6. 丸太小屋で
家の外が騒がしい、と思った次の瞬間。扉が音を立てて大きく開かれた。
ハダルは母に食事を取らせていたのだが、驚いて顔を上げる。
「な、なんだよ」
いつもは村の入り口の天幕の中で、のんびりと村の様子を見ている兵士たちが、険しい表情をして家の中になだれ込んできた。
彼らは何も言わずハダルの腕を掴むと、腕を後ろに回させて床に組み伏せた。
「痛い! な、なにするんだ!」
持っていた食器が床に落ちて中のスープがぶちまけられたが、彼らはそれには構わずに、言い募った。
「あの女はどこにいる?」
「あの女……?」
「ライラだ!」
「え……街に帰ってるよ」
ライラがいったいどうしたというのだ。
母がベッドの上で、おろおろとしているのが見えた。
「違う、どこに潜伏しているのか訊いている!」
「何のことだよ!」
「大人しく知っていることを話さねば、身体に聞くことになる」
目の前の床に、剣が勢いよく突き刺さる。
ひっ、と声にならぬ悲鳴が口から漏れた。
「知らないよ! 何のことか、わけがわからない!」
「あんたたち、何するんだい! ライラがどうしたって言うんだい!」
ベッドの上から母が叫ぶように言った。
「潜伏って、なんだよ。今日、リュシイがライラを迎えに行ったよ。リュシイに訊けばわかるんじゃないのか」
彼らはいったい何を勘違いしているのだろう、と思った。説明すれば誤解は解けるのではないかとも、思う。
ハダルの様子を見ていた兵士たちが顔を見合わせている。
「これは本当に知らないかもな」
「騙されたクチか」
「まあいい。とにかく村から出すな」
兵士たちはそんなことを話し合っている。
ライラがいったいどうしたって?
彼女が何をしでかしたというのだ。
「ライラ……どうしたんだよ」
拘束から解かれて、へたり込んだまま、そう兵士たちに問う。
兵士たちは顔を見合わせたあと、一つため息をつくと、一人が口を開いた。
「リュシイ殿を連れ去った」
「えっ?」
連れ去った? どうして?
「本当に、なにも知らないのか」
「いや、道に迷ったとか、どこかに寄っているとか、そういうんじゃないのか……?」
兵士は床に刺さった剣を引き抜いて鞘に収めながら、ゆっくりと首を横に振った。
「兵士を斬りつけて、逃げた」
「え……」
「気の毒に。たぶん最初からあの女は、それが目的でお前に近づいた。とんでもない女に引っかかったな」
「嘘だ、そんなの……嘘だよ! ライラはそんな女じゃない!」
そう叫ぶが、兵士は憐れみが混じった視線でこちらを見るばかりだ。
「お前への嫌疑が晴れたわけじゃない。しばらく村を閉鎖する。家から出るなよ。出たら今度こそ、拷問だ。我々も、そんなことはしたくない」
そう言い捨てると、兵士たちは家を出て行く。
呆然とその場に座り込むハダルの背後から、母が話しかけてきた。
「ハダル、きっとなにかの間違いだよ」
振り返ると、ベッドの上で母が言った。
「あの子はそんな子じゃないよ。村にいる間は、私の面倒もそりゃあ優しくみてくれてたじゃないか」
「そう……そうだよ……」
思い出す。ライラとの出会いを。
今ではリュシイとライラが街へのお遣いをしているが、当時はハダルが行くことも多かった。
街へ行ったとき、小腹がすいて入った食堂で、ライラは隣に座ったのだ。
「実は、前々からあんたのこと、見てたんだ」
彼女はそう言って笑った。女性と話をすることすら慣れていないハダルは、それだけでどぎまぎしたものだった。
「あんたの住んでるところ、見てみたいな」
そうして彼女はセオ村に出入りするようになった。
あれがすべて、仕組まれたものだったのだろうか。
でも、口づけだってした。それ以上のことだって。恋人になったのだと、信じて疑うことはなかった。
全部、嘘だったのだろうか。彼女は心の中ではハダルのことを笑っていたのだろうか。すぐに騙される馬鹿な男、と嘲っていたのだろうか。
「嘘だろう……?」
ハダルはベッドに背中を預けて、頭を抱えて座り込んだ。
◇
話し声がして、目が覚めた。
「あんたねえ、やりすぎよ」
「でも……あいつ、剣を持ってたし。姉ちゃんが危ないと思って……」
「あんた、ほんっとーに馬鹿だね」
ライラと、バーダンの声だ。
うっすらと目を開けると、目の前に麻袋が転がっている。途中、気を失いかけたとき、これに入れられた気がする。
それからどこに運ばれたのだろうか。
このまま、気を失ったふりをしておこう。なにか喋ってくれるかもしれない。
ここは、いったいどこだろう?
今、自分は床に転がされている。手を後ろ手に縛られていて、動けそうもない。足首も揃えて縛られている。
首を動かすと起きていることが知られるかもしれないから、辺りの様子は窺えない。
「まあ、助かったのは助かったけどさ」
「ルカは、どこ行ったの?」
「先生に預けてきたよ。オルラーフの貴族のところに置いてくれるらしいから、大丈夫」
ルカ。いったい、誰のことだろう。
先生。何の?
オルラーフ。遠い国の名前だ。
自分はライラのことを何も知らないのだ、と思えた。
エンリルに住んでいて。ハダルの恋人で。両親はいなくて弟が一人いる。
人懐っこくて、明るくて。前向きで、働き者で。
そんな人物像は、嘘だったのだろうか。
「……目を覚ましてるね」
ライラがそうぼそりと口にした。ぴくり、と身体が揺れる。
こちらに歩いてくる足音が聞こえて、観念して、顔を上げた。
ライラはリュシイの目の前にしゃがみ込む。
そして頬杖をついて口を開いた。
「ごめんね。まあ、謝っても仕方ないけどさ」
「どうして、こんなこと」
「ま、いろいろあってさ。あんたにはなんの恨みもないんだけど」
そう言って、軽く肩をすくめる。
縛られたまま、なんとか身体を起こす。ライラもバーダンも、それを特に咎めはしなかった。
「ここは、どこですか?」
「それを言うとでも思った?」
そう言って、口の端を上げる。
当然、答える気はないのだろう。
辺りを見渡す。小さな部屋だ。天窓が一つ。扉が一つ。
木製の簡素な椅子が二脚と机があって、そのうちの一脚の椅子に、バーダンが座っていた。もう一つには、さっきまでライラが座っていたのだろう。
机の上にはランプが一つ灯っている。天窓が閉められているので、朝か夜かもわからない。
リュシイはその部屋の隅に転がされていたのだ。目の前にはあの麻袋。
それ以外は何もない部屋だ。
丸太小屋の一室のように思える。
「私を、どうするつもりなんですか?」
「さあ? 私たちは、あんたを連れてこいって言われただけだから」
だとしたら、なんらかの報酬と引き換えなのだろう。
信じたくはないが、最初から、リュシイの拉致が目的だったのだ。
「……ハダルは、恋人だったんじゃないんですか」
そう言うと、ライラは眉間に皺を寄せた。
「嫌なこと言うね」
「嫌なことって……騙したのはライラでしょう?」
「うんまあ、そうだね。騙されたほうが悪い、とは言わないけど」
そう言いながら、立ち上がる。
「ま、大人しくしてたら、もう殴ったりしないから」
さきほどの椅子をこちらに向けて、ライラは座った。
逃げなければ。
でもどうやって?
縛られた腕を少し動かしてみるが、擦れて痛いだけで、解けそうもなかった。足のほうも同様だ。
「リュシイってさあ、本当に予言者なの?」
そう言われて、顔を上げる。
「だって、私が悪者だって今まで気付かなかったんでしょ? 何か月も一緒にいたのに、その間、まったくわからなかったんでしょ?」
そうだ。もしもこの拉致の予知夢を見ていたら。こんなことにはなっていなかったかもしれない。
夢はいつも受動的で、何一つ、思い通りに見られはしない。
「そんなの、なんかの役に立つの?」
その通りだ。なんの役にも立ちはしない。
予知夢を見れば、誰かが不幸になる。それだけだ。
そのとき、一つしかない扉が開いた。
そちらに首を巡らせて、すばやくその外を見るが、そこもやはり部屋のようで、外には繋がっていないみたいだった。
「王都の大地震を予知したそうだよ」
扉から入ってきた男が、愉快そうにそう言った。
この男が、ライラに拉致を依頼したのか。
「ふうん? なんかすっごい地震だったって聞いたけど。こっちはそうでもなかったからなあ」
ライラには返事をせずに、男はこちらに目を向ける。
「やあ、お嬢さん。はじめまして」
神経質そうな目をした細身の男が、部屋に入って扉を閉めた。年の頃は、四十歳くらいか。
誰だろう……?
見覚えは、まったくない。
「これはこれは美しい。いや美しいとは聞いていたが、予知の話と相まって、多少は話が盛られているかと思ったけれど。これは主もお喜びになるだろう」
じろじろとこちらを舐めるように見てくる。
値踏みするような、視線。
汚らわしい。
思わず、じりじりと壁際に逃げる。
その様子を見て、男は口元に下卑た笑いを浮かべた。
ぞっとする。その笑いを、知っている。
男はこちらに歩いて近寄ってきた。
ライラが立ち上がる。
「ちょっと、止めなよ。あんたが無傷で連れてこいって言ったんでしょ」
だが男はライラの存在など目に入らないかのように、反応しない。
目の前にしゃがみ込むと、手を伸ばしてくる。
「私に、触らないで」
自分でも信じられないくらい、低い声が出た。男の手が、ぴたりと止まる。
「私の力が欲しいのでしょう?」
「ほう?」
男は面白そうに口の端を上げた。
「私の力は、純潔の乙女に与えられるもの。もし私が汚れたら、あなたはそれを手にすることはできない」
じっと男の目を見て言う。
震えるな。怖気づくな。堂々と。神の落とし子のように振る舞え。
男はしばらく考え込んだあと、うなずいた。
「確かに。そうかもしれないな」
思いの外あっさりと、男は伸ばしていた手を引いて立ち上がる。
「まあ、いずれにせよ、主には純潔のままお渡ししたほうがいいだろう」
相手の目を睨みつけろ。安堵の息を吐くな。
いずれ、逃げる隙もあるかもしれない。それまでは。
男はライラたちのほうに振り返り、言った。
「俺は主のところに報告に行ってくる。監視しておけよ」
「はあ? もういいでしょ。私はルカのところに行きたいんだけど」
「主に引き渡すまでが仕事だ」
「聞いてない。そんなに長い間ルカに会えないんなら、こんな仕事、投げ出してもいいんだよ?」
「前金は渡してあるだろう? だいたい弟がいるんだから、交代して見に行けばいいだけの話だ。頭の悪い女だな」
それだけ言うと、男は部屋をさっさと出て行く。
ライラは扉が閉まるのを見届けたあと、ため息をついた。
「はーやだやだ。辛気臭い男だねえ」
辛気臭い。そうかもしれない。
濁った目をした男だった、と思う。
ずっと見ていると、深淵に連れていかれそうな、鬱々とした気分にさせられるような、そんな嫌な目だった。