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74話 ヒトと竜の約束

「私がここを出る前に、闇の竜王さんに約束してもらいたいことがあります」


「クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ!」


 闇の竜王の大笑が響き渡る……


 すると……


 真昼間の集落!

 かの存在が座する祭壇の目の前!

 そこで、見るまに野菜が実っていくではないか!


 しかも実った野菜はまるまると太り、色艶もよく、健康的で栄養豊富な香りがあたりに漂う……


 そう、これこそが――


 土の竜王の加護の力!


 闇の竜王とはなんらかかわりのない、土を司りし、かの古老による恩恵なのであった……!


「ヴァイスよ……」


 ひとしきり笑ったあと、闇の竜王は目の前の少女に呼びかけた。


 そこにいるのは、骨のみの竜の巨体と比すれば、あまりに矮小な存在であった。


 真っ白な体毛と真っ白な尻尾を持つ、真っ白いモフモフの獣耳を生やした人類。

 さりとてそれは獣人というわけではなく、それが証拠に、異常なまでに白い肌が陽光を受けて血色よくきらめいている。


 最近では妹にさえ背を追い抜かれかねない脅威にさらされている少女ヴァイスは、その矮躯に見合わぬ胆力を感じさせる表情をしたまま、巨躯の竜王を見上げた。


 どことなくおどおどしてはいるけれど、それはもはや垂れた目尻が他者に与える印象というだけで、本人の内心には、怯えなどかけらほどもなかった。


 闇の竜王は満足げに骨のみの頭蓋をしゃくり、


「貴様は、わかっているのだろうな……? この俺と『約束』を交わすのだという、その意味が……」


「は……いえ、その、わかってないかもしれません」


「フハハハハ! 正直! よかろう、この俺は闇の竜王……もちろん闇を司るものである。だがそれは闇の中にあるものをつまびらかにする責務を負うということとも同義。この俺自ら、貴様に『約束』という言葉の意味を教えてやろう」


「は、はい……」


「『約束』とは! 対等な者同士のあいだに交わされる誓いである! ……そして『誓い』とは、『守ろうと精一杯努力すべきものだが、守れなかったところで自分の心の中にしか罰が発生しないもの』よ」


「……」


「つまるところ、約束を交わした相手の価値が自分の中で下がった場合、その約束は守るに足るものではなくなる……さて、ヴァイスよ」


「はい」


「貴様はそれでも、俺と『約束』を交わそうというのか?」


「私は……闇の竜王さんからすれば、価値のない生き物なのかもしれませんが……」


「馬鹿者めが!」


「ええ⁉︎」


「逆だ、逆! ……いいか、ヒトよ。俺は竜王を強大だとは思わぬし、ヒトを矮小だとも思わぬ。が、事実として、竜王は強壮でありヒトは脆弱だ」


「はあ」


「その事実を事実たらしめる要因の一端として――寿命がある」


「……」


「我らは長く生きる。長く生きるがゆえに、竜王はちょっとばかりのんびり屋……! 俺はその中では性急な部類に入ろうが、やはり時間感覚は貴様らよりもだいぶのんびりしている……」


 作物が実るまでに半年以上かかることを知らなかった者の言葉とは思えないが……

 たしかに最近の見守りモードに入った闇の竜王は、急かすということをしなくなった――そういえば、闇の竜王は一貫して、ヴァイスらの生命に直結しない部分において、急かすことをしていない。


「いいか、ヴァイスよ。我らの一生において、そうそう『重要度』というものの変化は起こらんのだ」


「重要度、ですか?」


「そうだ。『大事にしていたものと、同じぐらい大事なものができる』『かつて大事にしていたものが、思い出の中に消えて、その重要度を相対的に落とす』ということが起きぬ。なぜならば、我ら竜王は知っているのだ。いずれすべてが過去になることを。そして、すべてが過去になるまでに、我らの主観で瞬きほどの時間しか必要とせぬことを。だから最初からすべてを過去として捉える。が、貴様らヒトは違おう。貴様らの過去、未来、現在は目まぐるしく変わるのだ。そして、現在が一番大事になるものなのだ」


「……」


「しかし、過去のものとした約束とて、消え去るわけではない。……さて、旅立つ貴様よ。貴様は、それでも俺と約束を交わし、それを守ることが適うか? 俺は守られぬ約束など交わさぬぞ」


 ヴァイスは、闇の竜王が言わんとすることがわかってきたように思えた。


 約束とは、対等な者同士のあいだに交わされる誓いである。

 対等な――自分自身(・・・・)と同じぐらい(・・・・・・)大事な(・・・)相手(・・)と交わされる、誓いなのだ。


 ヴァイスは、街に出る。世界に出る。


 その中で様々な出会いがあり、出会ううちに、闇の竜王や、この集落で過ごした時間が、過去になる。


 それでも。


 今、この暮らしが過去に変わっても。


 この世界を知らない若い自分が交わした約束が、未来の自分の中で、今と同じぐらい大事なものであり続けるのか?


 ……闇の竜王は、それを問いかけているのだ。


 だから、ヴァイスははっきりと告げた。


「そんな未来のことは、わからないので、お答えできません」


「…………クククククク……!」


「えっと、すいません……?」


「……いや。実に貴様らしい返答だと思ったまでよ。『それでも守ってみせる』と空手形を切るのがヒトの有り様だと俺は考えていたが……なるほど、貴様らしい、ちょっとアホみたいな誠実さと言えよう!」


 ちょっとアホみたい。

 ヴァイスはちょっと傷ついたが、否定もできないので愛想笑いを浮かべた。


 とにかく笑っておけ、というのは、闇の竜王と過ごして学んだことだ。


 闇の竜王は――笑う。


「フハハハハハハ! ……よかろう。貴様の誠実さに免じて、俺と約束を交わすことを許す。改まってどうした?」


「……実は、闇の竜王さんが以前に口にしたことが、ずっと気になっていました」


「ほう……? 自慢ではないが、俺は、俺がなにを口走ったかなど覚えておらんぞ。なぜならば俺は気まぐれ……! 今、夢中なことさえ、明日には興味を失っているかもしれん身……! そこまで気にするほど重要な発言をした覚えもない!」


それ(・・)についてです」


「ふむ?」


「闇の竜王さんは気まぐれで、いついなくなるかわからない。たびたび、明日にはこの集落にいないかもしれないと述べる……それでも、ここまで、ずっといてくれました。だから、信頼していないわけではありませんけれど……」


「ヴァイスよ、貴様の悪いところだ。あれこれ所感を加え、本題をぼやけさせる。フハハハハ! 俺に似たな! ……会話する相手を、信じてみろ」


「……ええと?」


「会話する相手が、自分の言葉からよくないものを読み取るかもしれないという不安が、貴様の言葉にあれこれ言い訳めいたものをつけさせるのであろう。ゆえにこそ、信じてみろ。世界はもっと、貴様に都合のいい解釈をしてくれるのだと。世界はもっと優しいのだと、信じてみろ」


「……」


「貴様は貴様だ。俺に似る必要はない」


「……じゃあ、その、言いますね」


「フハハハハハハ! そういうのをやめろというのだ!」


「闇の竜王さんには、ずっとこの集落にいてほしいんです」


「フハハハ! 断る!」


「ええ⁉︎」


「貴様の誠実さに免じ、俺も誠実にものを言うがな。この俺の気まぐれは、俺にさえ制御できるものではない……! そして、そしてだ。貴様は何気なく述べたのであろうが、一つ、大前提を忘れてはおらんか?」


「なんでしょう……?」


「竜王の寿命は、ヒトよりずっと長い。ずっと、ずっとだ」


「……」


「わかるか? 貴様が何気なく述べた『ずっといてほしい』という言葉に含まれる『ずっと』には、貴様の人生何周ぶんもの時間がふくまれておるのだぞ! さすがに永劫にも近いその時間を『約束』のテーブルに乗せてやるほど、俺は不誠実ではない」


「ああ、そういえば、そうでしたね……」


「もう少し、俺がなんとか我慢できそうな時間を述べるがいい」


「……ええと、じゃあ、私が死ぬまで?」


「よかろう」


「……いいんですか?」


「区切りは欲しかったところよ。最悪の場合、貴様を殺して約束を終えるが……」


「ええ……」


「フハハハハ! 俺は闇ゆえになにが起こるかわからん! あらゆる可能性がありうる! ゆめ、覚悟することだ。闇にその生涯を『おはよう』から『おやすみ』まで見守られるというのは、そういうことよ。『おやすみ』から『おはよう』のあいだは、さすがに俺も自由にさせてもらうがなあ……! ……ぬう⁉︎」


 闇の竜王が聞いたことのない声でおどろきをあらわにした。

 さすがに肝が太いとか態度が図太いとか言われているヴァイスも、びっくりしてあとずさる。


「や、闇の竜王さん⁉︎」


「なんということだ……! クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! ヴァイスよ! 今、気付いたぞ! 貴様は、竜王より『時間』を奪ったのだ!」


「え、なんかすみません……」


「フハハハハ! 愉快だと言ったはずだ!」


「言ってないですけど……」


「言ってなかったな! ごめん! フハハハハ! ……ああ、闇の竜王ともあろうものが、ヒトに命以上に奪い難い『時間』を奪われてしまった。しかも、そうと気付かぬままに! なかなかの弁舌家、策謀家よな!」


「ええっと、そんなつもりは……」


「そこは素直に認めておけ! この俺が楽しんでいるのだ! ああ、なんとめでたきことか! 偶発的にせよ! 俺の慢心にせよ! こじつけにせよ! 思い込みにせよ! 俺は、そうと気付かぬままに、『時間』を差し出した! これはある意味において、ヒトの勝利である!」


「……よ、よかったですね……?」


「願わくば、もっとこじつけではないかたちで、ぎゃふんと言わされてみたいものよ」


「……」


「貴様の生涯に期待する。俺はそれを見守ろう」


 約束が交わされた。


 本人たちにとってはなにげない約束だ。


 けれどそれは、互いが対等でなければ約束は交わせないと前提を確認された上で、初めてヒトと竜のあいだに交わされた約束だった。

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