りするみたいなポーズをとってほしいの」
戸惑っていると、「四十五年越しの夢なのよ」と目を潤ませるおばあさま。
「もちろんフランちゃんのことは大好きで大切よ。それは間違いないの。でもね、この時この場所でこの制服を着たフランちゃんとはもう二度と出会えないのよ」
おばあさまの言うことはいつもよくわからない。
「あああ、ずっと思っていたけどもう画面から抜け出てきたみたい。制服可愛い! 可愛すぎる。そしてフランちゃんがもう本当にフランチェスカ」
おばあさま、本当に大丈夫ですか。心配になって近づこうとすると、手で止まってと合図された。わけがわからないまま、言われたとおり祈るような姿勢を取ると、おばあさまは小さく歓声をあげ、四角い箱を持ったまま私の周りをうろうろと歩き回り始めた。
「目もつぶってくれる?」
おばあさま、その手にお持ちの物は新しい発明品なのでしょうか。とても気になるけれど、口を開こうとすると、真剣な声でとめられる。
「フランチェスカ、何をやっているんだ?」
さっきのおばあさまの話を思い出して心臓がどきんとはねた。目を開けて、声がしたほうを見やるとやってきたのはベルトルド第二王子。壇上で挨拶しているときも格好良かったけれど、近くで見ると制服姿が新鮮でときめいてしまう。
前より少し背が伸びただろうか。一時期私の方が背が高かったけれど、今は同じくらいに見える。
「いいところに来たわね。ベルくん」
「はっ? うげ。テンペスタ前伯爵夫人ご機嫌麗しゅう。俺は急ぎますので」
幼い頃はおばあさまに懐いていた彼だけど、成長してからはことあるごとにスケッチをしようとするおばあさまを苦手にしていた。おばあさまいわく、それもまた萌えらしい。私にはよくわからない。
「ちょっとだけだし付き合ってちょうだい。それに、フランちゃんのこの可愛い制服姿を見ても何も言わないってどういうことよ」
「おばあさま!」
突然何を言い出すのだ、この人は。だけど、少し期待してしまう。私が、ベルトルド王子の制服姿を格好良いと思ったように、少しは私のことも可愛いと思ってくれないだろうか。
まじまじとこちらを見て、ちらりと私の足元に目をやった王子はぷいと顔をそむけた。
「……少しスカートの丈が短すぎないか」
「短くはしていないのですが、似合いませんか?」
「そうは言っていない」
「そうよー! すっごく似合っていて可愛いもの。夏服になったらブーツじゃなくて靴下かしら。サンダルなんかも涼しげで可愛いわよね」
「……靴下。……サンダル。夏服のスカートは長くしたほうがいいんじゃないか」
「ふーん。いっちょ前にねえ」
おばあさまはにやにやしているが私はショックだ。やっぱり似合っていないということだ。完全に膝下丈なのにそれすら似合わないなんて。学院では膝丈程度のちょっと短い丈の方が可愛いと、入学式で小耳に挟んでいた。
卒業したら大人の仲間入りの私たちは、学院を出たらもうこの丈のスカートをはくことはできないのだ。
「まあ、いいわ。とりあえずフランちゃんの前に立って向き合ってちょうだい」
「ちょっ、ちょっと、おいっ」
おばあさまに背中を押されながら王子がこちらに歩いてくる。
「まあ、ちょっとだけだから。つきあって、ね?」
なんだかんだでおばあさまに逆らえないのが、ベルトルド王子の人が良いところだ。少しぶっきらぼうなところもあるが優しい人なのだ。
「ごめんなさい。おばあさまが勝手を言って」
「ああ。いつものことだろ」
ちらりと私を見ても、にこりともしてくれない。昔はもっと仲良くできていたのに、いつからこうなってしまったのだろう。
「いいかんじ! よし、そこでベルくんはフランちゃんにもっと近づいて」
「十分近いだろ」
「いや、これじゃ萌えが足りない」
語気を荒げた王子に焦ってしまう。おばあさまは夢中になると周りが見えなくなるところがあるのだ。
「えっ、えっと、おばあさま、無理強いはよくありませんわ」
「婚約者なんだからそれくらい良いじゃない。それとも本当に嫌?」
そう、この王子様は私の婚約者だ。規格外なテンペスタ家の離反を防ぎ、家格も高すぎなくてちょうどよいと選ばれた完全な政略結婚である。
「とっとと終わらせるぞ」
眉をひそめ、ため息を吐いた王子が私に近づくと、おばあさまは歓声を上げた。
「よし、そこでベルくんはフランちゃんの両手を取って」
手!? 少し迷った様子の王子が私の両手をとる。大きさは私と大して変わらないけれど、この人の手はこんなに硬かっただろうか。
予想外の触れ合いに王子の手から目が離せない。私の手、汗をかいたりしていないだろうか。
「ダメよ。フランちゃん、目線はベルくんの顔ね」
恥ずかしさで涙がにじむのを感じながら、王子をみつめる。うっ、と呻き少し後ろに下がりそうになっているのが、地味に傷つく。
「いいわ、いいわよ。そしてそのまま顔を近づけて」
でも、王子の瞳をこんなに近くで見るのはかなりひさびさだ。やっぱり日の光の下で見ると、複雑な色味でキラキラ輝いて……
「ふざけんな、やってられっか」
盛り上がるおばあさまに、王子は私の手を振り払うと捨て台詞を遺して足早にその場をあとにした。
「あら、思春期ね。おかげでいいものが撮れたわ」
おばあさまは満足げだけれど、私はそれどころではない。少ししっとりと汗ばむ手を握りしめ、真っ赤になった顔をうつむけた。
「あら、フランちゃん?」
おばあさまには申し訳ないけれど、こんなこともう協力できない。そう伝えると、おばあさまは残念そうに「わかったわ」と答えた。
* * *
あれからベルトルド王子とは気まずくて顔を合わせることさえできない。幼馴染とはいっても、最近はほぼ会っていなかったし、生活はあまり変わらない。
だけど、ふと気づけば王子を探していて、ときどき視線が合うと、あのときの硬かった手や近かった距離を思い出して、すぐに目をそらしてしまうのだ。
できることならきちんと話して、おばあさまの失礼を謝りたいけれど、機会がない。
一度だけ、放課後に王子がおばあさまの資料室に入るところを見かけて、あとを追おうとしたことがある。しかし、そこで漏れ聴こえた会話は私の足をすくませた。
「フラン……悪役令嬢…………破滅…………」
予想外に自分の名前が出たことに驚き、ノックしようとしていた手をおろした。答えるようにベルトルド王子の声も聞こえる。盗み聞きなんていけない。それなのに足は動かない。
「俺……フランチェスカ……婚約破棄………嫌い……」
なんてタイミング。
好かれていないことはわかっていたけれど、こんなふうに盗み聞きで、相手の気持ちを知ってしまうだなんて。
思わず、踵を返して寮に帰った私はその日の夕食を取る気にもなれなかった。
次の日以降になっても、私はおばあさまにも、ましてやベルトルド王子にもこの日のことを聞けなかった。婚約破棄を考えるほど、嫌われているのは知っていても、自分の想いにとどめを刺すようなまねは出来なかったのだ。