78話 五年間
妹の姿が変わり果てている。
具体的にはめちゃめちゃ育ってる。
みょうに不穏な手紙を気にしてどうにか暇を作り大急ぎで帰郷したヴァイスを待ち受けていたのは、とうに自分より背が高くなり、なんなら胸も大きくなった妹の姿であった。
五年。
その歳月は子供を少女にするには充分すぎた。
ヴァイスとてそんなことはわかっているが、やはりこうして実際に目の当たりにすると衝撃的だったし、腰を抜かした。
ヴァイスにとってムートという存在はいつまでも元気にそのへんをチョロチョロしている小さい少女なのだった。
五年間という時間が生み出した現実と記憶とのギャップを埋めるのに半日ほどかかった。
その半日でなにをしたかと言えば……
ヴァイスの唐突な帰省にびっくりするムートたちの歓待を受け、家に連れ帰られ、これまでなにがあったかを聞かされ、夕食など振る舞われ、そして夜になったので焚き火などたきつつ闇の竜王の目の前にいる。
ようやく自失状態から立ち直ったヴァイスは焚き火を囲む人々をながめた。
そこにはもちろんというか、さっきからというか、ダンケルハイト、ルージュ、そして数の減ったリザードマン部隊やダークエルフ部隊がいる。
部隊の人たちの近況については、手紙で記されていたし、なんならメッセンジャーに直接聞いた――つまりヴァイスの手紙をこの集落までとどける仕事を請け負ってくれていたのが、都会で冒険者暮らしを始めたダークエルフなのだ。
ダークエルフ部隊は部隊としては解散し、独立した人は独立したらしい。
リザードマン部隊はもともと彼らの生活があって、それでもルージュに付き合ってここでの暮らしを交代しつつしていたらしい。
そして意識がはっきりしてくると、ムートたちから話されたこの集落の近況もだんだんとその内容を理解できるようになってくる。
というか――見ればわかる。
明らかに、人が増えていた。
今、焚き火を囲んでいるメンバーこそ、ヴァイスにもなじみの人々であったが、先ほどまで、たしかに、見知らぬ人がいっぱいいたのだ。
「フハハハハハハ!」
全身に叩きつけるような、懐かしい笑い声が響いた。
視線を上げればだいぶ大きくなった石の祭壇の上で笑う、骨のみの存在がある。
闇の竜王――
その巨体は石の床の上でとぐろを巻き、カタカタと全身を震わせながら大笑して、
「唐突な帰省! なにかと思えばそういうことか!」
……どうやら、『どうして急に帰ってきたの?』『もらった手紙の内容が不穏だったから』というやりとりを、どこかでしていたらしい。
完全に上の空だったので記憶にない。
闇の竜王は深淵なる闇を宿した眼窩をムートのほうへ向けて、
「ムートよ……俺は貴様に手紙のやりとりを任せた時に言ったはずだ……よもや忘れたとは言わさんぞ……!」
闇のオーラが全身から景気よく立ち上っている……
その根源的恐怖を感じる威容の竜王は、長い首を持ち上げ、述べる。
「『文章は、伝わりやすく、状況を正確に』となあ……! よもやこの俺の忠告を忘れ、いたずらに不安をあおる文章を作成しようとは、この俺もなめられたものよ……! ククク……! さて、どうしてくれようか……」
闇の竜王の言葉はいたずらに不安をあおる。
さて、ヴァイスの視線は、闇の竜王から言葉をかけられたムートの方を向くわけだが……
育っている。
先ほどまで上の空でじっくり観察していなかったが、妹の育ち方が本当にすごい。
もともとあのぐらいの年齢から五年も経てば、まあ人はたいてい大幅に成長するものだとわかってはいるが、それにしても、衝撃的な育ちっぷりだ。
額に生えた角の大きさこそ変わってはいないが、真っ白い髪は肩を隠すぐらいまで伸びている。
その髪がやたらとつややかで、頭上に生えた獣を思わせる耳などもあいまって、どこか神聖な雰囲気すら身にまとっているように見えた。
成長にともなって新しくなった服はスカートの丈が長くなり、袖ができた。
けれど腰のあたりを作業用ポーチつきのベルトで留めているので、育った体のラインがよくわかる。
背の高さはすでにヴァイスより頭一つは高く、手足も長くなっている。
よく運動しているのはそのままなのだろう、体は引き締まり、健康的なボディラインには性的ではない魅力があふれていた。
ヴァイスはついつい、まじまじとムートを見てしまう。
ムートはちょっと居心地悪そうにして、
「お姉ちゃんが知らない人見るみたいにしてる……」
「クククク……子供の成長の早さに打ちひしがれているのだろう……! なにせ成長とはなにがどうなるかわからぬ……栄養状態、運動、そしてなにより持って生まれた資質……あらゆるものが作用するがゆえに、先など見えようはずもない……すなわち、成長とは闇! そしてこの俺が健康状態に気づかいつつ育て上げたモノどもは、みな、なぜか大きくなる……」
「野菜とかも……」
「そう、野菜とかも……いや、俺は野菜にかんしてはなにもしてはおらんがな! だが、この闇の竜王、生き物を大きく育て上げることには適性があるのやもしれん。なにせ、成長が闇ならば、その闇を司る者こそ、この俺ゆえにな!」
「クックック……」
「ハッハッハ……」
「「ハァーハッハッハ‼︎」」
妹と闇の竜王は昔からよく笑い合っていたが、今ではもうあんなに息の合った笑いのユニゾンをするようになっている。
……ともあれ。
ムートは見てくれこそだいぶ大きくなったものの、その中身については、幼いあの日の特性をたしかに残しているようだった。
そのことに安堵し、ようやくヴァイスはムートに話しかける決心ができた。
「ムート、それで、その、手紙なんだけど」
「フハハハハ! そう、それよ! 貴様、まぎらわしい手紙を書いたようだな! この俺がプライバシーに配慮する者であるのをいいことに、わかりやすい内容を考えるのをさぼりおって!」
闇の竜王と交互に言えば、ムートは大人びた顔で儚げにしゅんとした。
「ごめんなさい」
「え、ええと、その、無事ならいいんだけど……」
「テーブルに座ってじっと字を書いてると、なんかだんだんムズムズしてきて、走りたくなってくるから……つい、手短に」
「そこはもうちょっと我慢してよ⁉︎」
実は……
自分があんまりにも帰らないので、寂しがったムートが、帰ってきてほしさからあんな不安をあおるような書き方をしたのではないかなという想像も、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけしていた。
しかしどうにも、十割過失。
ヴァイスは一気に気が抜けた。
「……まあ、うん。みんなが無事ならよかった。……知らない人がいっぱいいたけど、あの人たちは移住者なの?」
「ううん。人質」
「人質⁉︎ そ、それにしてはなごやかな雰囲気じゃなかった⁉︎」
「それはこっちも人質を送ってるから……」
「どういう関係なの⁉︎」
ムートは闇の竜王の教育をたっぷり受けて育ったせいか、物言いがいちいち不穏な子に育っていた。
そこからの話をヴァイスなりにまとめると……
ある日森に迷い込んだ人にこの集落は発見され、そこから交流が始まったようだった。
世間的には差別対象にされているらしい混血が多いこの集落ではあったが、来訪者はまず闇の竜王にしか目がいかず、そして自分を見て怯える人類に対し、闇の竜王はいつもの感じで対応したのだという。
すなわち礼儀正しくあいさつをし、竜骨兵に音楽など奏でさせ、お土産など渡すという、ヴァイスも最初のころにやられたアレだ。
その結果、来訪者は命乞いをしながら逃げ帰った。
……が、後日、冷静になった来訪者が今度は仲間を連れておとずれたところ、仲間の中に肝のすわった者がいて、闇の竜王と話し合いができたらしい。
彼らはこの近隣に新たな村を作るという政策のもと移住させられた人たちであった。
すなわち、人種ではなく、立場的に『はぐれ者』とでも言うのか……さまざまな事情から、元いた場所を離れて新天地を目指した人たちだ。
その人たちは、おおむね、ムートたちに好意的であった。
そうして互いの村民を交換してしばらく暮らさせることで、互いの村のことなどを学ばせ、ゆくゆくはもっと親密に交流を――という流れの中にあるらしい。
「……そんなことがあったんだね」
と、述べるヴァイスの胸中には、ムートの話から察せられたさまざまな『状況が現在のようになっている理由』が渦巻いていた。
おそらくだが、闇の竜王が『竜王』であると、戦争経験者も多いがゆえにわかったのだろう。
だからこの集落に対して攻撃的、高圧的に接するという選択肢が失われたはずだ。
そしてムートはちょっと姉が心配になるぐらいの美人になっているので、これを見て『交換留学』みたいな交流を決めたのだろう。
……まあ、向こうがどの程度の思惑を持っていたかはわからないが、ムートは向こうの村に行かず、行ったのはダークエルフの男たちだというオチはあったが。
ヴァイスが都会で学習した『人の心理』によるならば、排斥され、追い出され、差別されたような人たちは、同じ境遇の違う集団に対し、まず絶対に優しくはならない。
もちろん集団を形成する者、集団を率いる者の性質にもよるが、たいていは、自分たちと同じ属性の集団を見て、自分たちより下だと思い、攻撃的・高圧的に……そこまでいかずとも、いきなり『交流しよう』と思うほどに胸襟を開くことはないはずだ。
醜くなったヴァイスには、この状況が色々な奇跡の上になりたっていることが理解できた。
美しくなったムートは、人と人とのつながりを無垢に信じているようだった。
そしてムートが美しいままでいられたのは、闇の竜王がそれとなく相手を威圧してくれたからだろう。
だから、ヴァイスは闇の竜王に向けて、
「……ありがとうございます。この集落を守ってくれて」
「フハハハハ! これは異なことを言う! 貴様はわかっておらんようだな……」
「え、な、なんでしょう? けっこう色々、わかるようになってるつもりですけど」
「この俺は、第一村人としてふさわしいことをしたまでよ」
「……」
「クククク……貴様の礼がなにに対するものかはわからん。本当にわからんが……俺は普通の対応をし、その結果、今の交流がある。それは俺の力ではない」
「そう、ですね……」
「というか俺は本当に普通の対応をしただけなのだが? 貴様の中で俺はなにをしたことになっているのだ」
これは――本当にわかっていないやつだ。
だからヴァイスは苦笑いをして、
「とにかく、みんなが元気でいてくれたことを確認できてよかったです。……ええと、ニヒツちゃんとクラールくんは、帰省なんだっけ?」
ムートがうなずき、「タイミングがなー。お姉ちゃん帰ってくるってわかってたらなー」と残念そうに述べた。
……あの二人の『帰省』となると、それはそれで一大事業というか、なんらかの大仕事をしようという意思を感じざるを得ないのだけれど、ムートはそのあたり特になんとも思っていないようなので、あえて言わない。
綺麗なままでいてほしい、とは思わないけれど。
強いて、世の中にあふれる、人の言動の裏側をつぶさに感じ取れるようになってほしいとも思わない。
姉として、つらい目や、痛い目に遭って欲しくないと思うのは当然だけれど……
最期まで守り抜くことはできないのだ。だって、お互いに、お互いの生活があるようだから。
「明日には帰るね」
ヴァイスは告げた。
「そっか。またね」
ムートは、引き止めてくれなかった。
五年の歳月が関係性の温度を下げたというわけでは、なさそうだった。
こんなに長いあいだ顔を合わせていなかったけれど、こうやって急に会っても、また昔みたいに話ができる。
今回は不安からの緊急帰省だったけれど、次はきちんと時間をとってこようとヴァイスは思った。
都会でやるべきことを終えないまま時間をとって帰省するのは、『軸』が向こうに移ってしまったようで、なんだか嫌だったけれど……
心の軸は、こちらにあった。
そのことがわかったから、もう変な不安を抱く必要もないだろう。




