くるりんごさんと私
確か、最初は『モルモットと傭兵』と出会いました。それがはじまりでした、
デッサン調のイラスト。きらきら、ぽたぽたした、他のボーカロイドには無かったサウンド。子どもっぽくも大人っぽくもあり、男ぶってる少女のようでもあり、でも女の子がどうしてもにじみ出てくるような、そういう、あらゆる意味で「中立的」な歌詞運び。
当時は確か2012年、2013年くらい……? 適当なこと言えませんが、とにかくボーカロイド戦国時代でした。カゲロウプロジェクト然り、終焉ノ栞しかり。まだ、ハチが米津玄師ではなく、kemuがPENGUIN RESEARCHではなかったころでした。人気のある曲は10万、20万再生が当たり前。CD発売が決まると、みなこぞって騒ぎ立て、歌い手の名前を出しては「○○さんに歌ってほしい!」と、囃し立てた時代でした。
そんな中でくるりんごさんの曲は、私の中にぽつんと、ひとつ違った輝きを放っていたのです。
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くるりんごさん。
初音ミク、鏡音リン、GUMIを主に使い、イラスト、動画、作詞作曲まですべてひとりで行っていた、いわゆる「ボカロP」のひとりです。
代表作として多くの人が挙げるのが、『メアリーと遊園地』『罰ゲーム』『ジェシカ』などでしょうか。
もう、ネットから動画が順次削除されて行っていますので、「実際に聞いてみてください」とは言えません。
ひとことでくるりんごさんの曲を表すなら「きらきら」「しゃらしゃら」「ふわふわ」……そういう感じです。
とにかくほかのボーカロイドとは何もかも違います。
異質。
動画サムネイルを見ただけで「あっくるりんごさんだ! うわあああああああああ」と分かるのです。鉛筆で描かれた「がりがりへぼりーーーーん」(本人談)なイラストで分かる。
ボーカロイドの音色=声=調声も独特です。これも、聞いただけで「うわあああああああ! くるりんごさんだ!」と分かってしまうほど。
『モルモットと傭兵』は、そんなくるりんごさんを代表する曲のひとつです。
はじめて聞いたとき、「GUMIってこんな声も出せるのか」というのが真っ先に抱いた感想でした。
当時は、いわゆる「プレV3世代」のボカロが台頭しはじめたころ。ミク、リン、レンよりもバリエーションの豊富なGUMI、そしてIAが、こぞって使われていた時代でした。
私はかつてIA廃をなのっていた時期もありましたが、当時のIA人気は絶頂も絶頂でした。じんの『ヘッドフォンアクター』『想像フォレスト』で一気にその美しい声色と共に認知度・人気を獲得したIAを、誰もが使いました。その次点として、GUMIやLilyといった「V2世代」、ミクやリン・レン、KAITOやMEIKOは、それに負けずとも、人気の面ではおされ気味でした。
GUMIは、『マクロスF』のランカ役で有名な中島愛さんの声を使ったボーカロイドであり、どちらかというとノリノリでアップテンポなロックチューンの似合うボーカロイドです。GUMI使いと言えば『人生リセットボタン』のkemuさん、『セツナトリップ』『放課後ストライド』のLast note.さんあたりでしょうか。いわゆる「ガチャガチャ」系、電子音とギターサウンドを組み合わせた、激しいロックサウンドが特徴です。真っ直ぐで、少女らしい歌声を活かした曲作りが盛んにおこなわれていました。
でもくるりんごさんのGUMIは、ちょっと違います。
うわづったような、くぐもったような、独特な声で歌います。
タイツをかぶせたラジオから聞こえてくるような子どもの声みたいな……形容が難しいのでとにかく聞いてほしいのですが、もう聴けなくなってしまうので頑張って言葉で説明します。
そう。子どもみたいな声です。
電子の子ども。それまで多少のふり幅こそあれ、おおよそティーンエイジャー・シンガーとして想定されて使われてきたボーカロイドたちの中に在って、このGUMIはそれを覆してきました。かぼそくて、ちょっと高音になるとかすれてしまう。音割れしてしまう。そんな歌声のGUMIです。
子どものボーカロイドというと、小学生女子の声を表現した歌愛ユキというボーカロイドがいますが、それは、もともとそういう風に想定されて造られているボーカロイド。幼いながらも、どこか力強さというか、「想定しているからこその真っ直ぐさ」があります。
でもこのGUMIは違うんです。
くぐもっている。ふわっとしている。真っ直ぐに耳に届くのではなく、なにか、巨大な空間を……それも音楽ホールのような場所ではなくて、曲面だけで構成された、とてつもなく広大な空間を経由して耳に届いてくるような声。耳に直接響く真っ直ぐな声というわけではなく、婉曲的に内面へ訴えかけてくるような、ふわっとした声です。
ボーカロイドの声の話になったので『メアリーと遊園地』の話にしましょう。
これも言わずと知れた、くるりんごさんの隠れてない代表作の一つ。使用ボカロは初音ミクです。くるりんごさんはミクとGUMIをメインでしばらく使っていらっしゃいました。
序盤から電子音による、なんだろう……何の音なんですかね。電子オルガン、ウィンドチャイムが一番近いかもしれませんが、そういうシャララランという感じのSEを多用したイントロで始まります。
デッサン調の背景イラストに、大きな楷書体で「メアリー と 遊園地」のタイトルロゴ。
思いっきり上擦らせたようなミクさんの、どこかウィスパーでつぶやくような歌声によるAメロ。しかし、サビに入った途端に突然、ミクの声は生気を帯びて真っ直ぐに発せられます。
こっちのミクは、特別に幼いような印象は受けません。その辺はGUMIとは違うところですね、しかしやはりくるりんごさん独特な声の「質」を感じます。これももう聴くことが出来なくなってしまうので頑張って言葉で説明しますね。
その、なんというか……このミクさんは金管楽器みたいな声を出します。
どこか甲高く、耳障りが良いとは言えないのですが、印象によく残るような声です。レトロ……とも違うんですけど、ノイズ、ボカロが人間の声じゃなくて聞いてて不快だという人がいますが、そういうノイズを全部残していて、でも聞き苦しさはないというか、ホワイトノイズというか……そんな声です。
きらきらサウンドとそわそわミクさんの裏には、打ち込み音源のドラムとベースの重低音がつねに響いています。
これによって、単なる浮ついた音楽ではない引き締めがなされています。これもまた、くるりんごさんの特徴かもしれません。表の音が全てきらきら、ふわふわして幻想的なのに、裏で重いサウンドがなっているのが余計に目立つ。イントロを聴くだけで「うわわわわわ」となるのは、このサウンドのためかもしれません。
さて、ここは「小説家になろう」で、私は物書きなので、リリックの話をしましょう。翻ってくるりんご世界の話でもあります。
くるりんごさんは無類の遊戯王好きでして、特にアニメ4作目の「遊戯王ZEXAL」が大好きでして、以前はツイッターでよく狂喜乱舞あそばれていましたが、それらのキャラクターがモデルになっていると思しき人物がPVで物語を展開します。
別に元を知らなくても、そのキャラクターは独特です。
くるりんごさんの歌詞作りのもとにあるのは、おそらくですが、幼少期の原風景だろうと思います。
「幼馴染」「小さい頃」「田舎」「神様」「天使」「病院」「魔法」「遊園地」「ゲーム」これらは思いつく限りのキーワードを列挙したものです。全ての曲にこれらの要素が含まれているわけではありませんが、複数に渡って使われているモチーフもあります。
特に、兄妹や家族を扱った歌詞が散見されますね。くるりんごさんの家族構成は存じませんが、これは「遊戯王」シリーズでもたびたびキーとなる要素の数々であります。
くるりんごさんの曲は電子音ばかりで、ボーカロイドたちの声もどこかエッジが立っていて、柔らかい曲調とは言えないのですが、不思議なノスタルジーを醸します。
これらのテーマが、くるりんごさんの心象の原風景にはあって、それを歌詞で表現してあるのではないでしょうか。
少し話が逸れましたが、くるりんごさんの歌詞運びは音素的でもありながら文学的でもあります。例えば「罰ゲーム」などは顕著に物語です。初音ミクとGUMIのデュエット曲であるこちらは、端的に言えばふたりの人物がUNOをしているだけの曲です。その状況をメロディーに乗せて語り続けるのですが、アッパーなメロディーのためか飽きることなく緊張感を持って聴き続けられます。
「ガジェットチート!」や「busylake!」は、どちらかというと言葉の気味の良さで歌詞を運んでいる気がします。
なんというか、この方の歌詞運びには現実感がありません。
カゲロウプロジェクトなど、ボカロで物語を作ろうとするムーブメントは、古くは「悪ノ娘」からありましたが、くるりんごさんの曲は世界観を言葉ではなく全体で表現しています。
カゲロウプロジェクトなどが、曲単位でのパッチワークだとしたら、くるりんごさんはもう少しミニマム、ひとつの曲の中にモザイクアートのように次々と言葉を詰め込むことで、結果として美しくなっているといった具合でしょうか。特に初期の曲では顕著です。
「排気ガス」など、汚染された近未来を表すような言葉もあれば、「150号線」というどこともしれぬ道の名前が出てきたり。時代も場所もよくわからないけど、どこか曲を聴く我々へ訴えるような棘がひとつ紛れ込んでいる。「研ぎ澄ました刃は鞘で鈍く光放つ」など、明らかに現実から乖離したような物々しい言葉もある。
言葉の散弾銃とでも言うべきでしょうか。この人の頭の中で、いろいろな要素、風景がせめぎ合って、ひとつの曲の中に収まる。それは、きらきらした浮ついたサウンドと、重厚なバンドラインとの間に挟まれて、こちら側へ飛び出してくる。
ごめんなさい、これは論文ではないので、勢いのまま書いている文章なので、出展などを詳しく列挙したいのですがそれはまたの機会ということで……。
くるりんごさんの「ストックキャラクター」とでも言うべきは、「妹を守る兄」と「妹」、幼い頃の約束や風景を思い出す「ぼく」とその友達である「きみ」が主にあります。
前者は「メアリーと遊園地」「梅花話譚」「海底ファミリーレストラン」「triple travel」など、後者は「神様の散歩道」「アイデンティティ・クライシス」「アナザー・ディアレスト」などです。
この方に限った話ではありませんが、「ぼく」が一人称の曲が多いです。それと同じくらい「あたし」「わたし」も多いです。同じくらい「きみ」が登場します。
氏の公式サイトを見るとそれぞれのキャラクターに名前が付けられていたり、または曲の中に「クリスフィア」などの名前が出てくることもあるのですが、基本的には中性的かつ中立的な立場で書かれています。
そう、中性的なのです。
くるりんごさんは、女の子を主人公にして曲を作ることが非常に多いです。
「綺麗になったねなんて美辞麗句/そんな言葉いらねえよ/ラッピングされた罵声なら/もう聞き飽きた」
これは「busylake!」の歌詞の一部ですが、おそらく女の子の立場で書かれたであろう歌詞でありながら言葉遣いが汚いです。「いらねえ」って。
イケイケの男性ロックバンドでもなかなか口にしない歌詞を、人間でもないボカロが発話してます。これは実際聴くと、大変な違和感です。こういう歌詞作りがくるりんごさんの曲には散見されます。
違和感。
これはくるりんごさんの曲に触れるにあたって、無視できない要素ではないかと思います。これを歌っているのははたして誰なのか?
その中に滑り込ませる普遍的な要素と、どこか違和感を考えながら聴くサウンド。それが、奇妙なノスタルジーを生み出すのかもしれません。
私は、このクリエイターに出会い、この人の音楽を聴くことで、いつも想像力を掻き立てられてきました。
アルバムに限定収録された楽曲もすべて、素晴らしいものでした。
そんなくるりんごさんは、あるとき「とある一家の御茶会議」という作品を投下し、ニコニコ動画から姿を消します。
この曲は、くるりんごさんがボーマスで配布した1stアルバム「くるくるりんご」全12曲の中の6番目に入っていた限定収録曲で、数年越しでニコニコに投稿されました。
それまで断片的に投稿されてきた、「海底ファミリーレストラン」に端を発するシリーズの総まとめ、エピローグ的な作品です。にもかかわらず、どの作品よりも早く世に出て、ニコニコ動画におけるくるりんごさんの最後の作品となりました。
「ロス」はとても大きかった。
「罰ゲーム」がミリオンを迎え、「幸福な少年」「twinkle*grlitter」などヒット作が乗りに乗り出した直後のことでした。みな、コメントでは嘆き悲しみました。私もそうでした。悲しかった。どうしてだー!
その後もくるりんごさんの曲は次々にミリオンを達成し、根強いファンによるファンアート生成も止むところを知らず、残された私たちはまだ、くるりんごさんを愛し続けていました。
くるりんごさんの引退前最後のアルバムの最後の曲「まだ振り向かないよ、旅の途中」は、今にして思えば別れの歌でした。何度もリピートしました。
こうして私たちとくるりんごさんは一度は別れたのです。
それから2年後、ぽとんとニコニコ動画に現れた「氷の世界」という初音ミクを使った曲。
投稿者は、初投稿だという無名の新人、その名も「犬丸芝居小屋」……
ですが、サムネをみて「!?」となった私たちは、曲を聴いて確信しました。あの人だ……!
この音、この声、この歌詞運び!
犬丸芝居小屋の4人のうちひとり、その中にくるりんごさんはいたのです。
犬丸芝居小屋は、4人組のクリエイター集団。くるりんごさんの独自テイストは薄れつつも、さらなる新たな世界観をクリエイターの数だけ拡げて戻ってきました。まさに芝居小屋。
表立ってくるりんごだと名乗っていなかった丸井さんを、私たちはずっと見守ってきました。4人で作り出す、「時計台」をキーワードにした世界観の数々。コマーシャルソングに「かごまないで」が選ばれたこともありました。
でも、2019年3月、芝居小屋は解散。
それと同時に、くるりんごさんのコンテンツもすべて削除され、無断転載も禁止されました。
これ以降、くるりんごさんの曲を聴くことは、もう出来ません。過去のCDも再販されておらず、ボカロコンピレーションの中に「罰ゲーム」が入っているくらいでしょうか……
「正直、自分の作品を見ることもしんどい」。
犬丸芝居小屋のツイートには、こんなことが書かれていました。
いったい、彼らに何があったのかは分かりません。知ることももうないでしょう。
でも私は悲しい。
もうこれで、くるりんごさん、犬丸芝居小屋の面々、なにより彼らの作り出したものが失われてしまうこと、もう会うことができないこと。
涙が止まりませんでした。
くるりんごさん、うまく言葉にできないけど、あなたは間違いなく私の人生を、物の見方を変えました。
でも寂しいです。
あなたは素晴らしいクリエイターでした。
また会いたい。
あなたの曲を聴くことで、完成したアイデアもありました。
辛いときどうしても聞きたくなる曲もありました。
「メアリーと遊園地」のノベライズを認めてくださったこともありました。
あなたの作り出す曲と、そこに乗せられた歌詞、想いが、私には伝わっていました。
つらいよ。
もう会えなくなるのかと思うとつらいです。
あなたに触れられて良かったです。
今回、どんな騒動があったのかはよくわかりませんが、これがまた、よい船出となることを祈っております。
あなたが私の「神様」でした。ぜったいに。
2019年3月26日
王生らてぃ
R.I.P. UTOPIA and wonderland fairy.