14. 王城へ
毛布にくるまって、丸くなる。
どうしたら良かったのだろうか。
あれから数日が経っても、ぐるぐると同じことをずっと考えている。
「ええーっと、リュシイ殿?」
声を掛けられて毛布から顔を覗かせると、兵士が心配そうにこちらを眺めていた。
「はい……?」
「ご気分は、いかがですか?」
「あ、はい、大丈夫です」
ここは天幕の中だ。
セオ村に帰ってきてから、少し時間が空くと、すぐに天幕の中に来てしまう。ここに居ついてしまっていると言っても過言ではない。
一人になりたくない。
そう言うと、
「怖い目にあったのですから、仕方ないですよ」
と、兵士たちが天幕の一角を指し示してくれた。
その言葉に甘えて、ずっとここにいるのだ。
与えられた毛布にくるまって、ここ数日、丸まっている。何をする気にもならない。
一人になりたくないのは、本当は、怖かったからではない。
天幕の中にいると、わずかながらでも、彼とまだ繋がっているような気がするから。
「我々としては、護衛対象にここにいてもらうのは楽なんですけどね」
「すみません……」
「いいですよ、身体が痛くなりませんか?」
「大丈夫です、ごめんなさい……」
そうして、また毛布にくるまる。
私は馬鹿だ、と思う。
やっぱりレディオスの言う通り、王城に行けば良かった、と思う。
けれどすぐに、それはいけない、と否定する。
彼の傍にいてはいけない。彼のことを忘れなければ。
そうでなければ、いつか、彼のことを不幸にするかもしれない。
もっと心の美しい人が、この力を持っていれば良かったのに。
じんわりと涙が浮かぶ。
ますます身体を小さくして、丸まる。
そのときだ。
「あー、いたいた」
「ライラ、貴様!」
「捕まりに来たんだけど?」
急に天幕の中が騒がしくなって、毛布の中から顔を出す。
ちょうどライラが床に組み伏せられていたところだった。
「ライラ……」
その姿を見て、口に出す。
思ったよりも、元気そうだ。とは言っても、組み伏せられているわけだが。
「あれ、リュシイ」
天幕の隅っこで、毛布にくるまって座っているリュシイの存在に気付いたらしい。
ライラは、バタバタと慌ただしくする兵士たちの中で、一人、落ち着いていた。
彼女は特に抵抗することなく、身体を起こして、兵士が用意した木製の手枷に手首を通している。
「ああ、これ、いいね。痛くないや」
「いいねって……」
「ごめんね、痛くしちゃって」
こちらに向かって、そう言う。
あっけらかんとしているライラに兵士も戸惑っているようだ。
彼女は覚悟を決めたのだ。そう、思えた。
「で、なんでここにいるの?」
ライラは飄々とした口調で、こちらに話し掛けてきた。
「なんでって……」
「あの坊ちゃんのところに行ったんじゃないの?」
ライラの言葉に、兵士たちは首を傾げた。
「坊ちゃん?」
「リュシイを助けに来た、私兵をぞろぞろ連れた、貴族っぽい坊ちゃんがいたんだけど。てっきりリュシイのことを連れて行ったのかと思ってた」
ライラの返事を聞くと、兵士たちは口を噤んだ。
彼女の言う、『坊ちゃん』が誰なのか、彼らにはすぐに分かったのだろう。そして、口にしてしまうことを警戒したのだろう。
「やっぱりね。だから言ったじゃないの、貴族なんてやめときなって。あいつら、その辺の女に手を出してはポイ、なんだよ。それで屋敷に戻っちゃって、何を訴えても知らぬ存ぜぬなんだから、ホント、ろくなもんじゃないんだって」
ライラは肩をすくめてそう言う。
違う。あの人は、そんな人じゃない。
「そんなことないです!」
「経験談だよ?」
その言葉に、二の句を継げなくなってしまう。
「ルカは、貴族の男との子どもだもん」
兵士たちはしばらく黙ったあと、ライラに問う。
「……ルカ?」
「私の息子。こないだ、病気で死んじゃった」
ライラのその言葉に、兵士たちは顔を見合わせる。
彼女に出産経験があること、息子がいたこと、相手がどこぞの貴族であること、その息子が死んでしまったこと、いろいろ考えたのだろう。
戸惑ったような表情を、三人ともが浮かべている。
そして、言った。
「……それは……お気の毒です……」
「うん、ありがと」
ライラはそう、あっさりと答えた。
そして彼女は再び、リュシイのほうに振り返る。
「あの坊ちゃん、助けに来たところまでは良かったのにねえ。置いて行っちゃうなんて。やっぱり貴族の男は駄目だわ」
「お、置いて行っちゃう、とかそんなんじゃないです」
「は? じゃあなによ」
兵士たちは、二人の会話に興味津々、といった具合に、何も口を挟まずに耳を傾けている。
「一人にはしておけないって、帰ろうって、言ってくれたもの……」
「なのになんでここにいるのよ」
「だって……。だって私なんか……傍にいてはいけないもの……」
涙が浮かんできた。
王城に帰ろうって言ってくれたのに。
それを拒絶したのは、他の誰でもなく、リュシイだ。
ついて行きたかった。その手を取りたかった。
でも、こんな醜い心を持つ自分では、彼を不幸にするだけ。
「あんた、馬鹿なの?」
「……え」
ライラの言葉に顔を上げる。
彼女はこちらを睨みつけていた。
「私なんか、って、なによ」
「……だって」
「あんたって本当、イライラする。いっつも俯いて。いっつもそうやって卑屈になって」
「だって!」
「坊ちゃん、迎えに来たんでしょ。バーンと飛び込めば済む話じゃないの。俯いて卑屈になっているから、与えられた幸せを自分から逃しちゃうんだわ、馬鹿としか言いようがないわよ」
「な、なんにも知らないくせに!」
「あんただって、なんにもわかってないわよ!」
その辺りで、兵士が間に割って入ってきた。
「まあまあ、落ち着いて」
「うるっさいわね、すっこんでてよ!」
「ライラ、お前、罪人って自覚あるのか……?」
「とにかく! 坊ちゃんとちゃんと話をしなさいよね。どうせ、私なんか私なんかって、そればっかりで、なんにも伝えてないんでしょ! 馬鹿だから!」
そうだ。あのとき、ろくにお礼も言えなかった。
もし助かったら、お慕いしています、と言いたかったのに、結局、言えなかった。
なんにも知らないはずのライラにズバズバと言い当てられて、情けなくて涙がぼろぼろ流れてきた。
「どうせ私は馬鹿ですー!」
「ほらまた、どうせ、って! ほんっと馬鹿!」
その言葉に弾かれたように自分の膝の上に突っ伏して、声を上げて、子どものように泣いた。
毛布が自分の涙でどんどん濡れていくのがわかった。
「そうやって、毛布にくるまって、小さくなって、泣いていればいいわ!」
「ええーっと、リュシイ殿……」
「そんな子、慰めなくてもいいわよ!」
「お前なあ……」
「こういうときは、泣いたほうがいいんだって」
ライラの言葉に、兵士たちも、ただ見守ることにしたようだった。
それが、ありがたかった。
涙が、自分の嫌な感情を、洗い流してくれているような気がした。
「あのさあ、ちょっと訊くんだけど」
リュシイが泣いている横で、ライラが兵士に言った。
「ハダル……元気?」
「ああ……。まあ、元気と言えば元気だけど」
「お前に騙されたってんで、落ち込んでる。可哀想に」
「ふうーん……」
それで話は終わったようだ。
天幕の中は、リュシイの泣き声だけになってしまう。
「じゃあ、王城に連れて行くぞ」
「ああ、うん。バーダン、そこにいる?」
「たぶんな」
「よかった」
また辺りがバタバタとしだして、リュシイは泣き顔のまま顔を上げる。
ライラはそこに、背筋を伸ばして立っていた。
しばらくして、兵士が天幕の外から顔を覗かせる。
「荷馬車の準備ができた。荷台に乗れ」
「うん」
「その前に」
兵士が道を開けるように、横に身体をずらすと、そこにハダルがいた。
「ハダル……」
「ライラ! ああ、無事だったんだね!」
「無事って……あんた……」
ハダルはライラに向かって駆け寄ると、その手を握ろうとして、そして手枷に気が付いたようだ。
行き場を失った手を、ハダルは握り締める。
「ライラ、なんだってこんなこと……」
「お金、欲しくてさ」
「それが目的?」
「うん。あんたのこと、最初っから利用するつもりで近付いた」
そう言って、小さく笑う。
「ごめんね。謝っても仕方ないけどさ」
「本当だよ……」
二人は目を合わせないまま、俯いて黙り込む。
だがライラは顔を上げた。
「ハダル、あんたの弱点はね、壊滅的に女を見る目がないってことよ」
そう言って、ライラは肩をすくめた。
「私みたいなのに引っかかっちゃってさ。次はいい娘捕まえなね」
彼女は悲しく笑う。
ハダルが顔を上げた。
「なにもかも、本当に嘘だった?」
「そうよ。まだそんなこと言ってるの」
だから捕まったんじゃない、と手枷を上に掲げて見せた。
「本当に? ここにいるとき、母さんの面倒、よく見てくれたよね」
「そりゃ、信用させないといけないから」
「離れるのが寂しいって言ったよね」
「まあ……恋人役なら、そういうものだよね」
「口づけしたよね、抱き合ったよね」
「ちょっ……」
「あれ、全部、本当に、嘘?」
勢い込んで言うハダルとは対照的に、ライラがどんどん俯いていく。
「嘘だよ、そりゃ……。私なんか、こんなもんなんだって。信じたくないのかもしれないけど、私なんか早く忘れてさ……」
「私なんか、って言った」
思わず、口を出した。
ライラが驚いたように、こちらに振り返った。
「私なんか、って言った。それに俯いてる」
「あのさあ……」
「ちゃんと伝えてみせてよ。人に言うくらいなんだから、できるでしょう?」
リュシイがそう言うと、ライラは俯いてしまった。
「ライラ?」
「あーもう! ほんっと、なんなの、この子は!」
そうして、ライラはハダルに向き直った。
そして一呼吸して、口を開く。
「最初は、本当に嘘だったんだよ。セオ村の男がエンリルに出入りしているって聞いてさ」
「うん」
語りだしたライラの話に、ハダルは耳を傾けている。
兵士たちも、特に咎めることなく、黙って視線を外している。
「でもさ、あんた、優しいし。一緒にいて楽しかった。大切にしてくれて、嬉しかった」
ライラの声が震え始める。
「今まで、ありがとう、さようなら」
ライラは一歩を踏み出した。
ハダルの横をすり抜けて、天幕の外へ出て行こうとする。
「ライラ」
その背中に、ハダルが呼び掛けた。
「待っていても、いい?」
「駄目に決まってるでしょ、どうなるかもわからないのに。馬鹿だね」
「馬鹿でもいいよ」
「あんたが誰とどうなっても恨みやしないから。それだけは覚えておいて」
「うん」
そうして、ライラは天幕を出て行く。
ハダルは、腕でぐいっと顔を拭いた。
リュシイはその光景をじっと見つめたあと、目の前の毛布を、眺める。
『そうやって、毛布にくるまって、小さくなって、泣いていればいいわ!』
ライラは、ハダルにちゃんと気持ちを伝えたのに。
あの人は、危険を冒して救いに来てくれたのに。
私だけ、なにも、していない。
リュシイは毛布を畳んで、そこに置いて立ち上がる。
立ち尽くしたままのハダルに、声を掛けた。
「ハダル。私ね」
「え、ああ」
「私、許してもらえるかどうかわからないけれど、行きます」
「リュシイ?」
「しばらく村には帰ってきません。だから、みんなによろしく」
「えっ?」
天幕を出る。
荷馬車の荷台にライラが乗り込んでいるところだった。
御者台に乗りこむ兵士に話し掛ける。
「あの」
「王城に、行かれますか?」
兵士はにっこりと笑って、そう言った。
先にそう言われてしまって少し驚いた。
そして。
「はい」
うなずくと、兵士もうなずき返してきた。
行こう。
怒らせてしまったし、許しては貰えないかもしれないけれど。
あのとき、助けてもらったとき、本当は言いたかった言葉を。
今度こそ、言うのだ。
自分の、気持ちを。