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11. 憤激

 リュシイはまだ、腕の中で泣き続けている。

 その涙が枯れるまで、泣けばいいと思った。


 ふと顔を上げる。視線の先にバーダンという少年が倒れていて、親衛隊の一人が歩み寄っていた。

 バーダンに刺さっている矢を親衛隊が引き抜くと、彼は「痛い!」と叫んだ。

 お前が斬りつけたという兵士だって痛かっただろうよ、と思いながら、冷めた目で少年を見つめる。

 それでも親衛隊は、簡単にだが治療を施していた。


 小屋の中に入っていった親衛隊の男が出てきて、こちらにやってきて言う。


「陛下、ライラという女は、やはりいません」

「まあいい。後ほど確保できれば、今のところは」


 森から、三人の親衛隊が出てくる。

 彼らは木の上からずっと機会を窺っていた。仕留めたのは、彼らだ。


「よくやってくれた」

「恐悦至極に存じます」


 三人は誇らしげに胸を張る。


 そうしているうち、腕の中のリュシイが泣き止んだ。

 それでもなんとなくそのままの体勢でいたが、しばらくすると、腕の中で彼女が硬直しているのがわかった。

 つい抱き締めてしまったが、まずかっただろうか。

 急に気恥ずかしくなってきて、身体を離す。

 彼女はまた、俯いてしまっていた。


「あ、あの……すみません、泣いてしまって……」

「い、いや……。大事ないか?」

「はい、大丈夫です」


 そう言って彼女は顔を上げた。

 だが、その顔を間近で見て、息が止まる。

 右頬はさきほどの刃物で切ったのか、薄い血の筋が走っている。

 それだけでなく、左頬が、赤く腫れているではないか。


「……殴られたのか」


 カッと頭に血が昇った。握った拳が震える。

 なんということをするのだろう。

 彼女は慌てたように、自分の頬に手をやった。


「あ、は、はい」


 バーダンの近くにいる親衛隊員を呼ぶ。

 彼の治療よりもこちらの治療だ。


「他に酷いことはされなかったか?」


 倍返ししてやろう、と心に決めた。


「……あの……えっと」


 そう言って、なぜか急に落ち着かなくなる。

 ますます俯いてしまって、手の指を組んだり離したりしている。


「あの……、ね、念のために……言うんです……あの……」

「どうした?」

「えっと……、て……」

「て?」


 そして彼女は、小さな、聞こえるか聞こえないかの声でぼそぼそと言った。


「貞操は……守ったので……」


 そうしてまた、黙り込む。


 貞操?

 もしも彼女にあの男がそんな汚らわしいことをしたのなら、八つ裂きどころでは済まなかった。

 そんなことをされたら、彼女はどんなに傷ついただろう。


「……それは、良かったな」


 そう言うと、彼女は小さくうなずいた。


 いや待て。

 今、守ったと言ったか?

 では危機はあったということか。


 なんということだろう。

 自分以外が彼女に触れるなどと、考えたくもない。

 しかもブレフトだと? 怖気が走る。


「陛下」


 親衛隊に呼び掛けられ、振り向く。

 彼は困ったように、携帯用の小さな薬壺を持ってそこにいた。


「あ、ああ、頼む」


 慌てて一歩引く。

 触れられたくないとはいえ、治療となれば話は別だ。適切に施行するには、自分では不適格だろう。


 リュシイは大人しく立ったまま、薬を塗られるがままになっていた。

 それを眺めていると、別の親衛隊員から話し掛けられる。


「いかがなさいますか?」


 そう言われて振り向くと、彼は矢が刺さったまま倒れ込んでいるブレフトを指さしていた。

 ブレフトはまだ呻いている。


「急所は外しておりますが」

「そうか」


 言われて、ブレフトの元へ歩み寄る。

 

「無様だな」


 そう言って、鼻で笑ってやった。

 彼は恨みがましそうに、こちらを見上げる。


「……背後から狙うとは、国王ともあろう者が、卑怯なことで」


 この状態で、よくそんな口を叩けたものだ。


「人質を取って逃げようとした者が、よく言う。それになぜこの私が、お前などに正々堂々と勝負を挑まねばならない?」


 そのブレフトの忌々しい顔を見ていると、過去のことがいろいろと思い出された。

 

 父の死に顔。

 母の最期。

 崖崩れで一緒に逝ってしまった者。

 あのとき皆が流した涙。


 倒れたままのブレフトに更に歩み寄り、手を伸ばす。

 そして背中に刺さった矢を一本、勢いよく引き抜く。

 彼の身体はびくりと痙攣したように揺れた。

 そしてその傷を、足を思い切り振り上げて、踏みつける。


「ぐあっ……!」

「減らず口は相変わらずのようで、なによりだ」


 そのまま傷を踏みにじる。


「本当にお前には、いつもいつも辛酸を舐めらされる。私の人生から消え去ってもらいたいものだ」

「や、やめろ……」


 足の下で、ブレフトが呻く。

 なぜ、やめなければならない。

 こんなものではない。この怒りを抑えるためには、この程度で終わらせられるわけがない。こんなもので終わらせてたまるか。

 死んだほうがまだ良かったと思えるほどに、苦痛を味わわせてやる。

 腰に佩いていた剣を、鞘から引き抜く。

 あのときはジャンティに止められてしまったが、最後まで引き抜けたことに、快感すら覚えた。


 ブレフトの顔のすぐそばに、多少かすっても構わないと、剣を勢いよく突き立てる。


「ひっ……!」

「何から切り落としてやろうか? まずは、そのうるさい口から舌を切り取ろうか」


 剣をゆっくりと地面から引き抜くと、そのままブレフトの顔に当てる。撫でるように剣を動かすと、顔に一筋、血の線が入った。

 さすがだ。切れ味がいい。


「やめ……」

「そうか、舌は嫌か。まあ、今回のことをいろいろしゃべってもらわないとならないからな。では耳にしようか? それとも、指を?」

「やめろ、やめてくれ!」


 親衛隊は、その様子を黙って見つめている。

 彼らだって、きっと同じ気持ちだろう。


「やめてください!」


 だが、背中から、リュシイが抱き着くようにして止めてきた。


「なぜ止める」


 この男に、慈悲など必要ないのだ。欠片も。

 それに、酷い目に遭わされたのは、他ならぬリュシイではないか。


「穢れます!」

「なにが」

「陛下が……」


 彼女は震えていた。

 その震えが、身体に伝わってくる。

 そして気付いた。

 今、自分が、口元に残忍な笑みを浮かべていたことに。


「……ああ」


 剣をブレフトから離す。すると彼は安堵のため息をついて、身体から力を抜いていた。

 口元を、開いた左手で隠した。そして大きく息を吐く。


『あなたは今、冷静さを欠いておられる!』


 ジャンティがそう言っていた。本当だ。まったく冷静ではいられなかった。

 彼の指摘は、いつでも正しい。


 一度大きく深呼吸してから、剣を鞘に戻す。


「止めてくれて……感謝する」


 彼女のほうを見られなかった。

 今、とてつもなく醜い姿を見せてしまった。

 怖かったと泣いていたのに、さらに怖い思いをさせてしまった。


「すまなかった」

「いいえ。いいえ、陛下。ごめんなさい……」


 なぜ彼女は謝ったのだろう。

 もしかしたら、少し心情を慮ってくれたのかもしれない。


 親衛隊が、ブレフトを拘束しにかかった。

 多少力が入っているように思えるのは、気のせいではないだろう。

 それくらいは許してもらいたい。


 縛り上げたバーダンとブレフトを、馬車に乗せる。

 オルラーフの誰がこの馬車をブレフトに与えたのかは知らないが、活用させてもらう。

 かの国の紋章が入った馬車。それを一介の衛兵が止められなかったことを責められない。

 こちらとしても抗議はするが、おそらくはしらを切られる。そしてブレフトは切り捨てられる。腹立たしいことだが、これが限界だろう。


「では、帰ろう」


 自分の馬に乗って、そしてこちらを見上げる少女に手を差し伸べた。

 リュシイは少し、手を伸ばしてくるのを躊躇っているようだった。

 やはり、怖がらせてしまったか。

 馬車を操る者の馬が余ってはいる。そちらに乗せるべきなのかもしれないが、けれど、彼女を傍に置いておきたかった。


「嫌か?」


 そう言うと、少女はふるふると首を横に振って、おずおずと手を伸ばしてきた。

 彼女の二の腕を掴んで、ぐっと引っ張る。少し身体が浮いたところで腰を抱えて、自分の前に、横座りさせた。


 そのときだ。


「どこに行くのよ」


 女の声がした。

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少女は今夜、幸せな夢を見る
↑この話の前編の、本編に当たる物語です。

銀の髪に咲く白い花
↑この話の続編に当たる物語です。 よろしくお願いいたします。
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