竜國炎上20
その日の朝、メリュはコーヒーの香りに目が覚めた。ベッドを出て古めかしいアパートの廊下を進むとキッチンで一人の女性が立っていた。
「ボンジュール、メリュ。よく眠れたかい?」
銀色の腰まで下げた胸の大きなその人はエプロンを着て蕎麦粉のクレープであるガレットを焼いていた。
「ボンジュール、マネ…よくは眠れた…布団がふわふわしてたから」
「それは良かった」
マネは静かに微笑むと丸いガレットにチーズと野菜を手際良く乗せて巻いて深めの皿に二、三個盛り付けた。
「さぁ朝ごはんだ」
二人分の皿とコーヒーを赤いテーブルに運びメリュを呼んだ。
メリュは少し怪訝そうに慎重に席に着く。その様子をマネは面白そうに静かに見つめていた。
「大丈夫、変なものは入っていない」
「い、いただきます…」
「君の国ではご飯前にそうするんだってね。えっと、イ、ただきマす?」
二人は静かな朝を過ごしていた。窓を見ると青空に陽光が差し千切った綿のような雲が点々とゆったり浮いている。
「パリの空だよ、気持ちいいでしょう」
誇る様なマネにメリュは外を見る。
「まぁ、悪くないかな…」
「さてと、後片付けをしたら今日は出かけるよ」
「どこに?」
「うーん強いていうなら散策かな?君に街を覚えて欲しいから」
二人は片付けを済ませ、化粧と着替えを軽く済ませると街へ出た。
「ここは"カルチェラタン地区"の端で"ムフタール通り"と言うんだ。学校がたくさんあるから学生が多いよ」
パリの中心部セーヌ南岸に広がる五区は古くより神学校から始まる数多の教育機関がひしめき合う学園都市である。
教えていた宣教師たちがラテン語を用いていた事から"羅甸語地区"と呼ばれるようになった。ここには時代を経て魔物の国となった今でも変わらず多くの人々が学び行き交う。普通の四人種ももちろんいるが、中には角が生えたり、大柄な体格に牙が生えていたり、翼があったりメリュが今まで見てきた街並みとは明らかに様子が違った。
「ねぇ、あれは何?」
特にメリュの眼に止まったのは箒に乗って宙を行き交う人々だった。
「あーあれは"魔導士"たちだよ」
「まどうし?」
「"マージ"ともいうけどね。君たちの国、アルプスの"魔術士"と同じ"神秘"を操る者たちさ。厳密には違うけどね」
「違うの?」
「んー簡単に言えば"魔術士"は軍人。かれらは学生や教師かな。この国では戦うのは竜の仕事だから」
マネの"竜"の言葉にピクッとメリュは反応した。力ある竜は皆人に化けられる。メリュがそうであるように。そして彼らの眼は緋色をしている。目の前の銀髪の女性の様に。
「マネは軍人なの?」
街中をゆっくりと歩く二人は角を曲がった。そこは"ムフタール通り"と言われる緩やかな坂の商店街であり、静かではあるが活気があった。
「私は軍人じゃないよ。双子の姉のおかげでね」
「お姉さんって国の重臣の?」
「そうそう、"宰相"って。この国で一番偉い王様と王母様の次くらいに偉い人」
メリュはギョッと驚いた。
「そんな人がいるのにどうしてあんな借家に住んでいるの?」
「あんなとは酷いなーまぁ姉さんは姉さん。私は私って感じかな」
笑顔で上手く誤魔化されたとメリュは思った。
「後で"シテ島"で会う予定だよ。一応君を助けた人だからお礼しなきゃね」
メリュはオルレアンでの戦闘で事故とはいえ傷ついていた所を助けられた。それが所属している陣営の敵であったとしてもメリュにとっては恩人である事は変わらない。
(とりあえず私はアルプス生まれの迷子竜って事で通ちゃったけど、どこまで嘘に気付いているのかわからない…)
マネと共に数日暮らしているが、メリュには彼女が何を考えているのかさっぱりわからなかった。これは権力争いの中で人の顔色ばかり見てきたメリュにとってあり得ない事だった。
「どうしたの?」
「い、いやなんでもハハ…」
少し広場になった所を抜けて"クロヴィス通り"に入る。ここは古い城壁や教会が多く残る。それらを見ながら北東に進む。
二人はそこからパリ中心を流れるセーヌ川の南岸沿いまで来た。この辺りは教会が多く美しい景観と共に飲食店やカフェが軒を連ねている。
「ねぇ、あの二つの塔は何?」
メリュが差した対岸の方に印象的な建物が見えた。
「"ノートルダム大聖堂"だよ。あそこがシテ島と言うんだ」
"シテ島"はパリの中心であり、最も歴史のある地区で、隣接する"サン=ルイ島"とならんでパリ発祥の地とも言われる。
川に浮かぶ小さな島だが、象徴的な大聖堂が天を貫き堂々と鎮座している。南岸の"トゥルネル通り"からプティポン橋へ向かうと道沿いの木々の合間から大聖堂を横切るように見渡せる。プティポン橋から島へ渡ると二つの塔が並ぶノートルダムの正面に着く。
「ここにお姉さんがいるの?」
「いや、いるのはお向かいのこっち」
マネが指差す大聖堂の真向かいにはハチミツ色の石造りの荘厳な建物があった。
「"トラント=シス"…パリ警視庁の本庁舎だよ」
「警察なの!?」
「姉さんがここで用事済ませてから合流する予定。まだ少し時間があるからもう少し先の花屋市場に行こうか」
プティポン橋から"シテ通り"を北に少し行くと小さな広場があり花屋のバザールが開かれていた。
「あっほら花屋があるよ。姉さんは食べ物とかより花が好きだから良いんじゃないかな。書いてある値段も渡した予算に充分入るし」
マネを追って花屋に入ると冬が近いというのに実に様々な花々や観葉植物が置かれていた。
「いらっしゃいなお嬢さん方…おや、リシュリュー卿の妹さんじゃないか!」
店主である"鬼人族"の老婆が驚いていた。
「フフはじめまして」
「マネは有名人なんだね」
「まあね。あの、姉に花束をと思っていまして」
「あら、素敵ね!うちとしても誉だわ!どういう風にするの?」
「どういう風にしたい?」
「えっ、えーとお姉さんはどんな花が好きなの?」
「一番は薔薇かな」
「なら薔薇の花束を。私はあまりセンスがないからお任せでお願い」
「わかったわ。貴方、見ない顔ねぇ」
「最近ここに来たの」
「それはそれは、フランス語お上手ねお嬢さん」
「そ、そうですか?」
実際にはメリュはフランス語に明るい訳ではない。ただ"竜の知恵"で少しズルをしただけである。ちなみにアルプス共和国もフランス語圏内である。
「えぇ!だからオマケしておくわ!」
「…重い」
顔が隠れてる程のカラフルな薔薇の花束をメリュは抱えていた。
「沢山オマケして貰ったね」
大きな花束は薔薇以外にも様々な種類の花で飾られていい香りがメリュを包んだ。
「さてと、姉さん用事終わったかな」
再びノートルダム大聖堂前に行くと人だかりが出来ていた。
「リシュリュー様だ!」
人だかりの中心にはマネと瓜二つではあるが、燃える様な金髪に細やかな胸の男装の麗人が人々に応えていた。
「皆ありがとう。すまないが人と会う予定でね。通してもらえるかい?」
苦笑いしながら麗人は人々を静止するが、止まる気配が無かった。
『停止せよ《シーロンス》』
その声と共に人々がピタッと止まった。
「姉さんこっち」
麗人は人々の向こうから振られる手を見ると人だかりをジャンプ一つで乗り越えた。
「ふう、助かったよマネ」
「姉さんこそ"人避け"を忘れるなんてらしくない」
「仕事だったんだ。少し疲れているのさ」
「全くもう、働きすぎ」
マネに姉さんと呼ばれた人物はメリュを見ると手を差し伸べた。
「ボンジュール。私はリシュリュー・ド・モネだ、よろしく」
優しく包む様なマネの声とは違い、脳に響く鋭い声だなとメリュは思った。
「えっとメリュです。助けて頂いてありがとうございます…あの、これ…」
メリュは握手をしながら花束を差し出した。
「凄い量だな。そこの"エリザベス二世花屋市場"で買っただろう、サービスが派手だからな。でもありがとう綺麗だよ」
モネは大きな花束に指を当てた。すると花束はメリュの手元から離れて宙をふわふわと浮かんで漂った。
「姉さんもう用事はいいの?」
「あぁ大丈夫だ。アイスを食べに行こう。店はもう予約しているんだ、今日は暑くなるからね」
そう言うとモネは暑苦しいスーツの上着を脱いでクールビズスタイルに腕を捲ると懐から赤いメガネを取り出して掛けた。
「"人避けの眼鏡"をついつい忘れてしまうのだけど、違う品にした方がいいのかな」
「腕時計とかいいんじゃない」
そんなことを言いつつ三人は"サン=ルイ島"まで向かった。
"シテ通り"から東の小道、大聖堂を横切ってサン=ルイ橋を渡り暫く歩く。
「ここだ」
モネが街中で指した店は黄土色の外装に"Berthillon"と書かれていた。
「私のお気に入りの老舗のアイスクリーム屋さんだよ」
中に入るとアイスクリーム屋と言うよりは宝石店のような内装にメリュは若干引いた。席につくと恰幅のいいドワーフの男性がやってきた。
「ボンジュール、宰相閣下」
「あぁ店主。久しぶりだね」
「さようで。閣下は多忙でいらっしゃいますからなぁハハハご注文はいつもので?」
「いや、イチゴジェラートを頼む。三人分な、それとこの花束を此処で飾ってくれないか?私の家にあっても枯らしてしまうだけだ」
「かしこまりまして」
店主は深々と頭を下げると花束を持って店の奥に消えていった。
「私の奢りだ。店主が気を利かせて人払いしてくれているからゆっくりできる」
暫くすると若い店員が長めのコーンに盛られたジェラートと冷えたコーヒーを持ってきてくれた。
「この素朴な味が好きだ。王宮の外にいる事を実感できる」
モネは上品にジェラートを口にしつつため息を吐いて外を見た。少し疲れきっている様にメリュには見えた。
「戦争、はじまりそう?」
マネの言葉にモネは外を見たままコーヒーに口を付けた。
「…陛下が目覚めたんだ」
「えっ?」
「今日はそれを伝えたくてね…まだ、公表はしていないけれどご健全であられる」
「そう…」
マネは動揺を隠せなかった。
「だが、目覚めたのはあくまでも"肉体"の方だけだ。"精神"が抜けている分、精神的に不安定な状態が続いている」
メリュはマネの顔を見た。少し悲しそうな顔をしていた。
「あの子はまだ縛られているんだ…」
「先日のオルレアンの件といい、我々は王を制御しきれていないのが現状だ。"王の炎"の大元である"魂"の場所も特定出来ていない。だから」
「私に王宮に戻って欲しいと?」
「そう…やはり無理かな?私だって唯一の家族にこんな頼み事はしたくな」
「……いいよ」
「…本当に?」
「家族はあの子もでしょ?魂の無い肉体はいつ崩壊してもおかしくない…誰かが拠り所として魂の代わりを務めなきゃ」
「…メルシィー」
「ただし、条件を付けてもいい?この子…メリュも連れて行くって」
「ん?」
その話がされた時、メリュはジェラートをしっかりとコーンまで完食した。




