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8. 占い師

 あの男が帰ってきて、リュシイの姿を確認すると、ライラに向かって顎をしゃくった。


「少し、席を外せ」


 ライラは眉をひそめたが、男の言葉に逆らうことはせず、椅子から立ち上がる。


「乱暴しないでよね、気分悪いから」

「なんだ、情でも移ったか?」

「まあね、そんな感じ」


 男が言うことを特に否定もせずに、ライラは部屋を出て行った。

 ライラがいなくなっただけで、身体がこわばりそうになる。

 怖い。

 この男の目が、怖い。


 ライラが出て行ったのを見届けると、男はこちらに振り向いた。

 気力を振り絞って男を睨みつける。

 けれど男は、小馬鹿にしたように笑っただけだった。


「お前の予言は不完全なのかな。こんなにあっさり捕まって」

「そういう意味では、昔から不完全です」

「へえ」

「けれど、外れたことはありません」


 この男にとって、リュシイは予言者であること一点に、価値がある。

 だとしたら、予知に意味がないと思わせるわけにはいかない。


 男はこちらに歩いてくると、リュシイの前にしゃがみ込んだ。

 少し、身を引く。

 なんて嫌な空気を纏った人間なのだろう。


「ふうん」

「なんでしょう?」

「本当に美しいな。あの豚野郎にくれてやるのが惜しくなる」

「豚……?」

「私の主だよ」


 主と言いながら、豚野郎と罵る。

 その繋がりは、おそらくはなんらかの報酬のみなのだろう。


「さて、奴にくれてやる前に、細かいことを訊いておきたくてね」

「私が素直に答えるとでも?」

「素直に答えたほうがいい」


 そう言うと、男は手を伸ばしてリュシイの頭を持って、そのまま手を握りしめて髪を引っ張った。

 ぶちぶちっと、髪が抜ける音がする。


「痛っ……!」


 痛さにつられて、男のほうに顔を寄せる形になる。

 血の気が引く。今、男は、なんの躊躇もなかった。

 人を痛めつけることを、なんとも思っていないのだ。


 髪を握ったまま、男は顔を近付けてくる。


「お前の力が不完全でも、それでも欲しいと言う人間はいるのでね。凌辱は勘弁しておいてやるが、多少痛めつけるのは、やぶさかではないよ」


 愉快そうに笑ってそう言う。

 ぞっとする。

 髪を引っ張られる痛みすら、感じなくなるほどの、悪意。


「いいね。恐怖に歪む顔も、美しい」

「放して……」

「素直になる気になったかな?」

「わかったわ……」


 そう言うと、男はぱっと手を離す。

 手に絡まった銀髪を、面倒そうに、手を振って払っていた。


「最後に見た夢は、王都の大地震でいいのかな?」

「……ええ」


 あの幸せな夢は、当たりそうにない。

 ならば、それが最後ということでいいだろう。


「あれから一度も見ていない?」

「ええ」

「では、予知の力を失った可能性もあるのかな?」


 そう言われて、息を呑む。

 それは考えていなかった。

 初めて予知夢を見たときから、ずっと共にあったから、失ったという考えには及ばなかった。

 けれど、それはあり得ることなのだ。

 見なくて済むなら、それに越したことはない。

 でも、今この場でそれを口にすることは憚られた。


「これくらいの間隔なら以前もあったから、わかりません」

「なるほど? では力を失うような行為はなかったということかな?」

「え?」

「つまり、純潔を失った、とか」


 その言葉に、カッと頬が染まるのが分かった。


「ありません!」


 リュシイのその反応を見て、男はくつくつと喉の奥で笑う。


「地震が起きたとき、王城にいたのだよね?」

「ええ……」

「こんなに美しい女性がいるというのに、誰も手を出さなかった? いや、村の人間はわからないではないよ、臆してしまうだろうから」


 その見立ては間違いだ。

 むしろ、王城にいた間、なんの危機も感じなかった。

 村ではあんなに怖かったのに。


「国王も?」

「え?」


 思いもよらぬ質問に、何度か目を瞬かせる。

 男は少し首を傾げて言った。


「国王ならば、手を出したところで、そしてその力を失ったところで、誰にも責められないと思うのだがね」


 その言葉に、カッと頭に血が上った。

 なんという侮辱。あの人は、そんな人ではない。


「陛下は、あなたのような下衆ではないわ!」


 言い終わるかどうかというところで、頬を横殴りされた。

 こらえきれずに、床に転がる。

 頬がじんじんと痛む。


「多少痛めつけるのは、やぶさかではないと言ったはずだがね」


 それでも、彼に対する侮辱は許せなかった。

 辛うじて顔だけ起こして、睨みつける。


「おや、あの小僧にずいぶんと思い入れがあるようだ」

「小僧?」

「国王だよ。あのころは、王子だったけれど」


 レディオスと面識があるのか。

 では、この男も王城にいたことがあるのか。


 そのとき、ふと、思い出した。

 以前、ジャンティが言っていた。

 

『実は、前例もありましてな。先王の時代ですが。おいそれと信じるわけにはいきません』


 リュシイが大地震の予言をしたときの、ジャンティの言葉だ。

 もしかしたら、この男は先王に対し、偽の予言をしたことがあるのだろうか。


「まあその様子だと、力を失ってはいないようだ」

「なに……」

「もし力を失ったら、そのとき自分で感じるよ。普通の人間に戻ったのだと」


 そう言って、肩をすくめる。

 どういうことだろう。

 どうしてそんなことを、そんな断定的な口調で言えるのだ。


「その力は、俺のものだ」

「え……」

「元々、俺が持っていたものだ」


 そう言って立ち上がる。そしてリュシイを冷ややかな目で見下ろした。


「ある日、突然消えた。予知夢を見る人間としてもてはやされていたのに、あのときは焦ったね。まあ、周囲を欺き続けるのは難しくはなかったが」


 自分の他にも予言者がいた。

 呆然として、男を見つめる。

 それがこの男であることが、ひどく、ちぐはぐな気がした。


「お前がこの力を得たのは、十二年前くらいではないか?」

「どうして……」

「俺が力を失ったのが、それくらいだからな」


 初めて予知夢を見たのは、五歳のとき。十二年前。

 では本当に、この男が失った力を、その代わりにリュシイが得たのだろうか。


「まさか……」

「やはりな」


 リュシイの表情を読んだのか、男は小さく笑った。


「返してもらうだけだよ、俺のものを。お前がもし力を失っても、また俺のところに戻ってくるとは限らないから、お前に所持しておいてもらうがね」


 この男は、リュシイを一人の人間としては見ていない。

 予知の力を持った器である、とそれだけなのだ。


「私の前に……予言者が……」


 ぽつりと口から漏れ出た。

 すると男はにやりと笑った。


「俺がただの占い師と思ったか?」

「占い師?」


 そうつぶやくと、男は小さく首を傾げる。


「わからないのか。何も聞いていないのだな。俺は、お前が王城に入る前に、あそこに雇われていたんだよ。占い師として。陛下には本当によくしてもらったよ。いや、実にいい生活だった」


 この場合の『陛下』は、先王ということだろう。


「あの崖崩れさえなければ……」

「え?」

「くそっ、あれさえなければ、俺は今も王城にいられたのに!」


 声が次第に荒くなっていく。

 リュシイの存在など目に入らないかのように、激高し始める。


「危うく殺されるところだった! こんな馬鹿な話があるか!」


 叫ぶような、声。

 その怒りのとばっちりを受けるような気がして、じりじりと距離を開けた。


「あの小僧、最初から気に入らなかった。俺が神の力を持っていたと、信じようともしなかった!」


 いったい、なんの話をしているのか。

 小僧、というのはレディオスのことなのだろう。

 確かに彼はずっと、かたくなにリュシイの予言を信じようとはしなかった。

 けれど最後には、真摯に耳を傾けてくれた。

 そして約束通り、あの悪夢の被害を最小限に留めてくれた。

 あの人は、そういう人なのに。


「なのに、どうしてお前の話は信じたのだ?」


 くるりとこちらに振り返る。

 憎悪に満ちた、表情で。


「気に入らない、気に入らない、気に入らない! どうしてお前がその力を持っている? その力は俺のものなのに!」


 身体が硬直する。

 来ないで、と言いたいのに、声が出ない。

 男は足早にこちらに来ると、その勢いで、リュシイを蹴り飛ばした。


「きゃっ……!」

「なぜだ、俺のほうがその力を有効に使えた! お前にその力が移ったせいで、どれだけ惨めな生活をさせられたか! なのにお前は王城を出て、呑気にあんな辺鄙な村で暮らしてやがる! 要らないだろう、お前には! 俺には必要だったのに!」


 何度か蹴られたところで、勢いよく扉が開いた。


「やめなって! 乱暴するなって言ったのに!」


 ライラだった。男を背中から抑え込もうともがいている。


「うるさい! 俺に指図するな!」

「落ち着けって! その子、商品なんでしょ?」


 ライラの言葉に、男はぴたりと動きを止めた。

 咳が止まらない。あちらこちらが痛む。


 男は大きく息を吐くと、リュシイを一瞥してから立ち去って行った。


「酷いことするねえ。……ま、私が言えた義理じゃないけど」


 ライラの声が聞こえる。

 咳がようやく治まって、ただぼうっと床を見つめる。


「帰りたい……」


 そう、口から漏れ出た。

 その言葉に、ライラはため息をつく。

 ライラは部屋を出て行ってから、毛布を取って帰ってきて、それをリュシイにそっと掛けた。

 夜になったのかもしれない。冷気が床から立ち上がってくるようだったが、その冷たさが心地よかった。


 帰りたい。

 どこに?

 セオ村に?

 それとも、王城に?

 あるいは、あの人の、ところに。

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少女は今夜、幸せな夢を見る
↑この話の前編の、本編に当たる物語です。

銀の髪に咲く白い花
↑この話の続編に当たる物語です。 よろしくお願いいたします。
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