81話 私の妹は行動が読めない
集落に戻ってからまずおどろかされたのはムートの縁談だった。
ヴァイスが水の竜王に『あんたもいい年齢だよ』と言われるぐらいの歳月が経っているので、それはもちろん、ムートもそろそろいい年齢だ。
巫女として婚儀にたずさわることも多かったヴァイスからすれば、ぶっちゃけ、縁談が持ち上がるのは遅いぐらいの年齢だというのもわかってはいる。
しかし、妹が結婚。
この事象のダメージはやたらめったらでかかった。
ヴァイスはショックで三日ほど寝込んだ。
都会から戻ってきたばかりのヴァイスがいきなり寝込んだことで集落はおおわらわとなる。
その騒ぎの大きさは『闇の竜王が笑わなくなった』と述べればわかる者にはわかるだろう――天地が滅びようが笑い続けそうな、かの竜王が笑わないのだ。それは天地が滅びた以上の衝撃だったのであろう。
まわりがめちゃめちゃうろたえるので、逆にヴァイスが冷静になった。
その夜、懐かしくもアップグレードを繰り返されているせいで全然寝心地が違うようになってしまったベッドの上で、看病に来たムートに対して、声をかけた。
かけただけで、しばらく言葉は出てこなかった。
いろいろなものが胸中からあふれ出すようで、それらが文章としてまとまるタイミングがなかなかおとずれなかったのである。
「ど、どうして……?」
ヴァイスがようやくこぼした言葉に、ムートは困った顔で固まった。
誰でも困る。ヴァイスはだから、もっと明確に、自分の胸中にある言葉を発掘するために沈黙を必要とした。
「……えっと、どうして、内緒にしてたの? 去年も、二回ぐらい帰省したけど、その時にもなんにも言ってなかったよね……?」
「黙ってた方がびっくりするかなって思って」
動機が完全に『いたずらを企む子供』だった。
ムートは見てくれこそ完全に大人の女性という感じで、黙って立っていれば深窓の令嬢という様子でさえあるのだが、心の中では、あの、元気な子供がまだ暴れまわっているようだった。
「ニッヒーの反応がめちゃめちゃ面白かったから、お姉ちゃんもいいリアクションをしてくれるかなって……」
「縁談の発表で気にするところがそこ⁉︎ お姉ちゃんのリアクションより大事なことがいくらでもあるでしょう⁉︎」
「ニッヒー、十日ぐらいのあいだ、幼児退行したんだよ」
「そんなレベルのおどろきを私に味わわせようとしたの⁉︎」
ムートは闇の竜王の影響を受けすぎているせいなのか、ヒトとは違うステージからヒトをながめている感さえ出てきている。
「お姉ちゃん、怒ってる?」
「怒ってるよ! あ、いや、ううん、その、ムートに好きな人ができて、その人と一緒になろうっていうのはいいんだけど、人の精神の強度を試すようなことはしちゃダメだよ」
「ごめんなさい」
こうやって、しゅんとうつむいて謝る姿がかわいすぎて、ヴァイスはいつもムートを許している気がした。
「……いいけど、それで、相手の人はどんな……? 闇の竜王さんが認めたんだろうから、悪い人ではない……可能性が、それなりに、高い……ような、気も、しなくもない、けど……」
闇の竜王の人間観察眼には、根拠のない一抹の不安が常につきまとう。
なぜならば、かの存在は闇を司る……かの存在の可能性は闇(無限大)だし、かの存在の判定基準も闇(基準不明)であり、かの存在の好みも闇(ちょっとなに言ってるかわからないですね)だからだ。
ムートは真剣な顔でうなずいて、
「お姉ちゃんも知ってる人」
「………………まさか、クラールくん?」
ニヒツとクラール。
この集落においてムートと同年代の『翼を持つ人種』の双子だ。
この集落に戻った際にあいさつをしたクラールは素敵な青年へと成長していた。
クラールだと性格上『妹さんと結婚します』というのは、ヴァイスが戻ってきた途端に言いそうだけれど、ムートの告白はすさまじい早さで差し込まれ、そのあとヴァイスは倒れたので、機会を逸しただけかもしれない……
ヴァイスはムートをじっと見た。
ムートは「あー……」と述べながら視線を横にやり、
「クラールくんは、その、素敵な男性だよね。顔もいいし、妹想いだし……」
「もう理解したから、大丈夫よ」
違うようです。
「じゃあ、ダークエルフさんたちの誰か? それともリザードマンさんたちの……」
「違うよ。ほら、お姉ちゃんが十年ぐらい前に急に帰ってきた時にいた、隣村の人」
「わかるわけないよ!」
「知っているとは言ったけど、わかるとは思ってなかったよ」
妹が愉快犯に目覚めていて、いちいち言葉にトリックを混ぜてくる。
これ以上翻弄されてしまうと、ムートがいよいよ取り返しのつかないところまで『味』を覚えてしまう予感に突き動かされて、ヴァイスは急いで話題を戻した。
「と、とにかく、その、おめでとう。式とかはやったの?」
「式をやったら神殿から人が来るでしょう? そうしたら、お姉ちゃんの耳に入るかもしれないし、式はお姉ちゃんが帰ってからにしようってことにしてて……」
「どうして隠蔽工作をそんなにがんばるの⁉︎」
「隠蔽工作は理由の半分だよ。もう半分はね、お姉ちゃんに見届け役の神官をやってもらいたいって、そういう理由」
ムートは笑った。
ヴァイスはうまく笑えなかった。
隠蔽工作をしたい気持ちと自分に見届け役を頼みたい気持ちが半々なのだ。
もっとこう、比率がかたよっていてほしかったという気持ちは禁じ得ないし、なんなら隠蔽工作なんかしないでほしい。
「言ってくれたら、ちゃんと時間を作って見届け役をやりに来たのに……」
それだけ絞り出すのが精一杯だった。
ムートは儚ささえ漂う笑みをこぼし、
「お姉ちゃん、がんばってるって聞いたから……無理させたくなかったの」
「ムート……」
その配慮ができるなら、なぜ、隠蔽工作をしてまでサプライズ気味に発表したのだろう……
三日も寝込むというのは、かなり精神に無理がかかっている証拠だし……
なんならニヒツが十日間ものあいだ幼児退行するという実績がすでにあったから、精神にもたらされるいちじるしいダメージは予見できた気がするのだが……
妹はどこかズレていた。
そして、ズレてはいるが、幸せをつかんだらしかった。
だから、まあ、いいか、とヴァイスはため息をついた。
「相手の人、紹介してくれる? お相手がいい人なのは、わかったから」
「え? 相手の性格について、なんにも説明してないのに?」
今のムートと結婚まで考えるのだから、それは聖人のような人なのだろうというのはなんとなくわかる。
……まあ、それも、あながち冗談とも言えず、三割ぐらい判断基準になっているが……
実際のところ、ムートは嫁入り年齢としては、かなり、上振れしている。
村落の結婚は早く、また、早く結婚しないと周囲から圧力がかかるというのも、ヴァイスは見てきた。
そんな中でいつまでもムートの思いつきに付き合ってくれるのだから、忍耐強く、辛抱強く、優しく、そしてムートを大事にしているのだろうということは、想像してあまりある。
だいいち――
もしも相手がなんらかの理由でムートを騙していたりするならば、ニヒツがめざとく気付いて、闇の竜王を説得して、ダークエルフたちを使って、なんとしても破談にするだろうという、嫌な信頼もあるのだ。
「……ああ、本当に、ムートは、相変わらずね」
色々な意味で変わってしまった妹に、そう言う。
「そうかな?」
「うん。思いこむと突っ走るところとか、よくわからないものにこだわって突き進むところとか……そういうの、大人になったら自然となくなるものだと思ったんだけどなあ」
ヴァイスがしんみりしていると、ムートが唐突に服の襟首に手を入れて、胸の谷間からなにかを取り出した。
名状し難い形状の木製のなにか。
ムートがそれをいじると、それは、
――んぬぇぇぇぇぇぇ……ねっぷぃぃいぃぃぃぃぃ……
奇妙な音を発した。
「え、なんでいきなり⁉︎」
「そういえば子供のころから大事にしてるおもちゃがあったなあって思い出したから……」
「待って、それ、いつも胸に挟んでるの?」
「今日はたまたま」
そんな『たまたま』があってたまるかという気持ちだったが、ムートの細かい行動にいちいちおどろいていると心がもたないのをヴァイスは早くも察していた。
ヴァイスはまたため息をつき、
「旦那さん、いい人みたいだね。幸せになってね」
「なんで一つも紹介してないのに全部わかった感じなの?」
「あなたを見てればわかるよ」
「……私、そんなに幸せそう?」
まあそれも思ったので、ヴァイスは微笑んでうなずいておいた。
世の中には言葉にしないほうがいいこともあると、ヴァイスは都会生活でしっかりと学んでいたのだった。




