テスト勉強と私
魔法学院には夏と冬に長期休暇がある。長期休暇には、ある程度の課題が出されるものの、その過ごし方は帰省するなり学院で過ごすなり、各人の自由だ。
そして、休暇前には試験があり、試験後にはパーティーが開かれる。パーティーはマナーの授業の試験も兼ねた本格的なもので、使用人の手を借りることも許可されているので、帰省準備のついでに使用人を呼び寄せて派手に装う場合もあるらしい。
とは言っても、私にとってはパーティーよりも百倍試験が大切だ。
試験の結果は各学年五十位までは張り出されることになっていて、王族の婚約者として家格が高くない私は、ここでそれなりの成果を出しておきたいところだ。
入試では一応、ベルトルド王子に続き、二位だったらしいけれど、ここで油断するわけにはいかない。絶対にクレートは本気で抜こうとしてくるだろうし、高官を目指すような方々は目に見える成果を欲しているのだ。
クラスの話題は二極化している。
私のように試験に全力を注ぐ者。既にパーティーの方に意識がある者。特に、漏れ聞こえる令嬢たちの話題は、ドレスの色や髪型についてばかりだ。
ついでに、誰かから誘われたかどうかという話題は、関心の中心にありそうだ。
私は既にベルトルド王子と婚約しているから、他の男性から誘われることはないし、おそらくベルトルド王子もあえて誘う必要を感じていないに違いない。
だけど、誘われた子たちがすごく羨ましい。
仲直りができたからといって、高望みだわ。だけど、あえて誘われたいのが女心というものではないか。
ベルトルド王子は、どんな顔で女の子を誘うのだろう。
そんな思考は、一人の少女の登場で中断された。
アリーチェ・ヴィオーラ男爵令嬢だ。おばあさまに言われたからというわけではないけれど、最近、彼女がすごく気になる。
ピンクブロンドの髪はふわふわと柔らかそうで、澄んだ水色の大きな瞳は好奇心で煌めいている。輝く笑顔は弾けるようで、自然と目が奪われる。
そんな彼女は、ダンスの授業をきっかけによく幼馴染たち――私の勘違いでなければ特にベルトルド王子――に話しかけることが増えていた。
今日も、ピンクブロンドの髪が幼馴染たちに向かって跳ねていく。その様はなんとなく、仔犬を彷彿とさせる可愛らしいものだ。
貴族令嬢としては、褒められたことではないけれど、なんとなく彼女はそれが許されるような雰囲気を持っていた。事実、私も彼女の話しかける相手がベルトルド王子でさえなければ、暖かく見守ったことだろう。
「ベルトルド王子! ダンスの授業ではありがとうございました」
「ああ。役に立てたようでよかった」
ベルトルド王子が、外面を貼り付けた王子様モードで対応していて、にこやかなのも内心穏やかでない。
「今度、温室にご一緒させてください」
「すまないが、研究で忙しい」
優しい笑顔はそのままに、ぴしゃりとした拒絶。性格が悪いけれど、断られたことにほっとしてしまった。私だったら、ここで落ち込んでしまいそうだけど、気にしないのが彼女の強さだ。
「では! パーティーではぜひ一緒に踊ってください」
「機会があったら」
表面上は穏やかに王子が答える。立場的に機会をつくるかどうかは王子の意思に委ねられるので、本来これはほぼ断りに近い。
しかし、学院では身分の上下はなく、平等ということになっているのだ。期待からか彼女の瞳が輝き、頬が色付いた。
「約束ですよっ!」
可愛い顔に満面の笑み。小指を差し出す様が眩しいほどに愛らしい。
「すまないが、用事を思い出した」
彼女の手を一瞥した王子が微笑んだ。そうして席を立つと、ダリオとクレートも続き、三人は教室を出ていこうとした。
「お手伝いさせてくださいっ」
弾んだ声で彼女が、ベルトルド王子の腕をとる。それを三人がかりで説得しているようだ。なんとなく王子の表情が私に見せるものよりも柔らかいような気がしてしまって、おもしろくない。
対外的な態度なのはわかっている。だけど、あんなに可愛い女の子に近づかれたら、気持ちが移ってしまうのではないか。
ベルトルド王子のことを信頼していないわけではないけれど、つい嫌な気持ちになってしまう。
クラスメイトから同情的な視線を向けられ、気づかれないようにため息を吐く。彼女のおかげで、教室も寮も居心地が悪くて、散々だ。
* * *
小論文のための資料を読んでおこうと図書室に来ると、一般室は勉強する生徒たちで混み合っていた。
目当ての本は見つかったから、借りて部屋で読んでもいいのだけれど、他に資料が欲しくなったときにまた出直すのは面倒くさい。少し迷った私は、何冊か分厚い本を取ると禁書室へと向かった。
こちらの禁書室は、成績優秀者しか入ることができない特別な部屋だ。禁書室に一歩踏み込むと、見知った黒髪が目に入った。
「クレートも勉強?」
「ええ、一般室はうるさくて逃げてきました」
それならば、近くに行ったら邪魔になるだろう。そう思って離れた席に本を置こうとすると、名前を呼ばれた。
「どうぞ。もしよければですが」
その言葉に甘えて、近くの椅子に腰を下ろすと、眼鏡越しの水色の瞳が満足げに細められた。私が来るのを歓迎しているような素振りに、最近イライラしているせいで、つい意地悪が言いたくなる。
「静かに読みたいんじゃなかったの?」
「そうですよ」
棘のある言葉を気にすることもなく、そのままクレートは自分の手元に目線を落とした。耳元からさらりと黒髪がこぼれたのを掬う動作に思わず見惚れる。本当にクレートは女の子みたいに綺麗だ。
失礼な考えを振り払って、私も持参した本に目を落とす。
一般室のざわめきはほとんど聞こえず、時々ページをめくる音だけが耳に届く。その静けさが妙に心地よくて、私は資料に没入していった。
必要なところは大方目を通し終えて、顔を上げると、クレートも本を読み終えていたらしく、視線が交わった。一瞬、クレートが驚いたように見えて確かめようとしたけれど、いつも通りの落ち着いた表情を浮かべていて気のせいだと思い直す。
まじまじと見つめてしまった私に気を遣ってか、クレートが口を開いた。
「パーティーのドレスは決まりましたか」
「うん。蒼にしようかなって」
どちらかと言うと自分には寒色が似合うと思っているのだけれど、ドレスから色々と邪推するような方もいるらしいのだ。
あの色は誰かの瞳の色ではないか。髪の色を意識したのではないか。さらに、家ごとの色もあるにはあって、それを意識しているのではないか。噂話のネタは枚挙に暇がない。
その点、自分の瞳の色なら間違いないだろう。そんな消極的なチョイスである。
本当は、少し大人っぽいかなとも思っていて、もう少し淡い色が着たい。
「着たいものを着て良いと思いますよ」
その言葉に、ぱちぱちと瞬いた。
「クレートは心が読めるみたい。よくわかるのね」
「そうでもありませんよ。フランチェスカがわかりやすすぎるだけです」
「そんなこと……」
あるのだろうか。ここまではっきりと読まれてしまうと否定もできない。私の迷いを読み取ったような余裕ある態度でクレートは口を開いた。
「聞きにくいならベルトルドに聞いてみましょうか」
相手の色をまとう以外にも、婚約者同士でドレスと男性の小物の色を揃えるなどで、関係をアピールすることがあるのだ。思わず頬が熱くなった私を見て、くつくつとクレートは笑った。
「いらない。でも、ありがとう。クレートといると安心する」
親密な関係が築けていない今、揃いの服を着ることはよいアピールになるだろう。だけど、それをクレートから伝えてもらうのは違う気がした。
それでも、クレートと話す時間は穏やかで、ささくれた心が凪いでいくようだ。取り繕っても無駄だと諦めがつくからだろうか。
「光栄です」
「……クレートと結婚する人は幸せだろうな」
つい漏れた本心に、クレートの顔が陰った。
「……誰にでもというわけではありませんよ」
「ごめん」
あまりにも無神経だった。私のように政略結婚相手が好きな人だなんて幸運はなかなかに珍しいのだ。
このままだと、嫡子であるクレートは政略結婚をする可能性が高い。となれば、クレートは自由に相手を選ぶことができない。
「何を謝っているのですか」
その声に俯いていた顔を上げると、クレートは困ったような笑顔を浮かべていた。
「正直、誰とでも同じかもしれない、なんて思うこともあるんです。私の両親もそうですし。でも、誰と結婚したとしても、相手を尊重することに変わりはありません」
だけど、と続けようとした言葉をクレートが留めた。
「幸せにできるよう努力しますよ」
その目は優しいけれど哀しくて。
「だから、フランチェスカは自分のことだけ考えて、幸せになってくださいね」
言葉を呑み込んだ私は、曖昧に頷くしかなかった。