83話 新たなる
竜王とヒトのあいだに交わされた約束は、果たされた。
◆
六大竜王会議――
そう呼ばれる会合があった。
昼日中の青空の下、六体の超越存在が一本の剣を囲んで話し合っている。
陽の光のもとに映し出されるのは、それぞれ異なる威容を持つ、竜王たち。
大自然の脅威の具現とも称される、強大なる超越存在ども――
「それでは、世界を創造しよう」
この会合を取りまとめるのは、鋭い印象の面立ちをした竜王だ。
青年の若々しさを持つ声を発するその竜王は、居並ぶ他の五体を見回して、そして、しばしの間を空けてから問いかける。
「まずは、『土の』。君は新しい世界になにを望む?」
応じるのは、どこかカエルを思わせる造形の存在。
しかし、そのサイズが規格外だ。山のような巨体、というよりも、山そのもの。その背中には植生が存在し、そこで様々な動物が生きているほどの、竜というよりは、大地そのものといった存在。
それが、しわがれた声で応じる。
「健康を。健やかで長い、ヒトどもの一生を。大地の実りに悩まされず、食うに困らぬ世界を」
「では、その世界において、不作はないものとする。そして、どれを住まわせる?」
「森人を。長く、若々しいまま生き、そして末期は樹木となり世界と同化する……これほどまでに美しい種族を、儂は他に存じ上げませぬ」
青年の声を持つ竜王はうなずき、そして、次の者に目を向けた。
そこにいるのは尾の先にヒレのような薄い皮膜を持つ、流麗なる青い竜王。
サンゴにも似た角を生やしたその竜王は、こぼれそうな目をかけられた声の主に向ける。
声の主は、問いかけた。
「『水の』。君は新しい世界になにを望む?」
美しい女性の声が応じる。
「流れを。世界が停滞せし時に、その停滞をかき混ぜる者を。異なる知識と常識を持つ、世界にとっての異物を」
「では、その世界には、定期的に、異なる世界よりの来訪者が来ることとする。そして、どれを住まわせる?」
「もちろん、人間を。とにかく増え、とにかく生き急ぎ、とにかく世界を進めたがる。これほどまでに、わたくしを崇めるにふさわしい種族はおりますまい」
青年の声を持つ竜王は、少しだけ思案するようにそっぽを向き、それから、どことなく不承不承という様子でうなずいた。
そして――
「『炎の』。君が新しい世界に望むものは?」
問いかけられた先にいたものの周囲は、熱でゆらめいていた。
太い四肢に盛り上がった筋肉を備え、首の後ろには燃えるようなたてがみのあるその存在は、熱い息を吐きながら、応じる。
「争いを。思い違いによる対立を。協調による危機への対処を。常に戦いの絶えぬ世界こそが、我が望み」
「ならば、その世界にはヒトに対立する存在がいるとしよう。ヒトが争いを忘れぬ環境を約束しよう。そして、どれを住まわせる?」
「ドワーフどもを。戦いで重要なのは、駒の性能しかり、戦術しかり。けれど、もっとも我が重要視するものは、兵器である。達人と素人のあいだを埋め、子供でも大人を殺すことを可能とするもの。ヒトの力を平均化し、それでも出てくる英雄こそが、我が望み。ドワーフどもは、それを助る技術者となろう!」
青年の声を持つ竜王は、気圧されたように半歩退いた。
そして、うなずいてから、また別な方向に視線を転じる。
「――『風の』。新しい世界に、君ならば、なにをもたらす?」
声を向けられたのは、一対の猛禽のような翼が生えた竜だった。
ふわふわした体毛に包まれ、居並ぶ竜王の中ではもっとも小柄で、その目にはどことなく挑戦的な輝きがある。
その竜王は楽しげに、少年のような声で応じる。
「自由を。どのような状態でも羽ばたける翼を。たった一人でさえ、万軍に勝利できるほどの力――際限の撤廃を」
「それは難しい。世界を壊す者が出かねない」
「なんだよぉ。じゃあ、ある程度の、際限の撤廃を。細かいことは、おまかせするよ」
「……ならば、いいだろう。そして、君が住まわせてみたい者は、どれだい?」
「エルフだね! 連中はもっとも鋭敏に風をつかむ……まあ、翼人がいいなら、そちらがいいのだけど。どうにも、あれは君のお気に入りだし、今さら僕が選ぶのも、なんだかマネしているようでつまらないからね」
青年の声を持つ竜王は苦笑するように目を細め、うなずいた。
そして、
「私は――『光の』竜王は、その世界に純粋さを望む。混血などという、本人たちにはどうしようもない理由での差別や問題が発生せぬ世界を。すべての問題が努力と才能と運でどうにかできる世界を望もう。しかし……私が調整しても、やはり、ひずみたる人種は出るだろう。私は、それを世界に住まわせるということにしよう」
ひずみたる人種に、名前はつけられなかった。
その人種は二つの人種の特徴の混ざった者が生まれないよう調整したうえで、なお出てしまうものだ。
真っ白い肌と真っ白い髪を持ち、左右で色の違う瞳を持つこととなろう。
語り終えて、光の竜王は、最後の一体に視線を向ける。
「――『闇の』」
呼びかけられた竜王は、骨のみの首を動かし、光の竜王のほうへと少しばかり顔を寄せた。
「闇の、君は、新しい世界に何を望む?」
闇の竜王は、しばし、応じず、骸のように沈黙していた。
永劫に思えるような静けさのあと、
「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」
びりびりと、そこにある竜王たちの身が震えるほどの声で、大笑する。
「この俺が、世界に望むことなどあるものか!」
「……」
「だいいち、世界とはいかにもおおげさ! 我らがこれより創りあげるは、この大地と比べればほんの小さな浮島の箱庭であろう!」
「だが、そこは、我ら六大竜王が総力を上げて作り上げる箱庭だ。そして――その箱庭には、直接の干渉ができないということにした。ゆえにこそ、こうして最初に与える影響を選んでもらっているというわけだ。だいたい――」
「そう、この俺も賛同した! ……実に愉快だ。我ら竜王は、なんだかんだ言いつつ、手を出しがち! ならば、手を出せぬというルールを竜王の力で設け、なおかつその箱庭の運営中は維持管理に力を使うというのは、いかにも俺好みよ!」
「ならば、なにが不満なんだい」
「不満などない! ただ、物言いがおおげさだと述べただけだ!」
「しかし、君はなにも望まないという。それは、この箱庭創造の理念に反する」
「構わんのか?」
「もちろん。君は権利を行使していない」
「ふむ」
闇の竜王は前脚をアゴに添えて、考え込むようにうなり、
「では、俺は、そうさな、虚無でも望んでおこう」
「……それは?」
「一部の者へと与えられる、絶大なる才能。才能なき圧倒的多数に『永遠に届かない』と思わせる力。絶望とともに与えられる虚無感。一部の者が傑出することがありうるということ。その他の者が拭いされぬ虚無を、望もう」
「……それで、いいのかい?」
「ヒトは虚無に立ち向かえる」
「……」
「力も強さも、一元的には語れぬものだ。圧倒的強者でも、己よりはるかに劣る者に思い知らされることがある。……フハハハ! ああ、『虚無』ではないな! その『虚無』は『試練』である! 大勢の者にとっての試練! 時には才覚を与えられた側にとっても、乗り越えるべき試練である!」
「……いいだろう。では、一部の者に傑出した才覚を与えよう。努力ではどうにもならないほどの才覚を――試練を。君だけが打ち克てると信じる可能性を。そして、君は、どれを住まわせる?」
「いいや、俺は連れてはいかんぞ」
「……だから」
「すでにいるではないか。我らの作る新しい箱庭にいながら、竜王の誰も担当しておらん者が」
そこで、竜王たちは顔を見合わせ、首をかしげあった。
そのざわめきを楽しんだあと、闇の竜王は語る。
「人類の敵対存在。炎の竜王の願いにより生じたそれを、俺は住まわせんと望もう」
竜王たちが、息を呑む。
光の竜王が、声をあげる。
「それは、人種ではない」
「人種を選べとは言われておらんぞ」
「そ、れ、は……言葉の綾というやつで……」
「フハハハハ! いいではないか! あまねく生命は平等である! ならば、ヒトの敵対のための存在にも守護者があってよかろう! この俺はヒトというものを相手どるその連中の守護者となろう!」
光の竜王は、ため息をついた。
けれど、
「……わかった。君がそう言うなら、そうした方がいいだろう」
「フハハハハハ! 感謝する!」
「……では、始めようか」
気を取り直して、という声音で、光の竜王が告げる。
まずは、しわがれた声が応じる。
「我が力で大地を生み出しましょうぞ。愛しき子らと、その敵対を担う者どもが寄って立つ足場を、これに」
続いて、美しい女性の声が応じる。
「我が力で水を。大地に潤いを。空からは雨を。雪が舞い、霧が立ち込める。そうして――世界の端には、滝も与えましょう」
力強い声が応じる。
「我が力で、炎を与えん! すなわち世界に変動の可能性を! 大地の奥深くに、あるいは湖の奥深くに、ヒトの心の中にさえ、少しのきっかけで激しく爆ぜる火種を!」
少年の声が、どこか面倒そうに応じた。
「僕は風で世界を包もう。常に渦巻く不可視の天蓋。一度回してしまえば、その後どう動くかは僕にさえわからない、荒れ狂う賽を」
野太い声が、大笑しつつ告げる。
「フハハハハ! 俺は世界を闇で覆う! それは恐怖であり安らぎである! 先の見えぬ漆黒を! 目を伏せた時に感じる安息を!」
他の竜王たちの言葉を待って、最後に、光の竜王が告げた。
「光あれ」
竜王たちが空を見上げる。
そこにはまず、気の早い闇がうずまいた。
闇がこねられ、その中に大地がゆったりと生じていく。
すると待ちわびたように大地に水が巡り――
さかまく風が、水を、土を、かき混ぜた。
力強い音を立てて、大地に炎が埋め込まれていき――
それらすべてが終わったあと、箱庭の中天に日のようなものが浮かび上がり、すべてを照らした。
そして――
竜王たちは、消え失せていた。
最初から存在しなかったかのように、どこからも、その姿を消し去っていた。




