8話 専門家に相談する
『闇の……話は、よくわかりました』
闇の竜王は意識だけを土の竜王のもとに飛ばしていた。
闇の球体を通じ、土の竜王のいる光景が見える。
それは深く険しい山の中――
岩壁と同化するような、ゴツゴツしたウロコを持つ巨大な生き物が、静かに横たわっている。
その生き物にはコケが生え、体表の上に植物が育ち、そして鳥や獣が、暮らしていた。
竜王たちの中でも圧倒的巨大さを誇る、古老。
自身が一つの山であるかのように雄大で、しかし優しい存在感を放つその生き物こそ、『土の竜王』なのであった。
『しかし闇の……この老骨、あなた様のご期待に、応えることはできそうもありませぬ……』
「ほう? 難しいことなど言ってはおらんと思うがな。俺はただ――『すぐに育ち腹いっぱい食べられる作物を教えろ』と言っているだけなのだが?」
『闇の竜王よ……よくお聞きください……』
「拝聴しよう」
『そんな都合のいい作物、この地上にございませぬ……』
「……」
『そも、野菜とは長き時間をかけ、大地と光と水の恵みをいっぱいに吸い込み、実をなすモノ……それをすぐに育ち腹いっぱい食べられるものを教えろなどと……怖れながらこの老骨、あなた様に「農業をなめるな」と苦言を呈さざるを得ませぬ』
「なめているつもりはないがな。しかし、貴様の言うこと、もっとも。俺の無知は認めよう」
『……ご理解、感謝いたしますぞ』
「しかし、それはそれとして、今、飢えようとしている子供がいるのは事実だ。貴様の力ならば、この世にありえぬほど都合よく作物を実らせることもできよう?」
『……』
「貴様のうそぶいた『平和』の中で! 無力にもモンスターなんぞに畑を襲われ! その年の成果物をすべてダメにされ! さりとてヒトの社会に頼ることもできず! 幼い妹を抱えながら、食に窮する成長期がいる!」
『……』
「平和! ああ、平和! 素晴らしき世の中よ! ……土の、貴様はどう思う? 俺は素晴らしすぎて笑いが止まらぬぞ! クックック……ハッハッハ……アーハッハッハ!」
『……つまり、あなた様は、たまたま知り合った、混血の子を救えと、儂にそう要求されていらっしゃるのですかな?』
「そうだ」
闇の竜王は断固とした調子で言い放った。
しばし、重苦しい沈黙があり――
『……闇の。あなた様のなさろうとしていることは、世の平穏を乱しかねませぬ』
「ほう? どのように?」
『あなた様は、たまたま出会った相手に同情し、その相手を助けようとしているだけ……たしかに儂の力であれば、野菜の一つや二つ、あっという間に育てることは可能でしょう。けれど、たまたま運のいい、たった一人――否、二人の女子供をえこひいきするのは、六大元素と世の理を司る竜王の振る舞いではございませぬ』
「クククク! 貴様はいつもそうだな!」
『はて、どういう意味で?』
「そのように言葉を飾り、己に大義があるかのように言う!」
『……大義は、ございましょう』
「貴様はただ、こう言えばいい。『助けない。見殺しにしろ。飢えても知らない』と」
『……』
「そのように正直な物言いであれば、俺も膝を打って貴様を賞賛しただろうよ! だが、なんだその回りくどい言い方は! ハハハハ! 竜王たる者が、大義だなんだと飾りをつけなければ、本音も言えぬか!」
『しかし、闇の……あなた様が見たような不幸な身の上の子は、この世界に大勢います。そのすべてを、そのようにひいきして、世を逆さまになさるおつもりか?』
「貴様はいつでも考えすぎだ」
『……』
「俺は、俺の目で見た者を飢えさせぬよう力を貸せとしか、言っていない。世界にあふれる飢えた子供? 世を逆さまに? 知らぬわ!」
『しかし』
「俺は不公平も不平等も否定はせぬ。ただ、俺にかかわった以上、俺が権能のすべてを駆使して庇護すべきだと考えているだけだ。なぜならば――俺に出会うということは、それだけで幸運だからだ。そのように、俺はそやつに言ってしまった」
『……』
「わかるか、土の。これは、俺のプライドの問題なのだ。世にあふれる飢えのすべてに、同情はしよう。しかし、そんなことまで知らぬわ! 俺は、俺のできる範囲でご近所の先住者に力を貸す。それだけだ」
再び、重苦しい沈黙があった。
それは一度目より長く続いたが――
『……わかりました。闇の竜王よ……儂の力を、貸しましょう』
「格別の感謝を」
『……しかし、あなた様のおっしゃりようですと、目につく限りの不幸な者を助け続けるように聞こえますな』
「悪いか?」
『……なんとも、言えませぬ。儂ごときでは、あなた様のなさる「果て」が、読めぬのです。あなた様は、強大な力を気ままに奮いすぎている……世にいい影響は、与えますまいよ』
「貴様は偉そうだな」
『……ええと』
「貴様は竜王を『世界』の外側――いや、上位においている様子だが、俺は違う。俺は、竜王も世界の一部と考えている」
『……』
「俺たちは世界を見守り、世界に遠慮してジッとしている必要などない。したいことがあれば、すればいい。我慢をする必要はない」
『たとえばその「したいこと」が、戦争でも、同じことをおっしゃいますかな?』
「同じことを言う」
『だからこそ、儂はあなた様を危険だと申し上げるのです』
「今のところ平和を乱しているつもりはないがな。……だが、もしも、どうしても俺が貴様の気に入らぬ行動ばかりするならば、貴様とて、俺を怖れ、俺を前にすくむ必要はないのだ」
『……と、おっしゃいますと?』
「竜王同士の戦いも面白かろう」
――土の竜王の体に乗っていた動物たちが、一斉に動き出す。
鳥は逃げるように羽ばたき、獣もまた、その場から遠ざかろうと、四肢を躍動させた。
三度目の沈黙は、比類なく重い。
しかし――土の竜王は、あくまでも穏やかな、しわがれた声で、言う。
『……この老骨には、少々きつかろうと存じます』
「ククククク! 安心しろ! 貴様にそこまでの負担はかけぬ! ただ、貴様があまりにも面白い『たとえ話』を持ち出すもので、俺も興がのっただけのことよ!」
『あまり、年寄りをいじめんでくだされ』
「ハハハハハ! 悪かった。……貴様に力を借りたこと、俺は生涯、忘れぬぞ」
『であれば、あまり無茶をしてくださいますな』
「気を付けよう! できる範囲でな!」
『あなた様のおっしゃりようを否定するわけではございませんが……我ら強大なる力を持つモノが、普通のヒトや魔のように生きることは、そもそも無茶なのです。そのこと、ゆめゆめお忘れなきよう……』
「俺は『不可能』とか『前人未踏』とか言われると、無性に挑みたくなるタチでな」
『……この老骨の言葉は、とどかぬようですな。いずれ、実感してくださることを期待しましょう。……あなた様の願いは、たしかに聞き届けました。土へ加護をあたえましょう』
「感謝する。では、まどろみの最中、邪魔したな」
『――闇の』
「……なんだ?」
『…………あまりヒトに寄り添いすぎぬよう。傷つくのは、あなた様なのですぞ』
「残念ながら俺は闇の竜王。俺に傷をつけるのは並大抵のことではないわ!」
『……ならば、これ以上は言いますまい。それでは』