7. 白い花
アリシアは休憩時間を少し貰って、中庭の花壇を眺められる長椅子に座っていた。
どうもここ二、三日、王室の中がギスギスしだして、あそこにずっといると気が滅入る。
何があったんだろう。
レディオスの様子がおかしい。ジャンティも。
特にレディオスは、いつも怒っているような、ピリピリした空気を醸し出している。
いつもは我先にと国王に群がる侍女たちも、遠巻きに、彼らの邪魔にならないことだけを考えて立ち振る舞っているようだ。
いや、それが本来の侍女のあるべき姿なわけだけど。
頬杖をついて、はあ、とため息をつく。
「おや、また来てるのかい」
梯子を抱えた老人が、アリシアの前に立つ。
「うん。邪魔?」
「いいや、そんなことはないよ」
老人は、小さく笑ってそう言った。
彼は、王城お抱えの庭師だ。
王城の花壇は、本当に美しかった。どの季節でも、目を楽しませてくれた。
でも今のこのシリル城の中庭は、そうでもない。花壇はスカスカだし、庭木も荒れている。
それでも最初のころよりは、かなり見られるようになったのだが。
「今のこの状態を見ても、楽しくないだろうに」
「そうね。でも、王室にいるより、まだいいから」
その言葉を聞くと、庭師は声を出して笑った。
「言いにくいことをはっきり言う娘だねえ」
「それが私のいいところよ」
「違いない」
笑いながら庭師は梯子を掛けて、シラカシの木の剪定を始めた。
「シリル城は、長らく城主がいなくて庭も荒れ放題だったからなあ。楽しめるようになるには、もう少しかかるかな」
「でも、新しい王城が建ったら、無駄になってしまうんじゃないの?」
「そのときはそのとき。荒れた庭をそのままにしてたんじゃあ、庭師の名が廃るよ」
言いながら、手早く剪定を済ませて梯子から降りると、シラカシの木の横に、円匙で穴を掘り始めた。
「新しい木、植えるの?」
「ああ。半年後には可愛らしい白い花が咲く。あまり手入れがいらない木でね。もしまた誰もいなくなっても、毎年咲くだろうさ」
「いいわね、それ」
庭師は掘った穴に、手際よく苗木を植える。
少し遠いところにまた穴を掘って、同じように植えていく。
「余るから、一つ、やろうか?」
庭師は腰をさすりながら立ち上がって、アリシアに向かって声を上げた。
「私、ここに住んでるから。植える庭がないわ」
「鉢植えにも出来るよ。鉢ならそんなに大きくならない」
「へえ。でも、いいわ。ここに来ればいいことだし。それに私、花とかすぐに枯らしてしまうのよね」
そう言ってため息をつく。
実際、忙しさにかまけて、水をやるのを忘れたり、逆にやりすぎたりしてしまうのだ。
「確かに枯らしそうに見えるな」
そう言って庭師は声を出して笑った。
「自分じゃ育てられないの。だから、また来るわ」
立ち上がって、伸びをする。そろそろ王室に帰らなければ。
「おう、いつでもおいで」
庭師の言葉に手を振って、歩き出す。
まだ王室は、ギスギスしたままなのだろうか。
戦争とか、そういう嫌な話じゃなければいいんだけどなあ。
そんなことを思う。
◇
姉弟で交代してリュシイの見張りをする、ということに話がまとまったらしく、まずはライラが一人で残った。
バーダンが出て行って、二人きりになって、しばらく沈黙が続く。
「あの……」
「なに? 厠なら連れて行くし、食事なら用意するわよ」
冷めたような口調で、ライラはそう言う。
「手首……少し、痛いんですけど」
実際、本当に、痛い。少し強く縛り過ぎているのではないか。
できればそのまま、解いて欲しいものだが。
「そんなこと言って。でも縄を解いたところで、逃げるのは難しいと思うけどね」
「そうなんですか?」
ライラは天井を指さす。指の先には天窓がある。
「先に言っておくけど、この机と椅子を重ねても、あんたの身長じゃ届かない」
机と椅子と天窓を見比べる。確かに、届きそうにない。
「あと、もしここを出たとしても、私の足のほうが速い」
「ああ、そうですね……」
それはそうだろう。残念ながら、リュシイは自分の身体能力には自信がなかった。
仮に逃げ出したとしても、すぐに捕まってしまうだろう。
そうすると、きっと状況は今より悪くなる。
今は、大人しくするべきところだ。
ライラは少し首を傾げた。
「あんた、なんか落ち着いてるね?」
「そう……ですか? そうでもないですけど」
「さっき、あの男にも冷静に話してたし。襲われるところだったかもしれないよ?」
「ああ、それは。まあ……」
「あんたも、いろいろあったってことだわね。慣れてる感じだったし」
ライラはため息をついて言う。
「なんか変な感じだね。拉致した人間と拉致された人間だってのに、こんな、普通に話しちゃってさ」
「初対面ではないですから」
「まあね」
ライラは椅子から立ち上がると、リュシイのほうに歩み寄ってきた。そして背後に回る。
「あ、本当だ。手が青くなってる。少し緩めるわ」
「お願いします」
「逃げないでよ。面倒だから」
しゃべりながら、手首の縄を解く。そしてまた、今度は少し緩めに縛った。
「あ、楽になりました」
「なら良かった」
ライラがほっと息を吐く。
本当に、変な感じだ。よく見知っているからか、ライラ相手だと、さして恐怖心が湧かない。
もしこれがあの男だったら、と思うとそれだけで身震いするのだが。
ならせめて、ライラがいるときには、気持ちを落ち着けておきたい。
「あの、一つ、訊きたいんですけど」
「なによ。答えられる質問なの?」
椅子に戻りながら、ライラは眉をひそめて言った。
「ルカって、誰ですか」
「別に、いいじゃん」
ライラは椅子に腰かけると、ぷいとそっぽを向いた。
「本当の……恋人?」
そう言うと、ライラは小さく笑った。
「恋人かあ。いや、そんなもんじゃないね。もっともっと、大切なんだ」
そうして、誰にともなく、微笑む。
本当に大切な存在なんだと知らされるような、そんな笑み。
ライラはそれから頬杖をついて、リュシイをじっと見つめてきた。
「私のことはいいじゃん。あんたはどうなのよ」
「私ですか?」
「幸せな夢の相手、誰?」
まさかそれを訊かれるとは。
こんな状態なのに、顔が赤くなったのがわかった。
「わ、私のことだって、別にいいじゃないですか……」
あの人に抱えられたあのときの感触を思い出して、胸がきゅっと痛んだ。
「ふうん、本当に好きなんだ」
リュシイの表情を見てなにか思ったのか、にやにやしながらライラはそう言った。
だがすぐに真顔になって、続ける。
「そいつ、貴族?」
「えっ?」
身分の高い人間であることは間違いないのだが。
でも、これは口にするものではないだろう。
国王だなんて。
「いや、夢の話をしたとき、信じられないとか言ってたからさ」
「ああ……」
「やめときなよ、貴族なんて」
「やめるもなにも……」
「ろくなもんじゃないから」
吐き棄てるように、そう言う。
そして忌々しそうに眉根を寄せて、急に不機嫌そうに黙り込んだ。
「あー、やっぱ、駄目だ。しゃべり過ぎはよくないね」
しばらくして吹っ切るようにそう言うと、気を取り直すつもりなのか、一つ、伸びをする。
過去に何かあったのだろうか。
そんな風に思えた。
「まあ、その幸せな夢は外れそうだね。予言者とか、やっぱり偶然かなにかでしょ」
「そう……ですね」
このままどこかへ略奪されたら。
もう二度と、彼に会うことはないのだろう。
本当に、もう、二度と。
それを考えると、深く深く、どこかへ引きずり込まれそうな、そんな気分になった。




