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万物にファーストクラスの尊厳を

作者: 鈴木美脳

 人を笑う者は、地獄に落ちる。

 この仮定について、証明を考えてみよう。


 ある人が別のある人を蔑んで笑うとき、何らかの価値観に基づくことになる。

 自分が多く持っていて、他者が少なく持っている性質について、蔑むことになる。

 そのことは、一時的には、気分的な楽しみをもたらしうる。

 しかし、長い目で見ると、自分自身をその価値観に縛りつけてしまう。


 自分が人より多く持っている価値といっても、永遠かつ最大ではありえない。

 時間が経過することで、自分がその価値を持つ程度が失われていく場合もある。

 そうでなくとも、自分よりもその価値を持つ他者が存在する。

 よって、人を笑う者は常に、実際には自分を笑っている。


 しかし、価値観を改めることは難しい。

 人を笑うことで自分を誇って生きてきたなら、そんな過去は否定しがたい。

 価値観を改めれば、生きて蓄えてきた自尊心を根底から瓦解させかねないからである。

 ゆえに、老いるほど、視野は狭くなっていく。


 誰かを何らかの意味で馬鹿にしたとき、自分の価値観は狭くなる。

 次第に、世界は単純になっていく。

 現実の世界は複雑で、多様な価値と多様な喜びがあるのに、そこから遠ざかってしまう。

 そのとき自尊心は、視野の極端な狭さによってのみ支えられている。


 経済的に貧しい人々を、価値の低い人々だと思ったとき。

 知的能力に障害のある人々を、価値の低い人々だと思ったとき。

 他者を種類で割り切って蔑んだとき、視野は狭くなる。

 それを逃れるためには、万物にファーストクラスの尊厳を見るほかない。


 人間と家畜の地位は異ならない。

 動物と植物の地位は異ならない。

 生物と石ころの地位は異ならない。

 わずかにも蔑むべきものは、この宇宙にありえない。


 価値観は、相対化すべきものだ。

 でなければ、価値観に縛られ、苦しみが約束される。

 世俗は幸福の道具だが、幸福は世俗の道具ではない。

 心の真の自由を得るには、だから、万物を平等に尊重するほかない。


 誰かを蔑んで心の喜びを得ることは、今でもしばしば行われている。

 人類の文明は、精神的にはまだ石器時代にあるようなものだ。

 人を蔑んで喜ぶ主観は、客観すればいかにもみすぼらしい。

 我欲の絶対化を解除したとき、精神は自然と愛情に開かれる。


 愛こそが最高の価値観だと強いて言わない。

 我欲の忘却こそは解脱の常道だと言うのである。

 時代の人々が本当に豊かならば、人々の心もまた豊かであるはずだ。

 路地を訪ねても蔑みの欠片すら見いだすことはできないはずだ。


 その発展を阻み、人々の幸福を制約している原因は何か?

 つまりは蔑みが、人々を苦しみに縛りつづける。

 それは地獄に落ちているようなものだ。

 人を笑う者は、地獄に落ちる。

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