9. 救出へ
夜半過ぎになって、寝所に入ってくる者がある。
レディオスはその気配で目を覚ました。
眠りが浅かったためか、急激に頭が回転を始めた。
「わかったか?」
「はい」
「よくやった」
身を起こし、王室に向かう。
「ジャンティさまも呼んでおります」
「それでいい」
王室に到着すると、親衛隊の一人と共に、ジャンティもちょうど来たところだった。
親衛隊はこれで二人。
レディオスとジャンティは、机上に用意された地図を囲む。
「他の者は」
「向かわせております。配置は任せていただければ」
「わかった。で、どこだ」
視線を受けて、親衛隊の男は、地図上の一点を指さした。
レディオスは、その指が指し示す場所を確認して、ばっと顔を上げる。
「セイル山だと?」
「はい」
奥歯をギリ、と噛み締めた。
ふざけるな。
あそこは。
両手を机上についたまま、俯く。怒りで身体の震えが止まらない。
なぜあそこなのだ。
「……盲点といえば、盲点ですな……」
ジャンティがぼそりとつぶやく。
先王を襲った崖崩れ。それはセイル山で起きた。
一時は狩りの場として賑わっていた山だ。
だが先王崩御以来、ほとんど誰も立ち入っていない。
また崖崩れが起きるかもしれない、という恐れ。
先王が身罷った場として、不吉な場所とも言われた。
そもそもセイル山は王家の所有で、王家の許可なくして立ち入ることは許されない。
こんな馬鹿にした話があるか。
男は地図上に置いていた指を、すっと小さく動かした。
「このあたりに丸太小屋があります。そこに囚われているものと」
「丸太小屋?」
「元は、樵が泊まるための小屋です。しかしあの崖崩れから伐採はしなくなったため、そのまま放置されたものです」
「なるほど」
彼女らは、エンリルからセイル山まで、誰にも見咎められずに移動した。
いくらセイル山に籠ろうとも、そこにたどり着くまでに、普通なら捕まえられたはずだ。
となると、ライラとバーダンだけでは無理だろう。
まだ協力者がいるのだ。
いや、あるいは、依頼主そのものか。
「出入りしているのは、三人」
「ライラとバーダン、あと一人は誰だ」
すると、親衛隊の男は黙り込んだ。
「どうした」
「陛下、どうか落ち着かれて聞いてください」
「……なんだ?」
男は、目を伏せ、そして意を決したように口を開く。
「ブレフトという名を覚えていらっしゃいますか」
「……ブレフト」
聞き覚えはある。
あるが、まさか。
「占い師です」
ジャンティが息を呑むのがわかった。
占い師。
ここでそういう言い方をするということは、まさかその辺にいる占い師のことではないだろう。
あの男だ。
そうだ。
思い出したくもない、あの男は確かに、ブレフトという名だった。
あの、忌々しい顔が瞬時に脳裏に浮かぶ。
「ふざけやがって!」
バン、と両手で地図を思いきり叩く。地図の端を押さえていた木彫りの置物が揺れ、そしてカタンと倒れた。
誰もそれを咎めはしなかった。
占い師のブレフト? あの男がどうしてまた現れる。
王家を引っ掻き回した挙句に、今度はまたリュシイまで?
あの男がリュシイに関わったというだけで、怖気が走る。
どう落ち着けと?
「おそらく、オルラーフが一枚噛んでおります」
親衛隊の言葉に、顔を上げる。
オルラーフ。薬学が発達した国だ。
だが、国交など、ほとんどない。距離もある。どうしてそこが絡んでくるのか。
「ブレフトが、オルラーフに出入りしているのが確認されておりますので」
「……また、王家に取り入ろうとしているわけですな」
ジャンティがぼそりとつぶやく。
そのために。そのために、リュシイを利用しようとしている。
そしてセイル山に、何食わぬ顔で立ち入っている。
万死に値する。
今度こそ、絶対に許しはしない。
「行こう」
「はっ」
動き出した王と親衛隊を、ジャンティが訳がわからない、という表情をして見つめていた。
寝所に入って、手早く着替える。
すぐに、彼女を取り返さなければ。
オルラーフなどに連れていかれては、救出は困難になる。
「馬は」
「準備しております」
「よし」
我に返ったジャンティが、後を追ってくる。
「どうして陛下が行かれるのです! 親衛隊だけでいいでしょう!」
それには答えず、厩舎に歩き続ける。
「お待ちください、陛下!」
「ジャンティさま」
答えないレディオスの代わりに、親衛隊が言う。
「彼女が見知った人間が必要です。救出の際、我々を警戒されては困るのです」
「だからといって、陛下である必要はないでしょう!」
親衛隊が動かないと見るや、ジャンティは再びレディオスに矛先を変えた。
「陛下、あなたは今、冷静さを欠いておられる! そんな状態で行っても、邪魔にしかならないのでは!」
並進して説得してくる。
だが、譲れない。
あの占い師に手を下すのは、自分でなければならない。
それに。
彼女を救うのは、いつだって自分だ。
そう確信していた。揺らぎはしない。
厩舎に到着すると、用意された馬に飛び乗る。
夜中にぞろぞろと城を出ようとする王と従者たちに、厩舎番が驚いたような顔をしていたが、何も言わずに目で追うだけだ。
「あなたという人は!」
ジャンティが叫ぶようにして止めてくる。
「何度も言っているでしょう! お世継ぎがいない状態で、自ら危険に首を突っ込むような」
「妃を連れて帰ってくる」
馬上からそう言うと、ジャンティはぽかんと口を開けてこちらを見つめた。
「それならいいのだろう?」
そうだ。
誰か一人を選べと言ったのは、ジャンティだ。
その一人は、彼女しか考えられない。
世継ぎだの予知夢だの、そんなことはどうでもよくて。
ただ、彼女が自分の傍にいないことが、とにかく我慢ならないのだ。
だとしたら、彼女しかいないではないか。
ジャンティは深く大きく息を吐いた。
「……必ずですよ」
「ああ」
厩舎番が、厩舎の扉を開く。
それと同時に、馬の脇腹を、蹴った。