幕間 新しい遊び
「戦乱の時が来たら起こせって、我、言ったよね?」
それはこの世にあって未だ人類未踏の地――
荒れ狂い、いつ噴火してもおかしくない火山の火口。
紫色の煙がそこからは常に立ち上っていて、あたりはその毒気にあてられたのか、植物の一つたりとも生えていない。
ごつごつとした岩肌をさらす斜面の急な山の先にあるその場所には、赤い鱗で全身を覆い、燃えるようなタテガミを生やした竜の姿があった。
その強大にして強壮なる姿は一種の美しささえ伴っている。
よく筋肉のついた太い四肢は見るだに力強く、頭の左右から真横に伸びた角は対面した者に『もしあれに貫かれれば』という恐ろしい光景を想像させた。
炎の竜王、と呼ばれる、六大竜王が一体。
大自然の脅威とされるものの中でも、特に炎を司るその竜王は、大の戦争好きであり、戦術好きであった。
戦いがない世をつまらぬと断じ、再び戦いが始まるその時まで眠りに就くと述べ、実際に今まで寝ていた有言実行の竜王なのである。
凶暴そうな姿のその竜は、しなやかで力強い筋肉がぎっしり詰まった尻尾で地を掃くようにしながら、不満そうに述べる。
「しかし、どうだ。世界は未だ平和だという。戦乱が終わってから未だ十年と経っていないという。……で、あるのにだ。この、つまらぬ世に、再び我を目覚めさせたのは、どういう了見だ――『水の』」
この枯れ果ててヒトの住めぬ山中において、強壮なる炎の竜王と対面するのは、美しい女性であった。
透き通った青い髪の毛を全身に巻きつけた、豊満な体つきの美女。
しかし、その正体は水の竜王――炎の竜王とともに『六大竜王』と並び称される超越存在なのである。
水の竜王は透き通るような真っ白いほおに手を当て、物憂げなため息をついた。
「ええ、ええ、相変わらずのようで。わたくしがあなたに声をかける役割を負ったのは、貧乏くじと言わざるをえません。わたくしとて、寝ているあなたを起こすようなことはしたくなかったのです。しかし……」
「……しかし、なんだ」
「じゃんけんに負けまして」
「……」
「じゃんけん、ご存知ですか?」
それは高度な心理戦をようするゲームだった。
ルール上は単純だ。三つのそれぞれ相性の定められたハンドサインを二者かそれ以上で同時に出し、相手の出すハンドサインに対し有利なハンドサインを出せば勝ち、というものである。
だが、この勝負の瞬間以前に言葉や取引によって相手の手を誘導し、読む……
あるいは相手が手を出すまばたきにさえ満たぬ間に細かな動きから相手の手を読み、反射神経をもってそれに有利な手を出す……
もちろん運否天賦にすべてを捧げるのもよい――決着はほんの一瞬。しかしそこには人生のあらゆるエッセンスが詰まった、そういう遊戯なのであった。
そしてこの遊戯……
一説には戰が始まるよりずっと以前からあったと言われるほど古く、なおかつ、有名だ。
すなわち『じゃんけん、ご存知ですか?』というのは『お前寝ぼけてないだろうな』という意味の煽りなのであった。
炎の竜王は首のうしろのたてがみをメラメラと燃え上がらせながら、太い四肢で地をふみしめ、立ち上がる。
「水の。我が好むはコマを用いての戦術遊戯だけではないぞ。肉弾戰もまた、好むところだ。わかっていような?」
「こんなか弱い女の子を襲うつもりですか?」
「貴様とて竜王であろう」
「まあ、あなたがいたいけな子女を一方的になぶるのが趣味の変態というのであれば、それはそれでいいのですが……」
「……くそ。貴様の相手はこれだから嫌いだ」
「わたくしも脳筋の相手は嫌いです。どうせなら『風の』の方に行けばよかったのですけれど、あれの居場所は『光の』しかわからないうえに、ころころ変わりますからね。それで仕方なく、わたくしが、あなたのもとに来たというわけです」
「ほお」
そこで炎の竜王は、初めて話に興味を持ったように顎を上げて、
「なるほど、『光の』の発案で竜王に声をかけて回っているというわけか。しかも、協調性のない貴様が従っているということは、『土の』も噛んでいるな。そしてこの我を起こしたということは、再び――六大竜王会議が催されるのか」
炎の竜王はずしんずしんと水の竜王に歩み寄る。
「我が寝ているあいだになにが起きた? 戦争終結からいまだ十年と経っていないこの世の中で、再び我ら六体が雁首揃えるような世界の変革があったか⁉︎」
「暑苦しいので近づかないでください。そして、一つ訂正を。今のわたくしは、『闇の』の意向で動く身なのです」
「『闇の』の意向で⁉︎ 貴様が⁉︎ ぐわははははは! なんだ! なんだ⁉︎ なにがあった⁉︎ よもや六大竜王が勢力を二分し相争っているのではなかろうな⁉︎ そういうことであれば、この我が第三勢力として立つのもやぶさかではないぞ!」
「お黙りなさい脳筋。唾が飛んでいますよ、まったく……そんな状況なら、あなたを起こしたりはしません。そうではなく……『光の』の発案で、新たな計画が持ち上がっているのです。これは、未だ連絡のとれていない『風の』とあなたを除き、すべての竜王が協力する方針でいます。わたくしはあなたなんか放っておけばいいと思うのですが、『闇の』が『かわいそうだろう』と言うので、いちおうこうして、声をかけにきたわけです」
「……竜王間の争いではなく、あの無口で引っ込み思案な『光の』が発案し、それに保守的な『土の』が賛同し、気ままな『闇の』が我に声をかけろという指示をし、天上天下唯我独尊の『水の』が従う……? なんだその事態は……?」
炎の竜王は脳筋呼ばわりされはするものの、竜王の中ではもっとも他者の性格をよく見ているところがあった。
かの存在が好む戦術遊戯は、論理と感情が複雑に絡み合った一手を顔も見えない相手と打ち合うものである。
わずかな言動から相手の次なる行動を読む手腕にかけては、竜王随一とも言える――というか、そこまで『他者の性格や行動』に興味を持っている竜王が、この存在のみであろう。
その炎の竜王が読みきれぬ事態が起こっている。
炎の竜王は困惑しつつも、興奮を禁じ得ない。
いったいなにが起ころうとしているのか――
その燃えるような視線を受けて、水の竜王は極めて面倒くさそうに、そして、ここに来たのを後悔しているように、ため息まじりに述べる。
「本当に、かかわりたくないなら、遠慮せずにおっしゃってほしい、というか、かかわってほしくはないのですが」
「いいから早く言え」
「……世界を、創ろうという計画が持ち上がっています」
「は?」
「竜王の、竜王による、竜王のための、箱庭育成ゲームの舞台を創り上げてしまおうという、そういう遊びの誘いなのですよ」
今週分投稿終了
次回投稿は12月21日(月曜日)20時予定
予定外のことが起こらないかぎり年内完結の予定です




