3036/7/15→7/18
夏は嫌いだ。暑苦しい。
「ねぇ、ねぇっば!」
少年は夏の暑さに耐えかねて駄菓子屋の前にあるベンチで寝込んでいた。
「なんだよ刹那。具合悪いんだってば」
少年を起こしたのは高校の夏服を着た少女だった。夏の日差しの中でも透き通るような白い肌と少しツンツンとした長く艶のある硬い髪の毛が特徴だった。
「時間、もう補習始まってるよ?」
少年は腕時計を見た。安物の防水デジタル時計はもうすでに遅刻である事を知らせていた。
「あーもういいや。どうせハマコーの受け持ちだろ。俺アイツの授業嫌いだもん」
だら〜んと力を抜いて少年はベンチに溶けた。
「もう!なんであー君はいつも面倒臭がるの!このままだと一緒に進級出来ないよ!?」
「いいよもう、暑いんだから…それより何で刹那は制服着てんの?補習受けるほど頭悪かったっけ?」
「カイン先生の手伝い!生徒会に夏休みなんて無いの!」
「あぁ金髪先生か…」
「なんだば、おめんど今日学校だな?」
駄菓子屋から店主のお婆さんが出てきた。
「あ、ふきヱさん、おはようございます!」
「まだ夏休みだってふき婆。それよりラムネ二本くれる?」
少年はズボンのポケットから財布を取り出して小銭をふき婆に渡した。ふき婆は淡々とした感じで奥の冷蔵庫からラムネを取り出してきて二人に渡した。
「毎度。おめさては補習だべ。昔から頭まねかったべ」
「おうよ、絶賛サボり中だ」
そう言うと刹那に頭を引っ叩かれた。
「サボるな!デコ助!」
「痛って!何すんだよ!」
「あははは、もっと叩かれて頭っこ良くなれっさ」
「ふき婆、心配は!?」
「いいから!これ飲んだら行くよ!補習でないなら私を手伝って!」
「えぇ…っていうかそのラムネ俺の奢りじゃん!なんでそんなに偉そうなんだ?」
「五月蝿い!ほら飲め!」
無理矢理口にラムネを突っ込まされてガボガボとなった少年をふき婆は笑顔で見つめた。
「青春だばなぁ。しっかり尻に敷かれて貰えへ」
「いやだなぁ、ふきヱさん奥さんみたいなんてえへへ」
照れくさそうに刹那はしているが少年はラムネを突っ込まれて白目を向いていた。
「それじゃあご馳走様でした」
刹那は少年の首根っこを引きずりながらふき婆に頭を下げた。
「気を付けでいきへ」
「はい、行ってきます」
手を振って少年を引きずりながら刹那は日差しの中を歩き出す。遠くの山の上には入道雲が連なり、風が少し吹いた。
「失礼します。こんにちはカイン先生」
二人は学校に着くとそのまま職員室に出向いた。
「コラお前!補習サボりやがったな!」
少年が入った途端にハマコーこと濱口先生が凄まじい剣幕でかかってきた。
「あ、おはようございます。今日も素敵な天気ですね(棒読み)」
「このやろう…」
寂しい髪の毛の下に青筋を立てながらハマコーは身を震わせていた。
「まぁまぁ、濱口先生」
ハマコーの後ろから一人の金髪の若い男が声を掛けた。
「コイツにカイン先生からも何か言って下さいよ。もう単位が足りないんですって」
「言っておきますから、後は私が。二人共、付いてきて」
カイン先生は最近赴任してきた。外国の出身らしいが担当は物理と化学で、英語はハマコーの担当だった。
金髪に眼鏡が似合う容姿端麗なうえ優しく教え方が上手いので女子たちから絶大な人気がある。
夏の日差しが入らない長い校舎の廊下は休みというのもあってか部活等で来ている生徒がまばらにいる程度で閑散としていた。
「ハマコーもああ見えて優しい人なんだから、少しは敬いなさい。大人になると勉強より人を敬う方が遥かに役に立つからさ」
「はーい」
「こら!はいは伸ばすな!カイン先生だって目上よ!」
頭に刹那から拳骨を食らった少年は不機嫌そうにしながら廊下の外を見た。
「そういえば、そろそろ夏祭りだなぁ」
「そうね。ウチもずっと準備しているわ」
「刹那君は神楽舞をするのかい?」
「するでしょ。神主の娘だもんな」
「なんでアンタが代わりに答えてんのよ!」
「いっ…また頭叩いた!」
ハハハと笑いながらカイン先生は廊下を進んでいく。
「あれ?先生、こっちはプールですよ?」
「うん。今日は撮影は休みにしてプール掃除して欲しいんだ。映画研究会の一人が事故で骨折してしまってね。大事にはなっていないのだけど撮影は流石にね」
「えっそうなんですか!?誰です?」
「二年の美咲君。家の階段から落ちて右手をね」
「あの頑丈なミッサーが…後でお見舞いに行かないと」
「中央病院に入院したそうだよ。私も顧問として後で行こうと思ってる」
歩きながら「第一プール」と書かれた札のある引き戸をガラガラと開けると外に出た。
「ん?おぉ!先生と書記!と、アホ!」
大きな二十五メートルのプールの手前にいた男子生徒がデッキブラシを片手に仁王立ちしていた。
「誰がアホだ哲!」
「単位ヤバいのに補習サボったんだってな!アホだろ?」
「そうね。今度からアホって呼ぶわ」
「ほらな!お前は今度からアホだ!」
「んな不名誉なものを強引につけんな!」
「哲君。アホは置いておいて、他の二人は?」
「先生まで…!」
涙目になっているアホを完全に無視して哲はブラシで床をコツンと突いた。
「タケは飲み物の買い出し。ユラはちょっと遅れるってさっき電話して来ました」
「OK。じゃあ早速始めようか。アホ君は手伝って一番働いてくれたら今日の補習分の単位を濱口先生に交渉してみよう」
「やります!」
崩れていた少年はガバッと立ち上がって要務ロッカーに駆け出した。
「こら!プールで走らない!」
入道雲が遠くの空で成長していた。
お祭りの日、少年は朝早くから刹那の実家、村の神社で準備の手伝いをしていた。
「たく、何で俺が…」
「うっさいわね、誰のお陰で単位を間に合わせられたと思ってんのよ!」
祭りに使う草履を直しながらぼやく少年は隣で作業する刹那に頭をぶたれる。
「くっそう…何も言い返せない自分が恥ずかしい…」
「おお?若いのに夫婦漫才やってんなぁ。もう尻に敷かれてんのかい?」
二人がいた部屋に壮年の男性が入ってきた。
「うるせぇ、誰が夫婦だ!」
少年は不機嫌そうにしていたが、刹那は顔を真っ赤にして黙りこんでしまった。
「熱でもあんのか?」
「うるさい!」
少年に怒鳴りつけたまま刹那は勢いよく出て行ってしまった。
「おいおい、女の子がわかってねぇな」
男は溜息を吐いた。
「おい、草履は間に合いそうか?」
「あと六足だよ」
「なら早く済ませちまいな、そろそろ昼休みだぜ」
早々に草履を片付けて、少年は部屋を出た。社務所の長い廊下は昼だというのに暗い。向こうから数人の女の人達の声がする。
「大広間はどっちだっけ?」
この社務所は地域の総鎮守の一役を担う建物なのでかなり広く、古く、そして入り組んでいた。少年は刹那の家の方は何度も行っているので勝手はわかっているが、この社務所の方は刹那がいないと迷子になってしまうのだった。
「トイレは…」
とりあえず長い廊下を声のする方へ行こうとしたが、途中でトイレを指す看板が立てかけてあったのでそちらの方に曲がる。
「うわっ暗!」
曲がった先はほとんど明かりが届かない闇が広がっていた。奥の方にトイレらしき部屋があり少年は迷わずあるきだす。キシキシと床を踏みつける音が響きわたり更に恐怖が増していく。
「手早く済ませよう…」
「あらお兄さん、こんな所で何ているの?」
「おわ!びっくりした…なんだ新川か…」
後ろから声を掛けたのは黒髪の艶やかな少年より二つつ歳下の少女だった。
「そこは使ってないよ。トイレならあっち」
少女、新川は少年の手を掴んで歩き出した。
「刹那見なかったか?」
「刹那姉ちゃん?見てないよ」
新川は二人の幼馴染みであった。
「トイレはここ。終わったら一緒にお昼食べよ」
トイレを済ますと少年は新川と大広間に行き、隅っこに用意された弁当を並んで座って食べた。
「髪伸びたんだな。前はオカッパだったのに」
「お祭りで使うの」
「あぁ"お黒様"か…」
この神社ではお祭りの際、若い少女の髪を奥院に祀られている"お黒様"に献上するしきたりがあった。
「シンちゃん、隣いい?」
見ると刹那が巫女の服を着て弁当を持って来た。
「どうぞ。何処行っていたんだ?」
「お手水場。ずっと掃除してたわ…汗だくだったからシャワー浴びてきた。どうせ着替えるしもう巫女の衣装着ちゃった」
刹那は少年の隣に座った。シャンプーの香りがふわっと湿気と共にして来て少年はドキッとした。
「ちょっと何惚けてるの」
少年は新川に箸で顔を突かれた。
「何だよはしたないぞ」
「ごめん、つい」
新川はほっぺを膨らませてご飯を頬張った。
『続いてのニュースは…月面都市"アルテミス"の代表アマル氏は日本時間の未明、"東部アメリカ合衆国"のバレスト大統領と電話会談をし、宇宙エレベーター建設について議論しました…』
広間の隅のテレビでアナウンサーが話していたのに少年は気が行った。
「二十二世紀にもなって、月に町があるのになんで俺はまだこんな田舎でのさばってんだろうか…」
「馬鹿が急にどうしたの」
「アンタそういう事はもっと勉強出来てから言ってもらえます?」
「うーん何でだろうか…」
二人を無視して頬杖をついて弁当を突いた。
「おう!若い衆!手貸してけじゃ!」
長老の一人に呼び出されて少年は立ち上がった。
「俺行ってくる。二人共、また後でな。出番頑張れよな」
「うん」
「わかってるわよ。行った行った」
その後は夜まで準備に追われて気がついたら沢山の見物客が押し寄せていよいよ祭りが始まろうとしていた。
暫く経って、薄暗い灯篭の明かりが連なる神社の境内を人々がぞろぞろと歩く中に少年は居た。
藍色の浴衣を身に纏い、赤く大きめの提灯を片手にしていた。見れば他の人々も提灯を手にしている。
「舞台は…」
そろそろ刹那と新川の出番が始まろうとしていた。
「今年の巫女は神主の娘さんなんだってさ」
「へぇーあのちっさかった嬢ちゃんがか?はや」
「もう十六歳なんだって、ほんとびっくり」
舞台の前まで行くと、暗い闇の中に大勢の人だかりが出来ていて、他愛もない話が聞こえてくる。舞台は見物客達より少し高い所に作られており、オレンジ色の光が当てられた黄土色の木の板が輝いていた。
「せま…」
人々に押しつぶされながら少年は舞台を見た。四方に囲われた空間の左奥に巫女の衣装に着飾った刹那が無表情で座っていた。右奥には笛、鼓を持った囃子方が、その手前には地謡と後見と呼ばれる数人の男性が同じ様に寡黙に座っていた。
『これより、神宮に伝わります伝統芸能"黒神舞"を行います。黒神舞は江戸中期より歴史があり、神楽舞と能舞台の要素が合わせた踊りに、この地域の伝説を織り交ぜた唯一のものとなっております。二十年前ほどに国の重要無形文化財に指定されました』
アナウンスが鳴ると、囃子手の笛が鳴り響き舞が始まった。
この舞はおよそ五部構成になっている。地元の出身なら小学校の授業で習うので皆知っている。
まず、一番目に巫女の"浦安の舞"の一人舞が行われる。巫女、刹那は囃子に合わせてゆっくりと立つと、はじめ扇舞を披露し、次に鈴舞を披露した。
そして、舞台の奥に付けられた橋掛かりから武者のいでたちをした男がやって来て、囃子に合わせて刀を抜いて舞う。
やがて、長い黒髪を流した黒い十二単位を着た新川がゆっくりと出てきた。刹那から鈴を授かると四方に鳴らすように舞いを行い、優美に舞った後、舞台の奥に置かれた箱に手を取り出し前に置いた。紫の紐で結ばれた漆喰の箱を開くと般若の面が現れ、新川はそれを刹那に渡した。
般若の面をかぶった刹那は激しい囃子と共に狂ったように舞う。浦安の舞の時とは打って変わって正に鬼のような扇舞を披露した。この"黒神舞"の一番の見せ場であり舞台の端にせり出す時には観客から歓声が上がった。
最後に鬼と化した巫女を鎮めるように黒服の新川が鈴を鳴らしながら刹那を回り鎮め、鋏を取り出した後見に伸ばした黒髪を切り取って、面の入っていた箱に収めて刹那の前に出した。刹那は面を外し箱に戻すと新川は鈴を置き、箱を持って後見と共に去った。
沈黙の後、拍手が鳴り響いて汗だくの刹那はお辞儀をして去った。
終了のアナウンスが鳴ると観客は再びぞろぞろ動き出した。少年は拝殿の方へ人々に流されていった。
やっと人々の流れから解放された時には神社の一番入り口の鳥居をくぐっていた。
「よう!バカ助!」
「だれがバカだ哲」
うろうろしていた所を後ろから叩かれた。
「なんだ?こんな所で。神楽は見なかったのか?」
「見たよ。人混みは苦手なんだ…」
「ははは、まぁこの賑わいじゃな。今年は他の大きな神社が改修で祭りをやらないからな、その分の人が流れて来ているんだろ」
「なるほどな」
「その分屋台も沢山出ているみたいだぜ。一緒に行くか?」
「ユラ達は?」
「あのバカップルはほっとけ。今頃お熱い夜を楽しんでいるだろうさ」
「苦労してるな生徒会長」
「まぁな。お前もウチの書記を悲しませるなよ」
「俺が何だってんだ?」
哲は深く溜息をついた。
「歩きながら話そうぜ。とりあえず刹那に顔出したい」
「また、あの人混みに行くのは嫌なんだけど」
「裏道から行けばいいだろ。やっぱりバカだな」
「うるせぇ」
二人は明るい参道から外れた公園の小道を行った。小道に灯りは無く闇が広がっていたが、二人には幼い頃からの経験でどこを歩いているのかは分かった。
「お前、刹那をどう思っているんだ?」
闇の中で唐突に哲が聞いてきた。
「何って…いきなり言われてもわかんねぇよ…幼馴染なんじゃねえの?」
「そうじゃなくてさ…お前、刹那の気持ち分かってんだろ」
「何がだ?」
「ハァ…あのな、刹那はお前の事好きなんだぞ。気付けよバカ」
「ハハハ、それは無い」
「お前な…」
闇を抜けると社務所の裏側が見えた。参道の灯りが木々の間から漏れていた。
「波実は元気だったか?」
「あぁ新川なら昼一緒だったよ」
「お前、アイツの事も悲しませんなよ」
「何で怒ってんのさ」
「いや別に」
そう言う間に社務所の裏側に付き参道側へ出た。社務所に入ると様々な人が廊下を忙しく往来していた。
「戻りました」
「あら、おかえりなさい!おや、哲君も一緒かい」
年配のお手伝いのおばさんが大きな鍋を持って玄関まで来た。
「持ちますよ」
哲は素早く靴を脱ぎ、おばさんから鍋を取って持った。
「あら、ありがとうねぇ」
「いえ、ところで刹那と波実に会いに来たのですが」
「あー!刹那ちゃんならそこの部屋で休憩してるよ!刹那ちゃーん!」
「はーい!」
どたどたと刹那が出てきた。巫女の衣装は着替えて髪を後ろに束ねた白のワンピース姿だった。
「あ、おかえり!会長も!」
「ただいま。何食ってんだ?」
「焼きそば。食べる?」
「いや…それよりさ、これから屋台回ろうぜ。新川は?」
「いま拝殿。御祓中だって」
「ならまだ無理か…」
「いいよ、二人で先に行っとけ」
「いいの?」
「俺は波実と合流してから行くよ。先に楽しんできて」
「さすが会長!」
刹那は哲にグッドをした。哲も鍋を持つ手越しに親指を立てた。
「いや、俺は…」
「いいから行こ!もうすぐ花火が上がるんだって!」
少年は刹那に強引に手を引かれて行った。
「じゃあ工藤さん少し出てきます。お父さんに伝えておいて下さい」
「いってこへ」
工藤おばさんも刹那にグッドをした。少年は首をがくんがくんさせながら人々の中へ吸い込まれて行った。
「それで、どこから周るんだ?」
「何?決めてなかったの?誘ったくせに?」
「悪かったな」
「花火まで時間はあるからあの辺から周ろ。それから大池のニノ東屋で一緒に見ようよあそこなら人少ないし」
「じゃぁ、そうするか」
二人はずらりと大きな池の辺りに並んだ屋台を順に攻めていく。
「ねぇ!あそこに射的屋あるよ!行こ!」
「わかったよ。待てって」
導かれるように手を引く刹那の横顔に少年は胸の高鳴りを感じた。
「いっぱい買っちゃったね」
「余ったらアイツらにも食べさせよう」
池から少し外れた木々の中に小さな東屋があり、そこには二人以外に人はいなかった。
「花火まであと何分?」
「あと五分くらい」
買ってきたたこ焼きに爪楊枝を指して頬張る。
「今日の神楽な」
「何?」
「綺麗だった」
「…本当?」
「あぁ。新川もな」
池の方から涼しい風が吹いた。
「いい風だな」
「…うん」
「どうしたんだよ、急に大人しくなって」
少年が刹那の方を向くと彼女は口を隠していた。
薄明かりでよく見えないが顔を真っ赤にしていた。
額に手を当てようとしたが慌てて刹那は後ろへ下がった。
「だだだ大丈夫!大丈夫だから!」
「どうしたんだよ、本当に…」
「きゅ、急に褒めるから…」
髪の毛を指で巻きつつ刹那は照れ臭そうにしていた。
そして目をつぶって息を大きく吸った。
「あ、あのね」
「何だ?」
「前から言おうとしてたん、だけど…」
「だから何だ?」
「言おうと、してたんだ…けど…」
刹那は顔を真っ赤にして俯いた。
「私、あんたの事がッ!」
その時、花火が上がった。
「好きだから!!」
水面の輝きに刹那の顔が照らされた。
夏が終わろうとしていた。




